捕らわれる
随分と長い夢を見ていた。
異世界にやってくる前、家庭教師のバイトをしていた頃の夢だ。毎週決められた曜日にカイ君の家を訪れて、決められた時間に勉強を教える。勉強なんて大して面白くないかもしれないけれど、一つ一つ問題を解いて理解していく彼の姿を見ているのが、なぜだかとても好きだった。
とはいえ、初めからカイ君とは仲が良かったわけではない。彼は家族から大事に守られてきたからか、最初は必要以上の言葉しか話さないほどに、人見知りだった。コミュニケーションが苦手だったとは思わないけれど、随分と防衛本能の高い印象を受けた。
それでもなんだか彼と色々話してみたくて、勉強を教える傍ら積極的に話しかけた。私自身のこと、学校のこと、最近流行っているもの……そうしているうちに、少しずつ彼の興味を引けたのが、嬉しかった。
「先生と一緒にいると、なんだかすごく、落ち着くんだよね」
そんなことを言われたこともあっただろうか。次第に笑顔を見せるようになった彼は、次第に自分のことを少しずつ打ち明けてくれるようになった。そうして彼のことを知っていくうちに、ただの教師と生徒の関係以上の何かすら感じた気もした。
だけど、きっと私と彼はこの数時間程度の関係以上にはなれないとも、わかっていた。
彼とこうして出会えて、仲良くなれたのは単純に嬉しい。けれど、将来も安定し家族から守られ続ける彼とは、それ以上の何かにはなれないどころか、このまま他愛ない会話ができる時間もそのうちなくなるだろうと確信していた。
終わりが来るのが、怖かった。
はっと目を覚ます。
じっとりと体中に汗が滲んでいて気持ち悪い。全身も物凄いだるさに見舞われ、動いていなくてもしんどい。
ベッドに横たわっているようだ。どこの部屋だか知らないが、随分と絢爛な造りの部屋である。ベッドもふかふかの寝心地で天蓋までついていた。まさか城に戻ってきたのかと思ったが、しかしこんな部屋、見覚えがない。
そもそもどうしてこんなところにいるのだろう。今まで何をしていたんだったか。
確か、カイ君たちと一緒に城下町の観光をしていたはずなのだ。彼を外に連れ出すことに成功して、皆で仕事を忘れて楽しく歩いていたのだったけれど、そういえば、どうしてこんなことになったんだっけ。
真っ白にぼやけた頭で必死に思いだそうとしていると、ふと部屋の扉が開き、人が入ってきた。
「あ、目が覚めたんですね」
現れたニケさんの姿に、すべてを思い出した。そうだ、私は彼女に襲われたのだ。彼女が何をして私の意識を落としたのかはわからない。だけど確かに、意識がなくなる前に一緒にいたのは彼女だった。
そのことを思い出した途端、急に腹部が痛みだした。彼女にぶつけられた箇所だが、大した怪我にはなっていないはずなのだけど。
うろたえる私を見て、彼女は申し訳なさそうに目を伏せる。気絶する最後に見せた冷たい眼差しは、もう影すら残っていなかった。彼女と話をするために体を起こそうとしたが、しかし上体を起こしたときに足から鎖が繋がっているのが見えた。足枷なんてされているということは、助かったわけではないようだ。
「……ごめんなさい」
「どういうこと、なんですか……ニケさん」
「あ、あたし……アンナさんを連れてくるようにって、命令されてて……」
彼女の声はか細く、震える手でスカートを握りしめている。何かに怯えているような彼女に、ますますわけがわからなかった。
とりあえず、記憶にあることだけで整理すると、彼女は本心で私をあんな目に遭わせたわけではなかった、ということだろうか。誰に命令されていたのかはわからないが、彼女とてあんな真似はしたくなかったのだけは伝わった。
だとしたら、ニケさんを責める理由などどこにもない。
「ニケさん、そんなに自分を責めないでください。本心でやったわけじゃないんでしょう? だったら教えてくれませんか、誰がこんな真似をしたのか」
「それは……」
躊躇いがちに彼女が言いかけたと同時に、再び部屋の扉が開いた。現れた人物を目にして、思わず鼓動が急激に早くなる。後ろからの気配に気づいたニケさんは、ガタガタと体を震わせて後ずさっていた。
現れたのは先日自国に帰還したはずの、隣国のゾラン王子だった。褐色の肌に目立つ赤色の髪、獣のような鳶色の目。見間違えるはずもない。彼は後ろに部下らしき若い青年を引き連れて室内に入ると、すぐに私を視界に捉えた。
ただ見つめられただけだというのに、それだけで心臓を鷲掴みにされたような気分だ。不快な汗と一緒に冷や汗を感じた。
それよりも、どうしてニケさんとゾラン王子がここに一緒にいるんだろう。彼女はフレーメを亡命したと話していたのに、憎んでいた彼と関わっているはずがない。
「よお、お目覚めか? いきなり連れてきちまって悪かったな、アンナちゃん」
「……えっと。なんで、こんなことに?」
「なんだ、そこのスパイちゃんから聞いてなかったのか。ああ、お前はもう帰っていいぜ」
スパイ、という言葉に耳を疑う。ニケさんの方を見れば、彼女は慌てて部屋を飛び出していってしまった。彼女にも色々と聞きたいことがあったけれど、そういう状況でもないようだ。
困惑してもう一度彼に向き直ると、私が何も知らないのを理解したのか、面倒くさそうに頭を掻きながら説明してくれた。
「あー、なるほどな。何も聞いてなかったんじゃ仕方ねえ。お前を連れ去ったあの女は、フレーメ帝国のスパイだ。もともとは珍しい獣人の一族かなんかで、奴隷だったのを拾ったんだがな。レーゲンバーグじゃフレーメから亡命してきたなんて詐称させてたから、知らねえのも当然だ」
「……」
「今、現状でのお前の境遇はわかってるか?」
「わ、わかりません」
「アンナちゃん、ここはもうレーゲンバーグじゃねえ。フレーメ帝国にいる以上、お前は人質ってわけだ。ま、酷いことするつもりはねえから安心しな」
足枷をつけたのも、自由を奪うため。何かいい目的で連れて来られたとは思っていなかったけれど、状況は思ったより悪いようだ。
つまり、ニケさんはフレーメ帝国から放った情報伝達のためのスパイ。本人の意思ではないだろうが、無理矢理にこちらの情報を入手していたらしい。だとしたら、初対面でゾラン王子が私のことを知っていたのも頷ける。
だけど、どうして私を人質に取る必要があったのだろう。あのとき外出している人たちの中だったら、カイ君を人質として拉致した方が価値があったのに。人質自体を肯定するつもりはないけれど、私なんかに価値はないと思うのだが。ただ異世界から来ただけの教育係なのだから。
まだまだ聞きたいことは色々あったが、しかし王子はすでに話すのが面倒くさくなったのか、欠伸をしながら傍に仕える青年を小突いて合図する。気弱そうな青年は一瞬肩を跳ねさせたものの、慌てて説明を始めた。
「手荒な真似をしたことをお許しください。私はフレーメ帝国情報伝達係のリベルトと申します」
「……どうも」
「一応誤解のないよう説明しておきますが、あなたを人質として捉えたのは、我が国が戦争を始めるためではございません。あなたの教えるレーゲンバーグ王国第一皇子、カイ様をこちらにお呼びするためです」
リベルトさんの言葉に、瞬きを何度か繰り返す。
言いたいことはわかるし、彼らの目的のために私を人質にしたのは、なんとなく納得できる。だけど、どうしてカイ君を呼び寄せようとしているのか。王様ではなく王子であるカイ君は今のところ、何の脅威でもないと思うのだけど。
それに、カイ君を呼ぶために私を人質に取るというのは、理屈はわかっても上手くいかない気がするのだ。ただ来て下さいと頼んだところで気やしないのはわかる。だけど、私を餌に呼ぶというのもどうだろうか。カイ君と心を通わせることができても、私はただの教育係だ。それが一人いなくなったところで、不都合が出るとも思わない。大体ようやく外に出すことができたばかりだというのに、カイ君が私のピンチに駆けつけてくれるとも思えなかった。
言っていてなぜだか虚しくなってくるけど。
まあ、戦争をするつもりでこんなことをしたんじゃないとわかっただけでも、幾分か安心できる。
「レーゲンバーグにもさきほど文書を送りました。あちらから何らかの反応があるまで、あなたをここに拘束することをお許しください」
「はあ……でも、どうしてカイ君を呼び出したいんですか?」
意味がわからない、と疑問符を浮かべる私にリベルトさんは返答を用意していたが、しかしそれに答えたのはゾラン王子だった。
「あいつの召喚魔法とやらを、どうにか利用できないかと思ってな」
「……え?」
「知ってんだろうが、うちの国は資源不足だ。緑も水も、国民全員が生きるには不足し過ぎてる。俺の親父に当たる王は戦争で奪えばいいと考えてるが、いつまでもそれが通用するとも思えねえ。強過ぎる国家ってのは、それだけ警戒されるからな」
確かに、レーゲンバーグでも隣国だからフレーメ帝国を警戒しているといった風には思えない。ただ強いからでもなく、彼らが戦争をし続けることに危惧を感じているのだろう。
随分と好戦的な国だと思っていたけれど、話していると、この王子はそれほど戦闘狂というわけでもないらしい。優しい人ではないだろうが、ちゃんと将来を見据えている。人質に取るという作戦は汚いやり方かもしれないが、彼らの話に耳を傾けるだけの価値は、大いにある。
「そこで、だ。あの王子の召喚魔法ってのは、生物以外にも水や緑を増やすことができるのか気になってな。勿論水や自然を操る魔法使いってのもいるが、戦争ばっかやってる国に当然協力してくれるはずもなかった。だから俺は、あのお坊ちゃんに賭けてみることにした」
「そういうことだったんですか……」
「まあ、王子の結果次第では休戦の撤回も視野に入れてるがな」
どうやら彼らの提案は、そんなに甘いものではないらしい。王子の一言に生唾を飲み込む。
とはいえ、カイ君が召喚魔法で彼らの願いを叶えて上げられるかは、現状ではまったくわからない。彼の力量で何とかなるともいえないし、彼の望んでいる神話の怪物が召喚できてない以上は、やるかやらないかはともかくとして、できるかどうかの確率は低い。
それに、あれだけ怯えていた隣国のもとへ彼が訪れる可能性も、絶望的だ。仮にここまで来ることができたとしても、ゾラン王子とまともに会話できるかも怪しい。また情緒不安定になることだってあり得なくない。だけど彼らは、そんなカイ君の事情を優しく受け止めてくれるわけがない。
こればかりは、どうしようもなく手詰まりだ。
「ま、しばらくはここでゆっくり休んでてくれ。アンナちゃんとはまた会って色々話したいと思ってたからな、いい機会だ」
「王子、人質とはいえ隣国の大事なお人です。くれぐれも粗相のないように……」
「わーってるよ。ったく、お前は俺を万年発情期だとでも思ってんのか」
本当に、大丈夫なのだろうか。
人質である以上しばらく危険な目には遭わないだろうが、なんだか物凄く不安だった。明日がどうなるかさえわからない、この不安定な状態がいつまで続くのだろう。




