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ダンジョンランカー  作者: 魔桜
神様の箱庭編 5
23/28

23話 最弱のスライムこそが最強の侵略者

 テルクルは記憶を読み取ることができる。

 つまり――『冥土の土産ラストカウンター』がはまった時の無敵具合を知っているはずだ。

 それなのに、汗ひとつかいていない。

 まるで余裕といった様子で歩く。

 ラックスの存在を無視したように、手のひらをルナの頭に添える。

「さて、と」

「――あっ!」

 瞬間――ルナの身体がふっ飛ぶ。

 動きが緩慢になって瞳に映る。

 気絶させたようで、まともに受け身も取れずに危ない角度で床に頭を打ちつける。

 手を伸ばしても、当たり前のようにルナまでは届かない。

「なっ――」

冥土の土産ラストカウンター』はあくまで自己防衛の『特異魔法』だ。

 だから、ルナが攻撃されるのを防げなかった。

 こんなの、親が娘にやることではない。

「もうすぐ娘の正気が戻ってしまう。だったら、邪魔者には退場してもらうしかないでしょ? あなたを教育するための、邪魔者には、ね」

「よく、子どもにそんなことできるな。――それに、戦うつもりか? あんた、ルナの記憶を読み取ったんだろ? だったら、この『特異魔法』がどれだけ強力かも知っているはず。洗脳して俺を操るなんてこともできない。あんたは――もう詰んでるんだ」

 相手はもはや切り身になるのを待つ魚のようなものだが、同情の余地はない。

 出し惜しみなどせずに、今できる最大の攻撃を放つ。

 つまりは――イティの木の根を発現させる『特異魔法』だ。

 ゴウッ!! と空気を裂くような音をさせながら、木の根をテルクルへ高速でぶつけていく。

「イティの『暴飲暴植エネルギーチャージ』ね……」

 ぽつりと、そう独りごちると、テルクルは最小限の動きで木の根をかわす。

 そして、ただ木の横っ腹をスッと触る。

 そう、触るだけで、木の根が原型を失くした。

 ボタボタボタと、まるで高熱によって溶けるみたいに、触れた個所から木が床に落ちていく。

「旧知の仲だからこそ、この『暴飲暴植エネルギーチャージ』の弱点も知っている。確かにあらゆるものを無効化吸収できる『暴飲暴植エネルギーチャージ』は脅威。だけど、その効力は木の根にしか展開できない。だから、それ以外の箇所はこんなにも脆い」

「あんなにも硬い木をバターみたいに――」

「ふん」

 テルクルは手を推し進めていって、木の根を粉々に砕いた・・・・・・

(な――んだ? 溶かすだけじゃなく、粉々にすることもできるのか?)

 だが、テルクルの狙いは木を壊すことだけではない。

 狙いは、砕いた木屑を飛ばすことだ。

 この発想の着想。

 やはり、最初に思いつくのは、跳弾のように間接的な攻撃。

 だが、飛び散った木屑は、身体に当たる直前で全て砕け散っていく。

 ラックスはルナにレイユとの戦いについて語った。が、こと細かに伝えたわけではない。そのおかげで、ルナの記憶を読んだテルクルは、攻撃の手を誤った。腰辺りがコーゼル金貨になる。

「無駄だ。俺が出した木の根を破壊しての攻撃であっても、あんたの攻撃だと認識され、俺には何のダメージも与えられない。そして、攻撃ダメージ分、あんたの身体はコーゼル金貨になる」

「――そうでしょうね」

「――――ッ!!」

 背後からの声。

 木屑は囮。

 視界を塞いで後ろから不意打ちをするための布石だった。

 だが、死角からの攻撃であっても『冥土の土産ラストカウンター』は発動する。ガードする必要すらない。だからこそ、慢心してしまった。

 動きが鈍くなってしまっていた。

「しまっ――」

 気がついた時には遅い。

 テルクルはこちらのことなど眼中にない。

 最初から、自分の名前を記入した紙を狙っていたのだ。

 紙に名前を書くのが『冥土の土産ラストカウンター』を発動するための前提条件。ならば、その条件を覆すためには、その前提条件そのものを消し去ればいい。

 テルクルが紙を破くと、彼女の身体は元通りになる。

 いつかは看破されるかもしれないと思ったが、テルクルの洞察力は想像の遥か上だ。ただ魔力が強いだけのごり押しタイプに、『冥土の土産ラストカウンター』は決して破ることができない。

 自信はあった。

 経験値だけなら、他の奴らには劣らないと。

 百年もの間この世にとどまっていたレイユは例外としても、ジェミニアやルナなんかよりかは上のはず。

 だから、テルクルもその程度。

 仮に経験不足だとしてもそこまでではないだろう。

 だが、どうやら、大きな差があるようだ。

「これ――は――。まさか、こんな簡単に強制解除されるなんて――」

 圧倒的実力差。

 そして、経験値の差がある相手に長期戦を挑むのは自殺行為。

 だが、初手で不意打ちならば、こちらが上回れる。

 だから、初手は一撃で相手を無力化できるものを選んだつもりだった。

 そして、それは成功した。

(――それなのに、こんなにもあっさりとひっくり返されるなんて――)

 まずい。

 これで、ほとんど勝機がなくなってしまった。

(いや、そうじゃないだろ……勝機がなくなったとか、そんなこと、どうだっていい)

 ルナの横たわる姿が視界に入った。

 痛ましい彼女を見やって、それでもこの拳の力を緩めるなんてできるわけがない。

「あなたの『特異魔法』はあらゆる『特異魔法』を複数扱える。それは他のランカーに対して大きなアドバンテージになる。だけどね、それは私のような熟練者が手にした場合。あなたのようにまだ経験の浅い人間には、とても使いこなせる『特異魔法』じゃない……」

 レイユがどうして、間を置いて『特異魔法』を発動させたのか。

 それは、こちらが攻撃するチャンスをなるべく潰すため。

 それから、最大の弱点を隠すためだったのだ。

 それができなかった状況とはいえ、やはり所詮やっていることは真似事。

 本家であるレイユのようにはいかない。

 どうする。

冥土の土産ラストカウンター』が破られたとすると、次はなにをすればいい。

(俺と同じで、手を接触させて『特異魔法』を発動させているところしか見ていない。そつまりは、接近戦が得意なタイプ。それこそが嘘で、こちらに隙が出るのを待っているかもしれないが、この圧倒的実力差だ。この女がそこまで考えるとは思えない。普通に考えるならば、相手の得意な接近戦は避けるべき。となれば、遠距離から攻撃できる『特異魔法』で相手のペースを乱すしかないっ!!)

 考え込んでいると、テルクルが突進してくる。

 あちらから仕掛けてくるのは予想していなかったが、やはり、接近戦を挑んできた。

「乗馬はしたことある? どれだけ強い『特異魔法』を授かっても、それを乗りこなす騎手が下手ならば、落馬し、馬に頭蓋を踏みつぶされる。乗馬と同じなのよ。あなたにその『特異魔法』は分不相応なのよ」

「『暴飲暴植エネルギーチャージ』がきかないだったらこれで――」

 すぐさま迎撃する。

大円弾フィナーレ』で造った火球はゴウゴウと燃え上がりながら、テルクルへ一直線。

 テルクルは眉一つ動かさずに、素早い動きで横にあった柱を一つかみする。

 すると、そのまま柱の一部を引っぺがすみたいに砕くと、それを盾にした。

「柱を削った――いや、すくいとったっ!?」

 柱と激突した火球は霧散した。

 すぐさま防御されたことよりも、防御方法に眼が行く。

 ただ柱を破壊して盾に活用したんじゃない。

 触れた部分を見ればそれは明らか。

 削り取ったならば、剣が刃こぼれするみたいにギザギザな部分がでてくるはず。

 それなのに、綺麗に切り取っている。

 罅ひとつ入っていなくて、無駄な力が一切見られない。

(テルクルの『特異魔法』は洗脳だけじゃなく、二つ目の『特異魔法』があるのか? いや、それはありえない。俺やレイユのような例外をのぞけば、一つ、一つしか『特異魔法』を持てないはずなんだ。それなのに――)

 明らかに、テルクルは二つの特性を持つ『特異魔法』を操っている。

「使い手次第で『特異魔法』はいくらでも昇華できる。あなたのさっきの口ぶりからしても、どうやら本気でイティを目指しているみたいね。教えてあげといてあげるけど、そんなに強くなりたいのなら、まずは一つの『特異魔法』を極めることから始めた方がいいわよ」

 こうなったら、出し惜しみせずに手札を全て晒すしかない。

暴飲暴植エネルギーチャージ』で発現させた木を突っ込ませながら、その木を『大円弾フィナーレ』で燃やし尽くす。

 燃やした木はテルクルの手に当たると同時に、ぐにゃりと曲がると床に激突する。

 火球を防いだ時、そのまま受けなかったから炎が弱点かと思った。だが、炎まで湾曲している。木を燃やしたのはまるで無意味のようだった。

鍛冶合成屋(ブレイクリメイク)』で剣を無から造り上げると、溶かされた木を根元から分裂させる。

 この特性は『もう一人の自分ドッペルゲンガー』のもの。

 二つの燃えた木は分かたれて、間にテルクルを閉じ込めた形になる。

 挟み撃ち。

 これで逃げ場はない。

「くらえっっっ!!」

 もう一度剣で木を斬ると、そのまま燃えた木は再び一つの木に戻る。

 高速で動くそれは、モンスターであるヨトゥンをも倒した時と同じ勝利パターン。

 だが――

「――これで終わり?」

 テルクルは全く動いていないにもかかわらず、無傷だった。

 テルクルに接触したはずの木はデロデロに溶けていて、原型が観られない。

「なっ――」

「あなた、焦り過ぎなのよ。一手一手が杜撰すぎる。一歩一歩焦らずに成長していくその過程こそが、後の人生の財産になる。本当の強さはね……才能や努力じゃない。強さとは経験の集積体。たくさん戦って、その戦いの場で感じたことを次に生かせばいい。どんな才能も、努力も、蓄積の塊である私の前では全てが無意味なのよ」

「なんだ、こいつ――。俺の攻撃全てがまるで通じていない?」

 打開策が見つからない。

 たまらず距離を取るが、追ってくる。

 無数にある柱で相手の姿が見え隠れしながら、お互いに距離を測る。

「力を発揮できなければ、天才も落ちこぼれも違いなんてない。これこそが、ベテランにしか出せない技よ。どうして子どもは大人を敬わなければならないか分かる? こんな風に決して埋まらない格差があるからよ。長く生きているってだけで、子どもより大人の方が優れているの。――だから、子どもは大人に従わなければならない」

 柱が倒れてくる。

 根元部分がぐにゃりと曲がっている。

 高熱で溶かしているようにも見えるが、炎は出していない。いったいどういうことなんだと思いながらも、倒壊してくる柱を『鍛冶合成屋(ブレイクリメイク)』で粉々に壊す。

 だが、その斜めになって倒れてきた柱の上に――テルクルは乗っていた。

「まずっ――」

 咄嗟に後ろに飛び退くついでに、木を生み出してテルクルへ繰り出す。

が、まるでテルクルはそれを読んでいたように柱を後ろ足で蹴ると、自身の落下する場所を変えてこちらの攻撃を避ける。そして、そのまま右拳を斜めに打ち下ろし、それが足元へ当たる。

「ぐっ――」

 大丈夫。

 右拳はかすっただけだ。だが――

「攻撃を先読みしている――っ!? こいつ、一体どんな『特異魔法』を――ッ!?」

 先ほどからこちらの攻撃はまともに当たっていない。

 特にさっきの至近距離からの木の攻撃は、誰が相手だろうと当たるはずだった。

 それなのに、あの避け方。

 ただ、避ける速度が速いというわけじゃない。

 動きだし方が速かった。

 あれではまるでこちらがどんな攻撃をするか分かっていたような動きだ。

 まさか、対象相手に触れずとも、心を読み取ることができるのか。

「『特異魔法』じゃないわ。ただの洞察力よ。経験による、ね。たくさんの人の心を読んできた私は、心の動きすらも読める。私は五感をフルにつかい、攻撃音や攻撃の予備動作を見逃さずに戦うことができる」

 途方もなく積み重ねてきた経験と、テルクルの『特異魔法』の特性によって培われた洞察力というわけか。

 テルクルは、ラックスに戦い方を教えてくれたイティの戦闘スタイルを知っているのだ。そう考えれば、先読みの精度がとんでもないはずだ。

 だったらなおさらこの距離はまずい。

 攻撃全てが見切られるというのなら、近距離の方が攻撃のバリエーションは出しづらい。バリエーションを出す前に潰されるからだ。

 だったら、複数個ある『特異魔法』をランダムに組み合わせて相手の隙を作る。

 いくら攻撃を見切られるとはいえ、完全ではないはず。

冥土の土産ラストカウンター』による初手は決められたのだ。

 相手の意識外からの攻撃ができたならば、あるいは――

「――ん?」

 距離を取ることができない。

 足に違和感がある。

 そういえば、さっきテルクルの拳が当たった箇所が痛い。戦闘中は痛みをあまり感じないものだ。だからこそ気づくのが遅くなってしまった。だが、一度、意識しだすとまるで火であぶられているように痛みを感じてきた。

 そこに視線を落とすと――戦慄が走る。

「お、俺の右足が――」

 皮膚ごと、骨ごとだった。

 血を噴き出しながら――


 まるで雑巾のように足がねじれていた。


「ぐあああああああああああああっっ!!」

 痛い、痛い。

 痛みが足元から脳髄に駆け巡ってくる。

 つま先があらぬ方を向いている。

 退くどころか、まともに立つことすらでいない。

 片膝をつくのがやっとだ。

 咄嗟に右手で足を押さえて傷を回復しようとすると――

「『鍛冶合成屋(ブレイクリメイク)』とやらは、手を使わないと発動できないんでしょ?」

 右手を、脚で払われる。

 それだけで、右手も足と同様にねじれて、皮膚の隙間から血が溢れ出る。

「――ああああああああああっ!!」

「あーあ。かわいそうに。私だって本当はこんなことしたくないのよ。殴ったら、殴った拳が痛むように、私だって傷ついているの。これ以上、あなたを傷つけたくない。だから、降参してくれないかしら。子どもらしく駄々をこねてもいいことなんて何一つないのよ」

 治す余裕を与えてくれない。

 距離を取る隙もない。

 攻撃は当たらない。

 ここまで見事に動きが封殺されると、何もしたくなくなる。

「嘘をつけ。本当は、子どもをいたぶって楽しんでいるだろ。……そうだよな。自分の思い通りに子どもを操れたら楽しいよな」

「――口を慎みなさい。どうやら、イティは大人に対する口の聴き方も教えなかったようね」

 伏せていた顔を上げる。

(まだ、だ)

 まだ勝敗は分からない。

 最後の最後まで戦いっていうやつは、どう転がるかなんて分からない。

「確かに、イティはそんな上品なことは教えてくれなかったよ。イティが教えてくれたのは、――決して諦めない心だ。努力や才能や経験でもない。イティはいつだって生き様で教えてくれたんだ。――『本当の強さ』ってやつは、お前みたいに誰かを平気で傷つける奴に立ち向かえる心を持つことだってなあ!!」

 ねじれたままの足で立ち上がる。

 ミチミチミチッ!! と足の筋肉が千切れる激痛が走るが、歯噛みして耐える。

 満身創痍とか、勝ち目がないとか、そんなものは関係ない。

 ここから勝ってみせる。

 イティがもしもこういう状況にあったとしても、決して背を向けないはずだ。

 まだまだ、イティには追いついていない。

 だが。

 実力が追いついていないならば、せめて――せめて、諦めの悪さぐらいなら、イティと同格でなければならない。

「萎えたと思ったのに……。ほんとうに可愛そう。なまじあの女に鍛えられたせいで、半端な力を持ってしまったのね。そのせいで立ち上がってこられるなんて、ほんとうに可愛そう。今倒れていた方がよっぽど苦しい想いをしなくてすんだのに……」

 いちいち演技かかっているところが業腹だ。

 とにかく攻撃しなければ、何も始まらない。

鍛冶合成屋(ブレイクリメイク)』で地割れがおきたかのように床を割っていき、足場を崩す。

「うっ――」

 体勢が崩れたところを狙って、火球を口から放つ。

 そのまま直撃する――が――ぐにゃりと火球は曲がると、後ろに逸れる。

 当たったはずなのに、当たっていない。

「な――」

「当たりさえすれば、どうにかなると思った? ごめんなさいね。当たっても意味なんてないの」

「くっ――」

 遠距離からの攻撃が一切効かない。

 だったら、一か八か。

 近距離から最大量の魔力を使いこんで、最大の攻撃を放つしかない。例え相打ちになったとしても、今のまま距離を取ってジリ貧になるよりはましだ。

 後ろ脚を蹴ると、あちらも突っ込んできた。

(こっちの動きを読まれていた? いや、もうそんなもの関係ない。速度は落とさない。このまま拳を叩き込んで『鍛冶合成屋(ブレイクリメイク)』を使う。人間相手に使うものじゃないが、そうでもしなければ勝てないっ……ッ!)

 お互いに、拳を振りかぶる。

 渾身の力を振るえるようにとったその行動は、まるで鏡合わせ。

 どちらも、まともに当たれば絶対に相手は倒れる。

 防御はしない。

 いや、できない。

 防御しても意味はなく、そしてそんなそぶりを見せただけで拳の速度は落ちる。それは、負けるということ。

 だから、何も考えずに、今は拳を最速に、魔力は最大にする。

 そして――。

 拳が――当たった。

 お互いの腕が擦れるようにして当たった。こちらの服が破け、こすれたところから血が噴き出てきた。

 だが、こっちはまるで手ごたえがない。それどころか――

「な――んだ。か、身体を貫通した!?」

 テルクルのどてっ腹には、ぽっかりと穴が開いていた。

鍛冶合成屋(ブレイクリメイク)』で穴を開けたわけではない。

 むしろ、当たる直前に穴が開いたような、いや――テルクルが自らの意志で穴を開けたようだった。


「『最弱の侵略者(ワーストインベーダー)』」


 魔力がテルクルの身体に充溢しているのが分かる。

(まずい……早く引き戻さないと、何かが……っ!)

 だが、腕を引き戻すことができない。

 テルクルの身体でガチガチに固定されているようだった。

 腹の空洞に腕を突っ込んだ時は、穴は腕よりも大きかった。だが、今はちょうど、いや、腕を食い千切るかのように絞めつけている。

(つまり、身体の大きさを自在に変化させることができる『特異魔法』を使っているってことか?)

 今までのテルクルの戦い方。

 ルナの記憶を改竄したこと。

 溶解したような木。

 かすっただけで捻じ曲がった手足。

 それら全ての点は、ようやくここにきて繋がり、一つの線となった。


「まさか――こいつの『特異魔法』の特性は――対象のものを『スライム化』させることか――!?」


 特性はどんなものでも、柔らかくすること。

 効果範囲は自身の身体に触れたものだけ、と狭いが、それだけに強力。

 木といった物体はおろか、炎をも柔らかくできる。

 脳の神経や細胞を『スライム』化させて、記憶を自在に操ることもでき、さらには記憶読み取ることすらできてしまう。

 あのルナですら手玉にとってしまう強さ。

 だが、なにより、怖いのはそれだけじゃない。

 この凶悪な『特異魔法』を躊躇なく使うある種の冷酷さ。

 そして、経験に基づいた応用力。

 それらを持ち合わせているテルクル自身の力が恐ろしく――そして強い。

「ルナが自身の『特異魔法』を満足に扱えないように、あなたもどうやら自分の力を持て余しているようね。魔力を手のひらに集約することでどうにか制御できているみたいだけど、万全に力を振るっているとは思えない。私のように、全身に『特異魔法』を展開できるだけの経験値はまだ持っていないようね」

「このッ――」

 外側からの攻撃はまるで歯が立たなかった。

 だが、今、この瞬間こそが、打開のチャンス。

 片方の手は既に貫通しているが、まだ、腕はもう一本ある。

 ねじれてしまった手を瞬時に治すと、五指を握る。

「喰らえっ!!」

 あえて相手に『スライム化』させるように、隙を見せながら残った腕を振るう。するとや、やはりさっきと同じようにこちらの腕を躱してくる。身体を空洞にして、腕をそのまま身体に取り込もうとしてくる。

 だが、今度はさっきのようにはいかない。

 拳を途中で止めて、内側から破壊するためにテルクルの身体に触れる。が――破壊されない。何度『鍛冶合成屋(ブレイクリメイク)』を発動しても、何も起こらない。

「な、なんで――!?」

「無駄よ。私が『スライム化』させたものは、私が『スライム化』させている間はどんな攻撃をも通さない。真正面から受けても、全て吸収できてしまう。つまり、あなたの『特異魔法』の破壊の魔力エネルギーも全く効かない」

 ギュルルルッ!! とテルクルの『スライム化』した身体の穴が窄まっていくと、残った腕も拘束されてしまう。

「腕が――抜けないッ!!」

「これで、あなたの両腕は封じられた。だけど――私には両腕が残っている――」

「くっ――そっ――」

 抗う術がない。

 逃げようとするが、足先がねじれているせいで踏ん張りがきかない。

 抜こうにも抜けない。

 手のひらがゆったりとした動作で近づいて、そして――


「あああああああああああああああああああっ!!」


 手のひらが頭に触れた刹那――凄まじい勢いで記憶が駆け廻っていった。

 一瞬で、生まれてきてから今までの鮮明に残る記憶全てを見たような気がする。

 そして、それは――終わった。

 チカチカと視界の中の光が明滅する。

 いつの間にか、テルクルの身体から抜け出していて、両膝を床についていた。

「記憶を消去しておいたわ。この学園のこと、そして、その間にしてきた旅の間のことをザックリと。ただ、ルナのこと、そして、あなたの義理の姉であるイティのことは念入りにけさせてもらったけどね……」

「…………あ?」

 テルクルの言っている意味は分かる。分かるが、記憶が混乱していて眼前の女がどんな奴かが認識できなくなっている。

「がはっ!」

 何もされていないのに、海に沈んでいるかのように呼吸ができなくなった。

(いや、できる。呼吸の仕方は知っている。口を開け――)

 スーハー、スーハーと、なんとか呼吸する。

(なん、だ今の? 今もしかして、俺は呼吸の仕方すら忘れていたのか? 思い出せるだけ、思い出せ。俺は一体――)

「うああああああああああああああっ!!」

 急に叫んでしまったのは、記憶がないからだ。

 どんな記憶がなくなったのか分からないのに、どうしてだろう。

――泣いていた。

 どうして、さっき海に沈んでいるみたいだと思ったのか分かった。

 ずっと、さっきから泣いていたのだ。

 欠落した記憶がどれだけ大切なのか。

 そんなもの、記憶にないのだから分かるはずがない。

 そのはずだ。

 そのはずなのに、どうしてこんなにも胸に針が刺さっているかのようにチクチクと痛むのだろう。

「記憶とは、人間の根源。力の源泉となるソレを破壊すれば人間は、ただの廃人となりはてる。物を考えられぬ伽藍堂な人間にできるのは、ただ、目の前の人間にすがることだけ。私は、何度も人間の心を破壊してきたからそれが分かるのよ。さあ、私の命令に従いなさい」

 思い出せる記憶は辛いことばかり。

 何の理由もなしに突然、父親に暴力を振るわれた。

 別の家族と結婚するために、お前のような邪魔者は最初から産まなきゃ良かったと母親に言われた。

 家族からは満足に飯を造ってもらえず、服ももらったことがなかった。

 だから、親に内緒でこっそり商人の真似事をしたことがあった。だけど、仕事をして自分で何年も稼いで貯めた金を、一瞬で奪われたことがあった。

 痩せすぎて、あばらの骨が皮膚を突き破りそうになったこともあった。

 ただ生きるというだけのことが辛かった。辛すぎて涙を流すのを両親が見つけるたびに、みっともない顔をしていると嘲った。

 他の大人に相談しても、それは親の躾けだから我慢しろと言われた。

 周りの子どもは異変を察知していても、我関せずとばかりに、ラックスという存在そのものを無視していた。

(もう――痛いのは嫌だ――独りであること、ただそれだけのことが怖かった――)

 目の前の人間がどれだけ最悪な奴か分かっているつもりだ。

 記憶を改竄されたことも理解できている。

 だけど、もうどうでもいい。

 もう、何も考えたくない。

 過去を振り返りたくない。

 この頭の傷みが少しでも和らぐのならば、どんなことでも従おう。

「――はい」


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