迫る
これが最終局面というやつだろうか。
生憎、そんな物語のような人生を信じるつもりはないけれど、わけのわからない世界に連れて来られて厄介事に巻き込まれてしまえば話は別だ。
ここでセアドさんの『計画』を止めればすべてが終わる。
だけどそれでこの世界からもとの世界に戻れると決まったわけじゃない。これから先もこの世界で生きていくことになるかもしれないし、あるいはここでセアドさんを止められずに望まない結果を迎えるかもしれない。
それに、止めるといってもどうやって止めるというのだ。
「正真正銘、物語の幕引きといったところでしょうか。王子やアンナ様からしてみれば、まさに今が決戦の場とでも言うべき局面なのでしょうね。そしてわたくしにとっては、ここからが物語の始まりになります。両者にとって極端な展開というのも一興ですねえ」
彼はいつものように胡散臭い笑みを浮かべている。ただし、その目は微塵も笑っていない。
セアド・ベッヘム。レーゲンバーグ王国の国王直属の大臣にして参謀、そして使用人を束ねる存在でもある。万策にして奇策、用意周到であり突拍子のない才能を持つ彼の右に出るものはいない。もとは盗人だったという経歴を感じさせない、物腰の柔らかい口調と礼儀正しい立ち振る舞い。誰もが皆、彼が国の混乱を目論む反逆者とは思いもしなかっただろう。
この反逆の目的となる『計画』の全貌は、この世界に別世界の人間をごっそり召喚し、新たな国を作り出すというものだ。それはカイ君の召喚によってこの世界に来たもう一人のセアドさんのためを思った行為といえば、納得できる話だ。もとの世界に戻れないなら、別世界にいる家族や友人をこちらに連れてくればいい。考え方は突拍子もないけれど、言わんとしていることはわかる。
しかし、『計画』の目的はもう一人のセアドさん、つまり影武者さんのためではなかったという。あくまで自分自身のために、国を巻き込むほどの理由をまだ知らない。
まだ、聞かされていない。
「さて、アンナ様がここにいらっしゃるということは王子を取り戻しに来られたのですね。そしてわたくしの『計画』を阻止したいと企んでいらっしゃる……間違いはございませんか?」
「わかってるなら、カイ君を返してください。『計画』を実行させるわけにはいきません」
「おやおや、恐ろしい顔をなさられて。『計画』が成功すればご家族やご友人に再会できるというのに、なぜ頑なに反対なさるのです?」
彼が本当に理解できずに聞いているのではないことくらい、わかっている。あくまで私を逆上させようとからかっているのだ。心の平穏を乱してこそ、彼の話術は活かされる。
だから、答えない。
正直なところ、問いかけに対する答えがまとまっていないという理由もある。家族や友人まで巻き込まれるのは嫌だけれど、それを押し通すまでの明確な根拠が言葉にならない。
もとの世界に戻りたいのは、勿論家族や友人に会いたいからだし、今までの生活を取り戻したいからだ。もとの世界に戻れば魔法も何もなくつまらない世界が待ち受けているけれど、それでも私が生まれて生きた世界だ。
だけどそれも、いまいち論拠に欠ける。
私が答えに詰まっているのを見抜いたのか、セアドさんはそれ以上問いかけようとはしなかった。代わりに今度はカイ君に目を向けている。
「王子。あなた様には残念ながら、拒否権がございません。あなた様がいなければ『計画』は成功しませんからね」
「誰がお前なんかに協力するか……!」
「この期に及んでまだ気丈に振舞えるとは、成長しましたね。ここでわたくしが人の意思を意のままに操れる魔法でも持ち合わせていれば、事態は非常に円滑に進むのですがねえ……」
恐怖の色を滲ませながらも精一杯に睨んでいたカイ君の表情が一気に青ざめる。影武者さんによって未だ拘束されている彼に、鋭利な小刀が向けられていた。
凶器を手にしたセアドさんは簡単に殺しはしないだろうが、最終手段として脅迫程度の傷害なら何のためらいもなく行うだろう。
空気が張り詰める。
「手荒な真似は避けたい限りですが、ここまで膠着状態が続いてしまえば話は別にございます。さあ、どうなさいます?」
ドラマでも見ているような展開に遭遇してしまったが、フィクションと実際にその現場に居合わせるのでは緊張感が違う。冷静な対応が求められるところだけれど、私だけが冷静になっていても意味はない。
現にカイ君は、自らに刃物が向けられていることで完全に落ち着きをなくしている。あれではセアドさんの思うつぼだ。
この状況をどうすれば打開できるか。考えたところで思いつく妙案はない。
だけど、影武者さんと同じように時間稼ぎくらいなら、私程度の人間にだってできるはずだ。微かに震える足に力を入れながら、声を絞り出す。
「どうしてそんな『計画』を果たしたいんですか? まだ理由を聞いてません」
「時間を稼いだところで救援はまだ追いつかないと思いますが」
「……やっぱり心が読めるんですか?」
「ふふ、どうでしょうね。仮に読めたとしても、あなた様の世界には魔法を使えずとも心を読める人間もいらっしゃるのでしょう? 驚くほどのことでもないと思うのですが」
「……質問に答えてください。時間稼ぎじゃなくても、あなたがそこまでして新たな国を作りたい理由を知りたいんです」
じゃないと、今のセアドさんはただの悪者でしかない。そこに何か切実な、譲れない理由があるかもしれないのに、ただ恨むなんて真似はしたくない。
正直なところ、私はセアドさんを嫌ってはいない。今さら何を言っているのかと言われそうだけども、不思議と彼を嫌いにはなれないのだ。恨む気にも、憎む気にもなれない。綺麗事でもなければ聖人になったつもりもない。
かといって、カイ君を利用しようとしているのを許せるほど心も広くない。国を混乱に陥れて、国王やゲルハルトさん、ロルフさんたちを危険な目に遭わせたのも許せはしない。
ただ、理不尽に怒りたくないのだ。
セアドさんはしばらく無表情で私を見ていたが、やがて自嘲気味の笑顔で言う。
「もう一人の自分が、憎いのですよ」
「影武者さんが?」
「彼には愛すべき家族と頼れる友人がいて、わたくしには何もない。それが耐えられなかっただけなのです。同じ自分だというのに、こうも差がついてしまうと、精神的に何も感じないわけもありません。だからわたくしは、もう一人のセアドに成りすまし、この世界に家族を召喚し、もう一人のセアドとして生きようと思ったのです」
「……じゃあ、影武者さんはどうなるんですか」
「召喚が終わってから殺すつもりです。彼はもとの世界に戻ることを諦めていますから、丁度良かったのですよ」
丁度良かっただなんて、本当にそう思っているのか。
セアドさんならそう思わないでもないと思ってしまう自分の思考も随分情のないものだけど、彼の言葉に冗談の色は感じられない。できるなら感じられないだけで、本当は冗談だったらいいのに。
大体、そんな理由で今の国を変えてしまおうだなんて、考えが突飛すぎる。計画が奇抜すぎる。それが本音とは思いづらい。
影武者さんも影武者さんで、自分の命が落されようとしているのにまったく動揺の影すらない。もう一人の自分に味方したい気持ちはわからないでもないけれど、だからといって命まで落とすほどのことだろうか。それに、もとの世界に戻れないことに、そこまで悲観しているようには思えない。
この二人はあまりにも、不透明だ。
「雑談はその程度にして、そろそろ本題に入りましょうか。ご存知かと思いますが、わたくしもそれほど時間を残されてはいません。さあ、王子。協力してもらえますね? いつものように想像して、魔法をお使いになられればいいのですよ」
「嫌だっつってんだろ……! ここは俺の国だぞ、お前なんかに譲るつもりはない!」
「それはごもっともですね……では、あまりに典型的な展開になりますが、いたしかたありません。こうしましょう」
次の瞬間、喉元に冷ややかな感触を受ける。何が起こっているのかわざわざ確認しなくても、喉に当たる感触とカイ君の表情の豹変を見ればなんとなく想像がつく。
背後には密接する人肌の温もり。それと対照的な冷たく固い感触。置かれている状況を自覚した途端、心臓が早鐘のように脈打つのを感じた。
これもカイ君を従わせる単なる脅しなんだろうけど、今こうして得物を向けられて初めてわかる。
この作戦が失敗に終わったとき、彼は間違いなく私を殺すだろう。
何の躊躇いもなく、事務的な作業のように喉元を掻っ捌くことだろう。
ここでセアドさんの策略に乗ってしまえば、もう彼の『計画』を止めるチャンスはなくなる。かといってカイ君が召喚を最後まで拒めば、私が殺される。
試されているのだと思う。一人の王族として、国を取るか人を取るか。感情論を抜いた客観的な視点で捉えれば、一人の命を助ける選択ほど愚かな決断はないだろう。それが許されるのは、あくまで物語の世界だけだ。
だけどカイ君に、そこまで非情な決断が下せるとも思わない。それに、私自身まだ死にたくない。
「さあ、決断はお早めに。あと五分が限度というところでしょうか。一人の命を選ぶか、あるいは一人の命を犠牲に大勢の命を選ぶか。ご自由に一択をお選びください」
「カイ君……絶対駄目だよ、魔法を使っちゃ」
「おっと、唆されては困りますね。アンナ様に手荒な真似をするのは計算の範疇外でしたが、こればかりは邪魔をされては困りますし……」
刃が肌に食い込むのがわかる。少しでも力を入れれば肌が裂け肉が傷つけられてしまいそうな、絶妙な加減。
怖い。
素直に怖い。今までの人生でこんな、あからさまに命を狙われる瞬間なんて味わったことがない。だからこそ感じる、ぴりぴりとした空気。心臓を鷲掴みにされているような悪寒。
だけど自分の身だけを心配しているわけにもいかない。目の前に映る、同じように拘束されたカイ君は、私なんかよりもっと大きな壁に直面しているのだから。
果たして私の声は、ちゃんと届いたのだろうか。
沈黙が流れてから、どれだけの時間が経ったのだろう。制限時間の五分まで、あとどれだけの猶予があるだろう。
どれだけ考えを巡らせても、時間は当然待ってくれるわけもなく。
「回答のお時間でございます、王子」
それは、まだ大人になり切れない少年にはあまりにも重く、汚い選択で。




