10話 商人の弟子はひと仕事を終えて休憩する
集まった大勢の客を、どうにか二人でさばき終わった。
周りの間じゃ、やはりうちが一番盛況だったように思える。
他の店はまだ売買取引をしているが、うちはもう在庫切れだ。
「す、すごかったわね。お客さん」
ルナが汗をかきながら、両手をうしろについて股を開けている。
疲労しきって油断しているとはいえ、かなり無防備な恰好だ。
胸とか足に眼がいきそうになるが、なんとか視線を引き剥がす。
「そうだな。持ってきた分の写真も完売したし、今のところ一息つけるな」
「えっ……今のところ?」
「そう。例えば、今から他の店から写真を買い占めて、それを合成写真として使うみたいなことをすれば、まだまだ売れるだろうな」
「…………うっ」
「ふ。冗談だよ。まだ一口もつけていないスープを丸々落としてしまったような顔するなって。そんなことしたら、ここにいる連中のひんしゅくを買ってしまう。そうしたら、もうここに呼ばれなくなるかもしれないからな。商売ってのは、引き際ってものが肝心なんだ。ただでさえ、売れすぎて他の連中が眼をつけているだろうし。これ以上、恨みを買うつもりなんてない」
それに、ラックスはまだまだ余裕だが、ルナの体力的にはもう限界だ。やはり慣れていないことをすると、人間は予想以上に疲労する。これ以上は、ルナの身体的にも止めておいた方がいい。
「スープを落とすとかどんな例えよ。私がそんな腹ペコキャラに見えるの?」
見えない。
だが、顔が七変化して、分かりやすい性格をしているからな。
最初にあった時は仏頂面だったが、打ち解けるにつれてそういう奴だって分かってきた。
綺麗に整った顔が分かりやすく変わる様は、なんというか見ているだけで楽しくなってくる。なんだかよく分からないがな。
「でも、本当に詳しいわね。もしかして、昔何かしてたの?」
「まあ、な。イティと旅を続けていたら、学生とかと違って、売り買いを生業としている本物の商人と出会ってな。金の話で意気投合して、ついでに商売のやり方を学ばせてもらった」
「へ、へぇー」
「まあ、イティはあまりいい顔をしなかったけどな。俺が金を稼ぐことには反対みたいだし。子どもはもっと遊んでいい。勉強もしろってな。まっ、そういっているイティが一番そういうに縁遠いって話だよ」
「…………」
やはり、こういう会話をすると持前の元気がなくなってしまう。
ルナも困っているようだし、これ以上訊いても、明瞭な回答は期待できそうにない。
仮に聞き出すにしても無理やりじゃなく、油断しきって口を滑らせるように仕向けようか。
一度は聴かなくていいとは思ったが、やはり、ここまでひた隠しにされると気になってしまう。
「ほら」
「あっ、ありがとう。……これ、どうしたの?」
手渡したのは、木彫りのコップ。
コップ自体は飲み終わったら店に返さないといけない。
「あっちで売ってた。エチの果実を磨り潰して、ドゥニハとルクミを混ぜた飲み物らしい。……くそっ。飲み物か。食い物とか飲み物とか、この場にずっと留まるんだったら必需品だよな。このことも予期して準備しておけばよかったか? いや、それだと他に手伝ってくれないといけない奴を雇わないといけないから、その分人件費が……。それに、仕入れ先の確保も必要だ。それには時間があまりにもなかったから、どちらにしても無理だったか? いや、あそこのつてを使えばあるいは……でも……」
だが、安易に新しい商売に手を出すのも悩みどころだ。
今日はたまたまうまくいったからよかったものの、全く売れない時だってある。
だからこそ、慣れているもので売買した方がリスク回避した方がいい。
それに、問題はそれだけじゃない。
周りの連中に眼をつけられていた。
ラックスは節操なく商売するが故に、写真を専門とする商売人からしたら目の上のたんこぶだろう。
写真を撮ることに関してラックスは素人。
合成写真という目新しさで客の目はごまかせたが、いつも商売している奴らの写真と写真写りを比較するとひどいものだ。
しかし、この売上額を無視することもできない。
他のことに手を出すのはまだ保留にするとして、写真はこれからも売っていきたい。
他の商人と友好関係を築くには、手っ取り早く、結託するのはありだ。
まともに会話していないから、人はその人間に対して不安を抱く。しかし、どういう人間か直に話せば、その正体は明らかになり、怖くなくなる。人間が見えざる存在である幽霊を怖がるのと同じことだ。
きっと、自分たちの売り上げを下げてしまうラックスのことを、恐れている連中がいるだろう。
しかし、共同戦線を張れば何の問題もない。
販売するのはラックスで、仕入れ先は別といった風に。
こちらの負担は軽減できるし、睨みを利かせている連中との繋がりもできる。
従業員もあちらで手配してもらい、その分の人件費が削減されるとしても、今より儲けられる見込みはありそうだ。
うーん。
こうして考え見ると、誰かと手を組めば、いろんな問題が一気に解決できそうだ。
「どうして、もっと作らなかったの?」
「あ? いきなりどうした? 作らなかったって、何を?」
少々、今後の商売についての展望に思いふけっていたせいで、思考が追いつかない。
「写真よ、写真。あんたの『特異魔法』で写真をもっと焼き増しすれば、売れたと思うのに」
「ああ、まあ、そうなんだけど。俺の『特異魔法』にも弱点が結構あってな。そのうちの一つが、持続性があまりないってところだ。頭の中でイメージしたものを再現できたとしても一日持つかどうかってところだな。購入した写真が朝起きたらなくなってた! みたいなことになったら、客も怒るだろ? 写真は好きな時に眺めるためにあるものなんだから」
「確かにそうね。物を再現する時には、やっぱり魔力で生成しているんでしょ?」
「そうだ。魔力を固定して作り上げるものだから、絶対にいつかは自壊する。もしも、何十年、何百年と壊れないものを魔力で練り上げることができたとしても、それなりの代償がつきまとう。それこそ、自分の魔力全て、命、全存在をかけないとできないだろうな……。まっ、そんなことする奴なんていないだろうけど」
いくら精巧に作れたとしても、所詮は紛い物。
長時間維持することはできない。
戦闘で他人の『特異魔法』を一瞬再現する時なんかが、一番真価を発揮できるのだ。
「……そういえばさ」
「ん?」
「いきなり話はとぶんだけど、お前、イティに何か思うところがあるんじゃないのか?」
「え?」
「ダンジョンでもそんな風なこと言っただろ? ばたばたしていたから、話が途中で途切れたけど。きっと、それが今日、お前がおかしかった理由でもあるんじゃないかって思ってな……」
「…………私は、ただ、ただね…………」
俯いていたルナが、ガバッと顔を上げると、
「私はただ、イティさんのことを愛しているだけなの」
熟しきったエチの果実みたいに耳まで真っ赤にしていた。
「――は?」
愛、って、それは、そういうことなのか。
確かにイティは魅力的な女性ではある……が、まさか、同性すら魅了してしまうとは。
罪深いっていうレベルじゃないぞ。
「だって、だってよっ! イティさんは、世界で五人しかいない、フィフスランカーなのよっ! そんなの、憧れるにきまってるじゃないっ!! ほんとは話すことすらおこがましくて、目線を合わせるのすら躊躇っちゃうくらいっ!! もう、ほんと同じ空間にいて、同じ息を吸ってるだけで、天にも昇ってしまいそうなぐらい幸せを感じちゃうっっ!!」
「えっ? な? お前、女の人しか愛せない人なの? どうりで見た目だけはいいのに男の影がないのか?」
「ち、違うわよッ!! イティ先生のことはあくまで尊敬の対象っ!! 私の胸は愛に溢れているだけっ!! 私だってちゃんと男に興味深々なんだからっ!!」
「そ、そうか。男に興味津々って、そこだけ聴くと、ただの痴女だけどな……」
良かった。
どうやら勘違いだったようだ。
それにしても、こう、テンションが乱高下だと、ついていくのがかなり大変だ。
ジェミニアみたいに冷静に場を収めてくれる奴が、間に挟まってくれると会話のテンポが落ち着いて楽になりそうだ。
できれば、今、凄く、ジェミニアがここにいて欲しい。
「というか、イティって凄いとは思うけど、他人のお前がそこまで熱を上げるほどに人気なんだな。初めて知った」
「は?」
「怖いって。なんか、イティの話する時、お前どこかおかしいぞ」
前のめりになってくるせいで、平らな胸が身体に当たりそうなのだ。
そのことに気がついたようだ。
ルナもどこか気まずそうに、上体を起こす。
「ご、ごめん。……こほん。でも、あの人は生きる伝説といってもおかしくないぐらい凄い人なの。彼女の『特異魔法』はもちろんだけど、その使い方も凄まじい。あの人一人で国ひとつの戦力と並べると言われるぐらいに強い。――私はもっと強いと思うけどね」
「ま、まあ、確かにイティは強い。あいつが国を救うなんて結構ざらだしな……」
「そんな世界のイティ様と一緒に旅していたあんたを、恨んでいる人だっているわよ。私だって、私だってイティさんと一緒に旅したかったし」
「ああ、そうなのか……」
だからこの学園に来てから、疎まれることが多かったのか?
いや、どう考えても、自分自身の至らなさが招いているように思える。
周りに同調する協調性というものを持ち合わせていないせいで、衝突することが多い気がする。
ある程度は話を合わせることができるが、我慢できない時だってあるのだ。
「でもね。あんたと一緒に行動してみて考え方が変わった。あんたは確かにイティさんの隣にいてもいい奴よ。いや、こんな言い方は失礼か。なんていえばいいのかな。イティさんの隣にずっと立っていたから、あんなに強いんだって思った……」
どうやら茶化そうとしているのではなく、真面目に話をしようとしているらしい。
隣り合いながら、互いに目線を合わせようとしない。
バッチリ顔をつきあわせるより、こっちの方が素直に言葉を話せるような気がする。
「いいや。俺はまだまだイティの隣にはいれないよ。旅をしていた時はずっと助けてもらっていたし、この学園に来たのだって俺のためだ。教師なんて似合わないことをしているのも、俺のためだ。俺に一度でいいから学園って奴を体験させたかったらしいんだよ。そんな風に子ども扱いばかりされて、俺は守られてばかりだ。そんな状況で、俺はイティの傍にいれる資格はない」
姉、というより、母親のようなイティ。
優しいけれど、優しすぎる。
その優しすぎるところに、いつだって傷ついてしまう。
「だから、俺は金を集めるんだ。イティの隣に並び立つために」
好きな人に守られてばかりじゃなくて、好きな人を守れる男になりたい。
そう思ってしまうのは、イティにとって子どもの背伸びなのだろうか。
「まさか。そのために、ラックスは金を集めているの?」
「そうだよ。金は力なんだ。この服は、食べ物は、住む場所は、生きるためには、その全てに金が必要なんだ。俺は、金に汚くてもいい。綺麗であることにこだわって、何もできないよりかは絶対いい。だって、金がなければ人は生きることすらできない。人間が人間らしくあるためには金が必要なんだ。その必要な金を積み重ねていけば、人間として成長できるって、強くなれるって信じている」
金がなくとも、人はそこそこ生きていくことはできるかもしれない。
ボロ布を身体に巻きつけ、狩ったモンスターを喰らい、雨露は木で凌ぐ。
そうすれば、きっと生きている。
だけど、それは生きているだけだ。
生きるってことはそれだけで大変で、きっと獲物を狩るだけで一日を浪費する。
若い時はいい。
歳をとったら?
いや、それより前に、病気や怪我をしたら?
そうなったら、獲物を狩ることなく死んでいく。
だから、金は絶対に必要なのだ。
金でみんなの力を借りて、なんとか人間は人間らしい生き方ができる。
みんなで助け合うための架け橋。
それこそが金なのだ。
金稼ぎばかり口走るラックスのことを、イティでさえ否定する。
だけど、家族愛とか、友情とか、そんな曖昧で脆い架け橋と違って、金のつながりの方が頑強で明確だ。
人は決して一人では生きていけない。
だから、金で繋がることの何が悪い。
金がなきゃ、好きな人の隣にすらいれないんだ。
「そう……。そんなに、イティさんのこと好きのね」
「…………ああ」
どうしようもなく好きだ。
生きることの意味さえ見失っていた。
あの時の自分を救ってくれたイティのことを。
いつだって、脇目もふらず、遠いあの人に追いつくためだけにひた走っている。
だけど、今だけは、隣にいるルナが気にかかる。
だって、ルナは何かが胸につかえているように、苦しそうだから。
何か話そうとするが、まるで喘ぐみたいに声がでない。
いったい、どうしたんだろうか。
怒りのあまり、声が出ないのか?
ルナはイティのファン。
好き宣言されたら、私の方が好きっ! 愛しているっ!! と、キレてしまったのか?
「どうした? ルナ。お前――」
続きを発することができなかった。
それは、切羽詰まった割り込まれた声で打ち消されたから。
「ラックスっ――くんっ!!」
息を粗くして走ってきたのは、ジェミニア。
(どうして、ここにジェミニアが?)
この場所を、ジェミニアが知っているはずがない。
闇市はあくまで秘密裏に行われている。
この場所を知るためには、一人二人、心当たりある人間に訊いても辿りつかないはずだ。
かなり苦労したはずで、学園に帰ってくるのを待っている方がよっぽど楽だったはず。
それなのに、こうして汗びっしょりに顔を濡らしてここまで来たってことは……。
つまり、よっぽど切羽詰まった状況だということだ。
「よかった。ここにいたんだね……」
「どうしたんだ? ジェミニア。そんな息切らして」
「た、大変なんだ。リオーレさんが、リオーレさんがっ!!」
「リオーレが?」
また、何か問題でも起こしたのか? いくら九十九期生の中で二番目に強いと言っても、あいつは、お人よしだから騙されやすく、いつだって他人のために身体を張り過ぎる。
そのせいで、どうせ収拾がつかないことでもやらかしたのだろう。
そんな、いつも通りの楽観視。
そうなったのはきっと、仕方のないことだろう。
だって、そうだろう?
誰が、予測できるんだ。
まさか。
まさか――。
「リオーレさんが死んだ。殺されたんだ」
あいつが、この世からいなくなるなんてことを、いきなり聴かされるなんてことを。
一体、誰が――。