1907年9月1日 19時07分 ロンドン市内ルドルフ伯爵邸
馬車が会場であるルドルフ伯爵のロンドン市内の屋敷についたころにはあたりも薄暗くなってきている。
しかし、屋敷は内部から煌々と明かりを放っており内部から賑やかな歓談の声が聞こえてくる。
入り口で招待状を執事に手渡すとドロシーを引き連れてダンスホールへと歩みを進める。
煌びやかなホール内の男女がちらちらとこちらに視線を向けてくる。
値踏みするような露骨な視線に、毎度のこととは言いながら若干うんざりしたものを感じるが、表面上は笑顔を取り繕う。
「これはこれは、ヘクター卿。相変わらず若々しい」
と、こちらへ歩み寄ってきたのはデニス男爵だ。
心中で顔を歪める。
彼の爵位は自分と同じ男爵だ。
しかし年齢は自分の26に対してデニス男爵は40だ。
しかも彼は貴族となって三代目で、自分は全くコネや血縁なしでいきなり貴族となった身だ。
自然とそこには妬みが生まれる。
それ自体は他の多くの貴族連中からも向けられるものなので気にならない、もとい我慢がきく。
しかし彼は中でもかなり当てこすりがきついのだ。
「おや、それに本日はドロシーさんもご一緒ですか。相変わらず侍女にしておくには勿体ない」
侍女の部分に強いイントネーションを感じて笑みにひびが入りそうになるが我慢。
何か言いそうになっているドロシーを手で押しとどめると。
「そういえば聞きましたよデニス卿、先日黒髪の美しい女性と楽しそうにお話ししていたとか。隅におけませんねえ」
若干大きめの声で言うと、デニス男爵の笑顔が逆にひび割れる。
しどろもどろの挨拶を済ませると、彼はそそくさと消えていく。
「ヘクター様、デニス卿の奥方は…」
「綺麗な金髪の方だね。これは不思議だ、そう思わないかい?」
といたずらっぽく笑う。
それを聞いてドロシーも自然な笑みを浮かべる。
それを見られただけで先ほどまでのもやもやが消えるのだから都合のいいものだと思う。
しばらくすると、本日の舞踏会の主催者であるルドルフ伯爵が現れ、一通り話を述べると音楽が流れ始める。
事前の説明によれば、今回の舞踏会での男性の一番人気はルドルフ伯爵の一人息子であるローリー男爵だそうだ。
今は男爵だが、将来受け継ぐであろうものを考えれば当然かもしれない。
おまけに親の権威を振りかざすこともなく顔も良い、と正に完璧なまでに優良物件なのである。
ちなみに自分は一曲目と三曲目以外ではご指名は来ていない。
若くして爵位を得た将来有望な男性、しかし舞踏会に侍女を着飾らせて連れてくる非常識な変人。
それが自分、ヘクター・ブレンへの評価といったところだろうか。
一曲目が終わったのしばらく休憩だと壁に寄り掛かる。
ドロシーは四曲ほど指名が入っていて、今は自分より若い二世男爵と踊っている。
年齢は17、8といったところか。
踊りに初々しさが見られる。
若さとそれに伴う情熱に懐かしさを覚えながらいると。
「もし、そこの方。よろしければ次の曲、御一緒しませんか?」
話しかけてきたのは赤いドレスに身を包んだ金髪の女性。
「このような場所に来るのは初めてでして…よろしければリードしていただけないかと」
「もちろんいいですとも。むしろ良いのですか?あなたのように美しい容姿の方ならば引く手あまたでしょうに」
「まあ、お上手なんですから」
流れ始めたワルツに合わせて相手とステップを踏む。
右足を出し左足を出す。
相手の腰に手を回しながら身体を回す。
「そういえばお名前をうかがっていませんでしたね」
「ローザと申しますの、ロズと呼んでくださる?」
「ローザか、いい名前だ。バークシャーの出ですか?」
「いえ、ケントの方ですの。海がきれいですのよ、まるで宝石のようで」
「それは是非見たいですなあ、特に美しいのは春の新月の夜ですかねえ」
そこまで話すとローザのステップが少し乱れる。
それに引っ張られるようにバランスを崩すと耳元でローザがささやく。
「符丁が一致しました。こんばんは『ポインター』…いい夜ね」
ぞくっとするような笑みとともに仕事がやってきた