近寄る
乾燥した土地に囲まれた国、フレーメ。決して豊かな土地とは言えないが、それでもすでに百年以上の歴史を持つ国家である。また軍事に栄え、幾多の戦争で領土を奪い取ってきたことから、周囲から恐れられる戦力を有している。
フレーメ帝国に関する歴史書は数々の図書に記されているが、そのどれも戦争の歴史を色濃く持っており、平和な国とは程遠い印象を受ける。
そんな国の第一皇子がここ、レーゲンバーグに訪れるというのだから、ただ親睦を深めるのが理由ではないだろう。
図書館に赴き、ロルフさんに集めてもらったフレーメに関する図書を網羅していた。セアドさんからあの話を聞いたときから、どこかはっきりとしない不安が胸中を渦巻いていたのだ。単なる杞憂であればいいに越したことはないが、これから会うことになる隣国について何も知らないよりは、知っていて損はない。
それにしても、ロルフさんは本当に頼んだ図書を用意するのが早い。広大な図書館の中には何億にもなりそうな量の蔵書があるというのに、まるでそのすべてを把握しているかのように時間をかけず持ってきてしまうのだ。
「一体どうやって集めてきてるんですか? 何か魔法の装置でもあるんです?」
「いやいや、そんなものはないよ。なるべく図書館に機械装置は置きたくないしね……言ってなかったかな。僕は記憶の魔法使いでね、一度記憶したものは絶対忘れないんだ。だから図書館に収められたすべての本がどこにあるか把握している」
「す、すごい魔法じゃないですか……!」
「いやあ、これが意外と不便でね。なんたってここにある本は全部僕が配架しているから、他の人に手伝わせることができないんだよ。だから僕が館長にして唯一の図書館員ってわけさ」
なるほど、広すぎる図書館に一人の図書館員の意味はそういうことだったのか。どうりで効率の悪そうな作業形態を貫いていると思ったら、どうしようもない事情を持っていたらしい。だけど一人でもあっさりと頼まれていた仕事をやってのけてしまうのだから、彼は魔法を抜いても相当に優秀な人材なのだろう。
すべての本を把握しているなら、直接ロルフさんにフレーメのことを聞いても良かったが、彼も仕事に追われる身なので自分で調べている次第だ。どちらにしろ、自分で本を呼んだ方が取り入れた知識も頭に残りやすい。できればこの件は、他人任せにしたくなかった。
それにしても、近々訪れるフレーメ王国第一皇子を、カイ君はどう思っているのだろう。セアドさんから話を聞いたときの彼は、ただ人に会わなければいけない恐怖に怯えているだけには見えなかった。もっと、何かトラウマを思い出すような様子だったのだ。
直接話をするのは王様が中心だとしても、今の彼がその王子とあって平常心を保っていられるとは思えない。
「心配だなあ……」
「何がです?」
「そりゃあ、今後のことに決まって……って、うわあ!」
突然介入してきた声に、一瞬遅れて驚く。いつの間にか私の隣には、メイドのニケさんの姿があった。閲覧用の読書席に座り、彼女は口元に人差し指を当てて静粛にするよう合図する。幸い広い図書館なので声が全体に響きはしないが、思わず口をつぐんだ。
そこで、なぜ彼女がここにいるのか疑問が浮かぶ。城内のどこにいても問題はないだろうが、メイドが図書館にいるというのは、なんだか斬新な光景だった。
「あの……どうしてここに?」
「休憩をもらったので、図書館に遊びに来たのですよ。そしたらアンナさんの姿を見つけたので」
「そう、だったんですか……」
「それはそうと、フレーメのことをお勉強してるんです?」
「ああ、はい。私、まだこの国のこともよく知らないんですけど」
苦笑しながら、読んでいた本を閉じる。彼女が休憩をもらった、ということは、すでにだいぶ時間がすぎているのかもしれない。カイ君ほどじゃないにしても、ここに来てからかなり集中力が伸びた方だと思う。
ニケさんはしばらく机に置かれた本をまじまじと眺めていたが、やがて私の方を見て、何か思いついたと言わんばかりににっこりと笑った。
「だったら、あたしに聞けばいいですよ! あたし、フレーメ出身なんで!」
「え、そうなんですか? 出身って……」
「はい! あたしはフレーメから亡命してきた身なのです! 今はレーゲンバーグの人たちに拾ってもらって、お城でメイドしてるですよ」
その言葉に、なぜか納得してしまう。そういえばカイ君やセアドさんたちとは随分と顔つきも違うし、異国の出身と言われれば頷ける。
それより、亡命してきたというのはどういう意味だろう。本を読む限りでは相当生活にも困るような国のようだけど、豊かな生活を求めて亡命でもしてきたのだろうか。馴染みのない言葉だけれど、フレーメの人間からしたらさほど驚くことでもないのかもしれない。
だけど、現地で暮らしていた経験があるのなら、彼女の言葉に甘えてみるのもいいかもしれない。実際に住んでいたことのある人の話ほど現実味のあるものはない。
「実は、フレーメ帝国の王子がどんな人か、知りたいんですよね。歴史や特徴については本にも書かれているんですけど、最近のことまでは載ってなくて」
「……王子、ですか」
はちきれんばかりの笑顔だった彼女は、王子の名を聞いた途端表情を曇らせる。聞いてはいけないようなことだったかと慌てて話を変えようとすれば、しかし彼女は言葉をつづけた。随分と屈辱的な表情で話し始める。
「あの王子は……ゾラン王子は、国を統括するのに秀でてたですよ。若くして軍を指揮する立場に昇り詰めて、戦争でも活躍してたです」
「そうなんですか……すごい人なんですね」
「でも、国を統括する腕があっても、民を統括することに関しては、最低の男です」
唇を噛み締めて、ニケさんは黙ってしまう。まるで思い出したくない記憶がよみがえったかのような、見ていられない様子にかける言葉もない。
豊かな生活を求めて亡命してきた、なんて生半可な気持ちでここに逃げたわけではないのだろう。勿論生きるためには生活ができなければいけないにしても、それだけでは彼女が行動するだけの決意には及ばない。最低限の生活ができていたとしても、自分を守ってくれるはずの存在の助けがなければ、いつ死んでしまってもおかしくない。
彼女だって、亡命したくてしたわけではないのだ。逃げざるを得ない状況にまで陥ってしまったからこそ、今、ここにいる。
何と声を掛けていいか悩んでいると、一転してニケさんは笑顔を取り繕う。先ほどとは違って、随分とぎこちない笑顔だった。
「ご、ごめんなさい! 嫌な話しちゃったですね!」
「いえ、こちらこそ何も知らなくて……ごめんなさい」
「気にすることないですよ。そうですね、ゾラン王子は見た目はかっこいいです。だけど性格が悪いのが残念なんですよ。その辺はうちの王子サマと似てますね!」
「あ……はは」
さり気なくカイ君を貶しているようだが、本人は意識せず言ったつもりのようなのであえて何も言わなかった。まさか私だけでなくセアドさんにも容赦なく思ったことを言っているのだろうか。いくら天真爛漫な少女とはいえ、そろそろ彼女の身が心配になってきた。
だけど、彼女のお陰でフレーメの王子の人物像の輪郭がようやく見えてきた。聞く限り、あまりいい人ではないようだし、狡賢いイメージが強い。だとしても、まともに話を聞いてくれそうな感じはするし、いざカイ君が対面したとしても、私やセアドさんがサポートすれば何とかなる気がしないでもない。
とはいえ、ただの教育係である私に何ができるのかはわからない。私にできるのはあくまでカイ君の教育で、国の政治に関することまで口を出せる権利は、ない。
「色々お話ありがとうございます。だいぶよくわかりました」
「いえいえ! あたしにできることは少ないですから、お役に立てて光栄です! それじゃあ、そろそろお仕事に戻るので!」
そう言ってニケさんは慌ただしく帰っていった。初めて会ったときから思っていたが、彼女は走るのが物凄く早い。図書館で走るのがマナーとしてどうなのかは置いて。
一通り本も読み終わったことだし、私もそろそろ戻らなければ。手元にある本をロルフさんの机まで運び、返却する。片づけるのは彼の仕事なので、迂闊な親切心で書棚に戻してはいけないのだ。
図書館を後にし、自室へと戻る。今日一日、色々なことがあった。作法の練習でのできごとを思い出しひとりでに恥ずかしくなるも、誰もいないことを確認していながら俯いて歩く。
カイ君のあの言葉が、頭から離れない。
勿論本心じゃないことくらい、わかっている。わかっているけれど、なぜだかあのときの様子が鮮明に脳裏に残っていて、ふとしたときに思い出してしまう。
「そんなんじゃ、ないのに」
カイ君は王子で、私の教え子だ。それ以外の何者でもない。大体まったく別の世界に住む人間に特別な感情など、抱いてはいけないのだ。いつかは帰ることになるのだから。
なんとか別のことを考えようとさっき読んだ本のことを思い出しながら歩いていると、曲がり角で誰かにぶつかった。なんてベタな展開だと思うより先に、ぶつかったところが妙に硬かったせいで体の痛みに悶絶する。
「大丈夫ですか?」
上から聞こえてきた声にぶつけたところを擦りながら見上げると、外から帰ってきたらしいゲルハルトさんがしゃがみ込み顔を覗き込んでいた。相当痛がっているように見えたのか、明らかに心配の色を浮かべている。
大丈夫です、と言おうとするよりも先に、予想以上に近い彼の顔に思わず後ずさりしてしまった。忘れかけていた記憶がフラッシュバックして、頭が白く埋まっていく。
「あ、あの……大丈夫です、すいません!」
気がつけば廊下を走りだしていた。ぶつけた個所は未だ痛みを感じるが、構っていられるほど余裕もなかった。わけもわからず道なりに走って、気がつけば自室と反対方向に進んでいるのに気づき立ち止まる。
どうやら私は思っている以上に、異性に対して耐性がないらしい。こればかりは、カイ君の引きこもりを言える立場ではないと落ち込んだ。




