「芋ようかん」
とある日の昼下がり。
光井は、ひとりで廊下をうろうろしていた。
その様子は、どこか落ち着きがなく、ぎこちない。
そこへ、音が通りかかる。
光井を見つけた音は、ぱっと笑顔になって声をかけた。
「あっ、光井くんだ! なにしてるの?」
光井は内心ドキリとしながらも、平静を装った。
「お、おぉ! いや、俺もたまたま通りかかってさ……」
――かれこれ10分近く、同じ場所をうろついていたことなど、まるで無かったかのように。
「羽野こそ、こんなところで何してんだ?」
白々しく問い返す光井。
この時間帯に音がよくここを通ることは知っていた。
ただ、あまりにも頻繁に顔を合わせると、不審がられるかもしれない。
だから普段は、あえて近づかないようにしていたのだ。
そんな事情など微塵も知らない音は、無邪気に答える。
「散歩っ♪」
(……可愛い)
光井は、あっという間に心を撃ち抜かれていた。
だが、恋愛面に関して非常に鈍感な音は、自分がそんな風に思われているとは、夢にも思っていない。
「光井くんも、たまに外で運動してるよね」
光井は思わず目を見開いた。
「えっ、見られてたの!?」
「うん。見てたよ」
あっさり言われて、光井は急に恥ずかしくなった。
変なところを見られていなかっただろうか、と。
「それに、よく閃くんやアンジュちゃんたちとバスケしてるよねっ」
音は、楽しそうに続ける。
「あぁ……そんなとこまで見てるのね……」
光井は苦笑いしながら答えた。
「うん! かっこいいなぁ〜って思いながら見てるよ」
――今、なんて言った?
光井は一瞬、思考が止まった。
(え……? 今……“かっこいい”って……俺のこと……?)
だが、すぐに冷静になる。
(いや、閃の可能性が高いな。その次はアンジュだな……。あの2人、めちゃくちゃ上手いし)
音は誰に対しても優しく、柔らかい。
しかし光井には、以前から思っていた事がある。
音と閃の距離感は近すぎる、と。
まるで恋人同士のようにも見える。
以前、遠回しに閃へ「彼女いるのか?」と聞いたことがある。
返ってきた答えは「テツ(烈のペットのブルドッグ)」だった。
つまり、彼女はいない。
だが、それでも“特別な関係”なのかもしれない。
「……いいよなぁ、閃……」
思わず、ぼそっと口に出してしまった。
「…ぅえ?」
音が聞き返す。
(で、出た!! 羽野名物『…ぅえ?』!! 可愛すぎる!!)
音の「…ぅえ?」は、オルフェ内でも有名な可愛さを誇る癖だった。
だが光井は慌てて誤魔化す。
「え!? 俺、なんか言ってた?」
音は、必死に笑いをこらえながら答える。
「あ、あのねっ……あんまり聞き取れなかったんだけど……い、芋ようかん、食べたいって聞こえて……あははっ!」
ついに音は耐えきれず、笑い出した。
光井も笑いながら言う。
「やべっ!! 心の声、漏れてたわ!!」
(あ、あぶねー! 羽野が天然で助かった!!)
心の底から、そう思った。
やがて2人は別れたが、音は歩きながらも、ずっと笑っていた。
一方の光井は、久しぶりに音と2人きりで話せたこと、そして「…ぅえ?」が聞けたことに、完全に満足していた。
(……芋ようかん、買いに行こっかな)
そう思いながら、光井は静かに歩き出した。




