14話 お金に換算した人の命の価値はいくらぐらいか
二階から、くねった階段を下りる。
豪奢な装飾の建物内。
やはり、広い。
猫耳メイドが道案内してくれなければ、確実に迷いそうだ。
備え付けられている蝋燭の光を頼りに、薄暗い廊下を歩いていく。
そうして、開けっぴろげな空間に出たと思ったら、目的地のダイニングホールに到着する。
数十人は一斉に食べられそうな、大きなダイニングテーブル。
その上には、これまた数十人分の豪華絢爛な料理が、所狭しと並べられている。
山盛りになっている料理のせいで、奴の姿が見えない。
カチャカチャとスプーンと皿が当たる音をたよりに近づいていくと――そこにいた。
毒に侵され、瀕死の状態。
ルナが助けてくれなかったら、もしかしたら死んでしまったかもしれない。
二度と会うことができなかったかもしれない、そんな彼女は――
「はっ、ラックス、ふぁいしょうふはった?」
頬張りながら、意味不明な言語を発してきた。
随分、元気そうだ。
腹ペコキャラのように飯を喰らっている。
廊下を歩いている時は、かなり気を揉んでいたが、これなら心配しない方がよかったように思えてしまう。
それぐらい、能天気な顔をしてやがる。
「まずは、それを呑み込んでから喋ってくれないか?」
包帯はしているが、どうやらそこまで深い傷ではないらしい。
こっちはそれ相応の傷だったので、起床してからズキズキ痛んでいた。
だが、道すがら暇だったので、魔力で身体の傷を全回復しておいた。
たっぷりと睡眠できたおかげで、魔力もまあまあ回復したようだ。
「ラックスっ! よかった……。目を覚ましてくれて」
「そっちこそ、よかった」
正直、邂逅した瞬間――ルナが骨付き肉を口にしていたせいで、感動が薄れてしまったが、それでも、やはり嬉しい。
よく、生きていてくれた。
だけど、そんな感動の場面に水を差すように、
「旦那様もお食事を、どうぞ」
猫耳メイドが横から料理の皿を差し出してくる。
「あ、ああ。……いや、いいや。俺は、あんまり食欲がないから……」
なんだか、妙な寒気がする。
まるで、ルナを中心に冷気が漂っているかのようだ。
実際、ルナは凍りつくような冷たい瞳をこちらに投げかけてくる。
「……旦那様?」
「あっ、すいません。また間違えてしまいました。てへへっ」
なんだか分からないが理屈抜きで、ルナに謝りたい気分になった。
彼女の物凄い殺気を孕んだ視線だけで、卒倒しそうだ。
「ラックス……。あなた、レイユさんが何でもいうことを聴いてくれる人だからって、手を付けてないわよね?」
「……お前は何を言っているんだ?」
やっぱり、何に対して怒っているのか分からない。
そもそも怒るんだったら、言い間違えた猫耳メイドを怒るべきじゃないのか。
「というか、レイユ……?」
聴きなれない名前だ。
もしかしなくても、この名前は――。
「ああ、申し遅れました。私の名前はレイユと申します。この城の城主たる旦那様が帰られるまでは、この屋敷の家主の代わりです。ですが、別に必要以上にかしこまることはありません。どうぞくつろいでください。何か御用があれば、なんなりとおっしゃってください。私のできることならば、ご奉仕させてもらいます」
「レイユさんって、その旦那様と二人で暮らしているですか? でも、レイユさんって結婚してるってさっき言ってましたよね? レイユの旦那さんとは離れ離れになってて寂しくないんですか?」
「えっ? ああ、指輪しているのか」
ルナの視線を追って気がついた。
レイユの左手の薬指には、鈍い光を反射させる指輪がはめこんであった。
猫耳、尻尾、そしてメイド姿に眼が行き過ぎていて、指先まで視線が下りていかなかった。
「いいえ、全然寂しくありません。だって、私は私の旦那様とずっと昔からここで一緒に暮らしているんですから」
「え? 自分の旦那のこと、旦那様って言っているのか……」
もしかして、この城の城主と、レイユの旦那は同一人物なのか? どうやらルナも別の人間とレイユが結婚していたらと勘違いしていたらしく、驚いている。
別人だと勝手に思い込んでしまっていた。
「ああ、これは癖です。元々私と旦那様は主従関係――城主と、メイドの関係だったのです。そこから色々ありまして……。恐れ多いですが、こ、恋仲になって結婚したんです。結ばれた時のあの感動……決して忘れることはありません……」
ガッチリと両手を合わせて、瞳の中はお星さま。
恋する乙女の眼中は、過去の思い出しか見えていないようだ。
浸っているところ悪いが、こちらとしても質問したいことがまだ残っている。
「なあ、俺はどのぐらい寝てたんだ?」
「…………はっ。すいません。甘すぎる過去へ想いを馳せていました。そうですね。半日ほどです」
「半日……か……」
どれぐらい寝ていたか体感時間が全くつかめなかったが、一日経っていないなら、生存確率はまだ高い。
リオーレを救うなら、少しでも早い方がいい。
他のダンジョンならまだしも、ビルゴダンジョンは常に雪が降っている。モンスターから辛くも逃げられたとしても、大雪という敵がいる。極限の寒さは人間を簡単に殺してしまうのだ。
「どうするの? リオーレを助けに行くかどうか、ラックスの判断を仰ごうと思っていたんだけど」
こちらが何を考えているのか察したらしい。
だが、その察しの良さが、今だけは邪魔だ。
必要以上にご飯にがっついていたのは、栄養補給のため。
いつでもリオーレを助けに行けるよう、準備を整えていたのだろう。
見た目はそこまで傷ついていない。
だが、お互い病み上がりだ。
魔力も完全回復したわけでもなく、疲労もまだ色濃く残っているのは顔色を見れば一目瞭然。
リオーレを助けに行くのはあまりにもリスクが大きすぎる。
せめて、一日ほど時間を置いた方がいい。
「今すぐ助けに行く――って言いたいところだが、まだ戦闘のダメージが残っている俺達がこの猛吹雪の中出て行ったら、今度こそ死んでもおかしくない。……今日はここに泊まらせてもらいたい。……できれば、そうしたいんだけど、いいかな、レイユさん」
これはルナが無理をしないための嘘だ。
(俺一人で、リオーレを助けに行く。だけど、それを素直に宣言してしまったら、絶対、こいつは無理してでもついていこうとするはずだ。だったら、嘘をつくしかない)
なんとか隙を見つけて、こっそりとこの屋敷から抜け出す。
もっとも、この屋敷にせめて一晩だけでもレイユが泊めてくれることがまず最低条件。
もしも、断れれば、すぐさま出ていかなければならない。
だが、そんな心配は杞憂だったようで、柔和な笑みを返してくる。
「ええ、もちろん。」
ほっ、としていると、ただし! と強調した言葉が添えられる。
「心苦しいですが、タダで、とは言えませんね」
「あ、ああ。それなら……金なら払う。毒を取り除いてくれた上に、不躾に泊まらせて欲しいってこちらから言ったんだ。金ぐらい払わないとこちらの気が済まない。感謝の印として金を払いたいぐらいだな、むしろ」
手持ちの金はない。
ルナならば、闇市で売り捌いた写真の売り上げ金を持っているはず。
ここは立て替えてもらおうか。
後で、ルナに返そう。
それなりに貯金もあるので、どれだけレイユの提示する金額が高かろうが大丈夫。帰りさえすれば、すぐに払うことができるだろう。
「そうですか。だったら、何も心配ありませんね。なら、お金の計算を致しますね。まずはお二人をここまで運んだ労力にコーゼル金貨十枚。そして、部屋の貸し出し代がコーゼル金貨二百枚。毒の治療代がコーゼル金貨八百枚になります」
カチン、とその場の空気が凍りついた音が聴こえた気がした。
何故なら、一人分の出費でもかなりのものなのに、これを二人分払うことになるわけだ。
いくらなんでも、家が買えるぐらいの金をいきなり払えと言われても手持ちなどない。
「なっ! いくらなんでも高すぎるだろっ!!」
「そうでしょうか? 時と場合によって、金額は変動するものです。例えば井戸の水が無料だとしても、砂漠で提供される水が高額になるは当たり前のこと。命を金に換算するなら、もっと高くふんだくってもいいのですが……」
正論だ。
命と天秤を賭けたら、もっと高額設定でもおかしくはない。
だが、それを支払うことはできない。
少なくとも、今は。
「悪いが、今手持ちがないんだ……」
「――ああ、それなら払ってもらわなくでもいいですよ。全額無料でいいです」
レイユが、まるで冗談みたいに軽妙な口調で言ったので、固まってしまう。
「…………は?」
「お金がないのならしかたありません。ですが、旦那様が大変お金に厳しく、最初にこうやってお金を請求しないとまずいのです。していないことがばれたら、後で叱られてしまいますので言わせてもらいました。大変失礼しました」
「いや、それは、なあ……?」
ペコペコと、本当に申し訳なく謝罪する姿は、むしろこっちが悪いことでもしてしまったような気さえしてくる。
レイユも、金の催促なんてやりたくなかっただろう。
(俺なら、別に何とも思わないが、心優しそうなレイユなら相当……)
だから余計に心苦しい。
「う、うん、そうね。別にそこまで気にしなくていいですよ! レイユさん!」
「そうですか! ほんとうに、ほんとうに、すいませんでした! その代わり、というわけではありませんが、こちらの紙にお二人のお名前をお願いします」
「……名前?」
「ええ。お金に厳しい旦那様には『あなた方にはお金がなかった。だけど、命の危険があったから助けたんです』と、私が後でなんとでもいっておきます。ですが、この屋敷に入った人間には、絶対的な決まりがあります。それが、名前の記入です。お二人とも、どうか、どうかお名前を書いてください。お願いします。書いてもらわなければ、私が旦那様から叱られてしまいます。私を助けると思って。……どうか」
「そ、それぐらいなら、ねえ?」
「まあ、名前ぐらいならな」
手渡された紙に、二人ともサラサラと名前を書く。
素性も知らない相手に部屋を貸したとなったら、旦那も怒るだろう。
旦那がここにいるのならまだしも、いない間に勝手に自分の家を客に荒らされるのだ。せめて、名前ぐらいは知っておきたいと思うのは当然の反応だ。
多少抵抗はあるものの、泣きそうになっているレイユを見ていたらそうもいっていられない。
「ありがとうございます。これで旦那様からおしおきされなくてすみますっ!」
ルナは食事を終えたようで、手が止まっている。
飯を喰う気になれないので、お互いに手持無沙汰になった。
これからどうしたもんか、と視線で会話していると、レイユが今後の予定を提案してきた。
「それでは、お二人とも身体が冷えているでしょうから、お風呂でもどうですか?」