終える
見なれた風景が見えてきた。初めてこの世界にやってきたときに見た、あの新鮮な風景は懐かしさへと変わっていた。
レーゲンバーグへと戻ってきたのは、フレーメ帝国を出発してから三日目の朝だった。突然一羽のダチョウのような鳥に乗って現れた私たちを迎えたのはゲルハルトさん率いる城の兵士たちで、まるで不審者のような私たちを見た彼の表情は、硬さの中に安堵を含んでいたように思う。疲れ切った顔の私たちを、彼らは優しく城へと迎えてくれた。
私もカイ君も早く部屋に戻って爆睡したい気分だったが、しかし突然帰ってきた王子と人質から釈放された教育係を、城の人間がそう放っておくはずもなかった。早速兵士たちから知らせを聞き付けたセアドさんと鉢合わせしたときには、絶対にしばらく返してもらえないだろうと覚悟したくらいだ。
「王子、アンナ様! ご無事で何よりでございます! アンナ様が拉致されたと知らされたときには食事も喉を通らず、さらに王子がお一人で救出に行かれた際には夜も眠れませんでした……!」
「その割には元気ですね……それで、私たちはこれからどうすればいいんですか?」
「はい、その件でお迎えにあがりました。まずは国王が今回の件について詳しく話をお聞きになりたいようでございますので、王室へご同行お願いいたします」
国王の名前を聞いた途端、カイ君は露骨に嫌そうな表情を浮かべた。隙をついて逃げ出そうと試みようとした彼を予測していたのか、背後についていた兵士たちが自然と道を塞ぐ。彼の行動など何パターンでも予測していたのだろう。
セアドさんに連れられて城内を歩きながら、王室を目指す。精神的にも肉体的にも疲労がピークに達していたが、絞りかす程度の気力を振り絞って足を動かす。カイ君に至っては疲労と国王に会うことへの気分の沈みから、何度も足をもつれさせていた。
王室の前に辿りつき、兵士によって扉を開けられる。王室に入るのは数えられるほどだが、独特の威圧感は何度訪れても直るものではない。
玉座に腰掛けた王様と目が合う。引きこもっていた息子が無事に役目を果たしてきたのに驚いているような、そんな表情に感じられた。
「フレーメ帝国との会談、ご苦労だった。無事に人質も取り戻せたようだが……しかし、貴様一人だけか?」
ニケさんの姿がないことに気づいた王様に、慌てて説明を始める。なるべくニケさんが悪者に感じられないようにフォローしながら弁明をすると、王様だけでなくセアドさんも多少驚いたような表情を浮かべる。恐らくここにいない時点で、フレーメ側で何かがあったのだろうと予測していたに違いない。その何かは、最悪死に至るものだろうと。
王様はそのことについて、深く言及はしなかった。どうやら私の説明で理解してもらえた、と判断していいのだろうか。
それから、フレーメ帝国の要求と、その要求に応じてカイ君が助けたこと、フレーメとこの国の戦争を考え直すといった、持ち帰ってきた情報すべてをそのまま報告した。勿論カイ君が頑張ったことに関しては念を押すように説明した。
なぜ私一人が説明しなければいけないのかわからないが、カイ君は城に戻ってから一年分話しきったかのように黙りこくっている。しかし王様はカイ君の活躍を無視することもなく、単純に感心しているようだった。
「なるほど、わかった。時にカイ……よくやったな」
国王ではなく、一人の父親としてのねぎらいの言葉に、カイ君はそこでようやく顔を上げる。褒められたことがそんなに意外だったのか、しばらく目を丸くして王様を見つめる姿はなんだか滑稽だった。
それから王様から幾つか質問を受けるも、それを卒なく答え話を終えた。王室を出ればすぐに解放されるかと若干期待していた私とカイ君だが、しかしセアドさんが私たちを離そうとしなかった。もう少し話をしたいと言って、私たちを応接間へと連れていく。
セアドさんから話を持ちかけられるなんて、彼の饒舌が発動されたときには意識が飛んでしまうかもしれない。覚悟を胸に言葉を待っていると、しかし投げ掛けられた言葉は、いつもより随分と元気のないものだった。
「それで……ニケは本当に、もう帰って来ないと?」
「は、はい……もともと私たちを裏切って働いていたことに罪悪感を感じて、会わせる顔がないといった感じでしたし……それに、今は自分の育った村を豊かにするために残るって決めたみたいなので」
溜息と共に、「まったく、最後まで馬鹿な子だ」と苦笑交じりにセアドさんは言う。使用人を統括する立場の彼にとって、ニケさんはメイドとしては破天荒すぎるほどに問題児だったけれど、それでいて可愛い部下だったのかもしれない。やはり彼女を失うということは、想像以上に城全体が暗くなるようだ。
だけど彼女の意思を尊重してあげたいと思ったのも確かだし、騙していたことは悪かったとしても、彼女を責める気にはなれない。だから許してほしいと訴えれば、セアドさんは意外な答えを返して来た。
「最初から彼女が裏切っていることなど、わかっていましたよ?」
「え?」
「わたくしがそれほどに抜けている男だとでも思いますか? ましてやろくに仕事もきっちりこなせない彼女のスパイ活動など、気づかないわけがございません」
「え、ええ? じゃあどうして今まで」
困惑している私をよそに、セアドさんはしばらく黙って笑っていた。彼女の幸せを祈っているような、どこか寂しいような笑顔だった。
「ニケが城にいるときにわたくしが本性を暴いたりすれば、彼女は国王に処罰されていたかもしれませんからね……そういう意味では、わたくしも共犯者なのです」
「じゃあ……ニケさんを助けるために?」
「さあ、それはわたくしにもよくわかりません。ただ、彼女がフレーメで何らかの処遇を受けるかもしれないという危惧もありました。実際のところ、わたくしにも賭けだったのでございます」
ゾラン王子にとってカイ君との交渉が賭けだったように、彼にとっても賭けだったのだろう。すべてを知っていて、それでいて事を成り行きに任せた。言い方は悪いかもしれないが、あえて運命に任せる決断をしたセアドさんも、大きな不安を抱えていたのだろう。
だとしたら、これはセアドさんの望む結果とはいかなかったけれど、しかし最悪の結果ともならなかったことになる。遠く離れた地で元気にやっているニケさんの報告ができただけでも、大きな成果だ。
それにしても、いつから気づいていたのか知らないが、スパイ活動をしていたニケさんを黙認しながらもバレないようにフォローしていたのだと思うと、ますますセアドさんの力量の大きさに驚きどころか恐怖すら感じる。この人にできないことなんて、本当はないんじゃないだろうか。
そろそろ本気で眠くなってきたカイ君に気づいたのか、セアドさんは引き止めてしまったことを謝ってきた。
「長旅でお疲れでしょう、ごゆっくりお休みください」
「そうする……アンナ、お前も疲れてんだろ? もう休もうぜ」
「うん……でも、私はもう少しここにいるから、一人で戻ってて」
「……わかった」
残ると言い出した私に疑問を抱くも、疲れ切っていたカイ君はそれほど気に留めなかった。ある程度一人で行動できるようになった彼は、素直に一人で自分の部屋へと戻っていく。
ここに残った私にセアドさんは気になっていたようだが、私が話をするまでは何も語ろうとしなかった。勿論私もカイ君同様に疲れが溜まって今すぐにでも寝たいのだが、同時にすごく、心が弱っていた。こんな弱音をセアドさんにぶつけるなんて失礼だとわかっているが、カイ君にはなんとなく聞かれたくなかったのだ。大した理由はないのだけど。
勇気を出して一度零した弱音は、次第にぽろぽろと崩れていくように口から飛び出していく。
「向こうの国で、色々考えてたんです……私はここに来てから、変わってしまったんじゃないかって」
「変わった、とは?」
「なんていうか、気のせいかもしれないけど、変に前向きすぎるっていうか。この世界に来る前は、私は普通の学生で、将来に不安を覚えて怯えているような人間だったんです。前向きになろうにも不安だらけで足が竦むというか……だから、今こうして色んな人を励ましている自分が、おかしくって」
何もおかしいことじゃないのかもしれない。単に違う環境に飛ばされて、目の前の悩みから解放されただけだともとれる。自分の心配がなくなれば、周りに目を向けるのも当然のことだ。もとに戻る方法がわからなくても、戻れないうちはできることをしていようなんて、それはただの現実逃避じゃないだろうか。
もとの世界に戻れないからこそ、私は本来生きるべき現実から逃れているような気がして。
そんな私に「落ち着く」だとか「努力している」だとか、そんなことを言ってくれる人たちがいる。だけど感謝の言葉は嬉しいはずなのに、素直に受け取れない。どころか、現実と向き合おうとしない自分に罪悪感すら感じる。
私はどうしたらいいんだろう。そんなことは自分で考えるしかないのもわかっているのに、考えれば考えるほど底なし沼にはまっていく気分だ。
こんなことを相談したところで、セアドさんだって返答に困るに決まっているのに。
私は、馬鹿だ。
「何もおかしいことなどないように、思えますが」
セアドさんは至極真面目に答える。別に投げやりな態度には見えない。かといって慎重に言葉を選んでるようにも思えない。自分の思ったことを素直に言っただけ、と言わんばかりの表情だった。
「アンナ様がご自分の世界でどのように生活なさっていたのかは、わたくしの知るところにございません。ですが、急に前向きになったと仰るあなた様をおかしいとは思えませんが」
「そう、ですかね」
「ご自分を卑下されすぎだと思いますよ。私は才能も何もない凡人だと決めつけているのは、アンナ様ご自身なのでは? 才能とは周囲からでないと見えないものだと聞きますし、アンナ様にはそれが見えていないだけかと存じ上げます」
「才能って……私、一体何の才能があるって言うんですか」
ああ、これじゃあまるで八つ当たりだ。自分の発言にますます落ち込む私に、顔色一つ変えないセアドさん。こんなどうしようもない人間への対応も、彼の頭の中には叩き込まれているのだろう。
だけど私にも才能があるというのなら、教えてほしい。皆をそこまで前向きにさせる私に、何があるのか。
しばらく考えていたらしいセアドさんは、やがて口を開き答える。
「これはあくまで仮説なのですが……もしかしたら、アンナ様も魔法をお使いになれるのではないでしょうか?」
「……え? でも、私、異世界から来たんですよ?」
「ですから、あくまで仮説にございます。王子に召喚された際に、何らかの拍子に魔法の才能を手に入れたと考えてもおかしくはありません。それにあなた様はこの国の言語を、最初から知っていたのでしょう?」
「ああ……確かに、知らない言葉でしたけど」
「だとしたら、可能性はございます。周囲の人間の気持ちを変化させる魔法……そんなものがあっても、おかしくはないと思いますよ?」
そうは言われても、私にも魔法があるのかもなんて簡単に信じられるわけもなく、セアドさんの仮説には何の反応もできなかった。異世界人だけど実は魔法が使えました、なんて純粋に信じられるのは中学生の頃までだ。二十歳も過ぎた女が魔法使いだなんて、なんだか字面的にも痛々しい。
それに眠気の方もすでに限界突破し、これ以上まともな会話ができそうにないと判断したので、わざわざ愚痴を聞いてもらってもうしわけないが部屋へと戻ることにした。
とにかく、今回のフレーメの件は無事解決できたし、カイ君も自ら外に出るまでに前向きになれたと思う。私の成果と言うつもりはないが、着々と役目を果たせている実感はあった。
案外、もうすぐこの世界ともお別れが来る予兆なのかもしれない。
第二章完結です。長々と続いてしまいましたが、次の章かその次の章で本編完結です。
しばらくお付き合いくださると嬉しいです。




