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何がどうなっているのか、説明が欠落しすぎている。困惑しながらも、カイはただ目の前の現状を目に焼き付けていた。
エリヴィラ姫と共に山脈方面へと向かい森を抜けだそうとしていた矢先、進行方向から現れたその人物に夢でも見ているかのような気分だ。いや、できれば夢でも会いたくなかった。
恐らく自分を探しにきたであろう、そしてエリヴィラ姫と共に崖から落下したと推測できる教育係。そして彼女を軽々と背負ってここまで歩いてきた、自国の隣に位置する砂漠の国の王子。なぜこの男がここにいるのか、それが最大の謎だった。
とはいえ、今は彼がエイス王国を通過できるはずもないのにここにいる理由など考えられる余裕はなく、誰かが言葉を発するまでただ待つしかなかった。
そして口火を切ったのは、雪の国の氷のような姫君の鋭い声。
「貴様、ここにいる意味がわかっているのか? エイス王国の領土を土足で踏み荒らしたこと、罪に値するぞ」
「そう怒るなって、ちょっとお邪魔しただけで手ぇ出してねえんだから。つーか、なんでお前らがこんな森にいんだよ。大方アンナちゃんが関わってんのはわかるが、お前ら王族が仲良く散歩するには長すぎる経路だぞ」
「教える義理はない。この場で貴様を裁く!」
比較的平和的にこの場をやりすごそうとするゾラン王子に対し、エリヴィラ姫は聞く耳を持たない。どころかすでに臨戦態勢にでも入っているかのように、殺気すら感じられた。
このときばかりは認めたくないけれど、ゾラン王子の味方になりたいと思った。これだけ疲弊しきっている中で、戦いなど始めても無意味だ。
仕方なく姫の説得をしようと試みるも、彼女の視線は目の前の男から微塵も離れない。
まるで何か、彼に対して深い怨恨を抱いているように思えた。
ゾラン王子も説得は無駄だと悟ったのか、背負っていたアンナを木の傍に降ろし、腰に差していた鞘から剣を抜いていた。女好きのこの男のことだから応戦はしないだろうが、緊迫した状況下には変わりない。
それよりも、もう夜も更けてこようとしているのに、こんなところにいつまでも留まっていては危険だと思うのだが。
勿論、こんな状況を作った原因の大元がカイ自身であるとは、自覚しているつもりだが。
「領土を踏み荒らした罪! そして私に恥をかかせた罪! 死をもって償え!」
「ちょ、ちょっと待て! 領土侵入はこの際認めるが、俺がいつあんたに恥をかかせた!?」
「覚えていないだと……? もはや釈明の余地はない!」
あれだけ冷静な態度を変えなかったエリヴィラ姫は、想像もつかないほどに怒り狂っていた。その姿は憤慨する一国の姫というより、孤軍奮闘しているような軍人の様子だ。
姫は片手を天にかざすと、そこから凍てついた空気が広がり始めた。ただでさえ寒い空気が極寒へと変わり、慣れてきた寒さにも再び体が震え始める。
集められた冷気は、やがて気体から物質へ変化し、それは何十本もの氷の矢へと変化する。空中でシャンデリアのように輝いていた嚆矢は、次の瞬間ゾラン王子目掛けて豪雨のように降り注いできた。あまりの光景に思わず目を瞑ってしまう。
あんなものを食らったら、いくら強靭な肉体だったとしても死にかねない。恐る恐る様子を確認すると、しかし想像していたような残酷な光景はどこにもなかった。
「っぶねえ……殺す気かよ」
地面に片膝をついた状態で、王子はそこにいた。その周囲には彼目掛けて落ちてきた氷の矢が、折れた状態で地に突き刺さっていた。
こんな危険な技を繰り出したエリヴィラ姫も驚異的だが、それ以上に攻撃をすべて回避したゾラン王子もただ者ではない。さすがに余裕がなかったのか髪が乱れ服も少し破れていたが、まったくの無傷と言っても過言ではない。
エリヴィラ姫は強大な氷魔法を使えるにも関わらず、魔法に頼らず己の肉体を駆使して戦ってきた努力家の天才だ。そんな彼女と互角の力を持つ、魔法も使えないこの男はそれ以上に格上だというのか。
戦争を散々続けてきてなおフレーメが滅びなかったのは、彼の力のお陰だとでも言うのか。
決して手を抜いたわけではないというのに掠り傷一つ付けられなかったのが不服だったのか、エリヴィラ姫は苦々しい表情を浮かべている。
「くそ……貴様を殺すために日々鍛錬を重ねてきたというのに、なぜ……」
「おーおー、よくわからんが相当恨まれてんな。ま、可愛い女の子とはいえ簡単に殺されてやるわけにもいかねえんだわ」
「女扱いするな! 私はエイス王国軍総帥、エリヴィラ・エイスだ!」
再び魔法を発動しようとするエリヴィラ姫をよそに、カイは木にもたれて休んでいるアンナへと目を向ける。
落下してきたために服も髪も汚れ、酷く疲れ切った顔をしている。大した怪我はなさそうだが、つらそうなその表情を見るだけで胸がじんと痛む。
あのとき、自分の勝手な我儘で城を飛び出さなければ、アンナはこんなことにならなかった。どころか、自分のせいでここまで困らせることもなかった。
だけど、いくら王族だからと割り切っていても、国の都合で勝手に初めて会うような相手と婚約させられそうになるのは耐えられない。王族の嫡男である以前に一人の人間なのだから、自分の将来は自分で決めたい。
それが我儘に過ぎないとはわかっていても。
「おい、坊ちゃん! ぼけっとしてんじゃねえ、逃げろ!」
ゾラン王子の呼びかけによって意識を現実に戻されたときには、カイもただの傍観者ではなくなっていた。姫の魔法により発生した冷気の突風が周囲を駆け巡り、その風圧と鋭い冷たさに体が吹き飛ぶ。後ろにあった木の幹にぶつかったから大した怪我にはならなかったが、ぶつかった背中が痛い。
とはいえ、それだけの痛みで済んだだけでもましだろう。冷気のせいで髪もパリパリになってしまったが、今は気にしていられない。
状況を確認するべく前方を見ると、今もなお冷静さを欠いているエリヴィラ姫の攻撃を、ゾラン王子がなんとか回避し続けている。一向に進展しないやりとりをよそに、カイは目の色を変える。
事態が白熱しすぎて、エリヴィラ姫の攻撃がアンナのいる場所まで迫っていた。その事実に誰一人として気づいている者はおらず、このままでは何の関係もないアンナが被害を被りかねない。
震える体を叱咤して、攻撃に注意してアンナのいる場所へと走り出した。
「アンナ! 大丈夫か!?」
掛け寄って声を掛けても反応はない。随分と疲れているのか、これだけ大きな騒音のする場所でも目を覚ます気配がない。今は大して状態は酷くないと言っても、このまま夜を迎えることになれば寒さと隊長の悪さで病気になるかもしれない。
そうだ、今は戦っている場合ではないのだ。エリヴィラ姫がゾラン王子に何を怒っているのかはわからないし、どれだけ正論を唱えたところで言葉は届かないかもしれない。
それでも、アンナを放っておくわけにはいかない。
「おい……もう、やめろよ……!」
どんなに声を掛けたところで、彼らに自分の声は届かない。
当然だ、白熱しているしていない以前に、この中で一番立ち場が低いのはカイなのだから。弱い立場の声など、そう簡単に届くはずもない。
攻撃を避け続けていたゾラン王子も、そろそろ攻撃を見切ってきたのか余裕を取り戻し、楽しげな表情すら浮かべている。それに比例するように、エリヴィラ姫も戦いを過熱させる。
もはやこの二人に声など届かない。なら、どうすればいい。今の自分にできるのは、それを解決するために考えることだ。この不毛な争いを終わらせるために、アンナを助けるために。
「やめろって……言ってんだろ……」
戦いは嫌いだ。
人が死んで、傷ついて、それで得た勝利なんて全然輝かしいものなんかじゃない。まだ子供のカイでさえわかりきっていることなのに、それでも人は戦いをやめようとしない。無駄だとわかっていて、何かを失うとわかっていて。むしろ失うことを美徳だというように。
どんなに言葉で制したところで、すべて解決できないのもわかっている。それでも暴力で何かを解決することだけは、やりたくなかった。
やりたくなかった、けれど。
「やめろって言ってんだよ!」
杖を片手に叫ぶ。
想像するのは今まで試してきて何度も失敗に終わった、あの神話上の怪物。別に暴力で事を制すつもりはなく、強力な存在を前に彼らの戦意を喪失させられればそれでよかった。
また失敗して、異世界の人間を召喚するかもしれない。あるいはまったく違う生物が召喚されるか、不発に終わるか。どちらにしろ、これだけ疲労の溜まった状態では成功する確率などたくさんある星からお目当てを一つを見つけ出すようなものだ。
それでも今、カイにできるのはこれしかない。これでなければいけない、とさえ思えた。
眩い閃光と突風を生みだして現れたのは、人間でも自然にいる生物でもなかった。
召喚されたその生物に、ゾラン王子もエリヴィラ姫も戦いをやめて呆然とこちらを見つめる。立ち尽くす彼らを、凶暴な双眸が睨みつけていた。
トカゲのようなごつごつとした肌に、大きく広がった双翼。爬虫類のような双眸がぎらつき、口は大きく鋭い牙が並んでいる。四本の足は太くしっかりと地を踏み込み、胴体は人一人が乗ってもびくともしなさそうだ。
明らかにこの世界にはいない、空想上の生き物。
ただ一つ想像していたものと違うのは、その大きさだった。すべてを破壊し尽くした神話の生物にしては、その大きさはあまりにも。
「……おい。これ、俺の記憶が正しけりゃ、神話に出てくる怪物レガイアだよな」
「う、うん」
「それにしては……随分と、その……幾分か、図体が……」
「……」
あまりにも、小さい。
獰猛さや強靭さは感じられるけれど、本当にこれが世界を滅ぼすような怪物なのかは疑わしい。滅ぼせるといっても、これでは精々ここら一体の森林を焼き尽くすまでだ。
せっかく成功したというのに、長年の夢が達成されたというのに、なんと呆気ない成功なのだろう。自分の力不足か、あるいはもとから神話はでっちあげだったのか。
落胆していると、状況を理解できていない怪物は目の前の男女を敵だと認識したのか、大きな口を開けて突然炎を吐き出した。慌ててそれを回避するも、避けた先の木々が燃え盛る。エリヴィラ姫が魔法で作った氷で消火に当たるも、火の勢いに追いつかない。
そうしている間にも、怪物レガイアはカイたちを視界に捉えて離さない。今にも第二波が繰り出されそうな勢いに、さすがに危機感を覚える。
「おい、これどうするんだよ……! お前の言うこと聞かねえのか、この怪物!」
「し、知らないって!」
「とにかくここにいては危険だ! 全員直ちに避難するぞ!」
「ちょっ、アンナはどうするんだよ!」
「俺が背負ってく! 恐らくあいつは俺達を敵だと勘違いしてんだ、視界から消えれば大人しくなるだろ!」
エリヴィラ姫を筆頭に、王族三人と教育係は森を失踪し始める。それに気づいた怪物も追いかけ始め、事態は一向に予断を許さない。
二人の争いは止められたというのに、結局何も変わっていないような気がするのは気のせいだろうか。
とにかく今は逃げなければ。でないとここにいる四人全員、生きて帰ってこられない。




