否定する
人質生活から数日が経って、そろそろ何もすることがなくなってきた。
暇だった。頭の中では戦争だの隣国との事情だのと重苦しい現状が圧し掛かっているのだけど、部屋から出られない限り、考えていても腐っていくだけだ。新しい情報も入ってこない、自由のないこの部屋はまるで監獄だ。
ゾラン王子は私を真面目な人間だと称していたが(撤回されたけども)、残念ながら私はそれほど単純な性格ではない。こんな部屋に何日も閉じ込められていたら、そろそろ発狂してもおかしくない。着替えや生活に必要なものを城の人間が届けてくれたり、暇つぶしに王子が遊びに来てくれたりする以外は常に一人だし、いい加減頭がおかしくなりそうだ。
いっそのこと一人のときにしかできないことをやるべきか。口笛を吹きながらコサックダンスでも踊ってやろうか。足枷が邪魔だが踊れないことはない。
じゃらじゃらと鎖を床に打ちつけながら、知識程度にしか覚えていない欧州伝統の踊りを始める。何も知らない癖に頭の中で「ここの足の上げ具合がコツなんだよな」とベテランを演じていると、ちょうどタイミングよく部屋の扉が開いた。
「……失礼しました」
久方ぶりに見たニケさんは、ゆっくりと扉を閉めた。まさか私が軟禁中にダンスなどしていると思っていなかったのだろう。いや、私もなぜこんな発想までに至ったのか記憶にない。
慌てて「違うんです! 入ってきてください!」と呼びとめれば、彼女はしばらくして控えめに室内へと入ってきた。彼女の記憶を一時的に消去したい。できないならばここで死にたい。
人質となってここに来てから数日ぶりに見るニケさんは、以前とは違って随分落ち着いているように見えた。とはいえ、レーゲンバーグにいたころのような明るさは欠け、表情には影を落としている。今回の行動によほど落ち込んでいるようだ。私が許しているとはいえ、彼女の中の罪悪感は早々消えるものではない。
「えっと……何か、ご用で?」
「あ、あの……お暇じゃないかと思って、お話しに来たです。迷惑でしたら帰る、ですけど」
「いや、迷惑じゃないから大丈夫だよ。それとさっきのことさえ忘れてくれれば」
しつこいようだが、今後の生活と人間関係にも関わってくるので釘を刺す。ニケさんは状況を呑みこめていないようなのか、疑問符を浮かべながらもゆっくりと頷いた。
私としても、彼女とはまた話がしたいと思っていた。先日の事件のような重い話題は避けるべきかもしれないが、ニケさんのことは色々知りたい。獣人というのもはっきりとわかっていないので気になっていたし。
拒まれなかったのに安堵した彼女は、ようやく笑顔を見せてくれた。まだまだ弱弱しいけれど、彼女には笑顔が良く似合う。
「一人でここに来て大丈夫だったんですか?」
「はい、王子がその辺は許してくれてるので問題ないです。スパイといっても、あたしは国じゃなくて王子に雇われただけですから」
「そうだったんだ……あの後、どうしてたのかちょっと不安だったから」
王子に会ってから酷く怯えていた様子を思うと、カイ君のように塞ぎこんでいるのではと心配だった。
城の内情を探るようにスパイとして仕向けられた女の子。不本意ながらも自分を偽って、城の人たちと一緒に働いていた彼女。果たして彼女が城でメイドとして働いていたときのあの笑顔が本物だったのかはわからないけれど、今こうして私と対峙しているニケさんは、本当の顔を見せてくれている。
しかし彼女は、そんな心配と安堵に笑顔で言葉を返した。
「いやだなあ、あの引きこもり王子サマと一緒にしないでくださいですよ! あたしはそこまで弱くないですよお」
「……そう、だよね」
「でもまあ、あの城の人たちを騙しちゃったのは、ちょっと、心が痛むですけど」
そうだ、城の人たちはニケさんのことを知らないのだ。今頃私と一緒に拉致されたと考えているかもしれない。それに彼女は亡命したと話していたのだし、最悪の場合今頃殺されているかも、なんてことになっているのもおかしくない。
だけど、彼女は思っている以上に大人だった。騙し続けていたことに罪悪感を感じているからこそ、向こうで死んだことになっているかもしれないことを望んでいるようにも見える。
「そういえば、アンナさんにはあたしの話、してませんでしたね。王子がどこまで話しやがったのかは知らないですけど」
「まあ、確かに……」
「騙しちゃったお詫びに教えるですよ。あたしはフレーメの中でも特殊な一族で、獣人と呼ばれる人種です」
そう言って彼女は私から距離を置くと、途端に彼女の体は人間の形から変わっていく。焼けた肌を暗い色の毛が覆い、その体格は二足で立っていたのが四足へと変化を続ける。やがて年頃の可憐な少女は、いつの間にか獰猛さを見せる獣へと変貌した。
私の世界の動物で言うならば、豹に似ている。狡猾さを醸し出しながらも、どこかしなやかな体つきは美しささえ感じさせる。私に襲いかかったのがこの姿のニケさんだったなら、確かに意識を失ってもおかしくないインパクトだ。勿論見かけだけでなく、本当に強さを感じられるのだが。
しばらくして彼女は再び人間の姿へと戻る。どうやら獣の状態では言葉を喋れないらしく、どうにも不便を感じるようだ。
それにしても、この世界には魔法使いだけでなく獣人なんて種族も存在するとは知らなかった。もしかしたら他にも人とは違う種族がいるのかもしれない。
人間の姿へと戻った彼女は、気恥しそうに私の様子を伺いながら言う。
「こ、怖くなかったですか? 気持ち悪くなかったです?」
「え……いや、すごいなって。未だに魔法使いにもびっくりしてるし、気持ち悪くなんかないよ」
「そ、ですか」
どこか安心したように、ニケさんの顔から緊張が抜けていく。
きっとこの能力のせいで、散々嫌な思いをしてきたのだろう。人間が獣になるなんて、と気味悪がる人もいないとは限らないのだし。
それに王子が言っていたように、彼女は元奴隷なのだ。恐らくその能力を巡って人身売買、なんてこともされていたのかもしれない。その手の事情にはまったくもって疎いのだが、彼女が特殊な人間である以上、人に言えないような過去があるのも当然だ。今だって獣の姿を見せてくれたのも、相当な勇気が必要だっただろう。
「正直、魔法だとか獣人だとか、あんまり現実味がないんですよね……異世界から来たからかもしれないですけど、私の世界ではそういうの、おとぎ話でしかなかったから」
「ふうん……なんだかつまらない世界ですね。あたしは魔法なんて当たり前のものだと思ってますですけど」
「つまらない、か」
つまらない世界を二十一年も生きてきたのかと思うと、なんだかこうして生きているのが不思議だ。かといって魔法が存在するこの世界が楽しい場所なのかといったら、素直に頷けないけれど。
「それにしても、あの引きこもり王子サマがアンナさんにだけ懐いてる理由が、何となくわかった気がしますです」
「え、どういうことですか?」
「どういうことも何も、説明は難しいですけど……なんだか、アンナさんといると落ち着くんですよねえ。落ち着くというか、前向きになれるというか」
そんな風に言われても、私にアロマセラピー的なオーラが出ているとは思い難い。何度か同じようなことは言われたけれど、やっぱり私には特別な何かがあるとは思えないのだ。
ニケさんが言っている以上、彼女が私といることで落ち着きを感じるというのは、嘘ではないだろう。単純にそう言ってもらえるのは嬉しい。だけど、それが私のお陰かなんて、本当にそうなのかといえば誰にもわからないことだ。
「私はただの人間ですよ……魔法だって使えないし、特別何かができるわけでもないです」
「それでも、王子サマに好かれてるのは事実です」
「好かれてるなんて……確かに、仲良くはなれたけど」
「……今の、そういう好かれるって意味じゃないですけど」
「え?」
「いや、何でもないです……」
とにかく、私はただの人間だ。この世界の人間じゃないのだから魔法も使えないし、特別な力もない。それがときに無力にさえ感じるけれど、こればかりはどうしようもない、動きようのない事実だ。
今頃カイ君はどうしているだろう。フレーメからの手紙を読んで、怯えていたりしないだろうか。それとも勇気を出して、ここまで一人で向かおうとしているのだろうか。
できれば迎えに来てほしいなんて我儘を心に抱いている私は、酷い大人かもしれない。だけど今は、彼がここにやって来ない限りどうしようもないことに変わりはない。




