意識する
よく晴れた昼下がり、今日もカイ君に勉強を教えるべく彼の部屋へと赴いていた。彼と接するのも随分と慣れてきて、心を通わせられるようになってきたと思う。単に引きこもっていたといっても、彼はそれほど他人とのコミュニケーションが不得手というわけではなかったのもあって、最初に比べたら授業に関係ない話もよくするようになった。
彼がなぜ引きこもるようになったのか、まだ聞くべきではないと思うけれど、このまま順調にいけば、いつか自分から部屋の外に出るようになるのでは、と希望を抱きつつある。
しかし今日ばかりは、そんな淡い希望に影が差すような状況に不安を感じつつあった。
「お久しぶりでございます、王子! わたくしの顔を覚えていらっしゃいますか?」
「……おい、なんでこいつがいるんだ」
「わ、私のせいじゃない……ですよ?」
元凶は言わずもがな、いつも二人きりの部屋の中に第三者が介入していることだ。王直属の臣下をまとめ上げる大臣でありながら、普段は執事長でもあるセアドさん。その存在を認識したくないかのように、カイ君はこれ以上ないくらいフードを目深に被っていた。
彼がなぜ部屋にいるのか。理由は至極簡単で、私がカイ君の部屋へと向かう途中、ちょうど暇を持て余していたらしい彼が面白半分についてきたのだ。
まだ私以外に慣れていないカイ君のことを思ってやんわりと同行を拒否したのだが、彼の弾丸話術に叶うわけもなく連れてきてしまった。
とにかく、彼がいる以上は魔法の勉強はできない。カイ君の前では敬語を外していたが、さすがに二人きりでないときは敬語もつける必要がある。別に誰かがいてはいけないわけじゃないが、色々と都合が悪かった。
そんな気まずさ漂う空気など物ともせず、セアドさんは自分のペースを崩さない。
「時にアンナ様、王子の教育はどこまではかどっておられますか?」
「は、はい。座学に関しては王子様の飲み込みが早かったので、この分だとすぐにでも応用の勉強もできます」
「なんと! 王子の類稀なる才覚もさることながら、あなた様の手際のよい教えには感服いたします!」
「言いすぎですよ……王子様が頑張ってくれたから、はかどっただけです」
私だって、この短期間でカイ君がここまで知識を身につけるとは思わなかった。彼はやればできる子なのだ。驚くほどの集中力と物事を解決する力は、誰もが持っているものではない。
セアドさんの褒め殺しと私の謙虚な対応を横で聞いていたカイ君は、恥ずかしそうに距離を取る。
こんな姿を王様が見たら、きっとカイ君のことを見直してくれるかもしれない。きっと王様は、カイ君の頑張りを知らないだけなのだ。
「でしたら、座学の方は問題なしということですね。いや、わたくしもただ暇だからと同行しただけではないのですよ」
「そうだったんですか?」
「勿論でございます! いえ、そろそろ王子には作法を学んでいただきたいと思っていた所存にございます」
「うげ……」
作法の言葉に、カイ君は露骨に嫌な態度を見せる。
そう、問題は作法だった。いくら勉強で飛躍的な進歩を見せていても、それだけがすべてではない。今のカイ君に足りないのは、王族として必要不可欠な礼儀作法なのだ。
彼が根っから口が悪いのではないことも知っているが、どれだけ否定しても王族の血統である以上、他国との交流の機会も必然ある。いつまでも部屋に閉じこもって、一人の世界にいるわけにはいかない。
勉強は教えられても、作法に関しては私一人では不安なところがある。きっとそれもわかってて、セアドさんは一緒に来てくれたのかもしれない。そこまで読めていたとしたら、やっぱり侮れないのだけど。
「いや、ちゃんとした言葉遣いとか動作なんて、もう知ってるから!」
「はい、王子ならそう仰ると信じておりました。ですから応用編ということで、実践してみましょう」
「じ、実践……?」
「例えば、アンナ様を他国の王女様と見立てまして、二人でお茶会をいたしているという設定でいかがでしょう?」
いきなり自分の名前を出されて、私までも目を見開いてセアドさんを見る。カイ君も文句を言いたげに口を開きかけていたが、セアドさんが発言を取り消してくれるとは思えず、沈黙を了承の合図としていた。
「そうと決まれば本格的に場を作るためにお茶が必要でございますね。ニケ、用意いたしなさい」
突然扉が勢いよく開かれたかと思うと、私達三人のもとへ何かが突進してきた。まるで命令される前から待機していたかのように、それは三人目掛けて速度を緩めることなく迫っていた。思わず目を瞑ってしまったが、ぎりぎりのところで止まったそれに小さく息が零れる。
現れたのは、ティーセットを乗せたカートを引いてきたメイドだった。メイドにしてはあまりにも、元気が良すぎる気もするけれど。実際それらしい制服を着ていなければ気づかなかったかもしれない。
猫のように跳ねた銀色の髪につり上がった大きな瞳、そして健康的な浅黒い肌。歳はカイ君と同じくらいだろうか。
「お呼びでありますか、大臣サマ!」
「まったくお前は……いい加減お茶を運ぶときに走る癖をやめなさいと、あれほど言ったはずですが」
「ううー、でもこのお城って広くて長いじゃないですかあ! 走りたくなっちゃうですよ」
「はあ、確かにお前の走る音はよく聞こえるので、目印にはなりますが……まあ、今はとやかく言っている場合でもありませんね。テーブルに用意しなさい」
「お任せを!」
多少乱雑だが、てきぱきとティーセットを並べていくのを呆然と眺める。今までお世話になったメイドさんはどの人も謙虚で粛とした姿勢を見せていたが、こんな快活な子もいるのか。
視線に気づいたのか、彼女と目が合う。大きな猫のような瞳に映されて、思わず俯いてしまった。そんな私にお構いなく、彼女は笑顔を綻ばせて話しかけてきた。
「ああっ! あなたが王子サマの召喚した異世界のお方ですね! うわー、お初にお目に掛かりますです!」
「は、初めまして……アンナと申します」
「あたしはメイドのニケです! ご用の際は何なりとお申し付けくださいませませー!」
そう言っている間にも手際良く用意を済ませ、彼女は颯爽と部屋を後にした。なんだか嵐のような少女である。
とにかく、セアドさんの理想のセッティングが済んだところで、作法の授業が始まった。
しかし実際のところ何をしたらいいのかさっぱりわからず呆然としていると、まずは椅子に座るようにと促される。それに従いおずおずと腰掛け、カイ君と向かいあう状態となった。こうしてお互いの顔を見るのは初めてではないけれど、人前だと妙に意識してしまう。
沈黙すること約三分、そろそろ何か喋らなければと痺れを切らして口を開き掛ければ、セアドせんの手が肩に置かれた。顔を上げて目を向けると、彼は薄い笑顔を浮かべたまま首を振る。
「男女の会合の場合、先に話題を振るのは紳士からが好ましいと決められております。お話があるまで、静かにお待ちくださいませ」
「はあ……」
「王子も、お黙りになっているままでは始まりませんよ? 会話など何だってよろしいのです、ご挨拶から始めてみてはいかがでしょう」
「お、おう……」
なるほど、異世界であっても礼儀に関しては私の知っているものとそこまで変わりないのか。どちらかというと英国的な雰囲気を感じるが、敬語なんかは日本とほぼ同じだし、そこまで対応についていけないなんてことはない。
カイ君は困惑しながらも、勇気を出して口を開いては閉じてを繰り返している。今まで他国の王族と会う機会がほとんどなかったのか、慣れている様子は感じられなかった。
「え、ええと……その、本日はお日柄もよく……」
「王子。まずは女性を褒めながら挨拶をなさるのが一般的でございます」
「わ、わかってるよ! ちょっと忘れてただけだ」
口ではああも言っているが、フードから覗く頬が赤く染まっているのが見えた。年頃の男の子なのだし、女性を褒めるなんて経験もないのだろう。まあ、今まで女性として意識されていなかったと思うと、それはそれで複雑だけれど。
そこでふと、気になる。カイ君のお母さんはどこにいるんだろう。父親である王様の話は耳にするが、母親の話はまったくといっていいほどに聞かない。
いや、これもまだ聞くべきことではないのだろう。
そうこう考えているうちにも、覚悟を決めたのか、カイ君は再び口を開き言葉を紡ぐ。
「ほ、本日は……あ、あなたのような美しい女性にお会いできたこと、光栄に存じます……」
生まれてこの方、そんな煌びやかな言葉をもらうとは思いもしなかった。
何か返事を出そうとしても、恥ずかしくて頭が真っ白になってしまう。中々返事を寄越さない間にも自分の発言が相当恥ずかしかったのか、カイ君もまた深く俯いてしまった。
今まで彼の口から敬語なんて聞いたこともないし、それでなくても常に上から目線の発言を受けていたというのに、いきなり対等な位置で言われたと思うと、全身がこそばゆい。
二人の様子を静かに眺めていたセアドさんは、やがて状況を理解したのか、独り言のように言った。
「おやおや、随分と初々しいやりとりでございますねえ……」
「あ、あああの、すいません! 私が悪いんです!」
「いえ、わたくしも初めての練習にしては難易度が高すぎたと反省いたしております。アンナ様にも後ほど、作法の勉強をお教えいたしますのでご安心ください」
ああ、恥ずかしい。今までろくに彼氏もできなかった私の耐性のなさが、こんなところで響いてしまうなんて。カイ君のことはただの生徒と割り切っていたし、異世界の人間に特別な気持ちを抱くことはなかったのだけれど、面と向かってあんなことを言われて何も感じないという方がおかしいのだ。
未だおかしそうに小さく笑いを零すセアドさんもきっと、私がここまで年頃めいた娘だとは思わなかったに違いない。
なんとか次の練習までには慣れておかなければ。
今まで黙りこんでいたカイ君もようやく羞恥心が薄れてきたのか、今までの敬語を捨てていつもの態度を取り始める。
「あーっ! なんでこんな面倒くさいことしなきゃなんねーんだよ! 大体部屋から出る気ないからな!」
「残念ながら王子、そうも言っていられない状況に陥っているのです」
「あ? どういうことだよ」
「隣国のフレーメ帝国第一皇子が、近々我が国と会合を開きたいとの意向を示していらっしゃるのです。その際に王子が顔を出されないようですと、我が国の印象の問題に関わりますので」
隣国、という言葉に、カイ君の顔が凍りつく。
この国の周辺の状況にはまだ詳しくないが、フレーメという国は聞いたことがあった。以前図書館で呼んだ戦争の歴史が記された本に書かれていた名だ。今は休戦関係にあるはずだが、なぜ今になって。
何か嫌な予感がする。誰もがそう思ったことだろう。
セアドさんが急に作法などと言い出したのも、単なる気まぐれではなかったのだ。やっぱりこの人は、食えない男だ。




