13話 旦那様の猫耳メイドは語りたがらない
ゴボゴボ、と水が沸騰する音で、意識を取り戻した。
目を見開いて身を起こすと、身体に掛けられていた布がずり落ちる。
ゴトッ、と暖炉の中で薪が燃え転がる音がした。
「ここは……?」
見渡すと、ここは何かの建物の部屋のようだ。
記憶を遡る限り、ここはコレクティ学園のどこかの部屋ではない。
もっと古めかしくて、天井の角に蜘蛛の巣が張ってある。
ガタガタ、と強風によってガラス窓が悲鳴を上げる。
部屋の中にある大きなもといえば机ぐらいのもの。
どうやら寝室のようだった。
宿屋のような気もするが、ビルゴダンジョンとコレクティ学園の間に宿屋なんてなかった気がする。
ギシッ、と手をつくと音がした。
どうやら、ベッドに寝かされていたようだ。
指先の感覚が戻っている。
頭のてっぺんから、足先まで温まっているということは、かなりの長時間ここにいたということになる。
ここがどこかを知るためにもベッドを出て窓へ近づくが、くらり、と立ちくらみがする。
「まさか、ここは、まだダンジョンの中なのか」
窓から外の景色を眺めると、見慣れた白い光景が飛び込んできた。
一面、雪景色。
間違いない。
ここは、ビルゴダンジョンだ。
ダンジョンの中に、建物を建てるなんて、発想がぶっ飛んでいる。
今、ラックスがいるのはどこかの城のようで、塔も建っている。
高低差を考えて、ここは二階。
しかも、かなりの広さのようだ。
普通、ダンジョンに建造物を建てても、モンスターに襲われて倒壊するはず。
小さな小屋でもそうなのに、こんな大きな建物を建てれば悪目立ちする。城壁で守っているとはいっても、それも限界があるはずだ。
それなのに、見た目からしてこの建物はかなり前に建てられたものだと分かる。
部屋を支える石造の角柱が一部破損していて、内部が顕わになっている。
そこには木材の角柱があった。
これは恐らく木材の角柱の周りに、石材の角柱を付け足したのだろう。
今では煉瓦と石材だけで建物を建造するのが主流で、木造の角柱を観ること自体久しい。この建築法が流行ったのは、確か百年前ぐらいだった気がする。今では建物の耐久性を考えて、木造の角柱なんてどこも建造していないはずだ。
つまり、この建物は百年間もモンスターを退けられる何かが、ここにはあるということだ。
それに、不思議なのはそれだけじゃない。
「身体の毒が、消えている……」
寒さを凌がせてもらっただけでなく、身体を巡っていた毒素が完全に抜け切っている。
この家にいるのは、恐らく一人じゃない。
この家の主。
建物を守護する近衛兵。
それから、医学知識に詳しい専門医。
それらの人間がこの建物にいるはずだ。
と、思考を遮るようにいきなり誰かがドアをいきなり開けた。
「あれ、起きられたのですね? 良かったです、旦那様」
とろけそうな笑顔を浮かべる女性。
見たことのない人だ。
年齢は、恐らく二十代後半。
童顔で、年上だというのにどこか庇護欲をそそられる。
垂れている目の横には泣きぼくろ。
スッ、と整った鼻梁の下には蠱惑的な唇をしている。
ほんわかな雰囲気を持つ彼女は、メイド服を着こんでいて、さらには頭の上にカチューシャの一種なのか猫耳をつけていた。
偽物の耳だとは思うが、たまに自律的に動いているように見えるのは目の錯覚か。よくよく見ると、動く尻尾までつけている。一体どんな高度な技術で造られているのだろうか。
全体的に、かなり可愛らしい。
ゆったりと怪訝な表情になると、
「あっ、間違えましたわ。旦那様じゃなくて、お客様でしたわね。てへへっ」
「……どうやったら、間違えるんだ」
間違えちゃいましたと小声で言いながら、ペロッと舌を出す。
ちょっとだけイラッとさせられたが、なんだか許せてしまう。
というか、なんだかある程度のことは許せてしまえそうだ。
どうしてだろう。
しっかり者とはほど遠そうな人だから、怒っても無駄な気がしたからだろうか。
「ここは……? い、いや! まず、ルナと、リオーレは、大丈夫なのか!?」
そうだ。
ここがどこだとか、お前は何者なのか。
とか、そんなものよりもまず知るべきことがある。
ルナとリオーレの安否。
彼女ならばそれを知っているような気がした。
「…………? リオーレという方はご存じありませんが。ルナ様ならば、今はすっかり元気になって食事の真っ最中です。ラックス様も、よろしければどうぞ」
「そ、そうか……」
良かった、と一息だけ安堵の溜め息を、長く、長くつく。
(だけど、そうなると気絶する前に俺が見たのは――)
もしかして、リオーレが現れて欲しいと思いすぎたために観た幻覚だったのだろうか。
「じゃあ、俺を――ルナと俺を助けてくれたのは……?」
「私です。散歩中にたまたまあなたたちを見つけたので、私がここまで運んできました」
「…………それは、どうも、ありがとう。助けてくれて」
「いえいえ。礼には及びません。私も久々に他人とこうやって話せて楽しませてもらっていますから」
コテン、と首を斜めに傾げる彼女は、どうやら本心でそういっているように見える。
楽しい、というのは本当のことのようだ。
よっぽどのお人よしなのか。それとも――。
「しかし……散歩、ね……」
ただの嘘つきか。
しかし、嘘をついて何か意味があるのだろうか。
そんな優雅なことを、ダンジョン内でやろうと思いつくことがまずありえない。
あれだけ強いモンスターがいる階層で散歩なんてできるはずがない。ルナでさえ苦戦し、リオーレは未だに行方不明なのだ。
彼女の言っていることが本当で、本心ならばとんでもない実力者になる。が、そんな風な猛者にはとても見えない。
(しかも、『私が』……だと?)
この口ぶりだと、まるで自分ひとりだけで、人間二人を運んだように聴こえる。
気絶した人間を運ぶのは相当重いはず。
それをたった一人で、モンスターが跳梁跋扈するこのダンジョンを徘徊したというのか。
結論からして、彼女の言っていることはほとんどが信じられない。
「はい、こちら私がブレンドした飲み物です。種類の違う複数の葉と芽をこして乾燥させ、抽出したものです。食欲がなくともこれぐらいなら口に入ると思います」
暖炉の火を使って沸騰させてお湯になった水をつかって、血のように赤いお茶を入れてくれた。
あまり、見たことがないお茶だ。
パパッと、手際よく作ってくれたが、明らかに沸かし過ぎた。これじゃあ猫舌じゃなくても飲めない。
一口だけ啜ってみるが、やはり熱すぎて舌が火傷しそうだ。
すぐに蒸発そうな熱いお茶を元の場所に戻すと、
「…………それよりも、ここは?」
「はい。ここはビルゴダンジョンの『第三階層』に建てられた城です。この城の城主たる旦那様はただいま出かけております」
やっぱり、ここはまだ『第三階層』なのか。
こんな待避所があったなんて、誰の口からも聴いたことがない。
「それじゃ、この城の人は今、何人ぐらいいるんだ?」
メイドさんだけに挨拶するのも居心地が悪い。
世話になったのだ。
旦那様とやらがいないにしても、もっと上の立場の人もお礼の言葉を言わなければ気が済まない。
そう思ったのに、
「私、一人しかおりません」
真顔で信じがたいことを返答される。
「…………一人? あんた一人だけなのか?」
「はい。そうです」
「どこかにでかけているとかではなく?」
「はい。旦那様はでかけていますが、それ以外にこの城に住んでいるのは私しかいません。……昔は私の他にもメイドがいたのですが……」
この広い城にたった一人きり。
掃除だけで一日が終わってしまいそうだ。
いくらなんでも、一人しかいないなんておかしい。
どうも、このメイドと話していると、どんどん不信感が募ってくる。
「あの、じゃあ、もしかして、看病してくれたのはあんたか?」
「ええ、私がさせてもらいました。お客様がお眠りになっている間、随分とうなされていて苦しそうだったので、身体の異常も私が取り除いておきましたよ」
「あ、あの毒もあなたが治したのか!? いや、治せたのか!?」
「ええ、治させてもらいました。いいえ……『治した』というよりかは、『毒を私の中に取り込んだ』と言う方が正しいかもしれません」
「取り込んだって?」
起きてから、何度目か数えていない驚きの声。
聞き間違いかと思いきや、そうではないようだ。
「あなたの身体の中にある毒を、私の中に移し替えたのです。私には毒が効きませんから」
「毒が、効かない……? それが、あんたの『特異魔法』なのか? それともまさか体質とかいうつもりじゃないだろうな……」
「んん? そうですね。その両方です、と言いたいところですが、そうじゃありません。いえ、そうですかね? ああ、なんて説明すればいいのか分かりませんね……」
「どっちだよ。しかも両方ともって……」
「残念ですが、これ以上は言えません。乙女の秘密です。てへへっ」
ゴッツーン、と軽く握った拳を自分の頭にぶつけて、舌をペロリと出す。
なんだろう。
このメイドさん。
きっと、女性に嫌われそうな女性だ。
だが、よくよく考えると、乙女の秘密とやらは当たり前のことかもしれない。
勿体ぶって色々と言わないのは、もしかしたらこっちのことを警戒しているからか。
お互いに、お互いのことを知らない。
そう考えると、不可解な点はたくさんあるが、助けてくれたことを素直に受け止めるべきかもしれない。
メイド視点で考えたら、ラックスがもしかしたら目を覚ましたらいきなり襲い掛かってくるかもしれないのだ。
ダンジョンを好き好んで出入りする連中は、血気盛んで短絡的な奴も多い。
この大きな城なら、きっと金目のものも多いだろう。
襲ってでも奪い取ろうとする奴も、ダンジョンランカーの中にはいるかもしれない。
だとすると自分の『特異魔法』や内情をペラペラと話すのは自殺行為だ。
ましてや、ここはダンジョン。
声を上げれば誰かが助けに駆けつけてくれるような場所ではない。
それなのに、見知らぬ他人を助けることがどれほどのリスクがつきまとうか。そんなもの子どもでもすぐにわかるはず。
だからこそ、彼女の行動は尊い。
「何度もいうようだけど、本当にありがとう。あなたは命の恩人だ」
「別にいいですって。それよりも――」
チラリ、と全く手を付けていないお茶に眼をやる。
「他にも疑問があるでしょうが、動けるのなら下まで来てくださいませんか。そこで、ルナ様も待っているので、色々とお答えしましょう。……ですがその前に、強制はしません。しませんが、せっかく私が入れたお茶を飲んでくださないのですか? いや、別にいいんですよ。飲まなくても。ですが、その、私の自信作なんですよねー」
「………………」
どうやら、案内するから早くそのお茶を飲んで欲しいと言外に述べているようだ。
ルナに早く会いたい。
覚悟を決めると、グッと一気に飲み干した。