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王族直属教育係に任命されました。  作者: 銀朱
第二章 魔法使いと砂の国
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自惚れる

 結局あの後、部屋に戻ろうと思ったのだが、ふと頭の中にカイ君の姿が思い浮かんだ。彼だって部屋から出ようとしないとはいえ、今のこの混乱に気づいていないわけがない。セアドさんに私同様忠告されているかもしれないが、心配なので一応様子を見に行くことにした。

 王室からカイ君の部屋までは距離も近く、移動も楽だ。今日は授業はできないけれど、会いに行くことくらい許されるだろう。

 だけど、彼の部屋が見えてくるとなぜだか胸騒ぎを覚える。その原因が何かはわからないが、部屋に近付けば近付くほど、無性に不安が募るのだ。

 恐る恐る扉をノックして返事を待ってみるが、反応はない。さっきまでの私のように、扉の向こうの相手を警戒しているのかもしれない。


「カイ君、私だよ。アンナです」


 もう一度ノックと共に名乗れば、しばらくして室内から足音が聞こえてきた。それは酷く慌てているような、早い足取りだった。扉の傍まで足音が聞こえたかと思うと、開いた扉から腕が伸びてきて私の服を引っ張る。いきなりのことに混乱し、引っ張られたまま部屋へと入った。

 カイ君は私の服を掴んだまま部屋の奥へと戻っていき、ようやく立ち止まる。普段こんなことをしない彼の様子は、明らかにおかしかった。未だ服の裾を離さない彼にどうしたのか問いかけると、彼はようやく手を離した。

 そして、私の体を抱きしめた。


「か、カイ君?」


 何が起こっているのかわからない。さきほどのゾラン王子との邂逅からようやく落ち着きを取り戻したというのに、またしても頭の中が混乱していく。

 生まれてこのかた異性に抱きしめられるという経験に乏しい私は、この状況を理解するまでに長い時間を要してしまった。ようやく理解したのは、力強く抱きしめる彼の手が、小さく震えていたのに気づいたからだ。

 この抱擁に男女の色恋などあるわけもなく、彼は酷く怯えているように見えた。初めて会ったときの怯え方とはまた違う、トラウマでも思い出したかのような恐怖の色。

 とりあえず、抱きしめられたままではどうしようもないので、彼の腕を何とか引きはがそうとするも、予想以上に成長真っ只中の青年の力は強かった。仕方なく諦めて立ちつくしていると、やがて彼は私を抱きしめたまま、その場に座り込む。私の肩に顔を埋めているせいか、吐息が掛かってくすぐったい。


「……何かあったの?」


 とにかく今は、彼を落ち着かせてあげよう。彼の背中にそっと手を回しさすってやると、彼は小さく体を跳ねさせて、小さく嗚咽を漏らし始めた。私と年も離れていないというのに、なんだか小さな子供のようで酷く可愛らしい。

 カイ君は泣きじゃくりながらも、震えた声で少しずつ本音を打ち明けてくれた。


「こ、怖い……怖い」

「怖い? 何が? もしかして、今来てる人たちが?」


 なるべく刺激しないように優しく問いかければ、彼は小さく頷く。フードも落ちて現れたぼさぼさの頭を撫でながら、ただ彼がすべて吐き出すのを待った。

 もしかしたら、フレーメ帝国の人たちが来たことで、戦争が始まろうとしているかと思ったのかもしれない。まだ召喚魔法も完成していないし、戦争が始まれば必然カイ君も戦線に参加せざるを得なくなってくる。まだそれだけの勇気がない彼が不安がるのも、無理もない話だった。

 やっぱり、カイ君のところに向かって正解だった。私一人のことを考えれば部屋で待機しているべきだったが、彼がここまで憔悴しきっていると誰が予測していただろう。私は教育係であって彼のお世話係ではないけれど、取り乱しているカイ君を安心させてあげられるのは、客観的に考えても私や彼に近しい者たちだけだ。

 少しずつ震えは収まってきたけれど、カイ君は未だ泣きながら不安を私にぶつけてくる。


「あ、あいつら……あいつらが、殺しに来たんだ」

「大丈夫だよ、彼らは戦争をしに来たわけじゃない。だから安心して」

「嘘だ! あいつら、また殺しに来たに決まってんだ! 今度はお、親父と俺のこと……殺しに……」


 また、とはどういうことだろう。

 フレーメがレーゲンバーグと戦争をしていたのは事実だけれど、休戦協定を組んだのは昔の話だ。カイ君がまだ物心つくかつかないかといった頃に戦争は中断されたはずだし、それとも王様から戦争の話を聞いて凄惨な過去を知ってしまったのだろうか。

 だけど、それだけではここまで怯えたりしないはずだ。いくら彼がまだ人間として心が未熟であっても、ここまで情緒不安定になるとは思えない。といっても、その真相を聞くにはあまりにも、今の彼は脆すぎる。

 無力な自分を嘆きながらただカイ君の背中をさすっていると、彼はやがて泣き疲れたのか、気づけば眠っていた。まるで赤ん坊のようだ、なんて思いながらも彼の体をベッドへ運ぼうと奮起する。高校時代は運動部で体力にも自信があったとはいえ、自分より大きな人を運ぶのは相当の体力を要した。

 カイ君をベッドに運び終わり一息ついていると、扉をノックする音に身を跳ねさせる。警戒しつつ扉を凝視していると、外から聞こえてきた声にようやく安堵を取り戻した。


「王子、いらっしゃいますか? ゲルハルトです」


 慌てて扉を開いて来客を迎え入れると、ゲルハルトさんは私が出てくるとは思わなかったのか、驚いて目を見開いていた。しかしすぐに落ち着きを取り戻し、安堵の色を滲ませる。


「アンナ様、こちらにおられましたか。お部屋にいらっしゃらないようなので、今しがた兵士と使用人たちが城内を捜索しております」

「す、すいません……! ちょっと色々と事情がありまして」

「責めるつもりはございません。無事が確認できて何よりです。ところで、王子はどうしておりますか」

「あ……はい」


 今までの様子を正直に伝えると、ゲルハルトさんは深刻そうに顔を歪ませてしまった。さほどの驚きはなかったようだが、まるで「やっぱりか」と言わんばかりの表情に疑問を覚える。

 こうなるとわかっていて、カイ君を一人にしていたのだとしたら問題だけれど、隣国への対応で忙しかったのも事実だ。誰も責められるわけがない。


「あの……一つ、聞いてもいいですか?」

「はい、何でしょう」

「さっきカイ君が酷く取り乱しながら、『あいつらがまた殺しに来た』って言ってたんです。深い意味がないならいいんですが、前にも何かあったみたいな言い方だったので、気になって。何か知りませんか?」


 本当はこんなこと、聞くべきじゃないのもわかっている。だけど知らないままでいるのも、なんだか良くない気がするのだ。本人に聞くわけにもいかないし、失礼を承知でゲルハルトさんに聞いてみた。

 彼は私から目をそらしてしばらく黙っていたが、やがて覚悟したのか、重々しい声音で話し始める。その声色には躊躇いが混じっていた。


「これはできれば、私から聞いたとは仰らないでほしいのですが」

「勿論そのつもりです」

「……わかりました。だとしても、あくまで私の推測に過ぎません。王子が何を思ってそうおっしゃったのかは、王子しかご存じでないこともご了承ください」

「はい、わかりました」

「以前、フレーメと我が国が戦争をしていたことはご存知ですね。事の発端はフレーメ軍による一方的な領地侵略でした。突然の襲撃に我が国は損害を受けましたが、すぐに兵を率いて事態を食い止め被害を抑えたのです」


 ここまでは、図書館の書物に記載されていた歴史と何ら変わりない。ただ、ゲルハルトさんは実際に戦争を見ていたこともあって、妙に現実味のある言い方だった。

 フレーメ軍の襲撃を食い止めながらも、軍事を強化している敵国に苦戦していたこの国は、しかし被害を最小限に食い止めることができた。そして武力ではなく交渉によって、一時休戦を決定させるまでに至った。それが歴史書に書かれていた事実だ。

 だけど、それはただの過去に過ぎない。私が知りたいのはカイ君があそこまで怯える理由なのだ。

 休戦に至るまでを話し終えたところで、ゲルハルトさんは一度言葉を切る。そしてとても言いにくそうに、ゆっくりと口を開いた。


「それで、その休戦協定を結ばれた際の、相手国の提示した条件が問題なのです」

「条件?」

「はい。勿論何の条件もなくフレーメ帝国が承諾したわけではありません。我が国としてもそれなりの資源や食糧を提供する覚悟はありました。しかし、フレーメ帝国が指示した条件は、誰も予想のつかぬものだったのです」

「一体、何だったんですか……?」


 ゲルハルトさんは、ぎゅっと瞼を閉じた。何かを堪えているような、悲壮に満ちた様子に胸がざわつく。

 やがて彼が口にした言葉は、あまりにも端的で、なるべく感情を殺しているようだった。


「王族のうちの一人の、斬首です。王子の母君にあたる王妃様が、その条件を呑みました」


 そういうことだったのか。

 カイ君が異常に恐怖していたのも、城の誰一人もカイ君の母親の話をしないのも、すべてはそういうことだったのだ。

 凄惨な歴史の結末を誰一人として口にしないのは、彼らがその現実を乗り越えている途中だから。別に見ないふりをしているわけではない。現実を、重く受け止めているだけなのだ。

 カイ君はまだそれを受け入れられないだけで、だからフレーメ帝国の人たちが来たと知った途端にああなっただけだ。誰が悪いわけでもない、歴史と現実だ。

 聞かなければよかったとは思わない。むしろ聞いておくべきだとも思った。だけどこれからカイ君に事実を知ってしまったことを隠し通していくのかと思うと、罪悪感が胸を締め付ける。


「すいません、そんな話をさせてしまって」

「いえ、構いません。アンナ様は王子と最も接する機会が多いのですし、これで王子の気持ちをくみ取っていただけるのなら本望です」

「……でも、私は」


 本当にカイ君の気持ちをわかっているのだろうか。この城にいる誰よりも、カイ君を知らないというのに。相手のことも知らないで、気持ちなんてわかるわけがない。

 それなのに、私しかできないみたいな言い方はやめてほしかった。責任を放棄するつもりはないけれど、お門違いだと思うのだ。さっきはカイ君を安心させられるのは自分の役目だなんて自惚れていたのも事実だ。でも、そんな自分に酔っていただけじゃないのか。

 私はそんなにすごい人間なんかじゃない。卑下しているつもりもない、自分のことは自分がよくわかっているのだから。

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