教えられる
汚れた城内を掃除しながら歩いていると、ふと窓の外の中庭が騒がしいのに気がついた。騒がしい、というよりは物騒な音が響いていた。
その様子を見て、この忙しい時期に何をしているんだと呆れてしまう。
優美な園芸で飾られた中庭を戦闘場にして、ゲルハルトさんとゾラン王子が戦っていた。戦うなんて物騒な言い方をしているが、実際のところ二人とも殺しあっているような雰囲気でもないし、大方稽古でもしていると捉えた方が正しい。
こんな時に稽古なんてするような人たちには見えないが、この状況の発端を推測するならゾラン王子がゲルハルトさんを誘ったと考えるのがまともだと思う。ゲルハルトさんとしては乗り気ではなさそうだが、一国の王子の誘いを無下にできるほど無神経な人ではない。
対してゾラン王子はといえば、一応この国の危機に手助けしてやったとはいえ、一国の再生まで手伝ってくれるほどお人よしな性格でもない。大方自国に帰るまでの間の暇つぶしだろうか。
正直、武器を見るのは好きじゃない。どころか武器を持っている人に近寄りがたい。なんて言ったらゲルハルトさんは常に武器を持っているのだから矛盾になる。きっと彼を嫌いにならないのは、彼が国を守るために武器を持っているからだろう。
下手をすれば人を殺しかねない武器を持ち、お互いに得物をぶつけ合う姿は見ていて落ち着かないけれど、なぜだか目が離せない。
気がつけば、中庭の方へと足が向かっていた。
「お疲れ様です」
二人を見つけてから稽古が終わるまでに、そう時間はかからなかった。
本気で戦っていたわけじゃないとわかっていても、体を休めている彼らは息遣いも少し荒く、汗もじっとりと纏わりついている。私も昔は弱小ながらテニス部に所属していたし、体力もそこそこある方だと思う。だけど彼らの運動は私でさえ音をあげるレベルに見えた。
今まで集中していたからか、私の存在に気づいていなかった二人はほんの少し目を丸くしたが、すぐに穏やかな表情に戻った。
「よお、アンナちゃん。お坊ちゃんの面倒見なくていいのか?」
「四六時中傍にいなきゃいけないほど弱くないです、カイ君は。それに、今は城の掃除の手伝いもありますし」
「まったく、この国の人間でもねえのにご苦労だな」
「色々お世話になりましたからね。それで、お二人はどうしてここで?」
そういえば、エリヴィラ姫の姿が見えない。まあ、彼女がゾラン王子といつも一緒にいるとは思わないけれど、以前の婚約騒動で少しは二人の心境に変化があったものだとばかり思っていた。だから今回も一緒に駆けつけてくれたものだと納得していたのだけど。
問いに対し、彼は思っていた通りの回答を寄越した。
「どうしてっつーか、役目は終わったからな。事後の処理は俺らの出る幕じゃねえし、要するに暇してたってだけだ。そんでたまたま兵士隊長殿を見つけたもんだから、相手してもらった」
「私は暇ではございませんが……」
「そう固いこと言うなって。ちょっとぐらい休憩したって誰も文句は言わねえよ」
「休憩って、結局休まないで疲れてるだけじゃないですか」
相変わらずこの人の思考はよくわからない。狡猾なのかと思えば意外と柔軟だったり、怠惰な性格かと思えば真面目に事を考えていたり。初めて会ったときも思ったけれど、そんなのらりくらりとした人物だからこそ強いのだと思う。それが彼の強さのような気がした。
とはいえ、兵士としての役目だけでなく城の再興に余念がないゲルハルトさんにしてみれば、息抜きは必要でもこれは迷惑にしか感じない。身を案じて休憩に誘ってくれたならともかく、現に息切れしているわけだし。
だから、間をとって今から休憩しないか誘ってみた。私もしばらく休んでいなかったことだし、彼らと久々に話したい気分でもある。咄嗟の提案に二人は了承してくれた。ゲルハルトさんに至ってはすんなりとはいかなかったけれど、少しくらい体を休める目的でと伝えれば断る理由はなかったようだ。
中庭といっても座るためのベンチも何もなかったので、三人並ぶように青々と茂る芝生の上に腰を下ろす。
こんな平和な時間は随分と久しぶりのような気がした。
「王子とエリヴィラ姫は、いつ頃お戻りになるんですか?」
「なんだ、さっさと帰ってほしいってか?」
「ち、違いますけど……長いこと国を放っておくわけにもいかないでしょう」
「まあな。明日辺りには帰るつもりでいるよ。今回の反逆者に関しては、そっちで煮るなり焼くなりしてくれ」
「……実際、セアドさんはともかくとして、影武者さんはどうなっちゃうんですかね」
セアドさんが何らかの罪を受けるのに異議を唱えるつもりはない。彼を悪人として捉える気にはなれないとはいえ、それだけの罪を犯したのを否定はしない。
だけど、影武者さんはどうなるのか。私と同じように偶然この世界に飛ばされて、わけもわからぬままセアドさんと出会って、本人は協力するつもりはなくてももう一人の自分のために共犯を決意したのだ。確かに罪はあるけれど、同じように裁くのだろうか。
ある意味、私たちだって罪を負っていないとは言い切れないのに。異世界からきた彼を助けてやれなかったのだから。
今もなお尋問を受けていると聞いているけれど、これから彼はどうなるのだろう。私と一緒にもとの世界に戻してもらえるのだろうか。
なんとなく聞いてみたが、結果空気が随分と重くなってしまった。何とか話題を変えようと悩んでいると、そんな重い空気の中でゲルハルトさんの口が開く。
「無実無罪とするには、難しいでしょう。如何なる事情があったとしても、ベッヘムに加担した事実は動きません。奴より罪が軽いとしても、そう簡単に無罪放免にはなりそうにありません」
「やっぱり、そうですよね……でも、早くもとの世界に返してあげたいですよね。本来ここにいるべき人じゃないですし」
「そうしてやりたいところですが、私にはそうするだけの力がありません。勝手に釈放などすれば、私もまた罪人に問われます」
どこの国にも法がある。それは如何なる事情があったところで、感情論に左右されないために作られた規則だ。影武者さんの事情や過去を考えれば罪人にするには気が引けるが、彼の犯した罪は法によって裁かれなければいけない。
それを決めるのも、国王の役目。
実のところ、明日、王様によって二人の処罰が下されるとロルフさんが話していたのだ。王様も影武者さんの事情を知っているから最悪の処罰は下さないと思うけれど、かといって最善の結果が出るとも思えない。
ゾラン王子とエリヴィラ姫が帰るのも明日、セアドさんたちの罰が下されるのも明日。明日はとても忙しい日になるのではないだろうか。
「つーか、法だとか何だとか言ってないで、あの坊ちゃんが早く魔法でもとの世界に戻しちまえばいいんじゃねえの」
「それでは王子に罪が問われますし、まず魔法で戻せない現状では不可能です」
「頭が固いんだよ、アンタは。だから、罪に裁かれる前に王子が『不手際で』魔法を発動しましたってことにすりゃあいいんじゃねえか。王族なんだからそれなりの権力はある、そう簡単に罪に問われるわけねーだろ。アンナちゃんをもとの世界に戻すついでに連れていきゃあいいんだよ」
王子の言うことは間違っていない。影武者さんがこの世界の人間でない以上、本来法に縛られる必要もないのだ。確かに罪をなかったことにはできないとしても、この国の国民でもない限り、屁理屈を言えば王様だって裁く権利は持たないのだ。
そう、だから正しい。
だけど一つ、この提案に問題があるといえば、期限が明日に迫っているということだ。明日処罰が下される以上、その前に魔法でもとの世界に戻してもらわなくてはならない。
カイ君がその魔法を成功できるかどうかも不明瞭な今、失敗すれば影武者さんは確実に処罰を受ける。
それに、明日で帰らなければいけないというのはあまりにも唐突で。
もとの世界に戻るのを望んでいたといっても、心の準備も何もあったものじゃない。何か後悔や未練があるかといえばすぐに出てくるものじゃないにしても、すっきりとした気持ちで帰れるとも思えなかった。
だけど、それが私のためでもあって、影武者さんのためでもある。受け入れなくちゃいけないのだ。
「で、教育係としては明日にでもその魔法を坊ちゃんが使えると思うか?」
「……可能性は五分五分です。召喚魔法を失敗させて私たち異世界の人間を呼び出した原因、それがわかった今、希望はあると思います」
「希望ねえ」
「頼りないですよね、希望なんて。でも……」
「いや、希望があるなら上々だ。坊ちゃん一人だったら真っ先に『無理だ』って言い出すのを、あんたは『希望がある』って言うんだ。それほど頼りがいのある言葉はねえよ」
希望という言葉を、ここに来てからよく聞くようになったし、よく言うようになった。普段の日常生活ではそうそう使わないだろうし、それだけの価値を伴わない言葉。だけど今は、希望という言葉に重みすら感じられる。
いつのことだったか、セアドさんが話していた。私が本当は魔法使いで、カイ君たちに魔法で希望を持たせているんじゃないかと。
希望を持たせるなんて、魔法を使わなくたってできることだ。簡単にできることじゃないけど、絶対にできないとは言い切れない。
ゾラン王子がそう評価してくれるのだから、できないなんてことはないのかもしれない。
「それじゃあ、私も明日帰ることになりますね」
「そりゃ寂しくなるな。あんたとは出会いこそ最悪だったろうが、結構気が合うと思ってたからな。なあ、隊長殿。あんたも何か言ってやれよ」
別れが来たと思うと急にしんみりしてしまうもので、軽い口調で話す王子の言葉も胸に染み込んでいく。
王子に促されて、ゲルハルトさんが私を見る。そういえば、彼とはこの世界で初めて出会ったんだった。いきなり異世界に飛ばされて右も左もわからない私を助けてくれた恩人。その後も私を何度も助けてくれた。国のため、王のためなんて言いながらも、本当に優しい人だってことを知っている。
「今まで王子の教育係として、本心でなくとも王子を助けてくれたこと、感謝いたします」
「おいおい、最後まで固いなあ隊長殿」
「それから……私にも、色々と教えてくださったこと、一生忘れません」
「え、私、何か教えましたっけ」
「覚えてなさらずとも、私は覚えています。アンナ様にとっては大したことでなくとも」
教えてもらったなんて偉そうなことをしたつもりはないが、思い出してみてもそれらしい記憶はない。もしかしたらとても重要な場面でもあったかもしれないのに、忘れてしまったなんて随分と薄情な奴だ。
むしろ教えてもらったのは、私の方だというのに。
とにもかくにも、明日で最後なのだ。もうカイ君に教えることもない。影武者さんが裁かれる前に帰らなければいけない。
そのとき、私はカイ君との別れをどう思うのだろう。大人ぶって笑って帰れたら、理想なのだけど。




