通わせる
図書館に置かれている様々な書物を読んだけれど、実際にその地を目で見るのとではまったく違う。
フレーメ帝国は、その周りを砂漠に囲まれた国だ。そう言っても、どの程度の砂漠が広がっているのかなんて、文章だけではまったくわからなかった。部屋の窓から見える外の景色には、地平線の向こうまで続いているのではないかというほどに一面の砂。照りつける太陽が見ているだけで暑そうだ。
フレーメの人質となってから一夜明け、だいぶ気持ちも落ち着いてきた。とはいえ、どんなに部屋が快適だろうと不安は常に付き纏う。
足枷がある以上、部屋から外に出ることはできない。どうしても出なければいけない用があるときは、その都度誰かを呼ばなければいけない。そういう点では、今の私に自由などなかった。
一応暇つぶしに図書を用意してもらったけれど、一日中部屋ですごしているというのは膨大な時間が有り余っているということなので、すぐにそれらも読み尽くしてしまう。
そう考えると、改めてレーゲンバーグで教育係という役目をもらったことは幸せなことだったと実感した。何かやることがある、それだけで一日が充実する。何もしていない時間は、ただ不安を増幅させて押しつぶされそうになるだけだ。
暇つぶしといえば、もう一つ。事あるごとに部屋に訪れる人がいた。
「よお、元気にしてるか?」
フレーメ帝国第一皇子、ゾラン。こんな人がしょっちゅう私のもとに現れていいものかは何ともいえないが、彼は暇さえあれば部屋に遊びに来る。本当に、遊びに来る。
最初は人質に関しての話でもしにきたのかと身構えていたが、しかし彼の口から出るのは他愛ない話題ばかり。それと私に異常に関心があるようで、異世界のことや教育係の話をやたらと聞いてくる。それに答えること自体に問題はないけれど、王族が気軽に話しかけてくるなんて変な感じだ。
いや、それを言ったらカイ君も王族なのだけど。
「別に、そんなに会いに来なくても、逃げ出したりしませんよ」
「相変わらず警戒心強いのな……まあ、仕方ねえか。監視のために俺が来ると思うか?」
「じゃあ、何のために来るんですか」
「そりゃあ、遊ぶためにだよ。王族ってのは、意外と面倒な生活送ってんだぜ? 窮屈な生活強いられて、たまには息抜きだってしたくなるさ」
彼はベッドにどかっと座り込み、脱力したように言う。
本当に、カイ君とはまったく対照的な人だ。カイ君が普通というわけではないけれど、彼もまた王族としては少し異常な性格のように思う。この世界にやってくるまで思っていた王族なんて、礼儀正しくて上品な人たちだと思っていたのだから。
だけど、彼らだって人間だ。常に上品に振舞っていて疲れない人間などいるわけがない。ましてや彼のような性格だと、余計に堅苦しい生活に疲れを感じるのだろう。
別に同情する気はないけれど、ここに来て思うのは、安定した人生を送っていても決していいものではないということだ。もとの世界にいるカイ君も、随分と窮屈な思いをしてたのかもしれない。
「なあ、アンナちゃん。疲れたから膝枕してくれよ」
「い、嫌ですよ……」
「んだよ、ケチだなあ。減るもんじゃないだろ……」
人質になって、もう一つわかったことがある。ゾラン王子はかなりの好色だ。見た目からして堅実そうな人には思えないけれど、思っている以上に女性好きなのだ。異性との恋愛経験の乏しい私にはあまりにも毒気が強すぎる。
最初にこうして遊びに来たときにも、急に抱きついてきたりやたらと距離が近かったりと、とにかくこちらの心臓がもたない。彼にとってはスキンシップ程度の行為だとしても、生粋の日本人としては刺激にしかならない。
毎度の如く要求を断る私に、ゾラン王子は不服そうな視線を向ける。
「それともアレか? 引きこもりの王子サマ以外には触られたくないってか?」
「はあ!? な、何言ってるんですか! 普通恋人でもない限り触らせるわけないじゃないですか!」
「ふーん、そうかい」
一体この美男は何を勘違いしているのだろう。
カイ君と仲がいいのは認めるけれど、別にそれ以上の関係はない。大体済む世界も違うのだし、向こうは王族で私は一般人なのだし。
しかしどれだけ否定しても彼は納得しないようで、適当な相槌を打つばかりだ。なんだかいいように遊ばれている気がして嫌な気分だ。
「別にさあ、いつ死ぬかもわからん人生だし、純粋な恋でなくとも体を重ねるのもアリだと思うがな」
「……あなた、一体何歳なんですか」
「ん? 二十五だけど」
そんな若さでそこまで経験を重ねた発言ができるのも不思議なのだが。
なんというか、随分と自由奔放な性格というか。リベルトさんがあそこまで手を焼いているのもわかる気がする。だけど彼は、決してだらしないわけではないのだ。どんなに真面目に見えなくても、彼は王子としての素質を備えている。好色な点は別として、彼からカイ君に見習ってもらいたい点はいくつかあるような気がする。
こんなときまで教育係としての視点で考えているなんて、私もおかしいのだけど。
こうして部屋でくつろいでいるのは退屈だけど嫌ではない。だけどどうせ隣国に来たのなら、国の様子を見れたらいいのにと思う。
だがそれは、以前やんわりと頼んでみたときにすでに断られていた。ただ遊びに来ているわけではないことはわかっているけれど、やはり行動を制限されるというのは精神的にも窮屈だ。
そういえば、隣でだらけるこの人が普段どんなことをしているのかも、何も知らないのだ。レーゲンバーグの内情もまだ知らないことが多いけれど、フレーメに至ってはまったくと言っていいほどその内側は見えてこない。
こんな人が、戦争では前線で戦っているのか。
「……なんで、この国の人たちは戦うんですか?」
思い切って問いかけてみると、彼はそんなことを聞かれると思っていなかったのか、きょとんとした表情で私を見た。
なんで人が戦うのかなんて、彼にとってみればどうでもいいことかもしれない。戦いに一々意味を求めることすら面倒なくらい、この国は多くの戦いをしているのだから。
しかし王子は、質問に正面からしっかりと答えてくれた。
「生きるため、だろうな」
「……それは、資源を得るためですか?」
「いや、そんなのは建前だ。確かにうちは資源がほとんどないし、他国から奪い取らなければ生きていけないのも事実だ。でもな、本当にそんな死活問題で強い軍隊ができあがると思うか?」
「それは……」
「答えは否。そもそも軍隊に入る人間のほとんどは、フレーメの中でも貧困地域に生まれてきた者ばかりだ。軍に入れば三食ついて、戦争に行く前まで安全な暮らしが保障される。そうやって志願する奴が後を絶たないのさ」
逆に言えば、それは軍隊に入らざるを得ない状況を作っているということ。国の策略としては大成功だろうが、国民から見れば国の手の平で踊らされているだけに過ぎない。
残酷な話だけれど、それを悪だと決めつけられるほど、この国には余裕がないのだ。そうでもしなければ全滅する中で考えた策は、失敗するはずがない。国民だって何も知らないで従うほど無能ではないのだから。
だけど、いつまでもこんな制度が続くはずもない。人の数には限りがあるし、それでなくても貧困層の人間は、いつ死を迎えるかわからない生活を送っている。何もしなくても、いずれ全滅するかもしれない。
ニケさんの場合はたまたま珍しい種族だったから、また違った境遇だったのだろう。王子が言っていた獣人というのが本当なら、きっと私を気絶させたのは、獣に変化したニケさんだったのかもしれない。
とにかく、この危機的状況を打開するために、フレーメにとってカイ君は最後の賭けというわけだ。
「もし魔法で資源が手に入ったら、もう戦争はしないんですか?」
「どうだかな。これだけ大勢の国に火の粉吹っ掛けちまったんだ、簡単にやめられる状況でもないだろ」
「でも……あなたは、やめたいからカイ君を呼びだそうとしてるんですよね」
王子の視線が私に向けられる。私が何を言わんとしているか、悟ったようだった。
どうしたって、戦争に賛成する気にはなれない。カイ君のやり方が正しいかどうかもわからないし、異世界の人間が手出しするのはお門違いだとも思う。だけど目の前で起きようとしていることを、ただ黙って見ているだけなんてできない。
もし王子も同じ気持ちでいるならば、戦争を完全に止められるかもしれない。そう思ったのだ。戦争の決定権は王にあるけれど、同じ王族である王子にもそれなりの権利がある。
しかし彼が返した言葉は、望んでいたものとは違った。
「別に、俺はそこまで平和主義じゃねえよ。そもそもやめたいと思ってたら、最初から戦争にも参加してるわけがねえ。人が何人死のうが一々悲しんでもられねえ」
「……」
「まあ、いい加減馬鹿げた戦争はやめさせたいとは思うがな。つーか戦力の無駄だし、簡単に勝てそうにねえし。だからまあ、あの王子には少なからず期待してるぜ」
それは、信用の言葉と受け取っていいのだろうか。
それよりも、知らぬ間に多大な信頼を寄せられてしまっているカイ君は、このことを知ったらどう思うだろう。ただでさえいい印象を持たない国からの要請だというのに、素直に了承するかもわからない。
まだ人質生活一日目が経過したばかりだというのに、こんなにも先の不安が絶えないなんて。
「それよりさあ、こんな話してて楽しいのか?」
「楽しむために人質してるんじゃないですし……」
「まあ、そうだけどよ。最初に会ったときから思ってたが、アンナちゃんって真面目だよなあ」
あなたから見れば誰だって真面目に見えますよ、とはさすがに言えなかった。
自分の性格なんてあまり意識しないけれど、確かに年頃の女子にしては真面目な方かもしれない。大人になれば自然とそうなっていくものだと思ってたし、それに対して何の疑問も抱かなかったけれど、そんなにつまらない人間に見えるのだろうか。
そりゃあ、この世界は魔法だの王族だの、ファンタジックな要素溢れる世界だけれど、そんな世界から見れば私のいた世界の人間なんて皆地味に決まっている。
そもそもそんな一介のの地味な人間である私が王族と一緒にいるというのも、考えてみれば不思議なことだ。カイ君の心を開いたことで散々もてはやされてしまったけれど、別段大したことでもないし。
「真面目、ですかねえ……」
「すっげえ真面目だよ。だってほら、目の前にこんないい男がいるってのに、全然そういう空気になんねえじゃん」
「はあ?」
どうやら単に私の性格全体を見て言っていたのではないようだ。自分のことを自信たっぷりにそう表現するこの王子も相当だけれど、まさかただ反応しないだけでそう思われていたとは。いや、今も表情には出していないだけで、近い距離と過度なスキンシップに困惑しているのだが。
「それは……あなたが私の好みじゃないから、じゃないですかね?」
言ってしまって、そしてしまったと気づく。王族に対する無礼だとか、それ以前に失礼な言い回しだった。慌てて訂正しようとすれば、しかし彼はしばらく私を唖然と見ていると、突然噴き出した。
おかしな食べ物でも食べてしまったかのように笑いの止まらない彼にどう話しかけるべきか悩んでいると、ようやく笑いが引いてきたらしい彼は涙を滲ませながら言う。
「なるほどね、好みじゃないか……そんなこと言われたの、初めてだわ」
「いや、本当にすいません。失礼なことを……」
「いやいや、別にいいよ。それより訂正しなくちゃな……あんた、すっげえ面白いわ」
失言は思わぬ結果を招いてしまったようで、結果的に私は彼にすっかり気に入られてしまったらしい。それがいいことかどうかははっきりしないけれど、首の皮が繋がっているだけでもよしとしよう。
それに、軟禁生活は退屈で不安も募るけれど、こうして彼と話しているのは存外面白いとさえ感じてしまう。やっぱり本に書いてあるだけでは、世界を知ることなどできないのだ。




