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ダンジョンランカー  作者: 魔桜
神様の箱庭編 5
26/28

26話 理想の果てにあるのは神様の箱庭

「…………え?」

 閃光に眼球を焼かれるのを嫌って、目を瞑った。

 それでも、目蓋の隙間を抉じ開けるようにして光が侵入してきて、手を掲げて影を作った。ほとんど焼け石に水で、ドロドロに眼球が溶けそうなぐらい熱くて、痛い光に歯噛みしながら耐えた。

 そして、ルナの造りだした空間の歪みに引きずり込まれたような気がした。

 それが最後の記憶。

 眼を開けたら、そこは現実世界と何も変わらない世界が広がっていた。

 たった一つ。

 世界が灰色でしか配色されていないということを除いては――。

 自分の肉体は本来のカラフルな色。

 それなのに、自分以外の世界はまるで味気がなかった。

 周りを見渡しながらどんな世界なのかを散策していると、

「痛ッ!」

 何かに当たったと思ったら、それはイバラだった。

 棘がいくつも連なっている。その棘が歩いている時に太ももをかすったらしい。赤い血が出ている。すぐに手を添えて傷を『特異魔法』で治す。

 ズルズルとイバラは独りでに動く。

 まるで蛇のように床を這っていく。よくよく見ると、イバラは一本だけではない。無数のイバラが絡み合っている。視界の端にまでイバラは生えていて、どう考えても変種だ。

「なんだ、これ?」

 イバラの集束地点には、まるで巨大な卵のような形のイバラがあった。

 外殻のイバラはずっと回転していて、近づけない。

 それは、まるで中身を棘で守っているようだった。

 だけど、気がつく。

 その棘にはルナの制服の切れ端があることを――。

 まさか。

 まさか――卵型のイバラの中身は――

「…………ルナ? おいっ! ルナっ!」

 一斉にイバラが立ち退く。

 火を恐れるモンスターのように、俊敏な動きだった。

 イバラの卵の中にいたのは、やはりルナだった。

 全身をイバラで覆われていたせいで、血だらけだ。

 早く治してやろうとするが、

「いいの」

 目を瞑っていたルナが口を開く。

 どうやら意識があったようだ。

「すぐに治るから」

 光が身を包むと、傷口が一気に塞がる。

「なっ――」

ラックスが治したわけではない。

 ルナ自身の力で治したようだが、そんな『特異魔法』の特性じゃなかったはずだ。

「ここは、私だけの理想郷。だから、私が考えたことは、どんなことだって叶えることができるの」

「……そんな。まさかルナの『特異魔法』は、元々この空間を生み出すものだったのか? 今までのルナの最強に近いと思っていた攻撃は、全部片鱗でしかなかった?」

 空間を歪ませて造りだした新たな空間。

 どうやら、そこに閉じ込められているらしい。

 そしてここでは、ルナは自分の傷を治すことができる。

 そして、それ以外の、もっと凄いこともできそうだ。

 あのイバラも、ルナが思い込んだことで造られたもの。どんな物質でも思うだけで発現できるのなら、それは『特異魔法』を――人間の域を超えている。

 ラックスには『私だけの理想郷ワールドクラフト』を使いこなすことなどできない。

 あまりにも強力過ぎるし、危険すぎる。

 もしも少しでも手元が狂えば、空間の歪みが自身の身体に発生しバラバラになってもおかしくない。

 つまり、この世界から脱出できるのはルナしかいないということになる。

 見た目は元の世界とほとんど変わりない。

 壊れた柱の形状まで一緒だ。

 だが、ここにいる二人以外に、人間がいないのが気にある。

「なあ、ここはどこなんだ?」

「だから、私だけの理想郷よ。話を聴いてなかったの?」

「そうじゃなくて! 俺達が元いた世界はどうなってるんだよ? なんで、人間は俺達二人しかいないんだよ!?」

「ああ、なんだそんなこと? 別に、いいじゃない。そんなの」

「……そ、そんなことって。……お前?」

「この世界は私が造りだした世界。もう、あの狂った世界に戻るつもりなんてないから、いいでしょ? もう」

「何言ってんだよっ!? もう戻らないって!? 正気か!? あの世界には――」

「何もない。そうでしょ?」

「………………!」

「私は、あの世界に未練なんてない。あんな理不尽な世界にいたっていいことなんてない。だったら、この世界にずっといればいい。ここなら、私の力でなんでもできるの。――こんな風に」

 手を振ると、一気に世界が華やかになる。

 色鮮やかな世界になり、床に亀裂が入る。一瞬、不吉なことでも起こるかと思いきや、それとは全く逆。

 床の下から草が生えたと思ったら、一気に茎が伸びてそこから花が開いた。

 その一本が、二本、三本、そして無数に増えていき、とんでもない速度で花畑が出来上がってしまった。

 上部の天井もいつの間にか取り払われて、心地よい太陽光が降り注ぐ。

 白い鳥がバサバサと羽ばたき、横合いからは水が噴き出して泉ができあがった。

 まるで、造り物の楽園のような世界が出来上がった。

「なっ――」

「ね? 好きなように世界を造りかえることができるの。私が望むことは全部叶う世界。だから、ラックスはなんでも言っていいわよ。私がそれを叶える。そして、二人だけの理想の世界を造りましょうよ。絶対に楽しいわよ。敵はいない。悲しいこともない。もう、二度と涙を流さなくていいような最高の理想郷を造れるの。ラックスの好きなお金だって、ほら、無限に溢れでるんだから」

 ジャラジャラジャラ、と青空に浮かぶ雲から、コーゼル金貨が雨のように降ってきた。

 キラキラ太陽の光と金色の硬貨が反射して綺麗だったけれど、どこかうすら寒さを感じるのはどうしてだろう。

「でも、こんなの……全部、偽物なんだよ、ルナ。こんな世界にいても、虚しくて、あとから辛くなるだけだ」

「偽物なんかじゃないわよ。たとえ偽物だったしても、貫き続ければどんな嘘だって真実に――本物になるものよ。それに、私達がいた世界の方がよっぽど虚しかった。辛かった。ラックスだって、本当はずっと望んでいたんじゃないの? 例えば、レイユさんが幽霊とならずに、旦那さんと一緒に幸せに生きられた世界。例えば、リオーレさんと友達でいられた世界。例えば、あなたの両親は虐待なんてしない普通の両親の世界。例えば、イティ先生とは姉と弟いう関係ではなく、恋人でいられる世界を――」

「それ――は――」

 確かに、そうなったらどれだけ幸せだったのだろう。

 起こりえたかもしれない最高の結末。

 どれだけうまく繕って、全力を尽くしても決して手に入ることのないものだってある。

 綺麗事で努力はしたんだと誰かに言い訳しても、意味などない。

 人間がどれだけ頑張っても、どうしようもないことは必ずある。

 失敗しなくとも、いつだって何かが欠けている気がした。

 でも、それはしかたないことだ。

 人間には限界がある。

 無限大の可能性なんて、未来には存在しない。

 でも、ルナならば、欠けているものを満たせると言っている。

 最上で最高な世界を造れると宣言している。

「私ならどんな世界だって造りだせる。特にあなたは、イティ先生との過酷な旅で、数えきれいない悲劇を観てきたはず……。そんな悲しい世界にこだわる理由なんてないじゃない」

「……だから、ここに一生いようっていうのか? 他の奴らはどうする。俺達二人だけか? それとも、人間もここで造るのか?」

 ルナならば、生命を造りだせそうで怖い。

 何の苦労もなく、ただ単純に願うだけで人間をも造りだせそうだ。

「ううん。欲しい人がいるなら、ここに連れてくればいいじゃない。リオーレさんでも、イティ先生でも、好きなだけ。好きな人を選抜してこの理想郷に住まわせる。それ以外の人間はそのまま辛いだけの世界に置き去りにすればいいじゃない。そうよ。今思いついたけど、それでいいじゃないっ!」

「本気でそんなことを言ってるのか? どれだけここが楽園だとしても、人間はそう簡単に住処を変えられない。渡り鳥じゃないんだ。今まで生きて積み重ねてきたものがあるんだよ。草木のように地面に根っこを生やすみたいに、どっしりと前の世界で生きてきたんだ。無理やり引き抜かれたら、根っこはバラバラになる」

「んん? よく分からないけど、その積み重ねが、しがらみがあるから受け入れがたいってこと? なんだ、そんなこと。だったらその重りをすぐに取れる最高な方法があるわよ!」

「……なんだよ、それは?」

 ただでさえ、ルナの変貌ぶりに驚いている。

 彼女はきっと、正気のつもりだろうが、もう、手遅れなほどに壊れてしまっている。

 生まれ育った環境が人格全てを形成するわけではない。

 だけど、今、ルナが苦しんでいるのは、間違いなく彼女が今まで蓄積してきて負の経験値。

 きっと、彼女自身すり減り続けて、どうしようもないほどにもろくなっている。

 ガラスのように壊れそうな彼女の心のヒビがピシッと、さらに壊れる音が聴こえた気がした。


「みんなの記憶を消しちゃえばいいのよ!」


 底抜けに明るい笑顔。

 まるで、自分の発言にほころびなんてないと思い込んでいるような表情をしている。

「私のお母さんの『特異魔法』見たんならできるわよね? あなたがここに連れてきた人たちの記憶を、自分の記憶すら改竄しちゃえばいい。この世界こそが、元々私達の世界だって認識させれば何の問題もないっ! ほぉら、最高じゃない!? 私達の『特異魔法』があれば、本当に理想的な世界が造れるんだよっ!!」

 気がついているのか。

 それとも気がついていないふりをしているのか。

 テルクルは記憶改竄の熟練者。

 もしも万全を期すならば、テルクルに頼むはずだ。

 それなのに、他人の『特異魔法』を完全につかいこなすとは限らないラックスに依頼するということは、どういうことか。

 それは――テルクルをこの理想郷から除外するということ。

 いらないものだと、切って捨てたということだ。

 ルナはこの世界に永遠に暮らそうと考えているようだった。

 もう会えないはずなのに。

 自分の母親を、実の肉親をいらないものだと認識してしまっている。

 そして。

 それほどまでに自分を苦しめた母親の、その『特異魔法』を利用しようとしている。

 自分のような被害者を増やすことになるはずなのに。

 それなのに、母親と同じことをしようとしている。

 一体、何を間違えてしまったのだろう。

 ルナと一緒にいると楽しくて、いつの間にか笑顔になっていたはずなのに。

 それなのに、どうしてこんなに今は悲しいのだろう。

「……そうだな。そうすれば、完璧な世界が造れるな」

 悲しいけれど、だけど、それでも――ルナの言っていることは正論だ。

 幸福な世界を創造できることに関して、何の懸念もない。

 問題点は全てルナが潰してくれた。

 心に一抹の不安を抱えることなく、理想的な世界の永住権を手にした。

 それを何の躊躇もなく破り捨てられるほど、元いた世界に幻想を抱いているわけではない。

 イティと旅をしていると、この世界には人間の悪意で溢れていることを思い知ることになった。

 もしも。

 もしも元いた世界が……ほんの少しでいい。

 ほんの少しでもいいから、他人に優しくなれるような世界だったら。そんな世界だったらきっと正常に回りだすことになるのに、と何度思ったことか。

 だけど、そうはいかない。

 コレクティ学園という狭い世界でも、そんなことは絶対にありえなかった。

 だから、他人に優しくなれるものだけを選別し、そして何か問題が起こっても、その思い出をも消してしまえば、それは確かに完璧なる世界。

 誰も子どもを虐待せず、争いもなく、誰もが笑って、優しくなれる世界。

 もしも、そんな世界があったら、子ども頃のラックスが憧れていたような世界があったらならば――これほど幸福なことはないだろう。

「そうでしょ! だったら――」

 ルナは嬉しそうに手を伸ばすけれど、


「それでも、俺はこの世界にはいられないよ」


 その手をつかむことはできなかった。

「……ど、どうして?」

「完璧すぎるからだよ。自分の好きなように世界を造れたら神様みたいな気分になれるよな。だけど、そんなんじゃこの世界は、永遠にただの箱庭だ。どこまでいっても造り物でしかない……」

 夢は必ずかなう。

 理想は実現する。

 確かに、そうなることはあるけれど、そのほとんどは手にすることができない。

 全ての人間の想いが成就するなんてものは、妄言だ。

 この世界は矛盾、嘘偽りだらけで、果ての果てまでくだらないもので溢れている。

 だけど、だからこそ、追い求め続ける。

 どこかが欠けているからこそ。

 満足できずにいるからこそ。

 輝くものだってあるはずなんだ。

 夜空の月が、闇の中だからこそ光輝くように。

「どこが? 意味分からないんだけど」

「そうか。だったらさ、俺が選抜した奴が、お前の気に喰わない相手だったらどうする。いや、今は大丈夫でも、後々嫌いになったら? それとも、俺のことが消したいって思ったらどうする? お前は、すぐにこの世界から弾くんじゃないのか?」

「何言っているのっ!? そんなこと、するわけないじゃないっ!!」

「……いいや。するよ。今はお前にとって俺は価値のある人間かも知れない。だけど、それは前の世界の人間がいたからだ。お前が今排除したいと思っている比較対象がいたから、俺はお前にとっての特別になれたのかもしれない。……だけど、それを排除したら、きっと俺はお前の特別じゃなくなる」

 どれだけ好きな人でも、嫌になることはある。

 好きだからこそ、許せないことだってできる。

(俺だって、そうだ)

 イティなら分かってくれるだろうと思っているのに、ダンジョンに潜ることを禁止された時も、正直はらわたが煮えくり返る思いだった。

 自分の夢を全否定されたような気がした。

 例えそれが、イティなりの愛情だったとしても、それは家族の情でしかなかった。家族としか、ラックスは認識されていなかった。一人の男として見られてなどいなかった。

 イティのことが好きなラックスにとって、ある意味それは一番酷い仕打ちだった。

 そんな風に、想いがすれ違うことだってある。

 でも、そのたった一回のすれ違いで全人格を否定して、記憶を改竄までするのは間違っている。

 もしかしたら、いつか和解する時がくるかもしれないのに。

 もしかしたら、くだらないことで悩んでいたなっ、って笑い話のネタにできたかもしれないのに。

 簡単に、人格を改変していいはずがない。

 もしも、一度だけど、気軽に記憶改竄してしまったら、何度だってしてしまうだろう。

 それだけ記憶改竄は魅力的で、それでいて最悪な提案だ。

 この世界に居座ることだって、それと同じことだ。

「それに、もしも記憶を改竄したら、俺は俺じゃなくなる。辛いことがあったから俺はきっとお前の特別になれた。お前の力になって、お前の傍にいて、お前の心に刺さる言葉を発することができる。……それは、今の俺にしかできないことだろ?」

 ルナがこうしてラックスのことを理想郷の一員として選んでくれたのは、同じところに傷を持っているから。

 傷の舐めあいだと、依存だと、嘲笑する奴だっているだろう。

 だけど、きっとそんな奴らは知らない。

 絶対的な味方でいてくれるはずの両親から受ける傷の痛みを。

 仮に世界が敵になったしても、親だけは子どもの味方をしてくれるはずなのに。それなのに、自分の敵にまわってしまった時の絶望感を知らない。

 そして、誰にも相談できないことを。

 仮に、誰かに告白して助けを求めたとしても、誰も聴いてくれない。

 そんなことを繰り返すうちに、誰にも助けを求めなくなって、世界中の誰も信じられなくなっていく。誰にも頼らずに、一人で生きていきたいと思うようになる。

 孤独であることこそが、最も傷つかない生き方だということを学習する。

 それは、世界の真実なのかもしれない。

 そんな風に生きている人だって世界にはいるかもしれない。

 でも。

 少なくとも。

 ルナはそうしたくないはずだ。

 独りぼっちが嫌だから、こうやってラックスを誘っている。

 本当に孤独になりたいのなら、勝手にこの世界に入って、勝手に引きこもるはずなんだ。

 孤独に抗う意思があるのなら、まだ手を継ぎ合うことだってできる。

 テルクルとだって、折り合うことだってできるはずだ。

 確かにやり過ぎることがあるテルクルだったけど、その根底は娘のためだった。

 本心ではルナとだって分かり合いたいと思っているから、あんなに苦しんでいた。それに、ルナと同じような経験をしていたような口ぶりだった。だったら、理解しあえる日がもしかしたら、くるかもしれないのに、そのチャンスを自ら放棄していいのか。

「神様気分でたった一度でも他人を排除したら、もう、俺を排除するのも躊躇することなんてなくなる。俺なんて矮小な存在、気にかけなくなる。それは……やっぱり寂しいよ。お前には箱庭の神様になって欲しくない。お前には――人間であって欲しい」

 最初に出会った時から、きっと対等ではなかった。

 そっちは、サードランカーで、こっちはランク外だった。

 でも、いつか追いつきたい。

 追いついて、それから隣に並び立ちたい。

 今ではそう思うようになった。

 これはただの我が儘で、でも、だからこそ、紛れもない本心だった。

「……いやっ! なんでそんなこと言うの。私だってちゃんと考えたのに。ちゃんと悩んで苦しんで、ようやく出した結論なのに!! どうしてっ? 苦しみから逃れたいって思うのはそんなに悪いことなの!?」

「悪くはないよ。だけど、全てを消し去っても、どうせまた嫌なことは生まれるんだよ。だったら! 大事なのはそれを忘れることじゃない。嫌なことをどうやって折り合いをつけるかだ。転ばないように生きるより、転んでも立ち上がれる生き方を知らなきゃいけないんだ!!」

 ルナの傍にいて、彼女の傷口に手を当てたい。

 それなのに――


 イバラが動き出してラックスの脇腹に突き刺さる。


「ぐあっ!」

「なっ、なんで、私、こんなこと――」

 望んでいないのなら、それは無意識で邪魔物を排除しようとしている。

 いや、本当に排除したいのなら、わざわざイバラで攻撃なんてしてこない。

 もっと確実性の高いもので排除するはず。

 迷っているのだ。

 その証拠に、ぐわん、とこの世界そのものが歪みだした。

「空間が、揺らいでいる……?」

 茫然としているルナのもとへと奔走する。

 それを許してくれないイバラの雨。

 手を使えば、どんなものでも破壊できる。

 だけど、物量が明らかに上。

 というより、あちらは無限にイバラが湧きだしてくる。

 人間の反射神経じゃ防ぎきれず、身体に裂傷が刻まれていく。

「ぐ、ぐぅうう」

 残念ながら『暴飲暴植エネルギーチャージ』や『大円弾フィナーレ』などは使えない。

 正確に言えば、使わせてもらえない。

 止めどなく迫りくるイバラの猛攻は常に続いている。

 そんな中、無から有を生み出すタイプの『特異魔法』はワンアクション予備動作が必要となる。

 傷を回復するための『鍛冶合成屋(ブレイクリメイク)』を使う暇などない。

 せいぜいできるのは『鍛冶合成屋(ブレイクリメイク)』でイバラの雨を振り払うことと、もう一つ。

 避けて地面に突き刺さったイバラを、衣服に縫い付ける針のように地面に固定することぐらいなもの。

最弱の侵略者(ワーストインベーダー)』で地面を『スライム化』させ、直後に『スライム化』を解除してやれば、地面は元の硬度になる。

 それで、イバラは引き戻されることがない。

 これはただの時間稼ぎだ。

 テルクルのように『全身スライム化』さえできれば、傷を負うことなどないけれど、そんな器用な真似できるわけもない。

 増え続ける傷口から、涙みたいに血を流し続ける。

 それでも、ルナのもとへと辿りつく。

 だけど、

「いやっ! もうこないでっ!!」

 イバラの壁が立ちはだかる。

 それを『鍛冶合成屋(ブレイクリメイク)』で一気にブチ砕くが、すぐに生えてくる。

 すぐに生えてきて、イバラがラックスの全身に突き刺さって、景色が見えるぐらい身体に穴が開く。

「あっ、がっ!」

 まだ、わずかに開いた壁の隙間から、ルナの身体に、またイバラが巻きついているのが見える。

 自分が傷つくのが分かっているのに、イバラで身を守らずにはいられないようだ。

 身体がどれだけ傷ついていても痛みはなさそうだった。

 痛いのは、むしろ心。

 ラックスのことを傷つけてしまっている自分を責めているのもある。だが、それ以外にも、過去の辛いことを思いだしていて苦しくて。自分の身体を覆いたいらしい。

 ここで、無理やりルナを助け出したところで、また、見えないところで自傷行為をするのかもしれない。それぐらい追いつめられている。

 だとしたら、もう、何もしてやれない。

「分かった。もうこれ以上は進まない。お前がこれ以上苦しむって言うならもう俺はお前を助けることなんてできない。もう、勝手にしろ。お前ひとりでなんとかすればいい。だけど――」

 つまるところ、ルナが助かるためには、ルナがなんとかするしかない。

 他人の力で誰かを助けきるなんてことは、もしかしたら一生できないのかもしれない。

 そうだとしても――


「こうして、俺は手を伸ばすよ」


 そのきっかけを与えることぐらいはできるかもしれない。

 ルナが起き上がるために、一人の力じゃ及ばないというのならば、その手をつかんでひきあげてやりたい。

 何もできずに、毎日泣いていたあの頃のラックスを救ってくれたイティのように。

「お前がお前自身の力でどうにもならないんだったら、俺が助けるよ」

「でも、私は自分ひとりでどうにかする。そうじゃなきゃ、いけないんでしょ?」

「ああ、それでも、自分じゃどうにもできないことだってある。そんな時は助けるよ。仮に助けられなくても、お前がお前の力で自分を助ける手助けぐらいはできるかもしれない。俺だって、イティに助けてもらったんだ。好きなのは、あいつ自身だけじゃない。あいつの生き様もなんだ。だから――俺もお前を救うよ。俺にとって特別なお前を――」

 イバラの壁の間から手を伸ばす。

 この間に、いくらでも腕を貫通させるだけのイバラを生み出すことができるはずだ。

 それなのに、さっきからイバラの雨は止んでいる。

 それはきっと、今度こそ、ルナ自身が助かりたいと思っているからだ。

「手を取ってくれ。――お前の意志で」

 手を伸ばすことしかできない。

 この手を取るのは、ルナにしかできない。

「例え世界がどれだけ残酷で理不尽だったとしても、俺がなんとかしてみせるよ。今までみたいにきっと……。だから、信じてくれ。信じてくれたらきっと――たとえ、お前がお前を傷つけようとしても、何度だってお前を助けるよ」

 今まで幾度となく二人で死線をくぐってきた。

 リオーレを救おうとしてメモリーキューブでダンジョン転移しようとした時、一緒についてきてくれた。

 ほんの少しの期間しか、行動を共にしなかった。

 だけど。

 出会った時間が短い――なんて細かいことを帳消しにするほどの絆の架け橋は、きっととっくに構築されていた。

 金よりも大切なものが、きっと二人の間にできていて、そして、ルナのことをかけがえのないと思える大切な人間になっていたんだ。

「……信じるわよ。あなたのこれまでのことを思いだしたら、信じないわけにはいかないじゃない。――だから、手を貸してくる? 私だって私を助けたいから――」

 ルナが手を伸ばしてつかんでくれる。

 そして、力強く握り返す。

「ああ、絶対に――」

 そして。


 神様の箱庭は消失した。




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