頼まれる
到着早々雲行きが怪しくなってしまった。もともと縁談の主役である二人が乗り気でないのだから、こればかりは勝手に取りつけた大人にも非があると言わざるを得ない。だけどこんな展開、誰が望んだだろう。
イゴールさんに用意された客室で一人、溜息をつく。部屋は各自用意されているので、きっと今頃カイ君は溜まった怒りを発散しているに違いない。下手に慰めに行くような勇気はなかった。
あのお姫様、エリヴィラ姫もあんまりだ。確かにカイ君は王子にしては頼りない。頼りないけれど、初対面であんな風にずけずけと言えるその神経がすごい。
やっぱりまだ、カイ君には早過ぎたんだと思う。彼女の言葉に同意するわけではないけれど、彼はまだ王子として、王族として未熟なのだ。しっかりと一人で堂々と行動できるまでは、婚約なんてまだ先の話だったと思う。
過ぎてしまった過去をどうこうできるわけでも、ないのだけど。
しばらく何をするでもなく部屋で一人退屈する。こうして自分の部屋でもない場所で大人しくしているのは、フレーメでの人質生活を思い出してあまりいい気分ではない。
何かしようにも暇つぶしになりそうなものは置いてないし、窓から白銀の世界をただ眺めていると、不意に部屋をノックする音が聞こえた。セアドさんだろうかと扉を開ければ、訪れたのは意外な人物だった。
「えっと……エリヴィラ、姫?」
「貴様、確かあの王子の教育係だったか?」
「え、ああ……はい」
「ならば貴様に話がある。中に入れてもらいたい」
突然の訪問に戸惑いながらも、拒む理由もないので中に招き入れる。彼女はさっきのことをまるで気にしていないような涼しい顔で、部屋に置かれている椅子に腰掛けた。
こうして見ると、私よりも幾分か年下に見えなくもない。年もカイ君と同じくらいだろうか、近くで見れば年頃の女の子らしい顔つきになぜだか安心してしまった。国軍総帥だなんて言っていたから、ゾラン王子ではないが戦闘好きなのかとばかり思っていた。
しばらく二人で向かいあう形になって、沈黙が続く。話があるなんて言った癖に中々切り出してこないのに不審がっていると、ようやく彼女は口を開いた。酷く遠慮がちな声音だった。
「……その、さきほどは言いすぎた。悪かった」
「な、なぜそれを私に……カイ君、王子様に直接謝ればいいのでは?」
「直接など言えるか! どうせまた喧嘩腰になりかねん!」
なるほど、どうやらこの中で一番話しやすそうな私に、とりあえず謝っておきたかったらしい。直接謝る方が効果的だと提案するも激しく拒否されるところを見ると、その姿がカイ君とよく似ているような気がした。
お互いに性格が似ているからこそ、馬が合わないのかもしれない。
だとしても、いつまでも二人の関係を拗らせたままというわけにはいかない。このまま仲が悪化し続ければ、将来的に二人が結婚しないで王と妃になったときに、両国で戦争が起こるなんてことだってないわけではないのだ。確率がどんなに低くても、絶対に起きないとは言い切れない。
でも、直接でなく身近な存在の私に謝りに来ただけでも、彼女は本当は理解のある性格だということがわかる。このまま関係を悪化し続けたくないと思っているのかもしれない。
むすっとした表情のエリヴィラ姫を宥めていると、彼女はふと何かに気づいたように私に問いかけた。
「そういえば、貴様今、あの王子のことを名前で呼んでいなかったか?」
「え? ああ、本人が堅苦しいのが嫌いだからって、そう呼ぶように言われたんです」
今ではすっかりその呼び方も定着してしまって、セアドさんたちも私たちが友達のように呼んでいることに気づいてはいるものの、特に何も言ってこないので気にもしなくなっていた。だけど本来、王子と教育係が親しげに呼び合うなんて、珍しいことなのだろう。
特に彼女はそれが気になって仕方がないのか、本人のお願いだと説明しても納得した表情を見せない。一体私がどのような教育をしているのか甚だ疑問だと言わんばかりの表情である。
「お前はあの王子を甘やかしすぎだ。あの王子にどのような事情があろうと、あのような接し方では立派な王族として成長できなくなるぞ」
やはり言われると思っていた言葉を投げ掛けられる。
だけどそれ以上に、彼女の言っていることは正しかった。正直、私があんな風に仲良く接しているから、カイ君はいつまでも自分が王子である自覚がないのではないかと思わなくもない。彼の性格がこうなったのはつい最近のことではないし、私がこの世界に来る前から色々な問題に囲まれていたからでもある。しかし、私に非がないかといえば、頷けない。
言い訳をするなら、私は家庭教師をやっていただけで、生徒の性格や悩みにどうこうアドバイスできるような器量はない。だけど教育係はただ勉強を教えるだけではない。彼の心を開いた私に周りが期待していたから、自分なりに応えていただけ。
それを間違っていると言われたら、もう教えることなんて何もなくなってしまう。
「確かに私は、彼を甘やかしすぎていたのかもしれません。彼はたくさん傷ついてきたから、なるべく刺激させないようにと優しく接してきたのも事実です。だけど、ただ悪戯に厳しく王族としての教育をさせるのは……彼の心が、育たないと思います」
「心……?」
「彼は王族であり、第一皇子です。だけどそれ以前に一人の人間だから、私はあくまで一人の人間として成長してほしいと思っています」
エリヴィラ姫が見ていたのは、一国の王子としてのカイ君だ。縁談なのだから王子として見るのは当然だけど、王子としてのカイ君に魅力なんて感じられないのもまた当然だと思う。自分で言っていてすごく失礼だけども。
彼女が言いたいのは、カイ君を王子として見ろということだ。友達感覚で教えていても、勉学は身についても礼儀作法は身につかないと言いたいのだろう。それは正しいと思う。思うけれど、それでも。
これは彼にもとの世界での教え子を重ねている、私の我儘でもあるのだ。
説得が効かないとわかったのか、姫は諦めたように小さく溜息をついた。折角親切にアドバイスしてくれたのに、悪いことをしてしまった。
「ごめんなさい、でもこれだけは変えたくないんです」
「いや、いい。私も初対面の相手に無理を強いるつもりはないからな。ただ、あの王子の将来が心配になっただけだ」
「……気になるんですか?」
「違う、断じて違う。同じ王族の立ち場として心配してやってるんだ」
やっぱりこういう素直じゃないところは、カイ君にそっくりな気がする。それを言ったら多分、怒られるのだけど。
だけど、姫の心配は杞憂にしかすぎない気がする。確かに私一人では、彼を一人前の王子にすることはできない。それはちゃんと自覚している。だから私にできないことは、他の城の人たちに助けてもらえばいい。何も一人で彼をどうこうしようとしなくてもいいのだ。
それに、こうしてカイ君と友達のように接していなければ、ここまで心を開いてはくれなかっただろうから、今さら態度を変えても意味などない。
「それにしても、貴様は随分と変わった教育係だな……一体どういう経緯で、その若さで教育係になったんだ?」
「えっと……驚かないで聞いてほしいんですけど、私はカイ君……王子に異世界から召喚されてきたんです。それで成り行き上、彼の教育係になったんですけど」
「異世界……そんなものが」
「私にとっては、この世界こそ異世界なんですけどね」
フレーメではニケさんのスパイ活動もあって、こんな説明もせずにあっさり受け入れられていたけれど、他国では私のことを知る人間なんてほとんどいない。だからこうして改めて自分を紹介するのが新鮮だった。
姫は多少驚いていたけれど、魔法がどこにでも存在するこの世界ではさほど驚くことでもないし、カイ君が召喚魔法を使えると知っていたからか、案外すぐに平静を取り戻していた。
そういえば、この世界に召喚されてからもう長いことここにいる気がする。最近はフレーメとの関係やらで忙しさを極めて、そんなことすらどうでもよくなっていた。だけど私はあれからずっと、もとの世界に帰れないでいるのだ。その事実が胸にちくりと突き刺さる。
こうやって皆と一緒にいられるのは楽しい。時間が許す限りは、もっと仲良くなりたいとも思う。だけど本当にこのままでいいのだろうか。もとの世界に戻る方法を探さないで、そのうち帰れるかもなんて根拠のない理由に甘えて。
一番見つめ直さなきゃいけないのは、私の甘い考えじゃないだろうか。
初対面の人間にそんな話をさせてしまったことに多少なりとも罪悪感を覚えたのか、エリヴィラ姫は気まずそうに目をそらす。彼女が根っからの無神経だとは思っていないので、嫌な気はしない。むしろ、そんな風に気を使わせてしまった自分の方が悪いとすら思えてしまう。
「いきなり踏み込んだことを言わせたな……すまない」
「いえ、気にしないでください。この年齢で教育係ってだけでも驚かれますし、それについてはよく聞かれるので」
「そう、か……ところで、まだ名前を聞いていなかったな。名は何と言う?」
「えっと……アンナ、です」
言われてみればまだ名前なんて言ってなかったかもしれない。この国に訪れてから、主に話をしているのはカイ君やセアドさんだけだ。私が口を挟む隙なんてなかったし、まさか私が直接姫とお話しする機会を持つなんて思っていなかった。
今まで苗字までちゃんと名乗っていたけれど、日本人特有の苗字はヨーロッパ文化圏に近いこの世界ではなんとなく目立ってしまう。異世界人の事情をある程度知っているレーゲンバーグならまだしも、他の国では変に気恥しくなってしまう。
「ふむ、アンナか。覚えておこう、お前とは色々と話したいと思っていたからな」
「話したいこと……ですか?」
「ああ。あの王子について詳しく知っているのはお前だと思ったんだが、違うのか?」
「いえ、間違ってはいないですけど」
色々話したいだなんて、何を聞いてくるつもりなんだろうと不審に思っていれば、思いもよらない言葉が返ってきた。
まさかあれほど倦厭していたカイ君について聞きたいなんて言ってくるのは、本当は彼のことを少しでも気になっているからだろうか。
そのことを問いかける前に、察していたらしい彼女は光の速さで否定した。
「言っておくが、あの弱弱しい男に微塵も惹かれるものなどないからな」
「あ、そうですか……はは……じゃあ、なんでカイ君のことを知りたいなんて言ったんです?」
「いや、興味を持ったのはあの男じゃない。むしろアンナ、お前の方だ」
「……私?」
いよいよわけがわからなくなってきた。このお姫様は、私の耳が間違っていなければ渡しの方に興味があると言わなかったか。
まさか彼女が男性ではなく女性に惹かれる性質の持ち主だったとしても驚くだけで引いたりはしない。でも、仮にもしそうだとしたら、私はそれを断らなければいけない。彼女が男のような恰好をしているのも、そういう理由であればなっとくもできるけれど、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
姫の発言に絶賛混乱中の私など気にもせず、彼女はちゃんと自分の意思が伝わっていなかったのを見抜いてもう一度説明した。
「私が知りたいのは、お前のその教育方法だ。我が国の軍事にも何か活かせることがあるかもしれん、迷惑でなければぜひ協力してほしいのだが」
「……あ、そういうことですか」
今まで何を勘違いしていたのだろう。急に恥ずかしくなってきて、穴があったら入りたい。できれば三日くらい地上には戻りたくない。
それにしても、私のバイト程度のスキルをどうやって軍事に活かそうというのだろう。
彼女が婚約できない理由がわかったような気がした。




