18話 死出の旅路に必要のないものは
ガコン、と壁に取り付けてあった留め具から、レイユは斧を取り出す。
相当重いはずのそれを、遠心力を利用して振り回す。
華奢な体つきをしているのに、こうも自在に扱えるのは使い慣れているからだろう。
人間の頭部の骨をたやすく割ってしまいそうだ。
だが、そんなもの、もうでもいい。
「どうやら、もう戦う気力さえないみたいですね。ほんとに、誰かを無駄に信じきった人間って馬鹿ですね。どうせ、いつかは裏切られることになるって分かっているのに」
目の前でルナが殺されても何もできなかった。
その無力感から何もできないラックスに、何の躊躇もなく斧が振り下ろされる。
その乾坤一擲の一撃で血が飛び散る。
例え、狙いが外れたとしても、肉は裂かれ、骨は折れてしまいそうな一撃。
それを――手のひらで受け止めて、一瞬で粉々にした。
手から血が流れて斧の刃について流れる。
その血のうちの一滴が床に落下したのを合図に、のっそりと立ち上がる。
「待てよ……。お前、さっき『ご奉仕』っていったな……」
確かにこの耳で聴いた。
ご奉仕とは、メイドであるレイユが最後の一撃のための皮肉の意味合いだと思っていた。
だが、本当にご奉仕するという意味が混ざっていたとしたら?
(だいたい、レイユはどうして俺達にここまで世話を焼いたんだ? 仮に俺達をお金に変えることが目的だったとしても、風呂場の件もあるが、ここまで奉仕してくれる意味が全くない。油断させるにしても、やりすぎだ)
ということは、つまり、あの奉仕には意味があったのだ。
この世界には様々な『特異魔法』の使い手がいる。
一瞬で『特異魔法』を発動できる者もいるが、それとは逆に、発動するのに条件や準備が必要な奴もいるのだ。
「強力な……しかも、相手の強さ関係なくハメ殺しできる性質の『特異魔法』は、大体条件を満たさなければならないことが多い。――だけど、逆から言えば、その満たしている条件を解除すれば、ルナの身体を、俺の手で強制的に元に戻すこともできるかもしれない。いや、もっと確実なことがある。レイユ自身に金貨になっているルナのこの状態を解除できるとしたら?」
その満たしている条件というのが、ご奉仕とやらのはず。
レイユから奉仕を受ければ受けるほど、身体がコーゼル金貨になってしまう。
だから、ラックスとルナ、両方とも術中にはまったにも関わらず、影響を受けた差が明確。金を持っているはずのルナは全身が『現金化』されてしまったのだ。
そして。
レイユがラックスたちに奉仕をする前に、二人に事前にやっていた行為を思い出せば、自ずとレイユの『特異魔法』の秘密が明らかになる。
だとしたら、あれだ。
あれのせいで、二人とも『現金化』された。
あれさえなんとかすれば、もしかしたら二人ともまともな身体に戻れるかもしれない。
しかし、あれがどこにあるのか所在は全くつかめない。
それならば、やることは明白。
あれの隠し場所を吐かせるか、それとも、暴力から始まる交渉術でレイユに解除させるかのどっちかだ。
「……私の一言でそこまで思考を働かせるなんて……。うかつでした。密度のある戦闘経験を積んでいるだけじゃない。頭の回転の速さもかなりのものですね。正直、あなたのことを舐めていました」
武器を失ったレイユは、時間稼ぎのつもりなのか長々と語りだす。
「ですが、私の『冥土の土産』は、一度発動してしまえば、誰だろうと破ることはできない絶対の『特異魔法』です。ラックス様は手も足も出すことができずに敗北すると断言できます。それに、ラックス様は私に絶対に攻撃できない理由があります。それは――」
偉そうに話し出す口上を最後まで聴く義理などない。だから――
胸部に向かって、思い切り強く拳を叩き込む。
「問答無用でぶっ潰す。お前ならルナを元に戻せるんだろ? 言っておくが、悠長なあんたの『特異魔法』と違って、俺の『鍛冶合成屋』はあんたの身体を簡単に破壊できる。このままあんたの胸を抉ることだってきる。そうなる前に、ルナと俺の身体を元通りにすることをすすめるよ」
肺のあたりを強く叩きつけたことによって、レイユは一瞬、呼吸もまともにできなくなった。
そして、手を胸につけていることによって、いつでも『鍛冶合成屋』を発動できる。
――はずだったのに、逆に、打ちこんだ拳の一部が、コーゼル金貨に変わってしまった。
「な、なんだこれ――!?」
「ね? だから言いましたよね? 私には絶対に攻撃できないって」
状態異常系はラックスの『特異魔法』では治らない。
だから、一度でもコーゼル金貨になってしまったこの手を、もうラックスの『特異魔法』で治すことはできないということだ。
もう、うかつに、手を出すこともできない。
「これ、は……! 攻撃したら、その攻撃のダメージ分、俺の身体がコーゼル金貨になってしまうのか……っっ!」
「私の『特異魔法』は自動的に私自身を守ってくれるんですよ。条件を満たした今、あなたは絶対に攻撃は通らない」
「条件……それは、やはり、あの紙か……」
「……へぇ。そうです。やっぱり気がついてましたか。白紙の紙に名前を書くということが、どれだけ危険なのかまだ分かっていないようですね。白紙ということは、こちらがどんな条件を書こうが自由ってことなんですよ? こうなってしまったのは自明の理ですよね?」
斧で攻撃してきたということは、レイユ側からの攻撃は通って、こちらが攻撃しようとすればそのまま跳ね返ってくるということか。
そんなの、どうやって倒せばいいんだ。
攻めあぐねていると、
「ああ、そうそう。そういえば、あなた達が探していたのって確かリオーレ様って言ってましたよね? ラックス様に彼女のことを訊かれた時に、私は知らないって言ったの、実は嘘なんです。すいません」
「なに?」
どうして、リオーレの名前が、いきなり……?
だが、心その奥底では勘付いていた。
どうして、レイユがリオーレのことを知っていたのか。
それは――
「リオーレ様の肉体は、私が乗っ取らせてもらっていますから」
レイユが、リオーレを支配下に置いているからだ。
レイユの身体の輪郭がぼやけて二重になると、もう一人の人間が薄く可視化できるようになった。
それは、それこそが、リオーレだった。
どんな『特異魔法』を使ったのか、文字通り、リオーレの身体を乗っ取っているようだ。
「な――に――」
「私と彼女の身体は随分相性が良かったので支配させてもらいました。まあ、元々彼女の『特異魔法』の特性も関係していると思います。そして、この城も私の支配下にある。だから、どんなモンスターもここには近づくことができないんですよ。分かりますか? 私の支配力がどれだけ強いのか?」
「近づくことができない? まさか、そういうことなのか……。なあ、もしかして、この近くなのか? 誰もが足を踏み入れたことがない『第四階層』は?」
「ええ、私が封鎖しているんです。とおる理由で。これで分かっていただけましたか? あなたの相手をしている私がどれだけ強大な力を持っているか。まあ、もしも無謀にも私と戦いと思っていたとしても、それは無理な話ですよね。私を傷つけるということはどういうことになるのか、これで分かったはずです……。私を傷つけるということは、リオーレ様の肉体を傷つけるということに――」
リオーレの肉体ならば手が出せない。
そう思っているのならば――
「あっそう」
今は隙だらけだということだ。
レイユはどうやらこちらから降伏してくるように誘導したいようだったが、相手が悪かった。
ラックスは相手が女だからといって手加減するような人間ではないし、相手が味方だったとしても、治療できる『特異魔法』を持っているのだから躊躇なく攻撃できる。
イティの『特異魔法』で木を発現させる。そして『鍛冶合成屋』で木を一気に破壊する。
粉々になった木屑は、殴打した瞬間に『鍛冶合成屋』でしっかりと先端を尖らせると、刃の雨のような木屑が、レイユに直撃する。
「――これ――は!?」
「確かに、俺の攻撃はあんたに通じないみたいだな。だけど、これならどうだ? 直接的なあんたへの攻撃じゃなく、ただ殴ったら事故であんたに木屑が身体に突き刺さった間接的な攻撃なら、通るんじゃないのか?」
「くっ、うううう……」
串刺しになって傷だらけになったはずのレイユ――だったが、
「――なっ」
空中で静止した木屑がパラパラと重力に従って落ちると同時に、ラックスの身体の各所に穴が開いてコーゼル金貨へと変化する。
だめだ。やはり、どんな攻撃だろうと、レイユには通用しない。
「人の話は最後まで聴かなくちゃだめですよ。意志は無関係だから攻撃にはならないと踏んだようですが、甘いです。あなたが私を攻撃しようとした事実は変わらない。例え、この城の天井を破壊して私を生き埋めにしようが、そこの蝋燭の火で私を燃やそうが、あなたの肉体は『現金化』されてしまうんですから」
このまま何もできないまま倒されるのか。
いや、後たった一つだけ、攻撃手段がある。
まだ試していないあれが……。
もう、これしかない。
「だったら、単純に――力勝負だ」
木を顕現させて、レイユに突っ込ませる。
どんなものも吸収する『暴飲暴植』は、まるで小さな魔術結界でも張っているようなレイユへとぶつかる。
これならば、どんな強固な『特異魔法』であっても、吸収し無効化できる。
それなのに――ラックスの脇腹が『現金化』されてしまった。
「全ての『特異魔法』を無効化できるはずの『暴飲暴植』がっ――」
「私の『特異魔法』も全てを無効化できるんですよ? 二つの『特異魔法』の特性がぶつかった時に、どうすれば優劣がつくか。それは、どちらがより強い魔力なのか。そして、どちらがより『特異魔法』を使いこなせているか。その二つの要素で勝負が決まることが多いです。単純に、ラックス様と私じゃ『特異魔法』の練度が違うんですよ。百年後にまた出直してくれば、いい勝負ができるかもしれなませんね……」
「くそっ……」
どうする。
他に対抗手段なんてない。
毒を吸いだしたと言っていたレイユには、きっとムシカの毒も効かないだろう。
それとも、自分の名前を書いたあの紙を探すか。
いや、それか――
「今、ラックス様が何を考えているか当ててあげますよ。いくらリオーレの身体を攻撃して私の洗脳を解くつもりだったのに、攻撃できない。だったら、本体である私の身体を攻撃すればいいと、そう思たんじゃないですか? でも、どれだけ探しても無駄です。私には本体の身体なんてないんですから。――まあ、無駄な努力がしたいなら、止めはしませんが……」
先読みされている。
じりじりと近づいてくるレイユに対して、こちらも一歩一歩退くことしかできていない。
すると、足に何かが引っ掛かる。
絨毯がかけられていて、何か踏んだようだ。
「なん――だ」
「踏みましたね。それは、コーゼル金貨三十枚の価値がある皿ですよ」
布きれを引っぺがすと、確かに豪奢な絵柄のしている皿が無残にも割られていた。
足で踏んでしまったということは、まさか、この皿の値段分も――
「ぐあっ!!」
考える限り最悪の予想が当たってしまった。
右手の五指がコーゼル金貨になる。
ま、まずい。
(原則的に俺が『特異魔法』を万全の状態で使えるのは両手。もしもその両手ともに完全にコーゼル金貨になってしまったら、もう『特異魔法』が使えなくなってしまうっ!! そんなことはさせるわけにはいかないっ……!)
割れてしまった皿に手を触れて、壊す前に戻す。
罅すら見えないほど完璧になおしきると、金貨になったはずの右の指も元の指に治った。
「なおっ――た。そうか。壊れたものを直せば、俺の身体は元に戻るのか……。だけど、奉仕されて『現金化』されてしまったやつは、もう、手遅れだ……」
「なるほど……。想像以上です。かなり厄介な『特異魔法』を持っていますね、あなたは。その再生の力さえなければ、すぐにあなたの肉体全てを金に変えることができたんですが、困りましたね……」
「何が困りましたね、だ。お前が俺を一方的に攻撃できることには変わりないだろうが」
余裕ぶって話し込んでいるのは、いつでも倒せるという自信の表れ。
それを粉々にぶち壊すための実力は、まだ持ち合わせていない。
レイユの言うとおり、まだ経験値が圧倒的に足りないのかもしれない。
「あなたはすぐに自分の身体を治してしまう。こうなったらしかたないですね。私も痛いからこれだけはやりたくなかったんですけど」
「…………なんだ。なにをするつもりだ?」
さっき破壊した斧の刃の大きめの破片を、レイユがひょいと拾い上げる。
(まさか、それをこちらに投擲するか、直に刺して傷つけるつもりか?)
そんな刃の欠片など恐れるのに足りない。
拮抗状態を打破するためのはったりにしては、あまりに杜撰だ。
だが、レイユは、こちらの思惑とは全く逆のことをした。欠けた刃を思いっきり自分の腕に突き刺した。そして、その瞬間――
ラックスの腕から、血が迸った。
全く同じ傷の場所。
そして、傷口の形も全く一緒だ。
「レイユの刺した箇所と同じところに、俺にも傷がっ!! まさか、この『特異魔法』は……っ!!」
思い当たるのは、リオーレの『特異魔法』だ。
自分につけた傷をそのまま相手にも返すことができる。
レイユの腕には、もう傷跡さえ残っていないのがその証拠。
自分の傷を相手に押し付けることができるこのカウンターの特性を持つ『特異魔法』の名称は――
「『五分の魂』」
はっきり言って、無敵に近い『特異魔法』だ。
五つの特性の内の、たった一つだけの特性を使うだけで最強に近い『特異魔法』なのだから。
「自分の受けた傷を、そのまま相手に返すことができる。『痛み』という感覚を対象者に『乗り移らせる』……それが、リオーレ様の『特異魔法』のようですね。もっとも『痛み』だけじゃなく、他の感覚もヒトダマにして移せるみたいですけど……」
幽霊が人に憑依する現象のように、リオーレの『特異魔法』は感覚を憑依させることができる。
痛みや傷口を他人に憑依させれば、自分の傷はなくなる。
そして、視覚をヒトダマにして漂わせれば、遠隔視が可能となる。
使い方は多岐に渡り、使い手次第でいくらでも化ける『特異魔法』だ。
ただし、レイユのように他人に痛みを押し付けるには、相当魔力のコントロールが必要となる。
(もしも、失敗すれば倍のダメージが自分に降りかかることもあって、俺にはとても使えない。いや、他の誰にも使うことなんて普通はできない。自分にしか使えないからこそ『特異魔法』は一人に一つだけのもののはずだ)
他人の『特異魔法』は基本的に扱うことはできない。
それを無理して使ったとしても、本人以上、いや、本人と同レベルの『特異魔法』を使うことさえ困難。
それは、ラックス自身が一番よく分かっている。
「本当に、リオーレを操っているみたいだな……」
傷ついた箇所に魔力を集めて回復させる。
軽い傷だったから良かったが、もしもこれを腕じゃなくて人体急所だったと思うと悪寒がする。
「へぇ。思った以上に治癒速度が速いですね。だったら、全身丸焼けにすれば、どうですか?」
蝋燭の火で火傷させて、それをそのまま返そうという訳か。
こちらに攻撃してくるならまだしも、自傷行為というのは防ぎづらい。
相手を止めるために近づけば、それだけこちらが傷を負う可能性が高まる。
仮に近づいたとしても、どうやって止める。
攻撃は一切できないのだ。
説得に応じるようなタイプでもない。
だとしたら、もう、何もできない。
たった一つ――強迫という手段を使うしか。
「いいや、こっちの方が一手早い」
「そ、それは……っっ!?」
蝋燭の火を利用しようとしたのは、全く持って同じ。
だが、今しがた急に思いついたようなアイディアではない。
こっちは、追いつめられた振りをして退いたあの時、実は蝋燭まで近づいていたのだ。単に皿を不注意で割ってしまったのではない。
戦う前から、これが最後の手段となると踏んでいた。
そう。
懐から取り出したのは、レイユ限定だが、最高の切り札なはず。
それは――城主の日記だ。
それを蝋燭の火に近づかせたり、遠ざけたりしてあちらの反応を観る。
「ほらほら、どうした? うん? 俺はただこの城の城主の日記を焼こうしているだけだ。さっさと自分の身体を焼いたらどうだ?」
「――っく!!」
たかが日記を燃やそうとしているのに、レイユは悔しそうに拳を握りしめたままだ。そこから一歩も動こうとしない。
こちらの睨んだ通り、これがレイユにとって最大の急所らしい。
「……やっぱりな。やっぱり、この日記、あんたにとってお金よりも大切なものなんだな……」
「………………」
話したくないようだが、話してくれなくともそれなりに考察はできる。
この日記がどこに隠されていたのか。
それを辿っていけば、答えは明確。
「俺は最初、この城の城主がこの日記を隠したんだと思った。あんたに襲われて命の危機に瀕して、どうにか他の人間にあんたの危険度を伝えるために、日記をあんな手間をかけて柱に埋めたって……。だけど、俺の推測は間違っていた」
日記の最後を見ると、城主はレイユを恐れているようだった。
だとしたら、どうして逃げなかったのか? それがそもそもの疑問。
この城が城主にとって、自分の命よりも大切なものだっただから逃げなかった。確かにそういう考えもできるかもしれない。
だが、それにしても、家の柱中にあんな付け足し工事をするのはおかしい。もしも自分だったら、自分の部屋に閉じこもってレイユ対策を必死になって模索するはずだ。
だから、あの日記を隠した者は城主じゃない。
そうじゃないとしたら、自ずと隠した者は限られてくる。
「あんたなんだろ? あの日記をあの部屋に隠したのは……」
「そ、それは……」
「あんたは城主を心の底から愛していた。今でもそれは変わらない。だから、俺のことを執拗に旦那様と呼んだんだ。忘れられなくて、そして誰でもいいから旦那の代わりになって欲しかったんだろ? そんなに愛していたからこそ、あんたはあの日記を隠したんだ。あんたの悪口が書かれたこの日記が視界に入るだけで辛い。だけど、あんたの愛した人の遺品。燃やしたくもない。だから、隠したんだ。捨てることもせずに、読み返すこともしないためにな!!」
今、日記を前に棒立ちになっているのが、なによりの証拠だ。
忘れられていないのだ。
愛しい旦那様とやらのことを。
「……随分、分かったような口を聴くんですね。もしかして、命乞いのつもりですか? 私に少しでもまともな感情があれば、見逃してもらえるとでも? どれだけ揺さぶったって私の心はもうカチカチの氷のように凍りついていますよ。何故なら――」
レイユが言おうとしていることを、先に言い当ててやる。それは――
「お前はもう既に死んでいて、しかも、人間じゃないからか?」
「なっ――」
レイユが百年前の住人で、ただの幽霊だ。
この世に存在しないはずの生き物。
しかも、人間ですらない。
モンスターだ。
この城の城主に拾われたと日記にかかれたあのモンスターの正体、それがこいつだ。
恐らく、この城の人間はレイユに殺されたのではない。
日記に書かれていた流行病で全滅してしまったのだ。
あのモンスターはこの城の人間には感謝していたはずで、城の人間を殺す理由はない。
棺桶に入っていた遺体から指輪を奪ったのは、レイユに間違いないだろう。
それだけピックアップすると、彼女は大した悪党だとしか思えない。
だが、城主の妻だと偽るためには必要不可欠な代物だったのだろう。
レイユには、城主を騙さなくてはいけなかった理由があったんだ。
「――なっんでっ!? そ、そんなこと日記には書かれていないはずっ!? 一体、どうやって知ったんですかっ!?」
「あぶりだしって知っているか? ダンジョンだと、宝の地図とかにも利用されるやつだ。乾燥すると無色になる液体で紙に文字を書いておき、それを火に近づけると消えたはずの文字が浮き上がるっていうやつなんだよ。それが、この日記にも使われていたんだよ。あんた、あの日記の中に登場したモンスターなんだろ?」
「あの人が、私のことを……? ど、どうせ、私のことを……」
「いいや。お前の眼で確認してみろよ。お前の愛した人間が、どんな奴だったかを。筆跡だって完全に同じはずだ」
既に日記はあぶりだしによって、文字が浮かび上がっている。
それを、レイユに見せてやる。
『レイユには酷いことを言ってしまった。だが、彼女になんて謝っていいのか分からない。流行病は私の精神をも削っているようだ、なんてただの言い訳にしかすぎない。そんな風に悩んでいる内にレイユも倒れてしまった。他の者も次々に倒れて、そして、私もひどい熱がでてきた。もう少しで私の命の火は消えるだろう』
文字がかすれているのは、あぶりだしで文字が薄いからだけではない。
きっと、最後の力を振り絞って書いたからだ。
『このままじゃ、レイユを死なせてしまう。だが、まだ希望はある。『第四階層』に行きさえすれば、レイユの病を治せる。もう、私の言葉も届かないぐらいに衰弱してしまっている。だけど、彼女とまた言葉を交わすためにも、私はあそこに行かなくてはいけない。謝罪のためと、そして――愛する我が妻のためにも』
城主は認めていたのだ。
レイユのことを妻だと。
例え、それが最初は嘘だったとしても、貫き続けた嘘が真実になったのだ。
最後の言葉に全てが集約している。
「ああ、ああああああああああああああっ!!」
レイユは顔を覆って泣き崩れる。
流行病のせいでレイユは病気でもう死んでいる。
だから、リオーレの肉体を乗っ取ることができた。
もう幽霊だからこそ、リオーレの身体の中に入って、そして彼女の『特異魔法』をも扱えた。
言わば、実体なきモンスター。
『第三階層』の幽霊の正体は、こいつだった。
強い力を持ち、恐怖の対象でしかなかったレイユは、まるでただのか弱い女のように普通に感情を爆発させていた。
「お前、自分の旦那に見捨てられたと思ったんだろ? だけど、旦那がこの城から出て行ったのは、お前を助けるためだったんだよ。病人だったお前を救うために、旦那は命をかけたんだっ!! 本当の妻を助けられなかった。でも、だからこそ、二度と妻を失いたくなかったんだよ!!」
「そんな……。だって、この城を出る時に、あの人は私の正体に気がついて怯えて……私のことを化け物だって言ってたのに……それなのに……」
「人の心が、いつだって言葉だけで語れるわけじゃない。言葉だけじゃ伝えきれない想いがあるから、文字にしたんだ。確かに、最初はあんたのことを怖がったかもしれない。だけど、あんたの命を救ってくれた旦那に対する愛情は、きっと心の底から本気だったんだっ!? たとえ、あんたが偽物の妻だったとしても、あんたへ対する愛は本物だったはずだろっ!? だったら、それが伝わらないはずがないんだっ!!」
城主のことを騙すのは、レイユ自身が一番辛かったはずなんだ。
大切な人が精神的にも肉体的にも弱っていく姿を見て、それで自分に何ができるかを考えて、それで偽者の妻を演じた。
最初は勘違いしていた城主は、死んでしまった妻の名前でレイユのことを呼んだだろう。
記憶なき思い出も語ったかもしれない。
接し方がレイユとはまるで違っただろう。
とても優しくて、自分には決して向けられない笑顔を向けられたはずだ。
その度に、泣きそうだったはずなのに、心配をかけまいと歯を食いしばった時もあっただろう。
そんな血反吐を吐きそうになるようなことを、レイユは続けた。
だからこそ、彼女は今も苦しんでいる。
「私は百年間もずっと、とんでもない勘違いを……。そのせいで他人を傷つけたんですね……。最悪です……。もう、私には、何も残っていない……」
抜け殻のように項垂れるレイユは、あまりに不憫。
殺されかけた相手だからといって、ここまで衰弱していると同情もしたくなる。
助けたいと思ってしまう。
「違うだろ。あんたにも残っているものがある。……それは、あんた自身がずっと、守っていたものだ。――自分の旦那が帰ってこられるこの場所を」
「……私はそんな大層なことを思ったわけじゃない。旦那様が逃げて、愛とか信頼する人とか、そんなものはただの甘いまやかしだって思った。所詮、この世もあの世も一番大切なのは金なんだって思ったから。旦那様だって、いつも金の話ばかりしていたから、だから、金を集めるためにここにいただけです。『第四階層』に行こうとしている者達を迷わせて、身体を乗っ取れる人間を探していた。乗っ取れれば、私の『特異魔法』が使えるから。だから、それを使って、金を集めようとしただけで……」
「金は確かに大切だ。それは凄い分かる。……だけど、一番大切なものなんかじゃないっ! 一番大切なものを守るために、金は必要なんだっ!! あんたの愛した人は何のために金を集めて、何のために金を使ったんだっ!! どうして金が必要なのか。その動機のもとをたどっていけば、どうしてここに城が建っているか分かるはずだ!! 最後の最後にあんたの旦那が一番大切だったのは、きっとあんただったんじゃないのかっ!?」
「………………」
城は思いつきで買えるようなものじゃない。
職人に多額の金を払ってできるものだ。
外敵から守るために、城を作った。
そして、私兵を金で雇っていたのも、城内の人間を守るため。
そう。
大切なものを守るために金が必要だったはずだ。
ずっと城主の傍にいたレイユだったら、そいつの気持ちが伝わっているはずだ。
「思い出せないですよ、もう百年前のことですから……」
レイユはようやく止まった涙を、指の腹で拭き取る。
「だけど、過去は美しく飾り付けられるものです。きっと、旦那様も私のことを愛してくれていたって信じることにします……」
憑き物が落ちたかのように、スッキリとしたレイユ。
ぼんやりとした光がレイユの身を包んでいく。
身体の輪郭が二重になって、三重になって、さらに増える。
まるで、存在そのものがあやふやになっていくようだ。
これは、もしかして。
この世に未練がなくなってしまったから、成仏してしまおうとしているのか。
「ありがとうございます、ラックスさん。あなたは百年前の真実を私に気づかせてもらった恩人です……」
「俺だって、レイユから命を救ってもらったんだ。だから、礼なんていらない……」
ブゥン、と一瞬で城が消滅した。
瞬きしていなかったのに、何が起こったのか分からない。
昨日からの出来事全てがまるで夢幻だったかのように、雪原に放り出される。
「これは……」
雪の上に服がある。
服の中に入れてあった持ち物も転がっていた。
そして、なにより――
「…………ルナっ…………」
全身を『現金化』されていたルナが、ちゃんと自分の肉体を取り戻している。
ラックスの一部『現金化』された肉体も、自分の身体に戻っていた。
絶体絶命の状況で、どれだけ大変だったか。
そんなことまるで知る由もないルナは、可愛くいびきをかきながら眠ってやがる。
荒れ狂う吹雪の中、よく起きないな、こいつは。
「大丈夫です。ルナ様はすぐに目が覚めると思います。何の後遺症も残っていないでしょうから、安心してください。私の『特異魔法』はアフターケアがバッチリしているのが自慢なんですから」
レイユは自分の身体をそっと指差す。
「この肉体も本人にお返しします。ここからダンジョンを抜けるのは大変でしょうが、最後にこのぐらいはやらせてください」
レイユが、手をかざす。
すると、吹雪と木々が道を譲るように、一斉に消える。
雲すら霧消している。
天候を操り、そして、道を創造するなんてありえるのか。
「道が……」
「今まで溜まっていた怨念を、そのままぶつけました……。これから私が行くところには、そんな感情きっと必要ないですから……」
「…………そうか…………」
レイユの身体はもう半透明で、じょじょにリオーレの肉体からズレていっている。
さっき怨念という自身の一部を切り離したせいで、より存在感がなくなっているようだ。
「本当にすいませんでした。そして、ありがとうございました。……勝手な言い分ですが、最後にあなた達に会えて本当に良かったです。……こんな穏やかな気持ちで、あの人のところに行けるとは思いませんでした……」
レイユは、本当に満足したような顔をしている。
だが、そんな大層なことはやっていないのだ。
これ以上礼を言われると、背中がかゆくなってしまう。
「そんなに礼が言いたいなら後でたっぷり聴くよ。――あの世でな」
「……そうですね。あなたは長生きしそうなタイプですから、気長に待っています。待つことには慣れていますから、きっとあと百年ぐらいは余裕で待っていられますよ」
経験豊富なお姉さんらしい言い回しに、微苦笑する。
そんな風にきっと一生言えそうもない。
「それじゃあ、またあの世で会いましょう」
レイユは一際輝きを放った全身の光が明滅すると、完全にこの世から消え去る。
そして、後に残ったのは気絶したリオーレの肉体。
リオーレは倒れこんでくる。
顔から雪にダイブする前に、咄嗟に身体ごと受け止める。
レイユとはもう、この世で会うことはないだろう。
そして、もしも、あの世がほんとうにあるのならば、レイユは自分の愛する人に出会えたのだろうか。
それが分かとしたら、きっと、ずっと先の話になる。
だが、これだけは分かる。
彼女の造ってくれた道は明るくて、そして――温かいことは。




