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セアド・ペッヘムは国王に仕える忠実な臣下だ。決して王の発言に異論など立てず、かといって卒なく仕事をこなすだけでなく、国の情勢に画期的な提案をもたらすなどと頭脳面での功績を果たしている。そんな彼を、誰しもが優秀な大臣だと口にしていた。好きか嫌いかはともかくとして、彼は優秀であることに間違いなかった。
そんな彼は、先日唐突に押し掛けてきたフレーメ帝国での案件で多忙を極めていた。まずは彼らとの会談の中で上げられた取引の交渉について、それから突然の訪問に機嫌を損ねている王へのご機嫌取りなど、やることが多すぎてキリがない。いくら城の大臣で最も若い男といえど、疲労を感じぬほどに若いわけではなかった。
本当なら、こんなところで書類や王に気を使っていないで王子たちと一緒に町で遊びたかった。そんな本音を呑みこみながらも、彼は王の機嫌を直すのに集中していた。
「まったく、あの若造は態度がなっておらぬな。私の息子と大差はない」
「そう仰らずに……険悪な雰囲気にならなかっただけでもよしといたしましょう。わたくしはてっきり、ついに戦争を持ちかけてきたのかと気が気ではありませんでしたよ」
「戦争を持ちかけてきた方が、よほど気が楽なのだがな」
昨日から王は常に気が立っている。もともと国民を思うような優しい人柄ではないけれど、それは彼が常に立派な王であるために見せる仮初の性格だ。でなければ、国民は毎日笑顔で生活しているわけがない。
王がいつにも増して不機嫌なのは、久々に妃の仇であるフレーメの人間と顔を合わせることになったからだ。それも不本意な形で。妻を殺されたからといって復讐から戦争をけしかけたりはしないが、そんな王の様子を、あの国の王子は面白がっているようにも見えた。だからこそ、当時の戦争を知らない男に馬鹿にされるのが許せなかったのだろう。
とはいえ、会談は結局無事に終わり、何事もなく今日がある。王が乱心して戦争を仕掛けなかっただけでも、今は幸せなのだ。
「ところで、例の息子の教育係はどうしておる」
「順調に王子に教育なさっておりますよ。順調すぎて恐ろしいくらいに」
「ほう……あれだけ貴様の言葉も聞こうとしなかった、あの馬鹿息子がな」
「それほどに、彼女に王子の心を開かせる素質があったということでしょう。わたくしにはその素質がなかっただけのことにございます」
本当にその通りだ。アンナがこの世界に来る前に、王子に対し何もしてこなかったわけじゃない。むしろ、アンナが王子と心を通わせるまでの時間はあまりにも短かった。その何十倍もの時間を掛けて説得してきたセアドとしては、まさに唖然とするしかなかった。
別に彼女に説得ができたからといって変な嫉妬を抱くつもりはないし、結果として王子が会話をするようになったのだから何も問題はない。どころか、すべてがいい方向に進んでいる。
ちょっとした手違いで異世界の人間を呼び寄せてしまったとはいえ、これはセアドにとって嬉しい誤算だった。
「随分とあの娘を買っているようだな。それほどにあの娘に、特別な力でもあるというのか」
「それはわかりません。確かに、彼女は王子とわたくしたちを繋げる存在になってくれましたが、特別秀でた才能があるようにも思いません」
「まさか、異世界の娘が魔法を使えるとも思えんしな」
「それは同感いたします」
とは、いうものの。彼女が王子の心を開くのに、本当に特別な力がないとは言い切れない。それが魔法なのか、彼女の力量なのか、本質なのか……それは彼女自身もわかっていない、未知の領域に違いない。それが判明したところで何かが起こるわけでもないが、それよりも問題なのは、今後のことだ。
異世界の人間である以上、いずれはこの世界から帰らなければならない。勿論ここに居座らせる気はないにしても、できれば王子が立派な王族として成長してから帰ってほしいと思わなくもない。自分勝手な都合だとわかっているが、王子もまだアンナなしでは不安定すぎる。
まさかこんなにも彼女に頼ることになってしまうとは思わなかったけれど、実質今の城を支えているのは、アンナでもある。特別な力も権力もないただの娘だが、彼女のお陰で王子だけでなく、その周囲の人間ですら変化をきたしているように思えるのだ。
「王子の召喚魔法も不思議なものでございますが……異世界の人間に、これほどまでの影響力があるとは思いもしませんでした」
「以前召喚された異世界の人間は、そうでもなかったがな……」
「……確かに、以前の方々は大した影響を与えてはくれませんでしたね」
彼女が初めてだったわけでもない。異世界の人間は以前にも、王子の「手違い」で送られてきているし、アンナが初めて見る存在でもなかった。とはいえ、以前の彼らも何も残していかなかったわけでもない。こうしてアンナが来たときに、「異世界の人間が来た」という予備知識を授けてくれたのだから。
結局彼らがどうなってしまったのか、それはセアドの知るところではない。少し前までは大役など与えられていなかったし、立ち場も決して高いものじゃなかった。彼が大臣として王の傍に仕えるようになったのは、ごく最近のことである。
「それにしても、件のフレーメ帝国については、いかがいたしましょうか」
「うむ……」
「こうして訪問なさったことも何かの契機のように思えますし、いつまでも休戦しているわけにはございません。かといって、今戦争が始まれば、軍事国家のフレーメに苦戦を強いられるのは目に見えておりますし……」
いつまでも歴史を止めているわけにはいかない。王子がまだ一人前の王族とは呼べずとも、時だけは待ってくれないのだ。
「貴様はこの件について、随分と積極的だな」
「は……そのように見受けられますでしょうか?」
「少なくとも、私にはな。貴様が平和だの安泰だのを謳う男には見えぬよ」
「それはそれは……国宝陛下には、わたくしは悪魔として映っているのでしょうか」
「あながち間違いではないな」
素直な感想に、思わず苦笑してしまう。
この城で働くようになってから、誰にでも優しく接してきたつもりだったのだが、どうやら王にはそう見えていなかったらしい。
もともと出自もわからないような男を、それでも城に迎え入れてくれた王には感謝と同時に疑念を抱いていた。なぜ信用できもしない者を臣下に、それも大臣などという役職を与えたのか。だけど、それがなんとなくわかったような気がした。
最も信用できないからこそ、最も傍に置いておくしかないのだと。
「わたくしは、いつまでも問題を抱えていたくないだけなのです。戦争だとか平和だとか、そんな感情論はさほど重要ではございません」
「なるほど。貴様の意見には賛成だ。私もいつ死ぬかわからぬというのに、残された問題をあの息子が片づけられるとは思えぬからな」
「随分と王子を心配していらっしゃるのですね」
「国を心配しておるのだ。王が死ねば国も死ぬ。新たな王になれば、また新しい国が生まれるだけだ」
相変わらず素直じゃないと思いつつも、セアドは何も言わなかった。
新たな王が生まれれば、国は新しく生まれ変わる。それはこの国に限った話ではない。隣国のフレーメだって、昔は資源が乏しくとも豊かな貿易国家だった。
しかし、セアドには予感できていた。この国は、今目の前にいる王が死ねば、もう二度と蘇ることはない。
それはきっと、誰も知り得ることはない、歴史の終止符だ。




