1907年9月8日 20時00分 バッキンガム宮殿
開会の挨拶の次に、女王陛下が登場する。
ホールの両壁にある階段を上った先、吹き抜けにせり出すようになっているところから手を振っている。
もちろん周囲では衛兵たちが抜け目なく目を光らせている。
更にちらほらと貴族を装った護衛の連中も混ざっている。
目つきが鋭すぎるのでおもいきり浮いているが、威圧することが目的なのであれで問題はないのだろう。
「ヘクター様、御身体の調子は大丈夫でしょうか」
「ああ、頭がガンガンするね。よりによって新月明けて間もない」
「あまり無茶はなさらないようにお願いします。倒れられると困ります」
「今晩の仕事が終わったらそうさせてもらうよ」
ドロシーには今回自分のサポートについてもらっている。
彼女は優秀だ、きっと自分よりうまくやるだろう。
眼前では女王陛下が一階へ降りて有力貴族連中と歓談を始めている。
その中にはパットン伯爵やルドルフ伯爵の姿もある。
彼らを含めこのパーティーの参加者たちはみな事前にボディチェックを受けている。
銃はもちろんのこと、爪を整えるためのやすりや葉巻用のカッターに至るまで、凶器となりうるものはすべて預かられている。
当然我々も例外ではなく、頼れるのは自らの肉体のみという状態だ。
「そうやっているとまるで夫婦みたいね」
妖艶な笑みを浮かべて近づいてきたのは先日と違い青のドレスのローザだ。
彼女も今回の作戦に参加しているらしい。
先日とは打って変わって大人の色香を漂わせている様子を見ると、やはり女性は怖いと再認識する。
と、そこで漂ってきた強烈な匂いに思わず顔をしかめる。
「あら、ひょっとしてお邪魔だったかしら?」
「ああいや…実を言うと香水ってものがどうにも苦手でね。薔薇かい?」
「ええ、それにしても以外ね。貴族様には欠かせない品でしょうに」
「僕は貴族じゃなくて平民気質なのさ。今のところこちらは問題なし、そっちはどうだい?」
言い訳じみた返答をすると、話を切り替えるように。
「こっちも今のところ動きはないわね…ねえ、あなたはいざという時に女王陛下の盾となれる?」
「…なれるかどうかと言われれば、なるんじゃないかなー。自発的にじゃなくて、無意識的だろうけど。意識しちゃうとなると怖いから、あんまり想像したくはないけどね」
唐突な話題に目をぱちくりとさせながらも、いつも考えている通りに返す。
おそらく自分が女王陛下を守るのは忠誠心からではないだろう。
ただ、それが仕事だからというぼんやりとした思いで動いているのだと、そう思う。
こういった職に就いておきながら、という自覚はある。
自分の返答を聞いて、ローザは若干驚いた様子を見せる。
やっぱり真面目な仕事人にこういった事を言うのはよくなかっただろうか、怒られるだろうかと身構えていたが。
「いけない、そろそろ仕事に戻らないと。また後でお会いしましょう」
優雅に挨拶だけして若干あわただしく去って行ってしまった。
女性の考えはよくわからないなと呟くと、ドロシーを伴って人ごみの中へ突撃していく。
今のところ不気味なほどに動きがない。
いっそわかりやすくナイフ構えて突撃でもしてくれれば取り押さえやすくて楽なのにと不穏なことを考えていると、ふとツンとした金属の匂いが鼻をつく。
反射的に匂いの元を追うと、一人の執事がいた。
白髪交じりの初老の執事はあたりに視線を飛ばしている。
本能的にその執事の前に立つと。
「キミ、どうかしたかね?先ほどから何かを探しているようだが」
「え…あ、申し訳ございません。実は主人とはぐれてしまいまして。女王陛下と話してくるから待っていなさいと言われたのですが…なにぶんこういった場は初めてでして…」
違和感を感じながらもドロシーからワインを受け取る。
本来執事とは若くからの叩き上げが大半を占める。
彼のような年齢ならば本来他の執事を束ねる年齢になっていてもおかしくはないはずである。
そしてなにより先ほどから漂い続けている強い金属臭。
「それはそれは、災難ですな。執事の面倒を見るのも主人の役割だというのに…っと」
床の絨毯のすきまにヘクターの右足つま先が引っ掛かる。
思わず前につんのめる、幸いワイングラスは落とさずに済んだが。
「ああ!すまない、ワインがかかってしまった。参ったな、シミにならないとよいのだが…」
反動でワインが初老の執事の右袖口、白いシャツに飛び散ってしまった。
謝罪の言葉を述べながら懐から取り出したハンカチでシミをぬぐおうと執事の右手をとろうとする。
「いえ、お気になさらず」
そう言って右手を引こうとする執事を逃さずにつかむ。
と、そこで気づいた。
彼の右手は肉の暖かさを持っていない。
肉の柔らかさを持っていない。
「これは…」
「御見苦しいものをお見せいたしました。エジプトで従軍中のものでして」
彼の右手は義手だった。
欧州全土で広まりつつある人口義肢の技術の発展は目覚ましく、傍目には義手とわからないものも多い。
最近では普通の腕と変わらぬように動くものまであるという。
「こちらこそ、無礼を許してくれ。このように名誉の負傷を望まぬ形で晒してしまった」
頭を下げると、執事はあわてたように頭を上げてくれと言ってくる。
彼曰く、腕を失って除隊になったのちに今の主人に拾われたのだという。
そして丁寧な勤続態度が認められ、今回このような場に連れ立ってくださるまでになったと。
それに対し先ほどの主人への発言を再度謝罪する。
執事と別れると、ドロシーが耳打ちしてくる。
「先ほどの行動は…」
「ん?ああ、わざとだよ」
悪びれずに呟く。
結果としてはスカだったが、怪しい者には容赦なく、だ。
「ああいった事は私が行うべきではないでしょうか。もし彼が本当に暗殺者だったら」
「女性を危険にさらすのは紳士的ではないのでね」
「レディーファーストではないのでしょうか?」
「じゃあ次は君に任せよう」
と、そうこうしているうちに周囲が騒がしくなる。
やにわに人の流れが変わり、思わず自らも流される。
「何事かね!」
手近にいたローザに問いかける。
「地下室で爆弾が発見されたって騒ぎになってるわ」
思わず顔が青くなる。
「搬入時にチェックしなかったのか?!」
「もちろんしてる筈よ!」
「ならどうして…」
セリフを途中で途切れさせ、一つの可能性に思い当たる。
そして思わず舌打ちをひとつ。
「狂言か!」
今、会場内は爆弾騒ぎでパニックに陥っている。
デマがデマを呼び、一刻も早く逃げ出そうと走り回る連中、それに突き飛ばされ転んでいる女性、飛び交う怒号とまさに阿鼻叫喚だ。
女王陛下周囲の護衛も、騒ぎを納めるべきか女王陛下を脱出させるべきかで若干動きが鈍い。
Hounds面々も女王陛下の盾となれる位置に向かおうとしているが、なにぶん逃げ出そうとパニックになって走り回っている連中が邪魔だ。
思うように近づけない。
暗殺者連中にとってはまたとない好機だろう。
「ローザ、君は地下室を確認してきてくれ。爆弾騒ぎが狂言だと確認が取れれば来客連中も落ち着くだろう」
「あなたはどうするの?!」
「盾を勤め上げてくるさ。こっちとしても一網打尽のまたとないチャンスだ」
こちらの返答にローザの表情がまたもや強張る。
いったい何か思うところでもあるのだろうかと考えながら人ごみをかき分け進む。
周囲では主人を呼ぶ執事やメイドの声が飛び交っている。
しかし、その中で浮き上がるような異質が一人。
(さっきの執事か…!)
違和感の原因ははっきりとわかる。
彼だけが主人の名を叫んでいない。
そして視線は主人を探すように走り回ってはおらず。
なによりさっきは気づかなかった雄弁な火薬の匂い。
左手を伸ばし執事の左肩をつかむ。
びくりと身を震わしてこちらを向いた顔にかける言葉は。
「そういえばあんたの主人のお名前をうかがっていなかったね、執事クン?」
執事は返答もなしに身を振ってこちらの腕を振り払う。
年齢からは想像もできない俊敏さで身を前に飛ばす。視線は周囲を落ち着かせようと言葉を放っている女王陛下をしっかりととらえており。
「テリア!そっち行ったぞ!」
女王の背後に立ち、周囲を警戒していたHoundsのメンバーを呼ぶ。
こちらに視線を向けたテリアは慌てたように女王と執事の間に壁となるように立ちふさがる。
しかし。
「邪魔を…!するなあ!」
執事は叫ぶと同時に左手で右手をつかむ。
そのまま時計回しに90°手首を回転させる。
するといかなるギミックか手首から先がすっぽりと抜ける。
その中から現れるのは右腕と一体化した銃身だ。
予期せぬ出来事にテリアの動きが一瞬止まる。
それがいけなかった。
執事は袖をまくり上げながら義腕部をつかむと先ほどと逆、反時計回りにひねる。
銃口から銃声とともに弾丸が飛び出る。
5mに満たない至近距離から放たれた弾丸は正確にテリアの額を撃ち抜いた。
どう、と膝からテリアが崩れ落ちる。
床に血だまりが広まるのを見ながら執事は腕を今度は前に引っ張る。
すると腕の接合部から薬莢が排出される。
それを見て迷っている暇はなかった。
右脚に力を籠め思いっきり床を蹴る。
反動はヘクターの身を宙へと飛ばす。
前への道をふさぐ来客の一人を足場にし身を前へと飛ばす。
飛び込むのはテリアの倒れている女王陛下と執事の間。
身をひねりながら着地、それと同時に視界が捉えたのはこちらを向いている銃口と飛来する銃弾。
避けられない。
直撃した。
義肢はロマンにあふれていると思うんですよ。






