17話 信頼していた人間よりも大切なものは
ガタガタガタ、と窓枠が外れんばかりの勢いで喚き散らす。
朝だというのに、吹雪の音が鳴りやまない。
耳障りな音に意識をサルベージされると、
「う、あ……」
床に押し付けた口が、いつからか開きっぱなしだったことに気がつく。
汚いヨダレが小さな水たまりをつくっている。
「ちっ」
ゴシゴシと、服の裾でラックスは口周りと床のヨダレを拭き取る。
どうやら、まだ服はちゃんと着られているようだ。
魔力で作られた服は、魔力が切れたら霧散する。
下手したら、起きたら全裸だったとか、そういう悲惨な状態になっていてもおかしくない。
ところどころ穴が開くほどなので、結構ギリギリだった気もするがもう安心だ。
服に魔力を込めると、より強固なものになる。
昨日の夜までは心もとない魔力量だったが、今では全回復している。
これならば、全力全開でレイユから逃げることができる。
そして、戦うことができる。
相手がこちらに殺意を抱いているとはいえ、一度は命を救われた。どんな目的があろういとも、それだけは絶対的な真実。だからこそ、直接対決というのは気が引ける。できるだけ戦わない方針を死守したい。
「朝、か……」
こうしてちゃんと吹雪は窓に当たっている。
それなのに、窓をブチ壊してみても、吹雪は中に入ってこない。いったいどういう仕組みなのか。
この城の中は不可解なことばかりだ。
こんなところ今にも逃げ出したいところだが、その脱出方法について皆目見当がつかない。
「早く逃げたいところだけど、これは……」
近道が近道ではなく、遠回りに見える道こそが近道であることがある。
意識を喪失する前に発見した、壁に埋め込まれた日記。
(……あれこそが、俺にとっての遠回りの近道かもしれない)
無造作に落ちていた日記をペラペラとめくっていく。
その中身には、日々の他愛無い日常が描かれていた。
書いている人間は男で、この城の城主らしい。
ということは、角柱と角柱の間に隠したのは、この城の城主ということか。
あんなところに隠す理由など一つしかない。
誰にも見られたくなかったのだ。
日記は誰にも見られたくない。
何の加工もされていない心理描写を綴ったものだ。
だが、しかし。
ただそれだけの理由でここまで手の込んだことはしないだろう。
何故なら、きっと、
「俺が昨日、目覚めたあの部屋にも二重の角柱があったのは、この日記の存在を悟らせないためだ」
日記を隠す。
そのためだけに、カモフラージュとして他の部屋にも元々木造の角柱に新しい角柱を付け足したのだろう。だから新しい角柱は造りが粗くて、壊れかけだったのだ。
誰かに掘られたわけじゃなく、あくまで長い年月をかけて自然に壊れたようだった。
だからこそ、これが見つかることはレイユにとっての想定の範囲外。
そして、これこそが、死んでしまった城主が、まだ見ぬ被害者へ残した最期のメッセージなのかもしれない。
ごくりと、緊張しながら唾を呑み込む。
日記をめくっていくと、
『日記をつけ始めて一年。何をやってもあまり長続きしない私がここまでこられたのは奇跡だ。その性格のせいか、ダンジョンにこの城を建てると決断した時、親に猛反対された。だが、なんとか説得できた』
この城に関する文面がでてきた。
たまに『今日はいつも通りの吹雪だった』みたいに、一文だけのものもあった。
今のところ、毎日欠かさず日記をつけているようだ。
やはり、毎日日記をつけるのは大変なのだろう。何も特別なことが起こらなかったり、何も感じることがなかったりする日もあるはずだ。
日記の書き手が内容に困って、適当な文章を書いているところは読み飛ばすとしよう。
読んでいて気になるのは、やはり日記に書いている日付が、百年前のものだということぐらいか。
城の主人がもうこの世にいないにしても、レイユがいつからこの城にいるのかが分からない。まさか、あの外見で百歳以上というわけではないはず。
『この城は、ビルゴダンジョンの吹雪によって遭難した人や、モンスターに傷ついた人のための城だ。だが、お金はもらうことになる。そうでなければやっていけない。この城は宿屋のようなものだが、ただの宿屋ではモンスターに壊されてしまう。そのために城を建設することにした。護衛のための近衛兵や、屋敷の清掃をするためのメイドも雇うことにした。最初は儲からなかったが、評判が広がり、ダンジョンランカー達がこの屋敷を利用する数がどんどん増えていっている。喜ばしいことだ』
ここは宿屋の代わりだったのか。
確かに、階層を進むにつれて体力や魔力は削られていく。
もしも、この城みたいな休憩所があったら、かなり探索が楽になる。
だが、どうしてこの城は今まで発見されなかったのだろうか。こんな目立つ城があれば、絶対有名になっているはずなのに。
『メイドの一人と結婚することになった。プロポーズを受けてもらった時が、人生最高の日だった。両親も最初は露骨に嫌がっていたが、彼女の良さを懸命に伝えると、最後には納得してくれた』
これは、レイユのことだろう。
だが、やはりおかしい。
日記の日付が正しければ――彼女は百歳以上ということになる。
長寿、という言葉で簡単に片付けられる問題ではない。
恐らく、彼女の『特異魔法』が、若さを保っている正体なのだろう。
まさか、レイユの『特異魔法』は不老不死とかじゃないだろうな。
ありえないと、断定して否定することなどできない。
信じられないぐらい特異な『特異魔法』など見飽きている。常識なんてダンジョンじゃ通じない。
『今日、妻がモンスターを拾ってきた。小さなモンスターだが、モンスターはモンスターだ。すぐに追い返すように言ったが、頑固な妻は首を縦にふらなかった。手負いで、せめて治療をしたいと言い出した。仕方がないので治療を施した。優しい妻だが、その優しさのせいでいつか痛い目に合わないかと心配になる』
モンスターを飼うというのは珍しいが、全くないわけじゃない。
人間にはほとんど懐かないモンスターだが、もしも懐けば強力な味方になる。
ペットとしてだけでなく、協力して戦ってくれる事例もあるのだ。
『モンスターはかなり私に懐いてくれた。私が息抜きのためにこっそりと屋敷を抜け出した時、他のモンスターから私の身を守ってくれたのだ。モンスターを拾った時には妻と初めてケンカしたものだ。だけど、子どものまだいない私達にとって、本物の家族のような存在だ。拾ってよかった』
見知らぬ他人の日記だが、なんだか微笑ましい。
敵対する宿命であるモンスターとの絆の深さ。
それに自分の奥さんとの信頼関係も、文体から伝わってくる。
本当に仲が良くて、平和で、幸せだったのだろう。
だからこそ、ページを軽快にめくっていた手が止まってしまった。
『妻が死んだ』
ただ、その一言だけの文字は、ブレブレで、インクが滲んでいた。
きっと、泣きながら書いたのであろう。
それから、この日記の中で初めてだろうか。
数日ばかり日記をつけるのをサボっている。
文字が書かれているページまでめくっていくと、
『流行り病のようだった。原因が分からなかった。あっという間に死んでしまった。熱のせいで一種の幻覚が見えるようだった。妻は苦しんで死んでしまった。もっと早く『第四階層』に行って、どんな病気の治るといわれるあの果実を探しに行けばよかった。帰ってこない兵の帰りを待つ前に、私自ら『第四階層』に行くべきだったのだ。私の心の支えだった妻はもうどれだけ後悔しても帰ってない。もう何も手がつかない。どうすればいい』
だけど、妻が死んだ、とはどういうことだろうか。
この城の城主の妻は今も生きている。
レイユが、そうだ。
いや、レイユの言葉が嘘なのではないだろうか。
この城にはレイユしかいない。だから、他の人間に訊いて、レイユがこの城の城主の妻だということを確かめる術はない。
だとしたら、もしかして。
この屋敷の妻というのは、昨夜棺桶に入っていた白骨死体なのかもしれない。
棺桶に入っていた装飾品は女性のものだったし、高価そうなものばかりだった。随分前の風習だが、高価なものがおかれていればいるほど、地位が高い者の証拠。この城の城主の妻ならばそれも当然だ。
そして、左手の薬指の骨は折れていた。
パッと見た感じでは折れているのは、薬指の骨だけだった。
思い返してみれば、あれは、襲われ時に折れたとは考えづらい。
恐らく、あの人間を殺した後に、無理やり薬指につけている指輪を盗ったのだ。
だが、死後硬直が始まっていて、その際、骨を折ってしまった。
今、指輪をしているレイユは、そうやって奪ったのだ。
結婚指輪も、妻としての立場も。
『妻は死んでなどいない。間違いなく生きている。日記を見返してみるが、間違いなく私の字だ。いったいどういうことだ。全く記憶にない。気味が悪い。妻はいつも通り今日もおいしい朝ご飯を作ってくれた』
口内がいつの間にか砂漠のように干上がっている。
「なんだ……これ……」
おかしいのは、レイユだけだと思っていた。
だが、どうやらこの城の主人もどこかおかしかったのではないだろうか。
レイユと妻は別人のはず。
それなのに、まるで洗脳されたかのように意見を翻している。
幻覚系か、それとも、フォーメルのような変身系の『特異魔法』を持つレイユに騙されたとしか考えられない。
しばらくは、穏やかな文章が続いていた――が――
『偽物だ。あの妻は偽物だ。騙された。あいつは、何者だ。私のことをよく知っているようだったが、まるで記憶にない。早く、ここから逃げなければならない。すがりついてくる妻の偽物は本当に気持ちが悪い。私を殺すつもりはないようだが、いつ気が変わるか分からない。早くこの城から逃げなければ……』
この一文を最後に、日記の続きは書かれていない。
どうやら、この後に死んだようだ。
過去にこの城で何が起こったのか。
その背景についてはかなり知ることができた。
色々な仮説を立てることができたが、確証はないし、確認する余裕もあまりない。もしも、今考えていることが正解ならば、この日記は最大の切り札となる可能性がある。
日記を懐に忍ばせると、
「よし……」
構築していた壁のバリケードを破壊する。
外に逃げられない以上、この城を徘徊するしかない。
怖いほどの静けさがドア越しに伝わってくる。
どうやら廊下には誰もいないようだが、万全を期してゆっくりと鍵穴から覗く。
そこには――
ジッと、こちらを見つめてくる瞳があった。
「うわあああああああああああああああああああっ!!」
あの瞳の色は、レイユのものだ。
物音などなかった。
壁でドア付近を塞いでいたから、こちらが何をしていたのかは知らないはずだ。
だが、音も立てずにあそこで見つめていたのは、一体いつからだ?
(も、もしかして俺が昨日夜から、ここに隠れていることを知ってからか? それからずっとここで眺めていたっていうのかっ!?)
服の中を大量の氷で詰められたかのような寒気が、背筋に感じる。
夢ならば醒めて欲しいが、現実に引き戻す追い打ちをしてくる。
レイユがドアを壊さんばかりの、尋常ではない勢いでノックしてくる。
何度も、何度も。
「開けてくださいっ!! ラックス様っ!! 大丈夫ですか!! お怪我はしていませんかっ!! 大きな物音がしたんですがっ!!」
白々しいにもほどがあるが、精神が異常な人間にこちらの理屈など通じない。
ノックの音は鳴りやまない。
どうせ、レイユは鍵は持っているだろうが、ドアノブが回らないように細工しておいた。
眠り薬でぐっすり寝てしまう前に、壁とドアの接触部を『鍛冶合成屋』で壊して再び直しておいた。鍵が回らないように、壁とドアを完全にくっつけた。外側からでは絶対に開けられないようにしておいたのだ。
「早く、開けてくださいっ!! 大丈夫ですかっ!! こちらから無理やり開けましょうかっ!?」
「ま、待ってくれ。開ける、開けるからっ!!」
これ以上たてこもるわけにもいかない。
話しかけてくるということは、まだ交渉の余地があるかもしれない。
最早、拳でしか語れないというのなら、その時はその時だ。
脅迫されるがままに、合体していた壁とドアを壊して元に戻す。
身構えていると、
「よかったです。昨日から姿をお見かけしなかったのもので……。まさか病み上がりで外に出ようとしたのかと思って心配してたんですよ」
「お前……」
ドアノブを開けて開口一番何を言い出すかと身構えていたが、いたって自然に話かけてきやがった。
どうする。
こんな対応してくるのは想定外だ。
逃げるか。
それとも今なら油断しているから、不意打ちして一気に倒すか。
別に痛い目にあわせるつもりはない。
イティの『暴飲暴植』で拘束するだけで、どんな戦力をも無効化できる。レイユがどんな『特異魔法』を持っているか知らないが、使わせなければいいだけだ。
逡巡しながら、植物を顕現させるために指を動かそうとすると、
「大丈夫? ラックス。なんで、そんなところにいるのよ」
「ル、ルナかっ!? 無事か!?」
廊下の角の影から飛び出してきたのは、ルナだった。
生きていて、本当に良かった。
怪我がないかどうか肩をつかんで、ジロジロと無遠慮に身体を眺める。それでは飽き足らず、身体を肩から順番に太ももまで触っていく。
触った感じ、目立った傷はない。
「ちょ、ちょっと、いきなり、なにっ!?」
「よかった……生きてたんだな」
「い、生きてたって、何言ってるのよ?」
状況が全く分かっていないのか、あわあわと狼狽している。
あまり意味はないと思うが、ルナをレイユから引き剥がす。
「ちょっと、こっちこい」
「ちょっ!」
肩をつかんで距離を離すと、怒ったように振りほどかれる。
「あんた、さっきからなんなの? ちょっと変じゃない? レイユさんに、ラックスがいなくなったって聴いたから、心配して二人で探して、ようやく見つけたと思ったらわけわからないことばかり言うし……」
「そういうことになっているのか……」
レイユはニコニコと笑っている。
静観を決め込んでいるようだ。
どうする?
レイユが急襲してきた方が逆にありがたかったかもしれない。
どうやらまだ、ルナの前で本性は曝け出していないようだ。
ここでルナに、レイユがどれだけ悪い奴かを熱弁したところでピンとこないはずだ。
ラックスがルナと接してきた時間。
それから、今まで二人で乗り越えてきた試練によってできた絆。
(その二つがあれば、まさか俺よりレイユの言葉を信じるなんてことにはならないだろうが、それでも混乱させてしまうはずだ……)
どう説明してやればいいのか要領を得ないので、とにかく順序立てて話していくことにする。
「レイユに何かされなかったか? 昨日の夜から、今日にかけてだ」
「何かって……えっ、と……」
目が右から左に、生きのいい魚のように忙しくなく泳いでいる。
かあっ、と首筋まで一気に顔が赤くなる。
この異様な反応、間違いなくレイユがルナに対して攻撃してきたのだ。だったら、どれだけレイユが危険なのかすぐに教えてやれる。
「何かされたんだなっ!! 早く教えろっ!!」
「わ、分かった! 分かったからちょっと落ち着いてってば!」
興奮してルナの華奢な両肩に手を乗せていたが、迷惑とばかりに腕を払われる。
「……もう。ただ色々としてもらっただけよ。ラックスがいなくなってから、お風呂に二人で入って、背中とか流してもらって、風呂をあがったら、全身を拭いてもらって、服を着せてもらったわね」
「服って……そういえば、その服見たことないな……」
どうやら、こっちが大変な目に合っていたというのに、呑気にレイユから奉仕してもらっていたらしい。
「ああ、これ? レイユさんからもらったの。タダでいいって言うから。服だけの部屋があってさ、その中から選ばせてもらったの。他にも欲しいものがあるなら、持って帰っていいって言われたけど、流石に断ったわよ」
「……それから?」
ちゃんと私は弁えてるわよみたいな言い方。ありえないぐらい世話になっているだろ、というツッコミは心の中だけでしておく。
「それから、食後のデザートを食べさせてもらったわ。それから全身をマッサージされながら、寝たわね。朝起きたらいつの間にか添い寝されてて、ラックスがいないっていうからこうやって探しにきたのよ」
寝ている間はどうか知らないが、どうやら、レイユはずっとルナにつきっきりだったようだ。
やはり、レイユはルナのことをいつでも殺せたはずだ。
それなのに生きているということは、今すぐに殺すつもりはやはりないようだ。だが、だからといってレイユが無害とは決して思えない。
「なるほどな。確かに命にかかわるようなことはされていない、というより、むしろ全く逆。奉仕されまくりだな。……少しは遠慮とかしたらどうだ?」
「わ、私だって、最初は遠慮したわよ!! で、でも……」
「でも?」
「でも、ね……。なんだか、レイユさんが凄く必死だったの。ニコニコ笑っているんだけど、瞳の中では悲しそうで。本当は奉仕したくないんだけど、どうしても奉仕しなきゃいけないみたいな。そんな相反する感情が見えたような気がしたの……。だから断りきれなかった。うまく言えないんだけど、私が拒絶したら、なんだか死んでしまいそうな、そんな危うさを感じたわ……」
「…………」
それは、なんとなくわかってしまう。
レイユには何か余裕がない。
笑いながらも、常に切羽詰まっているような気がするのだ。
死に急いでいるというべきか。生き急いでいるとでも言うべきか。
だが、彼女がいくら葛藤しようが、こちらには全くもって関係ない。
「いいか、よく聞いてくれ。ここは危険なんだ。とにかく、早くここから出るぞ」
「で、出るって、それはいいけど、危険ってどういうこと!?」
「後でいくらでも説明するっ!! だから今は、早くここから離れなきゃやばいんだよ!!」
「ちょっとっ!!」
ルナの手首をつかんで、ほとんどあてもなく歩き出す。
こちらの本気度が伝わったようで、今度はルナに振り払われなかった。
安心して早歩きするが、絶対にこっちの道であっているはず。
そう確信している。
なぜなら――レイユが笑みを絶やさずに道を塞いできたからだ。
「レイユ、ここを通してくれないか? 俺達には助けなきゃいけないやつがいるんだ」
「…………」
目が笑っていない。
どうやら、一戦交える覚悟はできているようだ。
「もちろん、いいですよ」
「えっ――」
ようやく本性を現したかと思ったら肩透かしを食らう。
まだ、尻尾を出さないつもりなのか。
そう思っていたら、レイユの瞳の色が明らかに今までと変わった。
「ただし、払ってもらいますよ。今まで私があなた方にご奉仕してきたことに対する報酬の対価を――」
「そ、それって、払わなくていいって……」
「ええ、言いましたね。ですが、本当にそれで済むと思いますか? タダより怖いものはない、と聴いたことはありませんか? 私はどんなことをしてもあなた方からお金を回収しますよ」
ルナが、どうしよう? とこちらに視線だけで助けを求めてくる。
「そんなもの、絶対に払えないと言ったら?」
キッパリと言い切るが、レイユはその答えを既に予想していたようで、動揺がまったくといっていいほど見られない。
「払ってもらいますよ。――あなた方の身体で」
身体で払うってどういう意味だ? と、訊き返そうとしたが、それはできなかった。何故なら、質問する前に分かってしまったから。
レイユは何もしていない。それなのに――
ラックスの身体の一部が粉々に砕ける。
「なっ――にぃ――っっっ!?」
腹部と、右足の一部が石粒のように粉々になって落ちる。
それなのに、血が全くでない。
それに、粉々になったと思った身体の肉片が、全く別物になっている。
もっと言えば、身体の一部が――金になっている。
零れ落ちた肉片は、いつの間にかコーゼル金貨となっている。
身体の一部が欠落したというのに、傷口がないどころか、痛みがない。
呼吸はできるし、言葉も話せる。
魔力はゴッソリと削られてしまったが、命に別状はないようだ。
間違いない。
これこそが、レイユの『特異魔法』だ。
「『冥土の土産』」
それは、対象の身体を『現金化』してしまう凶悪な『特異魔法』――。
何の予備動作もなく、一瞬で金に変えられてしまった。
もし、もう一度やられたとしても、防げる自信がない。
「腹と足が……いったい、どんな『特異魔法』だ?」
「人は、生きるために金をあくせく稼ぐ。それも、人生においてほとんどの時間を浪費して。つまり、金こそが人間の命そのもの。だったら、お金で払えない分は、命を削って払ってもらうのは当たり前ですよね」
レイユの講釈などどうでもいい。
気がつけば――ルナがどこにもいない。
忽然と姿を消えてしまった。
「ルナ、おい、ルナっ!! どこだっ!! どこに隠れているんだ!! 返事しろっ!!」
傍には、山盛りとなったコーゼル金貨があるだけで、ルナの姿がどこにもないのだ。目を放した隙に、身を隠してレイユを倒そうという算段か。
そうか。
だからこっちが一生懸命叫んでるのに、返答しないのか。
流石は、ルナだ。
どうやって一瞬で姿を消したのか見当もつかないが、きっとルナならできるはずだ。
だから、違うはずなんだ。そう、ルナが、まさか、もう、ルナの身体全てがコーゼル金貨となっているなんて、そんなことはない。ないはずなのに――
「ルナさんなら、もうこの世にはいませんよ」
なんで、こんなにもレイユの言葉が突き刺さって、呼吸が苦しくなんだろう。
苦し紛れな台詞に、動揺する必要なんてない。
たとえ、レイユの『特異魔法』が発動した瞬間に、ルナの身体が全てコーゼル金貨になったように見えたからといって、そんなのがなんだ。
見間違いかもしれない。
ちゃんと正視したわけではない。
あくまで視界の端にそう映っただけだ。だから、もっと否定しなきゃいけない。
「何言ってんだ……。あいつが、あのルナが、こんな簡単に……。訳も分からないまま死ぬわけないだろっ!!」
「人は簡単に死にますよ。あっさりと、あっけなく。どれだけ大切な人だって、死ぬ時は一瞬です」
「そんな……嘘だ……。あいつが、死ぬなんて……」
何度も、人が死ぬのは観てきた。
その度に、心が軋んで壊れそうな音が聴こえた。
こんなにも苦しむのはこれで最後だと、いつも思っていた。
それなのに。
何度も経験する度に慣れるはずなのに、全然慣れない。
手のひらからこぼれて、初めてその重さに気がつくって知っていたのに。
だから、心は強くなっているはずなのに。
どうして、こんなにも傷ついているのだろう。
「随分と、彼女のことを信頼していたんですね。でも、それはただの勘違いですよ。この世でもあの世でも、一番大切なものはお金なんです。お金さえあれば、他の何もいらない。お金さえあれば、信頼なんてくだらないまやかしに騙されることもない」
ルナはいなくなってしまった。
だとしたら、何ができる。
考えなければならないのに、まだ脳内は痺れて動き出さない。
だけど。
脳が正常な働きをするのを、眼前の敵が待ってくれるはずなどなかった。
「さて。あとどれだけのご奉仕で、あなたの全身は『現金化』できるんでしょうね?」




