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例えば。
この世界がまったく違う世界と鏡のように対になっていたとしたら。お互いの世界は干渉することさえできないけれど、それぞれの世界に別々の『自分』がいて、『家族』がいて、『友人』も『恋人』も別人だけれど同じ容姿で生きていたとしたら。
干渉できないのだからそれを知ることは一生ないし、意識せずとも無事に一生を遂げられるのだけれど、そこでもし、矛盾が起きてしまったら。
二つの世界が繋がってしまったら。
そのとき、世界はどうなるのだろう。
今まで通りただ時が進むのかもしれないし、あるいは矛盾から生まれた歪が世界の崩壊を招くかもしれない。
そして、どちらかの世界に別々の『自分』が同時に存在したとき、何が起こるのだろう。
だから、これは警世なのかもしれない。
セアドが行っていることは、世界の構造をまったく知らず生きる人々への忠告であり、教訓なのかもしれない。
「……なんちゃってね」
王室の周囲をゲルハルトと共に見回りながら、ロルフは一人今回の反乱を題材に小説の冒頭を頭の中で書きだしていた。
図書館長を務めている彼は、当然本が好きだ。彼は自他共に認める読書家であるし、また趣味で執筆活動をするなど発信する立場にもある。一国の反乱をネタに物語を考えるなど不謹慎極まりないと思いつつも、同時にバレなければ問題ないという卑怯な自分もいる。
ちなみに誤解を招かないように言えば、冒頭のプロローグはすべてロルフの考えた空想に過ぎない。読書家として物語や史実、学問書など節操無く読むが、やはり一番楽しいのは物語だ。
言ってはなんだが、ロルフは仕事中にも暇さえあれば一人空想に浸っている。架空の国の王子の冒険や未開の地への探索、彼にとって空想の時間は至福の一時であり執筆活動の一環でもあった。
だから、異世界人のアンナにも興味がある。異世界から来た人間なんて到底信じがたい話だが、ロルフにとっては夢のような話だ。
「どうだ。そっちに何かあったか」
「い、いえ! 特に変わったものは……人の気配もありませんし、大臣たちは近くにはいないようですね」
「そうだな。もう少し確認してから、王子たちのもとへ戻ろう」
ゲルハルトに呼びかけられて、ロルフの意識は一気に現実へと引き戻される。
そうだ、今まさに反乱が起きている。空想でもなければ夢の中でもない、紛れもない現実だ。これが空想であればなんて刺激的な展開だと思わなくもないが、現実だと知れば面倒なことこの上ない。
そう、面倒だ。
ロルフにとって戦争も反乱も暴動も災害も、「面倒くさい」の一言に尽きる。冷たい反応と思われるかもしれないが、他人事である以上それ以外に表しようがない。
自分でもこの性格はおかしいと自覚はある。今まさに人が死んでいるかもしれないのに、大切な人たちが傷ついているかもしれないのに、どことなく他人事のように思っている感覚が。
まるでこの現実も、物語だと錯覚しているかのような違和感。
なんて考えたところで、ちゃんと見回りをしていなくては兵士隊長に叱られるだけだ。役割も何もかも違う彼に怒られるというのは珍しい体験だが、できるならそれは避けたい。
王室から少し離れた宝物庫の方まで足を運んだところで、ロルフは異変に気づく。
普段なら厳重に鍵がかかっているはずの扉が開きかけた状態のままだ。
「これが小説の一環なら、確実に何か事件が勃発しそうな勢いなんだけど……」
このまま進めば、確実に現状が変わる気がする。物語が進展するように、良くも悪くも話が変わる。だけど、言っては寂しいけれど、ロルフは自分に微塵でも主人公気質があると思ったことがない。だからこの先の部屋を入る資格は、本来ないのだけど。
ないのだけど、好奇心には忠実だった。自然と歩を進めるのがわかる。
お利口な方法を取るならゲルハルトを呼ぶべきだが、なぜだかそれを良しとしない本能が心の中に肥大していた。
この先が幸か不幸か、どちらにしても何かが変わる。考えすぎかもしれないが、いつもと違う城内で開いているはずのない部屋が開いているとなれば、可能性は大きい。
ゆっくりと扉に手を掛ける。
部屋の中に、確かに人の気配はした。慎重に暗い部屋の中を歩きながら辺りを見渡す。決して狭い部屋ではないが、貴重な資料や宝物が所狭しと並んでいるせいか随分と窮屈に感じた。
こんな部屋に一日中いられたなら楽しいかもしれない、なんて余計な妄想を交えながらも奥まで探索を続けていると、ふと何かに気づく。
暗がりの中に、何かがいた。
思わず悲鳴を上げそうになるのを堪えて目を凝らすと、人がしゃがみ込んでいる。服装から兵士でないことはわかるが、その姿に見覚えがあった。
「だ、大臣……様?」
呼びかけられた人は、反応してゆっくりと顔を上げた。その顔を見て確信する。今まで何度も見てきた城の大臣の顔だ。
だけど、どうしてこんなところにいるのだろう。王室にもいないものだからてっきり牢獄を見に行ったのかと思ったけれど、一人でこんなところにいるなんて怪しすぎる。
呼ばれたセアドは寝ぼけたような顔でロルフを見つめるも、慌てることもなく、いつものように饒舌に喋り出すこともない。
様子がおかしい。
「あ、あの……セアド大臣、で合ってるのですよね?」
「ん……ああ、はい。わたくしはセアドです。名前を知っているということは、あなたはこの城に仕えている人なのでしょうか」
「は、はい? 僕ですよ? ロルフ・アレンスですよ?」
「ロルフ……ああ、『彼』から聞いています。確か図書館長を務めていらっしゃるんですよね……」
思い出したと言わんばかりに手を叩き、セアドは重い腰を上げた。
何かがおかしい。容姿も声も一緒だというのに、何かが違う気がする。いつもなら常に胡散臭いほどの笑顔を浮かべているはずなのに、今の彼には表情すら見られない。まったくの無表情に気味の悪さすら覚える。
まるで、セアドであってセアドでないよう。
呆然と見つめるロルフの気持ちを読みとったのか、セアドは困惑しながらも淡々と説明を始める。
「そうですよね……あなたと会うのは初めてなんですから、そんな顔されても当然なんですよね」
「ど、どどど、どういう意味ですか?」
「もう秘密にする必要はないので、お話します。結論から言うと、わたくしはあなたの知っているセアド・ベッヘムではないのです」
いや、わからない。
言っていることはわかる。それが本当かどうかはともかくとしても、彼がロルフの知るセアドではないという旨ははっきり伝わっている。もし本当だとしたら、さっきから感じる違和感の正体もそれなのだろう。
だけど問題はその意味だ。見た目は同じでありながら自分の知る大臣ではないというのなら、考えられるのは双子か、あるいは二重人格か。その中でもより有力なのは後者だ。
今さらながら、ゲルハルトを連れてこなくてよかったと安心している自分がいる。彼がこの場にいたなら、話を聞く前に最悪切りかかっていたかもしれない。
黙っているのが不安になったのか、セアドは遠慮がちに声を掛けた。
「あ、あの……理解できましたか?」
「ああ、はい! つまり僕の知る大臣様とはまた別の大臣様……で、いいんですよね?」
「そんなところです。といっても、わたくしは大臣なんて称号は持ち合わせていませんが。そこであなたは当然、今目の前にいるわたくしが何なのか気になりますよね?」
「え、ええ……まあ」
「驚かないで聞いていただけますか? つまるところ、わたくしは異世界のセアドなのです」
さらっと種明かしをされてしまったが、驚くなという方が難しい。驚く以前にすでに頭が混乱しかけていた。
目の前にいるセアド(であってセアドでない人物)の言いたいことはわかる。彼はロルフの知るセアドとは別人で、異世界のセアドなのだと。
だけどそれを理解しろというのと、信じろというのでは話が変わってくる。
双子でも二重人格でもない、まったく別の世界のセアド。同姓同名でたまたま容姿もそっくりだったなんて、あまりに都合のよすぎる展開だ。
そこでふと、思い出す。ここに訪れる前に考えていた空想の冒頭を。
「そ、それって……異世界に住んでいたセアドさんは王子様によって召喚されてきて、ここにいる大臣様と邂逅した……ってことですか? もしかしなくても異世界とこの世界にはそれぞれ自分であって自分でないもう一人がいて、こちらの世界に二人のセアドさんが存在する形になってしまったと?」
「……あなたは物わかりがいいどころか、わたくしが話そうとしていた先まで言い当てるとは。まさか、最初からご存じで?」
「ままままさか! 推測です!」
空想が現実になってしまった。
自分に関係のない事件であれば大いに喜んだかもしれないが、今、目の前に現実があるのかと思うと素直に喜べない。
だけど、そうだとしたら一連の『計画』の動機にも納得がいく。もう一人、つまりこの世界のセアドが行おうとしているのは、自分のためでもアンナや王子のためでもない。他でもない異世界の自分のためなのだと。
召喚されたもののもとの世界に戻れないなら、異世界の住人をすべて連れてきてしまえばいい。安直な考えではあるけれど、異世界からやってきた彼やアンナにしてみれば切実な問題だ。
これから一生、家族にも友人にも会えずに見知らぬ地で生きることになるのだから。
セアドやアンナの気持ちもわからないでもない。だけどこの世界のセアドの行おうとしていることに加担はできない。
そういえば、異世界から来たというセアドは『計画』に加担する立場なのだろうか。こんなところで何をしていたのかも気になるところだ。もしもう一人の自分に協力しているのだとしたら、こんな風に親しげに話していていいのだろうか。
「あのう……セアドさんは、一体ここで何を?」
「休息を取っていました。誰の目にも触れぬようずっと閉じこもっていたので、少しの運動でも疲れてしまって」
「はあ……で、あなたはこの世界の大臣様……セアドさんと一緒に、『計画』を果たそうとしていたのですか?」
セアドは首を横に振った。それが肯定の意思だとは誰も受け止めないだろう。
まあ、見る限りあの狡猾さを秘めた大臣と同じ考えを持っているようには思えない。そうでなければ言い成りにでもなっているかと考えられるが、だとしたら簡単に自分の正体を明かしたりしないはずだ。
だったら目の前にいるこの人間は一体。
「いえ、『計画』自体は他でもない彼の意思です。わたくしは『計画』の詳細もあまり存じませんし、それに」
「それに?」
「わたくしはもう、諦めているのです。何年もここで生きてきたけど、結局戻れる兆しは見えない。彼はいっそ異世界の人間を連れてくればいいと考えていますが、わたくしはそんなことを望んでいない」
戻れなくたって、もとの世界ではきっと忘れられているから。失踪したことも、存在自体も。
無表情だったセアドの顔に、薄く諦めを含んだ笑顔が映る。
この時点でロルフには、『計画』の意図が大体読めていた。これは異世界の自分のためでもなく、ましてや王子の失敗に対する救済案でもない。
完全なる私利私欲だ。
「セアドさん。もしよろしければ、協力してくれませんか。僕らはこの世界の大臣様を止めなくてはならない。そのために、あなたの力が必要なんです」
「……」
「世界を救ってほしいなんて大それたことは言いません。だけど、あなたと同じように異世界から召喚されて帰れない女の子がいるんです。彼女はまだ、自分の住む世界へ戻りたいと思っています」
そうすることで、アンナも王子も救われると思うから。このまま『計画』が実行されれば、まだ多感な時期の彼らはもっと傷つくことになる。
他人のためにそこまでどうにかしようなんて、今まで思ったことはなかった。だけどこれはあまりに酷過ぎる。
物語の筋書きにしても、あまりにも酷い出来だ。
ロルフの言葉に何かを感じ取ったのか、あるいは何も感じなかったのかはわからない。ただ、セアドはゆっくりと頷いてロルフの手を握った。




