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旅立ちの章 第1節

『遠く広き空が我等にとって苦痛の檻になった時、それは地に降りるべき時がきた合図だ』

 偉大なる翼、我等が大いなる始祖。ヘルハイム・ユングヒュルデはそう仰ったという。

 その一節を初めて聞かされた時、鼻で笑い飛ばしてやったものだった。


 竜として生まれ落ち、空を飛ぶことを許された瞬間から、飛ぶことがたまらなく好きだった。

 二対の翼をはためかせ、風が肌を撫で、空に包まれる時、この世界が愛おしく思った。この空が苦痛となる日など、永遠に訪れない。そう信じきっていた。


 だが今なら痛いほど、その言葉が理解出来た。


 今やこの身は、憎しみと苦痛に満ち満ちていた。

 負の感情がこの身を焦がす一方で、胸の内に浮かぶのは我が友の姿だった。

 彼は故郷に帰れただろうか。彼に託した小さな命も、無事だろうか。


 自分の鱗を貫く、大型の矢。その傷口からどくどくと血が滴り落ちている。

 今や前後左右・上下の判別もつかず、自分がどこに向かっているのかもわからなかった。

 それでもひたすらに、暗い夜の海で、夢中で己の翼を動かしていた。


 大丈夫だ、帰るべき場所はちゃんと覚えている。我が友の姿を、よく覚えている。

 彼と同じ眼で、同じ世界を見てきたのだ。彼にもらった翼で、彼と共に世界を旅したのだから。


 きっと、また会える。そう信じて、二対の翼に再び力を込める。ボロボロと剥がれ落ちていく鱗もお構いなしに、ただ進む。


 「絶対帰る、お前のもとに」



 ――旅立ちの章 第1節――



「エレアス!聞いておりますか!」と雷のような怒鳴り声に、全身の鱗を逆立てて飛び起きたのとほぼ同時だった。


 まだふわつく頭で周囲を見渡すと、うす暗い洞窟の岩肌に座する竜達が、呆れ果てた顔つきで僕を見つめていた。

 侮蔑と苛立ちの目から逃げるように視線を反らした先に、恐ろしい形相で僕をねめつけて居る薄氷のような薄水色の鱗を持つ竜、ヴィヴィアンがいた。雷の怒鳴り声を放った張本人だ。


「今は長老ゴーシュ様による経典の朗読の時間ですよ。居眠りはこれで何度目だと思っているのです。謝りなさい」

「ごめんなさい、じじ様」


 洞窟の奥には、楕円型に掘られた空洞に、水の膜が貼られた”水鏡”がある。それはヴィヴィアンによる魔導によって作り出された代物だ。

 その鏡の向こうには、四重にも螺旋を描く一対の巻角を持つ、全身が苔生した体躯の長老ゴーシュの姿が映っていた。ゴーシュじじ様は白濁した眼で、こちらを見つめていた。


「かまわぬよ、エレアス。老いぼれの語りは退屈であろうが、大事なお話じゃ。しばし耳を傾けておくれ」

「……じじ様はいつもあいつに甘いな」

 周囲の呟きがぼそぼそと聞こえてくる。声の主に視線を向けるのをぐっと堪えて、水鏡の向こう側のじじ様に向けてこくりと頷いた。


「では、もう一度初めから」

 再びじじ様が語り始める。しかもご丁寧に、僕が眠っていて聞き逃していた所から再び話し直してくれるようだった。

 

 ヴィヴィアンの鋭い視線を感じながら、水鏡の向こうの語りに集中している素振りを見せる。

 だが、内心は心底うんざりしていた。

 繰り返し同じ話を聞かされて、頭の中にカビが生えてきそうだ。


「北のウトガルハイム山脈、我が国土の中央に座する霊峰ニヴルハイム。その麓には、栄光の金林檎(プル・オーウェルング)が生い茂る森。東のムスペルハイム火山。ニヴルハイムより南へ流れるナーシグ川。西のサザスハイム湿原。南の丘陵デーンハイム。全ての自然を我等は愛し、我等もまた愛されている。我が国の名はヘルハイム。我等が始祖の名を冠した、太古より生きる竜の聖地の名である」


 僕等、竜の種族の成り立ち。僕等が住むこの国の地理、歴史。

 ただそれを読み上げるだけのこの時間が、たまらなく苦痛だった。


「我等が始祖たるヘルハイム・ユングヒュルデという竜は、四対の翼に何物をも噛み砕く牙と、何者をも切り裂く爪を持っていた。鱗はいかなるものも傷をつけることかなわず、その身に宿る魔力は、世界の摂理を変えてしまうほどであったと言われている。その竜の眼はどんな色にも染まらなかったが、この世に存在するあらゆる色を湛えていたとされている。

 永続の命を宿していた始祖は、ある日”死”をその身に迎え入れることを決め、冥湖にその身を投げた。しかし、始祖の体は完全に朽ちることなく、その骸からまた新たな命が生まれた。

 空を駆ける飛竜族。摂理を知る魔竜族。闘いの化身たる闘竜族。最後に異形の姿を持ち、変異を内包する異竜族が生まれ……」


 魔竜はその身に宿す魔力と、竜言語(ヴィーフロア)を駆使した魔導を得意とする種族だ。

 故に、原初の竜言語とされる経典の理解は必須だ。

 経典は一言一句、空で口ずさめるほどに暗記すべし。

 その教えのおかげで、この読み聞かされるだけの退屈な時間が用意されている。いくら大事だからって、第1章の話を毎回繰り返さなくたっていいのに。


 そんな僕の気持ちとは裏腹に、じじ様の話はまだ続く。すぐ傍で居眠りをしないようにヴィヴィアンが僕を監視している。


 緊張感に苛まれるも、やはり睡魔は襲ってくる。

 昨日も夜通し”練習”していたのだから、仕方ない。

 もうすぐやってくるその機会を、絶対に逃してはいけないのだ。

 じじ様の平坦な調子での語り口によって、一層眠りに誘われていく……。



 サザスハイムの老木の前。柘榴色の鱗を持つ竜が、怪訝な顔つきで僕を見つめていた。

「経典の授業~? そんなのサボっちゃえばいいだろ」

「サボったら、怒られちゃうよ。じじ様のお気に入りなんて言われて、疎まれてるのに……」

「あんな連中のこと、気にするなよ。お前にはあたしがいるだろ。ほら、行くぞ!」

「待ってよシスカ、本当に怒られちゃうって」

「その時は、あたしも一緒に怒られてやるよ!」

 あっけらかんと明るく笑い飛ばして、シスカは意気揚々と僕を空の散歩に誘った。

 陽光に照らされた彼女は、まるで太陽のようだった。


 たまに口喧嘩をすることもあったけど、彼女と共にいる日々は幸せだった。

 だが、幸せが途切れる日は、突然やってきた。


 魔竜族と飛竜族が一人前と認められるための、”成竜の儀”。

 その一環で、僕とシスカは、世界を巡る旅に出た。


 その長い旅の帰路で、海の彼方からやってきた”怪魚の家臣”どもによって襲われたのだ。

 旅の道中で見つけた新たな命の結晶たる竜の卵、それを抱えた僕を守るため、彼女は囮となった。


 僕は卵を抱え、無我夢中で故郷に戻った。

 深い傷を負っていた僕は、何日か意識を失っていたらしい。だが意識を取り戻しても、彼女の姿はなかった。

 

 幾度も陽が昇り、沈んだ。ようやく身動きできるほどに傷が癒えても尚、シスカは戻らなかった。

 何度も彼女を探しに行こうと考えた。

 だが、竜はこの国から外へ出ることは許されていない。長老ゴーシュに直談判しても、許しを得られなかった。

 

 もう、残された選択肢はたったひとつしかないのだ。



 突然、僕の角が捻じ曲がってしまったかというほどの激痛が走った。

 あまりの痛みに、意識が急浮上した。頭のすぐ横に、薄氷色の顎があった。

 どうやら僕の角は、ヴィヴィアンに思い切り牙を突き立てられているらしい。

「2回も居眠りするとは、何事ですか!」

「ごめんなさい! 起きた、もう起きたから許して!」


 僕の情けない声を聞いて、ヴィヴィアンは僕の角を解放してくれた。憤懣やるかたないといった様子のヴィヴィアンは、聞えよがしに大きなため息を吐き出した。

「全く嘆かわしい、かくなる上は補習を……お待ちなさいエレアス、一体どこへいくのです!」

 僕は四つ脚を立て、洞窟の出口にまっすぐに向かう。


「こんなに居眠りしちゃうなんて、僕なんだか具合が悪いみたい。ごめん、先に帰っちゃうね」

「経典の時間を抜け出すなんて、それでも魔竜族ですか! 許しませんよ!」


 ヴィヴィアンの制止を振り切って、僕はそそくさと洞窟から飛び出した。

 水鏡の向こうのじじ様と、一瞬目が合った気がしたが、知るもんか。

 翼を大きく広げ、大空に向けて飛び上がる。


 僕の背後にそびえ立つ、霊峰ニヴルハイム。

 山が多いこの国でも一段と背丈の高いニヴルハイムの頂上には、長老ゴーシュが住む魔竜族の庵が構えられている。魔竜達の中でも、特に魔力の強い者達が治める場所だ。


 竜でさえも霊峰の頂きにたどり着くのは、そう簡単なことではない。

 故に、水鏡を通して、ニヴルハイムの麓の洞窟で啓典の学びを深める集いが開かれるのだ。特に若い世代の竜は、その集いへの参加は必須である。


「どうせみんな聞いてないよ、あんな話」

 ぼそりと文句を垂れると、先ほどまで晴れ渡っていた空が突如曇り始め、あっという間に雷鳴が轟く天気に様変わりしてしまった。魔竜が収まりきらぬ怒りを覚える時、雷を呼んでしまうことはよくある事象だ。


「うわ、もしかして今のも聞こえてたのかな。絶対ヴィヴィアンだろうな……あんなに怒らなくたっていいじゃないか」

 雷に撃ち抜かれないように気を付けながら、僕は西に向けて翼を向けた。



 飛び駆けた先の、サザスハイム湿原の外れ。そこにポツンと立つ朽ちかけた巨大な老木に辿りつく。老木の洞にゆっくりと着地して、翼を折りたたんで中に入る。色とりどりの花が咲き、洞の中を彩っていた。どれもが僕が丹精込めて育てた花々だ。僕の帰還を喜ぶように、花々がざわざわとその花弁を揺らしている。

「ただいま。でもすぐに行くんだ。悪いけど、また留守番を頼むね」

 洞の中の木の皮をおもむろにはがすと、小さな袋の包みと、乳白色の固い殻に包まれた大人の熊ほどある大きさの”卵”があった。

 洞の外は、ついに雨まで降りだしたようだ。包みと卵を濡らさないよう大切に抱え、僕は再び翼を羽ばたかせた。

 

 今度の目的地は、南にある。霊峰ニヴルハイムから続く川の流れを受ける”フェーデ”と呼ばれる湖だ。

 ややもすると、深緑の森に囲まれた湖が見えてきた。深い青とも緑ともつかない、暗い色の淀んだ湖に、僕は一切の躊躇なく、翼をたたんで勢いよく急降下する。


 水柱をあげて、僕は流れ星のように湖に飛び込んだ。

 底へ、底へ。ただひたすらに、暗い水の中を潜り続ける。もう息も限界に近づいた時、突然視界がぱっと開かれた。


 地上の光が木漏れ日のように照らすそこは、一切の音がない静寂の砂漠だ。

 湖の暗い水は今や空の役割をなして、僕の頭上でこの砂漠を見下ろしている。


 抱えた卵に傷がついていないか確認した後、僕はさくさくと音を立てながら砂漠を進む。

 青や赤、緑や橙、ありとあらゆる色の砂が、砂の大地を形作っていた。仄かに光る砂達を灯りに、どこまでも砂ばかりの薄暗い世界を歩いていく。


「エブラスカ、どこ?」

 くわえた葉の包みをおろし、姿の見えない相手を呼ぶと、突如僕を包み込むように、ぬるりと闇が空から零れ落ちてきた。

 瞼を閉じる度にやってくる黒と同じ色のこの闇は、僕をいつも安心させてくれた。


 「ここにいるよ、エレアス」

 闇の中に浮かぶ深藍色の両の瞳を瞬かせたかと思うと、闇は徐々に輪郭をなして口元だけを形作った。


「なんでいつも隠れてるのさ」

「そう怒らないで。にしても、今日は随分早いね。今はあの経典とやらの朗読時間じゃないのかい」

「サボっちゃった」


「おや、悪い子だね」

「それより!今日も練習にきたんだ。 今日こそうまくやってみせるよ」

「熱心なことだね、いいとも。ああ、その前にその小さな未来は預かっておこう」

 闇が質量をもって僕の抱える卵を包み込んだ。それを見届けた後、僕は深く呼吸をする。


 忘却する。竜たる僕を。

 夢想する。人たる僕を。


 僕を僕たらしめる欠片を噛み砕き、飲み込んで全く違う破片へ造り変えていく。

 追いやられそうな意識に、必死に脚を伸ばす。みるみるうちに、鱗の生えた爪先が柔い指へと変わり始める。げほげほと咽る(むせ)僕の声は、もはや竜のそれとは異なっていた。

 普段の10分の1程に小さくなった僕の体は、旅の途中で見た人間そのものだった。

 少しはね気味の青緑の色をした短めの髪に、竜の時と変わらぬ紫電の色を持つ瞳。鱗がなくむき出しになった生白い肌。僕が今まで行った”転変”の術の中で、一番上手く出来た自信があった。


 エブラスカも僕の姿を見て驚いたようにほう、と感嘆の溜息を吐き出した。


「随分上手になったものだね。だが、まだ足りないよエレアス。人はそんな恰好で歩かないものだよ」

「服、でしょ?知ってるよ。着方も教わったんだ」


 足元に置いた葉の包みを開けて、教わった通りに服を着てみせる。留め具の多さに四苦八苦しながらも、なんとかそれなりの見栄えになったようだ。両腕を広げるとモモンガのような格好になるこの服は、麻で織られたものであるらしい。革紐が何重にも交差する足に纏うものは、サンダルと呼ばれる代物だ。


 人間達はこんな息苦しいものを毎日着ているのかと思うと気が遠くなるが、これにも徐々に慣れていかなければならない。


「文句のつけどころがないよ、本当にただの人間に見える……。やり遂げたね、おめでとう」

 エブラスカの褒め言葉に沸き立った。その言葉は、つまり準備が整ったということを示していたからだ。


「統一祭までに、なんとか間に合った」

「とうとうやってきたのだね。お前は、本当に行ってしまうんだね」


 寂しげな声色のエブラスカに、僕はこくりと頷いて見せる。

「うん。シスカを、迎えに行くんだ」


2026.3.14 改稿

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壮大なハイファンタジーの幕開けの予感…!登場キャラがみんなドラゴンとは斬新…! 続きを楽しみにしています!
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