21話 自主退学するためにやらなければならないこと
自主退学します、と宣言して即日退学できるわけではない。
それなりの資料的な手続きも必要だし、急に退学するならば形式的なものであっても話し合いも必要だ。
どうして、退学するのか。
その理由の聞き手としてお鉢が回ってきたのは、九十九期生のクラス担当であるイティだった。
場所は変わって、イティの研究室。
そして、何故か流れでそこにラックスもいた。
ルナの母親はあまり俺のことなど興味ないようで、ついてきても特に文句は言わなかった。が――やはり、ラックスはここにいるべきではない異分子な気がしてきた。
この張りつめた空気。
まるで今から戦闘でも始まりそうだった。
それは、先ほどの親子ゲンカ勃発を引きずっているからではない。
また新たなケンカの火種がここにあるからだ。
しかも、さきほどよりもよっぽど被害が出そうな火種だ。
そいつは、この部屋の主イティと、ルナの母親二人の、バチバチに衝突し合う視線のことだった。
「まさか、本当に教師になっているなんて思わなかった……。ぜんぜんそんなタイプじゃないでしょ? 椅子に座っているだけで違和感しかないわね」
「相変わらず口が悪いな……。知ってはいたが、まさかあの男遊びが大好きなテルクルが子ども産むなんてな。お前こそ、一人の男に絞れるとは思わなかったよ。家庭に入るなんてタイプじゃなかったはずだが……」
イティとテルクルが先ほどから睨み合っている。
どうやら、昔なじみのようだが、ラックスはテルクルのことを知らない。
イティとラックスが出会う前の知り合いらしい。
イティは、あまり過去のことについて喋りたがらないから知らなかったが、よくよく考えれば、フィフスランカーであるイティはその実力からしてたくさんの人間と関わっているはずだ。
少なくとも今のような実力になる前は、多くの人間とパーティを組んでいたはず。ラックスの知らない大勢の人間とたくさん交流しているはずだった。当たり前のことだが、よくよく考えると、独占欲に似た感情が首をもたげそうだったので必死で抑え込む。
今はきっと、そんな嫉妬の感情は場違いに違いなかった。
「あなたも、相変わらず私のことをむかつかせるわね。ただ私には私にあった男を品定めしていただけ。あなたのように何も考えず、自由気ままにダンジョンランカーとして旅をしていた戦闘バカと違うのよ。私は幸せよ。女として最上の幸福を手に入れたの。夫がいて、子どもがいて。……それなのに、あなたは随分辛そうね」
長ったらしい髪の毛先をもて遊びながら、自慢っぽく近況を語る。
相当に、自己承認欲求が強い性格をしているようだ。
恋人、ましてや子どものいないイティは比較対象として最適だろう。
そして、こっちは心が痛い。
(それは――イティにいい人がいないのは、俺のせいだからだ)
もしも、ラックスという枷がなければ、もっとイティは自由恋愛ができているはずだ。保護欲の強いイティは、いつだってラックスから目を放さない。
それは、素直に嬉しい。
イティのことを束縛しているつもりはなかった。イティの視線を集束できているのが、他の誰でもない自分であるということをただ単純に嬉しかった。
だけど、ラックスのせいで、テルクルの言う『女として最上の幸福』を逃している。
いつだって、眼をかけてくれて。
大切に思ってくれている。
心配に心配を重ねてくれている。
親鳥がその大きな羽で雛鳥を包み込むみたいに、大切にしてくれている。雛鳥が自立するまでは、きっと親鳥はいつだって眼をかけてくれている。
それはとても温かくて居心地はいいけれど、ほんとうにこれでいいのだろうか。ラックスのせいで、イティは女としての幸せをつかんでいない。だけど、当の本人は――
「私は私なりに幸せのつもりだがな」
何の迷いもなく、そう答えた。
「ふっ。男に縁がない負け犬の台詞ね。結局、子ども産んでいないあなたには、私の幸せは分からないわ。親と子どものこともね。だから、さっさとルナのことを退学させてほしいんだけど」
「ああ、別に去る者は追わない。コレクティ学園としては、ルナのように優秀な生徒は手放したくはないだろう。だがな、そんなしがらみなど、子どもには関係ない。上が何と言おうと、私が責任を持ってルナの意志を通そう。ただし、それは――本人が望んでいる場合に限る」
自然とこの場にいる全ての人間の視線が、ルナへと集まっていく。
ゴクリ、と喉を鳴らしたのは誰なのか。
それすらも分からないぐらいに緊張してしまっている。
「何言ってるの。ルナはいいに決まってるわ。ね、そうでしょ? ね?」
テルクルは自分の娘の服をつかんで、瞳を揺らしている。
掴んでいる服の箇所は明らかに皺が寄っている。
それは、テルクルが力強く握っているからだ。
もしも、ここで首をふったらどうなるかは、ルナが一番よく知っているはずだ。
「………………」
何も言えないでルナはギュッと唇を結ぶ。
ギリギリと、その間もルナの服を握りしめる音が強くなっていく。
もう、決断するしかない。
話さないと、今度はきっと雷のような張り手が待っているだろう。
固唾をのんでいると――
「嫌だ」
ルナはようやく自分の母親と目を合わせた。
なけなしの勇気を両の手に込めて、握りしめる。
「私、ここに残りたいっ!! 尊敬するイティ先生に色々教えて欲しいし、それに――私、やっとダンジョンに入るのが楽しいって思えた!! 最初はお母さんの言うとおりにやっているだけだった。自分の着る服すらお母さんが好きだっていうのしか着られない私は、この学園もお母さんが選んだところだから、あまり頑張る気になれなかった……。ずっと今まで適当に戦って、適当にダンジョンに潜ってた。……だけど、ここにきて、生まれて初めて楽しいって思えるようになった!! 今ではお母さんに感謝している! こんな素敵な学園に私を連れてきてくれてありがとうって心の底から言えるっ!! だから――」
分かって欲しい。
自分はこの学園にきて、これだけ成長した。
だから褒めて欲しい。
認めて欲しい。
子どもが、自分の親に対してそんな風に思うのは自然のことで、一番の理解者になって欲しいからこそ、期待しているからこそ、ルナは剥き出しの感情を吐露した。だけど――
「だから、何?」
届かない。
「…………あ」
血走った瞳をしたテルクルを、目の当たりにしたルナは諦めたように表情を曇らせる。
「いい? あなたにはね、私は幸せになって欲しいの。私は、あなたのことを世界で一番愛しているし、大事に思っている。だからね。だからこそなの。だからこそ、少しは厳しくしないといけないのよ。私だってほんとうはあなたのことを怒りたくないけどね、それがあなたの幸せのためなのよ。楽しい? だからなんなの? 今楽をしていたらね、将来、絶対後悔する。私がそうだったから。私も親に反抗したことあるわ。今思い返したら、なんて愚かなことをしたんだって思うの。今ではちゃんと感謝しているわ。あなたも親になったら、私に感謝する時が絶対来る。あなたはまだ子どもだから無知なだけ。あなたのことは、あなた以上に私が理解している。あなたの未来は私が守ってみせる。だから、今は楽をしちゃだめなの」
早口でまくしたてるように喋るテルクルは、誰かの意見を挟み込まれたくないようだった。
そんな母親に、ルナは必死になって宥めるような声色で話しかける。
「でも、私は……」
「あなたには、分からないの。経験こそが本当の財産なのよ。今の私があるのはダンジョンに潜っていた過去があるから。その過去があるから、何が必要か分かって、今ダンジョンアイテムを開発できているの。あなたは将来私のワームズ商会を継ぐのよ。だけどね、親の七光りだって舐められないためには、現場を知らなきゃいけない。ただ机にかじりついているだけじゃ、分からないこともある。だからこの学園に入学を許可したの」
ワームズ商会。
ダンジョンアイテムを製造販売する大手商会。
メモリーキューブやサーチグラスを開発したところだ。
それらダンジョンアイテムを装備するのが標準となっている今、世界でも比較対象がないほどの規模を持つ。
その跡を継ぐことは、将来を約束されたようなもの。
跡を継げば、一生で使いきれないほどの金がついてくるだろう。
ラックスが喉から出るほど欲しいものを、ルナは持っている。
それなのにルナはそんなものを持っていても、笑うことすらできていない。
「……なのに、まさか今年からイティがいるなんてね。コレクティ学園の周りには無数のダンジョンが存在して、経験値を得やすいと思ったからここを選んだって言うのに、誤算だったわ。でも、あなたがいるからかしら? こんなに問題が起こるのは……」
「それについては深く反省している」
「女性風呂が半壊。それに、私の娘がビルゴダンジョンで遭難するし。はっきり言ってあなた教師に向いてないんじゃないの? 責任はどうとるつもりなの?」
「それは、全部私のせいだから! イティ先生は関係ないから!」
ルナは泣きそうになりながら、実の母親に訴える。
もう、喋ることすら辛そうだった。
あれだけ尊敬している人物を、必要以上に揶揄されている。しかもそれは実の母親。見ることすら嫌なはずだ。それなのに、自分のせいで貶められているのに耐えられなくて、泣くのを必死になって堪えながらも訴える。
「私がそう、決めたの! だからもうやめて!!」
かれた声で叫ぶルナの声を、もう聴きたくない。
だけど、どうすればいい。
ルナがもう喋れないように力づくで止めればいいのか。それとも、何か反論すればいいのか。
だけど、ラックスはあまりにも無力だった。
何も、できなかった。
自分の両親とまともにケンカすらしたことがない。一方的にやられていただけだった。それなのに、他人の親子のケンカの仲裁のやり方など分かるはずもない。
「……分かったわ。しかたがないわね。あなたがそこまで言うならもうやめるわ……」
「ほ、ほんとうに?」
「ええ。もう話し合っても意味ないって分かったから、だから――もう強制的に連れて行くことにしたわ」
笑顔のままルナの頭に手を当てた。と、
「あああああああああああああああああああっ!!」
たったそれだけのことなのに――ルナが壊れたように叫びだした。
ビリビリと肌が痺れて、総毛立つ。
部屋中どころか、この学園内まで響くんじゃないかという叫び。明らかに異常事態だ。まさか頭をよしよしと撫でたわけじゃあるまい。
痛みのあまりに叫んでいるのだ。
テルクルのあの手。
あの手こそが原因のはずなのに、ルナはその手を振りほどこうとしない。何かしている。テルクルの『特異魔法』がどんなものかは知らないが、手で触れただけでここまで他人を痛めつけることができるのか。
だが、見た目的には無傷。
血どころか、こぶの一つもできていない。
(外部を攻撃しているんじゃなくて、もしかして内部を攻撃しているのか?)
だとしたら、骨か、もしくは臓器か。
叫びの声が尾を引いて小さくなると、テルクルは手を放して踵を返す。
「さて、と。行くわよ」
「…………」
ルナは虚ろな眼をしながら、コクンと頷いた。
すると、そのまま何も言わずにテルクルについていった。
あれだけ抵抗していたのに、あっさりとし過ぎだ。
「お、おいっ!! ルナに何をやったんだよ、あんたっ!!」
「……別に。頭の中をグチャグチャにして、意識をぼやけさせただけ。本当だったら私の『特異魔法』でこの学園の記憶ぐらい抹消できるんだけど、私は慈悲深いもの。脳を揺らしただけで終わりよ」
何を言ってるんだ、この人は。
何故、こんなにも平然と答えることができる。
テルクルは娘の意志を捻じ曲げて、無理やり連れて行こうとしている。
ルナは全くの無表情。
何も考えない人形のように不気味。
だけど、流した涙の跡がついている。
必死に抵抗した跡がある。
こんな自分の娘の姿を見ても、何の罪悪感も覚えない。
そんな奴が、そんなのが、本当にこの世に存在しているのか。いや、存在してもいいのか。
「あんた――それでも母親か?」
「母親よ。だからこそ、子どものためなら悪党にだってなってみせる。それとも、なに? あなたに何か関係あるの? うちにはうちのやり方があるの。放っておいてくれないかしら?」
この人には、何を言っても無駄なようだ。
「……………」
「特にないみたいね。それじゃあ、行くわよ」
こんな狂った母親、止められるはずがない。
何もできないまま、ただテルクルがドアノブに手を掛けるのを見ていることしかできない。
だが、ここには、何もできない子どものラックスなんかよりも、よっぽど頼りになる大人がいた。
「――それで通ると思ったのか?」
イティが、ついに立ち上がった。
体中から桁違いの魔力が溢れだしている。
可視化できるほど濃厚な魔力の束が、たまに糸のように揺れている。
イティの魔力に慣れている自分ですら、これほど練られた魔力を肌で感じるのは久しぶりだ。それなのに、テルクルは冷や汗一つかいていない。
「あら、まさかあなたがここででしゃばってくるなんて。そこの子どもよりかは、もっと利口な人かと思ったんだけど、どうやら買い被りだったみたいね」
「ああ、私は頭が悪いよ。ここで話し合うんじゃなくて、お前が自分の娘の頭をイジる瞬間に、お前をぶちのめせばよかった。そんなことが分からないぐらい私は頭が回るのが遅い大バカだ。私は、ルナのためにお前を全力で止めるよ。それに、ラックスのことをここまで悪く言われて黙っているのが利口だっていうんなら、私は一生愚か者でいいよ」
テルクルが珍しく本気で怒っている。
こんな建物、イティだったらすぐにペシャンコにしてしまうぐらいの実力を持っている。
キレたイティがルナを戦闘の余波に巻き込まないよう、いつでも動けるように覚悟を決める。
ルナは意識を半ば喪失しているようで、肩をゆらゆら揺らしている。
機敏な動きをできそうにない。
そして、イティは話し合いをする雰囲気じゃない。
一触即発。
これから『特異魔法』での戦闘が、いつ始まってもおかしくない。
だが、イティがこうなったら、もう、勝敗は関係ない。
その場にあるものが暴風雨に巻き込まれたみたいに、全てが破壊されてしまう。
一瞬の動向すら見逃さないようにしていると、テルクルはフ、と肩の力を抜く。
「ま、私は別にどちらでも構わないけど……だけどね。もしあなたがこれ以上私の邪魔をするって言うんなら、どうなっても知らないけどね」
「……どういう意味だ?」
「私はしない。しないけどね。でも、もしもの話。もしも私の堪忍袋の緒が少しばかり切れやすかったら、何かしらの理由でそこの子どもを退学にさせるかもね」
「なっ――」
指を差される。
紛れもなく、これは脅しだ。
人質のようなもの。
もしも、こちらの要求をのめないようならば、そこの子どもがどうなってもいいのか? そういう意味の脅し。
旧知の仲だけあって、イティにとっての急所を的確についてくる。
「言っておくけど、この学園に金を出しているのは私よ? それに、その子、入学以来、問題を多く起こしているらしいじゃない。だったら、学園の上の人間とかけあって退学させるのも難しくないんじゃないかしら」
「貴様ッ――」
「おっ、と。仮定の話でそんなにいきり立たたないでよ。ただね。あなたがこの学園からいなくなったら、そこの子どもを誰が守るのかしら? あなたという最大の盾を失ったその子はまだ子ども。無力でしかない。……例えば、課外授業と称して今のこの子じゃ到底帰ってこられないような難度の高いダンジョンに送り出すとかどうかしら?」
「………………」
「ね? 少しは考えてから話した方がいいわよ」
イティは、もう何も言えないようだった。
「イティ、今度また来るわ。その時はちゃんと資料にサインして持ってくるから、その時はちゃんと受け取りなさいよね。大丈夫。今度はちゃんとルナの意志でやめたいっていわせてみせるから……」
そうして、二人は部屋から出ていく。
ラックスは何も言わなかった。いや、何も言えなかった。
もしかしなくとも、ルナは自分の母親に『特異魔法』を使用されたのは今回だけじゃないだろう。
そうじゃなければ、あれほど怯えていないはずだ。
だったら、結果は分かりきっていたはず。
それなのに抗おうとしていたルナは、よっぽどのバカらしい。
「なあ、イティ。あの人はイティの昔の知り合いなのか?」
「ああ。彼女と一緒にダンジョンに潜ったこともある。あの頃から反目しあってはいたがな……」
なるほど。
かつてイティと肩を並べて戦い合ったということは、恐らく――強いのだろう。
相手の意識と記憶に何らかの手出しができる『特異魔法』に、世界最強に近いイティの力を封じ込めたあの手際の良さ。
ラックスやルナが子ども扱いされるのも頷ける。
「ラックス、言っておくが手出しはするな。今は、あいつは机で仕事をするような奴だが、かつてはダンジョンランカーだ。ブランクが数年あるとはいっても、今のお前とじゃ経験値に差がありすぎる」
「……分かってるって。なんで俺が手を出すんだよ。家庭内のゴタゴタは本人が解決すべきことだ。他人が口出し手出しするようなことじゃない。それぐらい分かってるし、そもそもあいつがどうなるが知ったことじゃないな」
気の毒とは思うが、ここで何かしたところで、ルナのためになるとは思えない。
自分を助けられるのは、自分だけ。
親子ゲンカならば、どこかよそで勝手にやって欲しかった。
あんなもの見せられたせいで気分が悪い。
場所を弁えないあいつらのせいで、子どもの頃の忌々しい過去が蘇ってしまった。
ほんとうに迷惑だ。
新鮮な空気でも吸って、どうでもいいことは忘れてしまいたい。
「そうか。……ならいいんだ」
「じゃっ。なんでここに来たかも分からないし、そろそろ行くわ」
「ラックス、待てっ!!」
「…………な、なんだよ?」
でかすぎる静止の声にびびりながら、首をすくめながら振り向く。
「ここにいろ。せめて、あの子がこの学園を出るまでは……。いいか、お前に出る幕はない。これは、大人同士で解決すべきことだ。私が他の人と掛け合って、正式な手続きを踏んであの子をこの学園に引き留めるために尽力する。だから、短絡的な行動だけは取るなよ」
「……あのさー。随分と心配してくれているようで嬉しい限りだけど、俺は助けにいかないっての。俺が金にならないようなことをすると思うか? 他人の家庭内事情に首を突っ込むと思うか? ただ便所に行くだけだよ」
「なに、便所?」
「そう、便所。なに、それともついてくるの?」
「だ、誰が一緒に行くかっ!!」
「あっそ。じゃあな」
パタン、とドアを閉めると、キョロキョロと廊下を見渡す。
「さて、と。用を足すところはどっちだったかな?」




