できる
カイ君がフレーメにやって来てから三日が経った。その間のんびり隣国を観光していたわけもなく、ゾラン王子からの要求を達成するために短期間ながらもできることを行っていた。
リベルトさんの同行(という名の監視)のもとで、私とカイ君はフレーメ帝国の城下町から外れた、貧困地域のはずれにある空き地に訪れていた。空き地といっても、もとはここに泉や木々があったらしく、枯渇した後もその痕跡が今も残っている。
召喚対象を決め、問題も大方解決したところで、次に決めるのは召喚場所だった。生き物や無機物であれば場所などどこでもいいのだが、今回はそうも言っていられない。室内にオアシスを作ったところで、資源の不足は解決されないのだから。
しかし場所に至っては、それほど悩むようなことはなかった。というのも、フレーメ側の希望があったからだ。もともとあった泉を復活してほしいということらしく、だから今ここに訪れている。
それにしても、ずっと室内で生活していたから感じていなかったが、日中のこの国は物凄い暑さだ。気温も四十度を超えているのではと思うほどにじっとりと日光が刺激する。幸い城の人間が用意してくれたこの国の服を着ているので、通気性が良く暑さは多少凌げる。ただ、若干露出が多いのが難点だ。
「ここはもともと自然の不足している我が国でも唯一の泉でした。しかし今から数十年前、唐突に水が枯渇してしまったのです。原因不明の自然の消失により、我が国の貧困民の増加は爆発的なものとなりました」
「……結局、原因は今でもわかってないんですか」
「はい。目下調査中ですが、もともとこんな砂漠のど真ん中の国ですからね。単純に水が枯れてしまったと言っても、誰もが納得しますよ」
若干自虐気味に笑うリベルトさんは、謎の泉の枯渇の原因を調べるのに相当苦労しているのだろう。進展の見えない調査など、不毛な行為に思えてきても仕方ない。原因がわかればいいに越したことはないが、人間誰しも終点の見えない道のりを歩き続けられるわけじゃない。
カイ君はただ、黙って泉の跡を見つめていた。今も頭の中で、召喚の想像をしているのかもしれない。彼の魔法で重要なのは想像だ。より現実的な想像が必要となるけれど、今回の召喚は彼にとっても経験のないことだ。
なんとなく、周りを見渡す。空き地の周りには遠巻きに幾つかの家が見えたが、レーゲンバーグのように国民の賑わいは見えない。
カイ君の魔法が完成すれば、そんな寂れた状況も変わるのだろうか。それともまた、生まれた資源を王族が上手く利用して国民を手駒にし続けるのだろうか。
それはやってみなければわからないことだ。
外に出てからすでに昼をすぎ、夕方になろうとしていた。あれだけ青々としていた空も茜に染まり、一日の終わりを知らせているように見える。
あれからずっと私たちは、泉の傍に居続けていた。というのも、カイ君が動こうとしなかったのだ。何かずっと考え込んでいるかのように黙り続けている彼に話しかけても、まともな返事は帰って来ない。
さすがに一日中私たちに付き合っていられるわけもないリベルトさんは、代わりに部下を残して城へと戻っていった。彼の呼んだ部下たちは、少し離れた場所で私たちを監視している。
ただじっとカイ君の次の行動を待っているわけにもいかず、再び話しかける。これ以上待っていたら夜になってしまう。砂漠の国の夜は冷え込むのだ。
「ねえ、カイ君。今日できないようなら明日でもいいんだよ? 無理して頑張りすぎる必要はないんだから」
「……」
「……それともまだ、不安?」
「っ、黙ってろよ!」
唐突に叫ばれる。驚いて目を白黒させていると、彼は私を強く睨み、握った拳を振るわせている。何かまずいことでも言ってしまっただろうかとしどろもどろしていると、彼は一日中溜まっていた気持ちをぽろぽろと零し始めた。
「やっぱり、わかんないんだよ……」
「わかんないって、何が?」
「この国のことだ。この国の資源を召喚しなくちゃ戦争になるのもわかってる。あの王子の要求を呑む他にないこともわかってる。だけど……」
零れそうなほどに目に涙を溜めて、彼はずっと悩んでいた気持ちを吐きだす。
「だけど、俺はこの国が嫌いだ……!」
生まれる前から戦いを続けていた敵国に手を貸すことに、何のためらいもないわけがない。休戦の代わりに母親の命を奪ったこの国を、簡単に愛せるわけがない。当然だ、カイ君は神様でも何でもないのだから。
ここに来たのだって、国のために、私を助けるために来ただけで、そんな究極の選択が用意されていなければ行こうとも思わなかっただろう。休戦中の今だって、こうして私を拉致するような国なのだ。私が許せても、彼が許せるわけがない。
フレーメ帝国のために力を貸さなければいけないとわかっていても、今まで溜まっていた気持ちが溢れだして、中々行動に移せないのだろう。まだ不完全な心の青年には、割り切るだけの余裕もない。
だけど、それは。
「確かにカイ君のお母さんを殺したのはフレーメだし、敵対関係にあったのもわかる。だけどそれは、カイ君が生まれる前の話でしょう? お母さんが殺されたのも、カイ君が幼い頃だって聞いた」
「なんで、それ……」
「そりゃあ、自分の家族を殺した相手なんて許せるわけがないと思う。だけどカイ君、どうしてそこまで憎む必要があるの? ゾラン王子は今の両国の関係を変えたいと思ってる、それなのにカイ君は昔の関係を引き摺り続けている。気持ちはわかるけれど、いつまでも過去に捕らわれてたら、前になんか進めないよ」
私が言えるようなことじゃない。だけど今は、私以外に言う人間がいない。だったら嫌われたって構わない、とにかく彼の目を覚ましてやりたかった。
家族を殺された人間の気持ちなんて、私にはわからない。それがどれだけの痛みと苦しみを伴うのかも知らない。ましてや殺した相手を憎む気持ちなんて、当人以外にわかるわけがない。
ゾラン王子だって、何の責任も感じずにカイ君を呼びだしたわけじゃないのだろう。彼の心境だって、複雑な境遇だってすべて知っていて、あえてここに来させたのだ。王子もまたレーゲンバーグとの戦争に関わってはいなかったが、それでも人の命を奪う重さを知っている。
単純にまだカイ君が子供だからといって、何でも許していい状況ではないのだ。今までは彼の気持ちを考えて多少甘やかしてきてしまったけれど、こればかりは彼の味方にはなれない。
カイ君だって立派な王子だ。大人にならなければいけないのだ。
しかし悩みの底に沈んでいる彼に、私の真意などわかるはずもない。
「何、言ってんだよお前……こんな国に肩を持つっていうのか!? お前を拉致した国だぞ! 理不尽に閉じ込めて、理不尽に自分の主張を通すような国なんだぞ!」
カイ君の大声が響いたのか、離れて監視していた兵士たちが僅かに反応する。しかしそんなことに構わず、カイ君は散々フレーメへの鬱憤と私に対する猜疑の言葉を浴びせ続けた。
彼にとって、私の言っていることは想像もしていなかった言葉だったのだろう。異世界から召喚されたとはいえ、散々レーゲンバーグの人たちから恩恵を受けて生活できているというのに、フレーメを養護するような発言をしたのだから。
私がおかしくなってしまったと思っているのだ。
「俺はこんな国嫌いだ! 今すぐ怪物レガイアを召喚して、この国を滅ぼしたっていいんだぞ! そうだ、こんな国滅ぼせば戦争だってなくなるんだ……」
しかし、彼の言葉はそれ以上続かなかった。兵士たちがカイ君に迫ってきたからでもない。私が彼の頬を叩いたからだ。
突然の衝撃に何をされたのかわからなかったカイ君は、しばらく呆然と私を見つめていた。今まで誰かに叩かれるなんて経験、したこともなかったのかもしれない。だけどこれ以上彼を説得したところで、落ち着いてくれるとも思わなかった。
言葉もなく私を見つめるカイ君に、感情を抑えた声で言う。
「やりたいやりたくないじゃないの。あなたはここで、やらなくちゃいけないの。カイ君の気持ちがわからないなんて誰も言ってない。ここまで来た勇気も努力も認めているし、簡単に割り切れないのもわかってる」
「……」
「だけど、ここに来たからにはやらなくちゃいけないの。この国は、あなたにしか救えない」
国同士の諍いなんて知らずに、明日死んでしまうかもしれない人生を送っている人たちがいるのだ。それを一人の青年がやりたくないだのと駄々をこねているなんて、あまりにも傲慢な話だ。
この世界はおとぎ話だなんて言ったけれど、そんなことはない。私の世界と何ら変わらない、権力や力で大勢の命が左右される残酷な世界だ。カイ君が魔法を使って助けるか助けないか、それだけで多くの人々の人生が変わる。
そんな人たちに、敵も味方もあるだろうか。やらなければレーゲンバーグの国民の命も危険に晒される、だけどそれよりも今は目の前にある命を助けることが大事だ。
説教なんて慣れていないけれど、それなりにカイ君の心に響いてくれたらしい。彼は俯いて黙りこむ。叱った後は慰めてやらねば、飴と鞭なんて言い方は悪いけれど。
「私はね、カイ君の家族のことも知らないし、カイ君の大好きな国のことも詳しくない。だけど、今ここで何もしなければ、カイ君が死んでしまうかもしれない。私はそんな未来は見たくない。だから、やってみよう?」
なんて説得力の欠片もない言葉だろう。家庭教師の経験はあっても、私は教師ではないのだ。まだ二十年ちょっとしか生きていない小娘に、人の心を揺さぶらせるような言葉は思いつかない。
しばらくして、カイ君は俯いていた顔を上げた。その顔はまだ暗いものの、何かを決めた目をしていた。
「……できるかどうか、わかんないけど……やってみる」
「大丈夫、きっとカイ君ならできるよ」
持参してきた杖を持ち、呼吸を整え始める。彼の周りに突然風が生まれたかと思うと、それはいつにも増して強靭な突風となる。あまりの風圧に後ずさってしまうほどだ。
風とともに激しい閃光がカイ君を包み、あまりの眩しさに数秒間何も見えなくなってしまった。だけど目を瞑っていても、風と一緒に表現し難い何かが体を通り抜けていくのがわかる。これが魔法の力なのだろうか。
ようやく目が慣れてきた頃には、すでにそこは草一つ生えない荒地ではなくなっていた。
目の前に現れた、透き通るような泉。その周りを広範囲にグルンの木々が生い茂り、一瞬にして秘境の森に足を踏み入れたかのような錯覚が生まれる。
「……やった」
魔法を成功させ、脱力したようにカイ君が座り込む。これを彼一人でやってのけたのだから、本当にカイ君は素晴らしい魔法の使い手なのだ。
力の抜けたカイ君のもとへと近寄り、込み上げてくる感情をどうにかしようと彼を抱きしめる。
「やったね、カイ君! やったね!」
「……うん。本当に完成したんだ……」
すっかり太陽も落ちて暗くなった空の下、グルンの葉が淡く光り始めていた。彼の成功を祝福しているようだった。




