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王族直属教育係に任命されました。  作者: 銀朱
第一章 魔法使いと教育係
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消える

 将来が見えてこない。

 それが今、私が抱えている一番の悩みだ。サークルの友人や親しい知り合いの悩みは最近の出来事だの恋愛だの、一歩先の未来しか見据えていないものばかりで、さすがにそんな重苦しい話題を出せず一人抱えている。

 大学に進学して、日本文学部を選択して、典型的な文系女子大生を始めてから3年が経とうとしていた。そろそろ就職も考えなければいけなくなってくるこの時期、日に日に憂鬱さが増している自分が嫌になる。

 そして今日もまた、晴れない気分を隠しながら、隣で必死に悩んでいる生徒の指導をするのだ。


「そこ、間違ってる」

「え、どこ」

「問3のところ。そこの動詞は現在完了じゃなくて過去完了でしょ」

「わっかんねえよ……どっちも完了してんじゃん」


 勉強机に置かれた問題集を睨みながら頭を抱える、高校2年生の男子生徒。私は彼の家庭教師だ。今時高校生に家庭教師が付くのも珍しい話で、普通なら塾に行くのが当たり前となっている今日では稀な事例だ。

 しかし、それは彼の家柄を抜きにして、の話だ。彼、王沢カイ(おうさわ かい)は閑静な住宅街では浮いてしまうほど大きな家に住んでいる。家、というよりは屋敷と表現した方が間違いないかもしれない。

 数か月一緒に過ごしてきてわかったけれど、彼は随分と家族から寵愛されてきたようで、家族に過保護な扱いを受けているらしい。塾ではなく家庭教師を選んだのも、複数で受ける塾では勉強の妨げになるかもしれないという、あまりにも溺愛しすぎた理由が一つあるようだ。

 そんな彼も両親に甘やかされることにそれほど抵抗がないのか、毎週教えに来る私を鬱陶しがる様子がない。


「そういえばカイ君って、どこの高校通ってるんだっけ」

「言ってなかったっけ。清進だけど」

「清進……って、私立の……」


 名前だけは聞いたことがある。私立のトップクラスの学校の中でも、一握りの条件を満たした者しか入学できないという超金持ち学校、私立清進学園だ。都内某所にあると言われているが、てっきり夢物語だとばかり思っていた。

 正直彼の家族が何の会社で働いているのかも知らないし、知りたくもない。だけどそんな学校に入れられるのだから、彼の将来はすでに保障されている。将来安泰だ。

 それに比べて私は……と、比べる価値もない自分と彼を比較しては、尚更溜まっていく重い何かを感じた。


 再び勉強に戻り、今日の課題をすべて終えると、ちょうど終了時間を迎えようとしていた。夕焼けが窓から差し込み、一日の三分の二が終わったのを自覚する。

 二時間ほど机に向かいっぱなしだったカイ君は、大きく伸びをして欠伸を零していた。どんなにいい家庭で育っても、勉強が退屈なのは共通らしい。そんな姿に思わず微笑ましくなってしまう。

 荷物を片づけて帰ろうとすると、彼はふと思いついたというように声を掛けた。


「そういえばさ、先生ってなんで先生やってんの?」

「はい?」

「いや、だから。なんで家庭教師なんてやってんのかなって。今、大学生なんでしょ?」

「ああ……うん。別に、大した理由はないよ」


 理由はない。何となく、たまたま目にした求人に応募しただけ。特に教えるのが好きだとか、教師を目指していただとか、前向きな理由はない。

 やってみれば案外面白くて、うまくいかないことも多いけれど、家庭教師の楽しさもわかってきた。だからせめて卒業するまでは続けたいと思っていたけれど。

 きっと彼は、そんなどうでもいい理由を聞くために聞いたんじゃない。だから、返答をはぐらかした。


「なんで、そんなこと聞くの?」

「いや……羨ましいなって」

「羨ましい? 家庭教師やりたいの?」

「そうじゃなくてさ。何ていうか……先生みたいに、自由にやりたいことできるっていうの? そういうの、いいなって」


 そういうことか。

 家族に寵愛されているからこそ、彼自身の自由はそこにない。やりたいことがあっても「それは危ないから」と勝手な理由で叶えられない。彼はずっと、そんな気持ちを押し殺して生きてきたのだろう。

 私とは正反対な、ある意味ぜいたくな悩み。


 カイ君とその家族に別れを告げて、彼の家を後にする。すでに時刻は夕方六時、帰ったら夕飯を食べて課題に手を付けなければ。

 なんて思っている自分が情けなくなる。高校時代は部活三昧で、大学に入ってから恋愛したり遊んだりできると思っていたのに、結局三年も相手にしているのは課題だけ。私の彼氏は課題なのだろうか。

 人知れず溜息を零し、街灯の照らす静かな住宅街を歩いていると、ふと、何かに気づいた。説明のしがたい違和感は、やがて異変であると気づく。


 さっきから、誰もいない。


 いや、住宅街なのだし人通りは多くないけれど、それにしては鳥の声も猫の姿もなく、随分と静かすぎる。聞こえるのは風に揺れる木の葉が擦れる音だけで、なぜだか無性に君が悪い。

 昨日の寝不足が今頃体に響いているのか。気のせいだと自分に言い聞かせて、足早に帰路を辿る。もしかしたら幽霊か何かが出るのかもしれないと思ったが、残念ながら私に霊感はない。だとしたら不審者だろうか、いや、人の気配がないんだしあり得ない。

 とにかく早く人気の多い通りに出ようと小走りになるも、さらにおかしな現象に気づく。さっきから同じ狭い通りを歩いているだけで、この先にある大通りがまったく見えてこない。

 立ち止まり、恐る恐る振り向いてみる。こういう場合、振り向いたら最後、なんて展開はよく目にするが、それはあくまで架空の話だ。単に道を間違えていただけとか、前向きな可能性はまだたくさんあるはずだ。

 ゆっくりと振り向いた先にあったのは、もはや風の音すらも聞こえなくなっていた……


 闇。


 いつの間にか歩いてきた道は闇に飲み込まれていて、声をあげる間もなく足元まで迫っていて、そして。

 視界は途切れた。


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