私は貴方を許さない
私の日々は平凡だ。
誰も寄り付かない森の奥の開けた場所に置かれた小さな小屋、そこで暮らしながら私は平凡な日々を送っている。
朝起きたらベッドの横にある車椅子に乗り、身支度をして朝食の準備をする。その後は溜まっていた洗濯や掃除等を済ませ、午後は本を読んだりして暇を潰す。夜は静かに眠りに付き、また明日が来る。
こうやって私は誰とも関わる事なく、森の中で静かに日々を過ごす。
ある日、私がいつもの様に部屋を掃除していると扉を叩く音が聞こえた。
こんな森の奥の小屋に訪問者とは珍しい。私が扉を開けると、そこには私のよく知る人物が立っていた。忘れたくても忘れる事の出来ない、この国の第一王子だ。
「久しぶりだな。リディア・アルフェルラ嬢……」
彼は私の姿を見ると少し辛そうな顔をしながら私の名を呼んだ。
正直言って彼に名前を呼ばれるのは寒気がする。私の体をこんなにした張本人でありながら、今でこうして昔のように接して来るのが苛立ちを覚える。
「その名では呼ばないで欲しいわね。今の私は森の賢者……皆からはそう呼ばれているわ」
私は車椅子で部屋の奥に移動しながら嫌々とそう言う。彼はそれを気にした様子も見せず部屋の中に足を踏み入れ、大きな音を立てて扉は閉じられた。
いくら憎き相手と言えど相手はお客様。私は出来る限り平静を装って彼を歓迎した。
椅子に座らせ、彼にお茶を振る舞う。カップを手渡す際に毒でも仕込んでやろうかと思ったが、それは我慢した。流石に此処で死人を出すのはまずい。
彼は私の淹れたお茶を静かに啜った。そんな彼を見て私はふと疑問に思う。
どうして彼はこんなに平然として私の前に居られるのだろうか?甚だ疑問だ。私にあんな事を仕出かして置いて、どうして普通な顔をしていられるのか?
かつて彼は私の婚約者だった。
第一王子との婚約、それはつまり、私は未来の王妃になる事を約束された訳である。当然それはとても名誉な事であり、私も両親も喜んだ。
だがこれは望まれた婚約では無かった。
元々私は王妃に気に入られており、その過程で第一王子との婚約の話が出たのだ。私も貴族の立場は低くない為、他人から見ても決して不釣り合いでは無かった。結果、私と第一王子は周りからの勧めで婚約する事になった。
しかし第一王子には恋い焦がれている女性が居た。
その女性の名はアリシア・ヒューゴット。貴族の娘で小柄な体格をした少女だ。彼女は密かに第一王子と恋人の関係にあった。
そこから王子の所業は酷かった。
第一王子は皆の反論を押しのけて私との婚約を解消し、アリシアと婚約した。
そして捨てられた私は「王子から婚約を破棄された娘」というレッテルを貼られ、両親の元へと送り返される事になった。
私はプライドを傷つけられ、私の家は名誉を失った。
更に不幸は続き、父が病で亡くなった。唐突に私は家の当主となり、今までした事もない書類仕事をする羽目となった。
毎日が苦痛だった。本来ならどこかの貴族の息子と結婚すべきなのだが、私は「王子から婚約を破棄された娘」というレッテルのせいで誰も相手にしてくれる人が居なかった。
そしてある日の事だった。
私はとうとう我慢の限界に達し、日々の不満を王子にぶつけた。全ては貴方のせいだと罵った。私達は口論になり、公衆の場にも関わらず大声を上げた。そして私は高い階段から突き落とされた。
王子にも悪気は無かった。ついつい手が出てしまったのだ。口論した私にも非はある。けれどもそうなってしまった事は変えようが無い。
結果、私は脚が動かなくなり、車椅子という不自由な日々を過ごす事となった。
もう何もかもが限界だった。
私は家を飛び出し、この深い森の中で暮らす事にした。時折付近の村の人達の悩みを魔法で解決したりと、それくらいの関わりしか人とは持たないようにした。
そうやって日々を過ごしていたある日、私はある噂を耳にした。
王都が魔族の襲撃にあった。どうやら今まで身を潜めていた魔族が急に活動を開始し始め、人間の国を侵略し始めたらしい。
今までずっと平和だったせいで王都はまともな軍隊を持っておらず、魔族との戦闘は大分苦戦させられた。今はまだ保っているが、それもあと数ヶ月の限界だと噂されている。
そこで王族達が目を付けたのが魔術師の家系である私だった。
貴族の間で唯一魔法を扱える私の家系は炎を操る術や風を巻き起こす術も持っている。彼らはそれに目を付けたのだ。
王子に婚約破棄された時は誰もが私の事を邪魔者扱いしたのに、敵が現れた途端この手の平返し。最早呆れを通り越して感嘆するしか無かった。
それからと言うものの、こうして第一王子は時折私の家に押し掛け、王国に戻って来るように頼み込んで来る。
時には貢ぎ物を、時には兵士を引き連れて……当然私は断った。時には実力行使をして来る彼らを魔法で追い払った。
「考え直してはくれないか?今、王都には君の力が必要なんだ」
彼は両手でカップを握りながらそう頼んで来る。それを私は冷たい目線で見つめながら聞き流した。
今更私は王都へ戻る気は無い。彼とあの女が居る王都になど戻る気は無い。既にあそこには私の家は無くなっている。父も死に、母も死に、兄弟達もとっくに国から逃げ出した。もうあそこに私の居場所は無いのだ。
「魔族に襲われた途端、急に態度を変えて頭を下げるなんてね……私をこんな体にしておいて、よくもそんな事を言えたものね?」
私は表情を暗くしてそう言う。すると彼は急に固まったように表情を強張らせ、額から汗を流した。
私は机の上に置かれているカップを取り上げ、台所へ持って行く。あくまでも平静な素振りをしながら、棚からお菓子を取り出し、それを彼に振る舞った。しかし彼はそれに手を付ける事が出来ない。
そんな彼に向かって私は冷たく一言言い放った。
「何度来た所で一緒よ。私は貴方を絶対に許さない」
菓子を彼に差し出し、後はもう何も無いと言わんばかりに私は背を向ける。彼はただ黙って机をじっと見つめていた。やがて、何かを言い出そうと私に顔を向けたが、その口から言葉は出なかった。
何かを訴えるような瞳。それはかつての私とよく似ている。でもだからと言って、私が彼を許す訳が無い。
彼はようやく言葉を絞り出すと、涙を浮かべながら語り始めた。
「頼む! ……アリシアが死んだんだ……魔族の襲撃のせいで、奴らに殺されたんだ……! 仇を討つ為にも、力を貸してくれ!!」
「…………」
それは意外な言葉だった。私も思わず彼の方に顔を向けた。
あの女が死んだ。別段恨んでいた訳では無いが、あの女が居なければこんな事にはならなかったのにと何度も思った事はある。私から第一王子を奪い、私の人生を狂わせた元凶でもあるアリシアが。
「そう、彼女が死んだの……」
私は顔を俯かせ、彼に表情を見られないようにする。
きっと今の私は満面の笑みを浮かべているだろう。人の死を喜ぶなんて……私も落ちぶれたものだ。でもこの胸の奥で溢れる歓喜を私は抑える事は出来ない。
私は体を振るわせ、声を振るわせながら彼に向かって言い放った。
「ざまぁないわね」
次の瞬間、彼の表情を絶望に染まっていた。もう何も言う気力は無いのか。ふらつきながら椅子を立ち上がり、部屋を出て行った。
森の出て行く際も彼は生気の抜けた表情をしており、動物にでも襲われるんじゃないかと思った。いや、いっそ襲われてくれた方が良い。
彼が去った後、私はカップとお菓子を片付けながら考え事をしていた。
王都が魔族に襲われたまでは良い。だがアリシアが死んだという所は妙に引っ掛かる。私の頭の中にある疑問が思い浮かび、それが気になって私は部屋の奥に居る彼に尋ねてみる事にした。
彼の部屋に入ると、彼はいつもの様にソファに座って寝息を立てていた。手には本があり、それを開いたまま眠っている。また読書に夢中になっていたのだろう。
そんな彼の元に近寄ると、彼は目を開き私の事に気がついた。
「何だ?もうあいつは帰ったのか?」
「起きてたの……」
てっきり寝ていると思ったのだが、どうやら彼は王子が来ていた事にも気がついていたらしい。相変わらず読めない男。
いつもはヘラヘラと軽い雰囲気をしているのに、いざ真剣になるととても鋭い目つきになる。そんな彼が可愛らしく、私は彼の頭をそっと撫でた。すると彼も気持ち良さそうに目を細める。まるで猫のよう。
「ねぇ、アリシアが死んだんですって……ちょっと出来過ぎてると思わない?」
頭を撫でながら私は彼に疑問を投げ掛ける。すると彼はニヤリと笑みを浮かべ、体を起きあがらせると丁度私と同じ目線になって口を開いた。
「さぁ、どうだかね。残念ながら俺には知り得ない事だよ」
「そう……無能な魔王さんだこと」
「そんな俺が好きなくせに」
意地悪そうに彼は笑い、私の頬を軽く触った。
冷たい手。肌も青白く、その瞳は真っ赤。頭からは小さな角が生えており、明らかに人間とは違う生き物。でも私は彼を愛した。
全てを失い、全てに絶望した私に手を差し伸べてくれ、この小屋を用意してくれた。だから私は彼が大好き。例え彼がこれから王国に何をしようとも、私は彼の側に居るだけ。
「大好きよ、魔王」
私はそっと彼の肩に頭を乗せ、そう呟いた。
彼はそれを聞くと嬉しそうに笑顔を零し、私の頭を優しく撫でてくれた。
その後、王都は魔族の侵略に飲まれ、王国は滅ぼされた。王族達は退く事を余儀なくされ、人間達が住んでいたいた王都は魔族の物となった。
不思議な事に、魔王は誰とも結婚しようとはしなかった。彼は時折人間界の森に向かう事があり、その日だけ彼は嬉しそうな顔をしている。
その森の中では一人の車椅子の少女が魔王の事を心待ちにしていた。