疲れる
目が覚めた頃には、あれだけ生い茂っていた森は姿を消していた。代わりに視界に飛び込むのは、見渡す限りの白。
何が起きたのだろうと辺りを見渡すと、私の隣にはカイ君が座り込み、疲れ果てたように寝息を立てている。他にも疲れ切った表情のエリヴィラ姫とゾラン王子の姿が見え、崖の上で留まっていたはずのセアドさんとゲルハルトさんもいる。
ここはソリの中だった。
すべてが夢だったんじゃないかと思うほどに眠っていた気がするが、身じろぎをすると体が痛む。残念だけれど、崖から落ちたのは紛れもない事実のようだ。
だけどこうして皆がいるということは、結局助かったと考えていいのだろう。カイ君も無事に戻ってきたことだし、とりあえず今は城に戻って休もう。今後を考えるのはそれからだって遅くない。
意識を取り戻した私に気づいたセアドさんは、やや疲れた表情で声を掛けてきた。
「お気づきになられましたか、アンナ様! いやはや、大したお怪我をなさらなかったようで安心いたしました」
「心配かけてすいません……セアドさん達は、あれからずっと崖の上に?」
「助けを呼ぼうにも、下手に動けばわたくし共も落ちかねませんでしたからね……恥ずかしながら、二人で救援を待つ他ありませんでした」
「大変だったでしょう、こんな寒い中で、夜の間ずっと待ってるなんて」
「ご心配なく。こんなときにゲルハルトの魔法が役に立つとは思いもしませんでしたよ」
「ね?」と同意を求めるセアドさんに対し、小さく溜息を零すゲルハルトさん。
そういえば、彼も微小ながら魔法を使えるのをすっかり忘れていた。確かに彼の炎魔法なら、極寒の夜空でも暖を取り寒さをしのぐくらいの威力はあるだろう。
といっても、暖を取れるだけで食事も取れないし睡眠も取れない、挙句迂闊に動くこともできないのだから、彼らも相当の疲労とストレスが溜まっているはずだ。
セアドさんは私たちと合流するまでの間、ゲルハルトさんがどれだけ心配していたのかを事細かに話していたが、しばらくして恥ずかしかったのか険しい顔のゲルハルトさんに殴られてようやく黙った。
しばらくして、再びエリヴィラ姫とゾラン王子の方へと目を向ける。二人は後方の席に隣同士で座っているのだが、心なしかエリヴィラ姫が端に寄っているように見える。
途中から意識を落としてしまったので、あれからどうなったのかが空白になっている。カイ君とエリヴィラ姫、それからゾラン王子。三人の王族が鉢合わせになってから、何かあったのだろうか。出会ったときにはそれほど汚れていなかったゾラン王子の服が、随分と薄汚れている。というより、なんだか焦げ臭い。
私の視線に気づいた彼は、力なく笑顔を浮かべた。
「よお、お目覚めか?」
「おはようございます……? それより、あれからどうなったんですか? 私たち、無事に森から抜けられたんですか?」
聞かれると思っていたのか、しかし言いにくそうに彼は「あー……」と困ったような声を出す。その声に、なぜか隣の姫がぴくりと眉を動かした。
何か、聞いてはいけないところに触れてしまった気がする。だけどただ無事に戻ってきたようには思えないのだ。何か一悶着あったような、そんな気がしてならない。
エリヴィラ姫がゾラン王子を心底嫌っているのは知っている。恐らく彼女が怒って何か騒ぎを起こしたのかもしれない。それにしては、彼女の方も随分と傷が目立つ。女好きのゾラン王子が彼女を傷つけたとは考えづらいし。
言葉に詰まっていたゾラン王子は、遠慮がちに人差し指で一方向を指した。その先にいるのは、未だ夢の中に意識を落としているカイ君。
「そこの坊ちゃんが、あろうことか神話の怪物レガイアを召喚しやがってな……」
「……え?」
王子の言葉に耳を疑う。
確かそれは、今まで一度だって成功しなかった召喚対象だ。今までだって何度も、彼は同じことを試しては異世界の人間……つまり私のいた世界の人たちを召喚してしまったはずなのに。それを、あれだけ疲弊している状況で成功させたというのか。
でも、だとしたら今頃こんな風に皆で城に戻っているのはおかしい。神話ではその怪物は、すべてを破壊する力を持っていたはずなのだ。そんなものが召喚されれば、今頃エイス王国は壊滅していたっておかしくない。
混乱する私に、今まで黙っていたエリヴィラ姫が補足してくれた。どうやらその怪物は、私たちが思っているよりも小柄な怪物だったらしい。森林が焼け焦げるところだったようだが、救援に駆け付けたエイス王国軍によって消火活動、及び怪物の捕獲に成功したのだとか。
つまり、例え怪物の召喚に成功したところで、世界は滅びたりしないというわけだ。
それはそれで、カイ君にとっては残念な結果になってしまったのだろうけど。
城に着いたのは、すでに夜が明けて日が高く昇り始めた頃だった。
ぼろぼろになって帰ってきた私たちを執事のイゴールさんが蒼白めいた顔で出迎え、怪我がないか医務室へと連れていかれた。
ただゾラン王子がいたことに城は軽い騒ぎとなったが、私やセアドさんの必死の説明で大事には至らなかった。当の本人はといえば、初めて見るエイス王国の城の内部に興味津々な様子で、城の騒ぎなどものともしていなかったが。なぜ関係のない私たちが弁明しなければいけないのだろう。
その後も事態の説明などを求められ、結局宿泊していた部屋へと戻ったのはそれから一時間以上は経過した頃だった。あれから一向に目を覚まさないカイ君が先に客室へと運ばれてしまったのが羨ましい。
どっと疲れた体を休めるべく、ベッドに倒れ込む。ふかふかの布団がクッションとなって、瞬時に眠気を誘う。
エイス王国に訪れるまで、こんなことになるとは思わなかった。カイ君のもとに舞い込んだ縁談に素直に喜んで、無事結ばれればいいな、なんて軽はずみな気持ちでいた。
思えば彼のことなんて、何一つ考えていなかったのだ。
縁談を拒む彼の態度を単なる照れ隠しだなんて、どうして思ってしまったんだろう。彼はまだ大人でもなくて、私の世界では高校生くらいの年齢なのに。まだ自分の将来すら一人で歩けない彼が、結婚なんて受け入れられるはずもなかったというのに。
「教育係、失格……かなあ」
そういえば最近は、自分の役目も大して果たせていない。教育係なんて言っておきながら、いつも誰かに助けてもらってばかりだ。本当なら、私が一人でカイ君をしっかり立たせなきゃいけないというのに。
いつの間にか誰かに頼ろうだなんて、甘い考えを背負っていた。
胸を締め付ける後悔と共に、意識はゆっくりと落ちていった。
扉を叩く音に目を覚ます。あれからどれだけ眠っていたのか思い出せない。どころか、森を抜け出す間も眠り続けていたせいで、体の感覚が完全におかしくなっている気がする。
疲れの取れない体を引き摺りながらも、音のした扉を開ける。本音を言えば来客など無視して好きなだけ眠り続けていたいが、ここは自分の家ではないのだ。
扉の外にいたのは、セアドさんだった。以前にも何度かこんな光景を見た気がするけれど、場所が違うからかなぜだか新鮮な感じがする。
「お疲れのところ申し訳ございません。これからカイ王子とエリヴィラ姫との対談がもう一度開かれるので、ぜひご同席いただきたくお迎えにあがりました」
「……対談って、縁談ですか?」
「話題には上がるでしょうね」
いつまでもエイス王国に長居するわけにもいかないし、セアドさんとしても早く話に決着を付けたいのだろう。
だけど、カイ君の本当の気持ちを知ってしまった以上、縁談は取り止めたい。その旨をセアドさんに伝えようと口を開きかければ、彼は目の前に手を出してそれを制した。まるで言いたいことはわかっている、とでも言っているようだ。
「その前に、少々お時間を頂けないでしょうか。わたくしからも、アンナ様にお話がありますので」
含みを持った言い方に、渋々了承する。
相変わらず何を考えているのかわからないセアドさんに、どれだけ詮索したところで無駄なのは学習済みだ。大人しく部屋へ招き入れ、話を聞くことにした。
部屋に置かれた椅子に腰掛けるセアドさんにやや距離を置く形で、ベッドの端に座る。別に警戒しているわけじゃないが、なぜだか彼には近寄りがたいのだ。部屋に二人きりといったって、取って食われるというわけでもないのに。
彼はさっそく話を始める。いつもと変わらない穏やかな口振りで。
「結論から申しますと、王子とエリヴィラ姫との婚約の確率はゼロになりました。これ以上の進展は望めないでしょう」
「やっぱりですか。というか、だったら縁談はどうするんですか」
「勿論、姫には失礼ながら縁談を辞退させていただく旨をお伝えします」
残念なお知らせだというのに、セアドさんは随分と落ち着いている。饒舌で縁起の得意な彼なら本意でなくとも落ち込む素振りを見せそうなものだというのに、明らかに様子がおかしかった。
恐らく、話はこれだけで終わらないのだろう。ただ縁談を辞退して、それが上手くいったとしても、帰還の際に国王に報告のしようがないのだから。
問題は、その後の行動なのだ。それについて彼は話しにきたに違いない。
「しかし国王は、王子が縁談を拒否したと知ればお気を悪くされるでしょう。どころかわたくし共にも火の粉が降りかかるかもしれません。それだけは避けたいところなのです」
「じゃあ、どうするんですか? 縁談の見込みもないままで、王様の機嫌を損ねるのは免れないと思うんですけど」
「はい。このまま何の成果もなく帰国するつもりは毛頭ございません。ですからこれは自暴自棄とも思えますが、一つの策を考えたのです」
策という言葉にいい気はしない。今までセアドさんの策を何度か実行した試しがあるけれど、結果はそう上手くいかなかった覚えがある。
とはいえ今回の件に至っては、私にもお手上げだった。状況を打破するために猫の手でも借りたい今、そう選り好みをしている余裕はない。まずはセアドさんの策とやらを聞く、それにどう思うかはそれから先だ。
私が聞く体勢に入ったのを確認して、彼は勿体ぶるように長く言葉を溜める。
そして、とんでもないことを口にした。
「王子とアンナ様が婚約なされば良いのです」
聞き間違いではなかっただろうか。
何度目の前の大臣に確認したところで、返ってくるのは同じ言葉、同じ趣旨。わけがわからないと混乱する私をよそに、セアドさんは笑いを堪えながら言う。
「その理由は、後ほどわかると思われますよ」




