愛することはないと言った旦那様、やり直しって本当ですか? 〜溺愛&反省ムーブが斜め上すぎて奇行にしか見えないんですが〜
少し長めですが短編で投稿します。
よろしければお付き合いください。
「――おまえを愛することはない!」
いわゆる初夜でこういう奇行をやらかすなんて、私の旦那様って変わった人よね。
ほんの数時間前にささやかながらも結婚式を挙げ、神の御前で夫婦の誓いを述べたばっかりなんですけど?
まだ二十四歳でしょ。私よりは年上だけど、若いのに物忘れ激しすぎない?
知り合いに「声を保存できる魔道具」の研究をしている魔法使いがいるから、証拠を録るのに借りとけばよかったかも。
アイツはアイツで「ふひひ」とか「デュフフフ」とか独特な笑い方をする変わり者だけどね。
――最初から訳ありな結婚ではあった。
恋愛関係どころか、一切なんの関係もなかったのよ。
お相手はレイフェル・マクラン。
美貌で知られる若き伯爵様である。
――ただし、女誑しの屑としても悪名高い。
社交界で数々の浮き名を流してきたそうだ。
ところが、ご両親が急な馬車の事故で亡くなられ、一人息子の彼が急遽、爵位を継ぐことになった。
我がカルデナ王国では結婚していないと一人前の貴族とみなされないので、下位ながら貴族の娘――ペリス男爵令嬢である私、ルカイヤと完全なる政略結婚をした。
何しろ「まとも」な適齢期の貴族令嬢はみんな売約済み。
だいぶ条件を下げて、一番マシなのが私だったみたいね。
婚約が成立した後も、爵位を継いだばかりで忙しいと言われた。
で、結婚式まで旦那様になる人と顔を合わせたこともなければ、手紙のやり取りもほとんどしなかった。
私も大概のんきな性格で「面倒だし、いいか」で済ませてしまったのよね。お互い様ではある。
でも、このセリフはちょっとどうかと思うの。
「――僕からの愛なんてものは期待しないでくれ。結婚してやっただけで有難いと思ってもらいたいね」
「はあ……」
私はぽかーんとして夫、になったはずの男性を眺めてしまった。
こっちは花嫁ということで風呂へ入れられて全身磨かれ、すけすけのナイトドレス一枚という少々恥ずかしい格好なのだけど、旦那様はだらしなく着崩した花婿装束をお召しのままだ。ついでにお酒くさい。
「……なんだ。何か文句があるのか? 男爵令嬢の分際で」
「文句と言いますか……ええと、旦那様?は白い結婚をお望みなのですか?」
じろじろ見てしまったので、旦那様の機嫌を損ねたようね。
「当たり前だ、誰が貧相なおまえなんかと! この厚かましい破廉恥な女が!!」
怒鳴られちゃったわ。
見た目は大変よろしい方なのに、頭は大変残念なようだ。
天は二物を与えず、神は公正なりというところだわね。
事前になんの説明もなかったんだから、普通に結婚して普通に夫婦となるものと思うじゃない?
別に厚かましくないわよね?
あと、この色気たっぷりなナイトドレスは好きで着ている訳じゃない。似合わないのは知ってる。
これは伯爵家の侍女達に装備させられたのだ。
嫌なら言っとけよ。貴方の使用人でしょ。
と、思ったのだけれど私が言い返すより前に、旦那様はくるっと踵を返して夫婦の寝室を出ていってしまわれた。
ご丁寧にバッシーンと乱暴にドアを閉めて。
うわぁ、と私は肩をすくめた。
ちょっとどころか、ずいぶん変わった旦那様だ。
貴公子ならぬ奇行子じゃない、これ?
もっと率直に言うと、まごうことなき屑である。噂以上の。
女好きで有名な御方だが、ただし美女に限るというタイプだったのだろう。地味で貧相な私は論外ってところかしら。
……に、しても無いわ。あれは無い。
変人に免疫がある私じゃなかったら、ショックで泣き崩れてしまうんじゃない?
とりあえず戻ってくる気配はないとみて、私はさっさとベッドへ潜り込むことにした。
だって眠いのよ。
朝から慣れない花嫁をやって疲れてる。
初夜なんて飾りだったんだわ。寝よ寝よ。
これが旦那様による最初の奇行であった。
ここから私と彼の、真冬の雪原よりも真っ白で冷ややかな結婚生活が――――始まらなかった。
どうしてかって?
私が聞きたいわよ。
✳︎✳︎✳︎
翌朝のことだ。
私は侍女達に朝の支度を手伝ってもらい……ちなみに使用人の皆様は常識があるみたいで、謝罪され丁寧に世話をしてもらった……、とりあえず旦那様と話し合おうと思って部屋を出た。
すると……
「レ、レイフェル様! 何をなさっておられるのです!」
「うるさい! これから愛しのエリーセのところへ行く、あんな女なぞ知るか!!」
「せめて奥様にご説明を――――」
「うるさい!うるさいうるさい!!!!」
旦那様と執事が揉めていた。
え、女?
結婚前から恋人がいたの?
そういうの説明くらいはしてほしいわね。
私、別に結婚に夢は見てないわよ。
契約結婚でも白い結婚でも、ちゃんと言ってくれれば応じるつもりはあるんだけど。
…………まず話を聞いてくれなそうな人だから、どうしよう?
「レイフェル様っ! お考え直しを!!」
「黙れ! 僕は出かけるんだ、どけっ!!」
様子を伺っていると、旦那様はついに執事を振り切って外出を強行した。
長いおみ足をさっと動かし、大股に階段を降りていく。
ところが、途中で突然バランスを崩して――――――
盛大に階下まで転げ落ちた。
人体から鳴ったら不味そうな音がしたわ。
「レイフェル坊ちゃん――――――!!」
侍女がすごい悲鳴を上げた。
これは自惚れではなく客観的事実として言うんだけど、私がいなかったら死んでたと思うわよ、旦那様。
私が下位貴族の娘としては珍しい魔女で、回復魔法を使って出血を止めたおかげで一命を取り留めたの。
そう、実は私、ペリス男爵令嬢改めルカイヤ・マクラン伯爵夫人は魔法使いなのだ。
魔力は神から与えられる超常の力で、普通は公侯爵以上の貴き血を引くものに現れる。
でも稀に下位貴族や平民にも魔力持ちが生まれる場合があって、私はそういう突然変異の一人だった。
と言っても、ぶっちゃけ微妙よ?
絶対に目立たないように、用心に用心に用心を重ねて活動しているから、名ばかり魔法使いに近い。
出身は新興の男爵家(おじい様が手柄を立てて爵位をもらった)なので、家格は底辺。いわゆる法衣貴族で領地はなく、主な収入は王宮勤めのお父様とお兄様がもらってくる俸禄ぐらい。しょぼいの一言だ。
私自身もありふれた茶色の髪とぼやけた薄緑色の目。ふた目と見られぬ不細工とは言わないものの、間違っても美人じゃない。ごくごく平凡な容姿である。
魔法が大好きで、令嬢教育は大嫌い。やらないと魔法の勉強をさせてもらえなかったから、渋々やってた。
当然嫁の貰い手なんてないわよ。お見合いで魔法の話しかしないからお断りされるの。
二十歳ギリギリ売れ残りの出来上がりよ。
まあ魔法の腕があれば、お一人様でも慎ましく食べていけるでしょう〜と思ってた。後継ぎの兄がいて、家はぱっとしないけど一応安泰だったし。
でも両親がね、悪い人達じゃないけど古風な考え方一辺倒で。
あれこれ縁談を持ってくるのよね。
で、ついに「格上の伯爵家にどうしてもと頼みこまれて断れない」と涙ながらに言われてしまい、根負けして結婚した――そのお相手が旦那様だったのである。
つまり、お互い妥協を重ねてしょうがなく結婚したのであって愛なんて無い。
どこを探しても存在しない。
零って何をかけても零だものね。世界の真理。
……だからって新婚早々、目の前で死なれるのは困るわよ。
いくらサイッテーな旦那様でも、ねえ?
「――――――旦那様!!」
私は階段を駆け降りた。
風魔法を使って三段飛ばし。淑女らしくなんて言ってられないわ。
ぶっ倒れている旦那様の元へ辿り着き、回復魔法を施した。
それでも旦那様は頭を打って血が出た上、右足と右腕を骨折して(身体の右側を下にして落ちたからだわね)、翌朝まで意識が戻らなかった。
その間、私はさすがにこの状態の旦那様とマクラン伯爵家を見捨てる訳にも行かず、屋敷にとどまって魔法使い兼、伯爵夫人の仕事をこなした。
お医者様を呼んだり、昏睡が続く旦那様に回復魔法をもう一回使ってみたり、魔法の薬を調合して飲ませてみたり。
効き目があったか分からないけど。
で、夜になって一眠りして、結婚二日目の朝。
ようやく旦那様が目を覚ましたという連絡を受けて寝室へ行ってみたら――――
「ルカイヤ! すまなかった……いいや、すみませんでした!! 僕を許してくれ。どうか行かないでくれ――――!!」
涙目になっている絶世の美男子にいきなり抱きつかれて、またも目が点になったわよ。
旦那様の奇行その二であった。
✳︎✳︎✳︎
よっぽど頭の打ちどころが悪かったのか、旦那様は人が変わったようになった、らしい。
それまでは典型的な甘ったれた貴族のボンボンで、伯爵になるための勉強もせず遊び回っており、女性関係もド派手だったみたいなのだけど。
怪我から回復した途端、超がつく真面目になった。
以前は屋敷にもあんまり帰ってこなかったという話なのだが、出かけもせず執務室にこもっている。
伯爵の仕事に取り組み始めたのだ。
もちろん今までやってなかったので、すぐに上手く行くはずもないし、失敗もするのだけれど、めげずに続けるのである。
間違いを指摘されても怒らない。
執事はそりゃ喜んで、せっせと教育を施しているわね。
元々、旦那様の両親である前マクラン伯爵夫妻は、遅くにできた一人息子に激甘である以外は良い方であったそうだ。
使用人達も仕事はできる。
お手つきになった侍女やメイドが大きな顔をしているかも?!と思ったが、旦那様が成年する少し前に(女癖が悪くなった時点で)若い女性を雇うのをやめており、それは無いんだそうだ。
確かに、私付きの侍女もみんな年配である。旦那様は熟女好きではないらしい。
なので突然、仕事熱心になった旦那様に驚きこそすれ非難する訳がなく、諸手を挙げての大歓迎。
「レイフェル坊ちゃんが、ようやくご立派に!」とか言ってる人もいるのよ。二十四歳の男をつかまえて。
旦那様が甘やかされてたのってさ、この辺なんじゃないの?っていう気がしたわよね。
とにかく旦那様は屑を卒業したことになっていた。
「――僕は生まれ変わったんだ。もう遊びに誘わないでくれ」
遊び仲間とも手を切った。
お友達から誘いがあってもキリッとした表情で断り、飲む打つ買うみたいなパーティーや違法スレスレの賭場、仮面舞踏会にも出入りしなくなった。
なお、この「お友達」は男性ももちろんいるが、女性の方が多い。
何しろ旦那様はダークブラウンの髪と蒼氷色の目をしたハンサムだ。
マクラン伯爵家はなかなかお金持ちであるため気前も良い。
「男女を超えた友情を育んだお相手」がいっぱい、い〜っぱい、数え切れないレベルで存在したのだが。
目下一番のお気に入りだったエリーセさんをはじめ、全員とすっぱりお別れしたんだとか。
そして……
「僕はなんて馬鹿だったんだ。君の美しさや聡明さに気付かなかったなんて。ルカイヤ、僕達は政略結婚だし、僕は君に大変な失礼をはたらいてしまったが、心を入れ替えて今後は君だけだと誓う。お願いだ……いや、どうかお願いします! もう一度チャンスをください!!」
ひたすら私に愛を囁くようになったのである。
うーん、この……
私は正直なところ戸惑っていた。
確かに初夜で最低最悪な目には遭ったけど……
貴族令嬢失格上等!魔法こそ最優先!な私は社交界にも疎く、旦那様をよく知らない上に興味も愛も憧れもなかった。
なので、ダメージはそこまで深くないとは言える。尾を引くほどじゃないというか。
これが三年とか五年とか、長きにわたって虐げられていたんなら話は違ったけどね。
誠心誠意、謝ってくれているもの。もう一度、夫婦としてやり直すべきよね。
でもねえ。
今更なにをやっても、私の感想は変わらないのよね。
薄気味悪い奇行にしか見えない……!
爽やかなお顔で朝食後に珈琲を飲みながら、新聞を読む旦那様。
眼鏡をかけ、眉根を寄せて難しい書類仕事に取り組む旦那様。
地味で平凡な私に向かって「今日も美しいね、ルカイヤ!」と微笑む旦那様。
毎日毎日、花やら、お菓子やら、可愛い小物やらを贈ってくる旦那様。
…………キラキラしすぎて逆に胡散臭いのよ!
あの、いっそ清々しいほど下種な屑だった旦那様はどこに行っちゃったの?
演技にしても、やりすぎじゃない?
つい疑いの目で見てしまうのだ。
そんな訳で私は白けた気分のまんまであり、白い結婚も絶賛継続中である。
「君の信頼を取り戻してからで良いよ」
旦那様もそう言っているし。
なので私の寝室に繋がっている夫婦の寝室のドアは常に閉じられ、鍵がかけられていて、その鍵は私が持っている。
もちろん例の初夜以来、一度も足を踏み入れたことはない。
ところが、なんだかんだで結婚して半年ほど経ったある日の夜――――
『うう……』
もう寝ようという時間になって、ドアの向こうから男性のものらしき低い呻き声が聞こえてきたのである。
……夜も遅い。夫婦の寝室に旦那様以外の男性がいてはおかしいから、これはあの人の声と考えられるわね。
でも一体、何してるのよ?
『……だった……前の……畜生……馬鹿馬鹿馬鹿……』
ドア越しで分かりにくいんだけど、何やら、ぼすぼすクッションを殴ってるような物音もする。
また旦那様の奇行が始まったのかしら?
『ううう……ルカイヤ……ルカイヤ……』
なにこれ気持ち悪い。
無視して寝てしまおうと思ったのに。
これじゃあ眠れないじゃないの。
「旦那様? 何をなさってるんですか?」
ドアの側へ行ってキツめの声で呼ぶと、旦那様の嘆く声と物音はぴたりと止まった。
『……ル、ルカイヤ? 起こしてしまったかな』
すごく小さい声だわね。今更、音量を落としたところで意味はないんですが?
「どなたかか騒ぐもので眠るに眠れなくなったのです。事情は存じませんがお静かになさってくださいませんか」
『それはすまない。その……』
旦那様はもそもそと口ごもったけれど、すぐにこう言った。
『せっかくなら話したいことがある。ここを開けてもらっても?』
「狼がいるのにドアを開ける? おとぎ話ではないのですよ、旦那様」
『絶対に失礼なことはしない! 約束する』
「信じろとおっしゃるの?」
『うっ……そこを何とか……駄目かな……?』
女癖の悪さに定評があった旦那様がそれを言いますか?
魔力持ちで身分が高くない女は、身持ちがかたいのよ?
魔法使いって、その気になれば女でもかなり稼げるの。だから財産狙いの男が無理矢理にでも関係を持って、言うこと聞かせて貢がせるみたいな話も珍しくないのよね。
特に爵位が低かったりすると尚更、身分や外面はよろしい相手に逆らえず搾取されがち。シャレにならない。
私はそういう面倒を避けるために、魔法使いとしてはごくごく地味な働き方に抑えてきた。大した魔法は使えないしお金も稼げません、ってことにしてたの。
そのくらい用心が必要なのよ。マクラン伯爵家は今現在、金銭に困っていないようだけど。
……とは言え相手は一応、私の旦那様である。
神の御前で夫婦の誓いをしちゃったのだ。
本気でやらなきゃよかったと、今なら思う。
あの時、結婚式の厳かな雰囲気に流されちゃったのよねえ。
特に魔法使いにとって、魔力を込めての宣誓は簡単に反故にできないのに。
だけど、この半年でマクラン伯爵家のみんなは良い人達だと分かってきた。
階段から落ちた旦那様に回復魔法を使ったから、私がそれなりの魔法使いであることはバレている。
でも魔法を使って何かしてほしい、と言われた試しがほとんどない。
一度だけ、庭師見習いの少年が剪定用のハサミで手をざっくりやってしまったとかで、執事が恐る恐る治療をお願いできないかと言ってきたくらいじゃないかしら。
もちろん回復魔法をかけて治してあげて、とっても感謝されたわよ。
そう。
毎日こき使われるどころか、非常に大事にされているのだ。奥様として。
『悪名高いレイフェル坊ちゃんと結婚してくれた奇跡の奥様!』
『坊ちゃんから酷い扱いを受けたのに許してくれた寛容な奥様!』
『しかも大怪我した坊ちゃんの命を救ってくれた、天使のような奥様!』
という感じで、やたら過大評価されてるの。
旦那様も旦那様で、嘘くさくなるくらい私を甘やかしてくるし。
……そろそろ、私も腹を括って歩み寄るべきなんでしょう。
これで旦那様が無体な真似をしてきたら、その時はその時だわ。
私は念のため自分の格好を確認した。
今日のナイトドレスは透けていない。上から厚手のガウンも着ている。破廉恥じゃないはず。
「……そちらのお部屋でお話するだけなら構いませんが、いざとなったら魔法を使いますよ。それでもよければ」
『ああ、もちろんだ! ありがとう……』
鍵を開けてドアをくぐると、間近に旦那様が立っていた。
彼も寝る前だったようで、ゆったりした服を着てガウンを羽織っている。
夫婦の寝室を使う予定ではなかったから、室内は暗くて肌寒かった。私は魔法で明かりを灯し、空気を温めてからベッドサイドの椅子に座る。
旦那様も向かいに腰かけた。
「ルカイヤの魔法、すごいな。この明かりも綺麗だ……」
魔法の明かりは宙に浮かぶ、鶏の卵くらいの大きさをした光球だ。
旦那様が目を細めて眺めている。
「このくらいは別に、高度な魔法でもありませんよ。最も初歩のわざの一つです」
「君にとってはそうかもしれないが、僕は魔法に縁がなかったから。マクラン伯爵家は何代か前に一人だけ魔力持ちが出たらしいけど、僕や両親はさっぱりでね」
「伯爵家ですと魔力持ちは滅多に生まれませんから、そう不思議でもないですね。それで、お話とは何ですか?」
「ああ。実は新しく魔道具を作りたいと思ってるんだが、ツテがないから上手く行かなくて。ルカイヤの力を借りられたら助かるんだが……」
「魔道具ですか……私は専門ではないですけど、知り合いには何人かいますよ。どんな魔道具です?」
こんな夜更けに魔道具?
と思ったけど、何しろ私は根っからの魔法馬鹿である。魔法で動く道具、つまり魔道具も好きだ。
旦那様が持ってきたスケッチブックを見せてもらうと、そこには私が想像したこともない物体が描かれていた。
カタツムリに似てる?
丸っこいものに円筒と持ち手がついているが、何に使うのか見当もつかない。
「ええとね。これはヘアドライヤーと言って、髪を素早く綺麗に乾かす魔道具だ。この筒から温風と……あと、髪に艶を与える成分を吹き出す仕組みになってる」
「斬新な魔道具ですね……でも――――」
身分の高い貴婦人や令嬢は、贅を凝らしたドレスや髪型で社交を行う。
髪を魔法で巻いたり乾かしたりするために、専任の魔法使いを雇用する場合さえある。
魔法は基本的に公侯爵以上の、高位貴族のもの。たくさんの魔法使いを抱え、仕事をさせるのが上流階級のステイタスなのである。
よっぽど新しいもの好きの貴族がいれば別だけど、高機能な魔道具を作ったところで売れるかしら……?
「高位貴族に売ろうとは思ってないよ。少なくとも最初はね。狙うのは伯爵以下の貴族と、最近になって台頭してきた富裕市民層だ」
爵位はないけれど、商売で財を為した人達のことね。
魔道具は安いものじゃないから、確かに買うとしたら中級以下の貴族か富裕層になる。
「高位貴族が魔法を独占する時代は終わろうとしてる……隣国オーリスでは魔道具が進歩していて、貴族だけじゃなくて庶民も使い始めているそうだよ。そのうち、このカルデナ王国にも入ってくるだろう。遅いか早いかの違いだよ」
「きゅ、急に壮大なお話になりましたね……オーリス王国は魔法技術に優れていると聞いたことはありますけど、それほどとは存じませんでした」
と言うか、旦那様が知っているのが驚きだ。
魔法使いの私でも詳しくないのにね。
すると。
「新聞に書いてあった。それと、その、以前の知り合いにね。詳しい人がいて……」
蒼氷色の目が泳いで歯切れも悪くなったので、鈍感な私だってピンと来たわよ。
寝物語で聞いたのね?
ふーん。
「も、もう二度と会わない人だから! 今の僕は君しか見てないよ、ルカイヤ! し、信じてください!」
旦那様が水を飲む鶴みたいに頭を下げて言い訳みたいなのを始めた。
相変わらずの奇行子っぷりである。
私はさりげなくスケッチブックをめくった。
「ところで、こっちは何ですか? 旦那様」
「え? はい。ドライヤーとは別に、より繊細な巻髪を作ったり癖毛を真っ直ぐにしたりするヘアアイロンです」
「では、こちらは?」
「それは顔に蒸気や美容成分を当てて潤わせる美顔器」
「この不思議な凸凹だらけの椅子っぽいのは」
「人の代わりにマッサージをしてくれる椅子型魔道具です……」
「よくそんな変なものを思いつきますね……」
「ご、ごめん……」
「別に謝れとは言っていませんよ? おかしな旦那様」
くすくす笑うと、旦那様が目を丸くした。
「わらった……」
「はい?」
「ルカイヤって、そんな顔で笑うんだね。たぶん初めて見た……かわいい……」
……さすが、女誑し!
それこそ男の色気たっぷりな低い声で言われて、私は意味もなく咳払いをする羽目になった。
「と、とにかく、このヘアドライヤーですか? 魔道具作成の件は承りました。明日から早速、知り合いを当たってみます。では失礼しますわ!」
私は即座に自分の部屋へ撤退した。
ちょっと危なかったわね。
✳︎✳︎✳︎
それから私と旦那様は、よきビジネスパートナーになった。
新しい魔道具を作り上げるのは面白かったわ、大変だったけど。
旦那様は何故だか魔道具の機能には強いこだわりがあって、例えばヘアドライヤーも、ただ髪を乾かすだけでは良い製品にならない、オーリス王国の魔道具に勝てない、と言い張った。
素早く乾かせること。
しかも髪を傷めず、さらさらツヤツヤになるようにすること。
消費する魔力……魔法水晶という特殊な鉱物に魔力を溜めておいて、少しずつ使う……もなるべく長持ちすること。
本体も重いのは駄目。女性でも片手で扱えるように。外観もおしゃれに……
凄く色々言われた。
確かにもっともな指摘ばかりよね。
オーリス製の魔道具も取り寄せてみたんだけど、旦那様には洗練されていなくて使いにくいものに見えるみたい。
もっと良い品にできる、改良の余地ありまくりだ!……って言い切ってたわ。
私は感心したわよ、旦那様は本当に魔道具が好きなんだって。
しかも女性の好みをよく分かってる。
女誑しも役に立つことがあるのね。
私も負けじと頑張った。
魔道具が作れる魔法使いを何人か雇って、彼等と頭を突き合わせて、あーでもない、こーでもないと議論して。試作品を作って、旦那様に駄目出しされて、今度こそ文句を言わせないモノを作ってやると意気込んで。
私はこれまで、魔法使いとして全力を出していなかった。
男爵令嬢が目立って、良いことなんてない。両親や兄にも迷惑がかかっちゃうから。
それに家族はみんな私を愛してくれたけれど、魔法に傾倒するのは女らしくない、やめなさいと言うばかりだったのよね。
でも今の私はマクラン伯爵夫人。
我が国では妻は夫に従うものとされていて、その旦那様が断言するのよ。
「魔道具開発は伯爵家の新しい事業だ。当主の妻で魔力持ちのルカイヤにぜひ協力してほしい」
そう言ってくれた旦那様には、素直に感謝してる。
それに他の魔法使いとの共同開発でもあるから、恥ずかしいところは見せられないわよね。
私は人生で初めて遠慮なく意見を述べ、魔法の腕を振るった。
楽しくて仕方なかったわ。
旦那様との絆も深まっていった。
遠慮なく議論を戦わせ、ぶつかり合い、旦那様がどんな人かが分かるようになった。
思ったより信念があって歯応えたっぷりな人だったわね。フワフワしてる放蕩者じゃなかった。
いや本当、この人なんで突然こうなっちゃったのか、不思議で仕方ない。
頭を打った時に天の啓示でも受けたのかしらね?
いつ化けの皮が剥がれるかなって、疑ってたんだけど……
ぜんっぜん剥がれないの。気配すらない。
それどころか酷くなってる。
「完成したドライヤー、使ってみようよ。大丈夫大丈夫、僕がやる。ルカイヤは座ってて」
それは丁寧に髪を乾かされたりブラシで梳かされたり、これも旦那様が見つけてきたという珍しいヘアオイルを塗られたり。
「美顔器もできた? じゃあ早速試そう。ルカイヤがもっと綺麗になって最高じゃないか」
いそいそと美顔器をセッティングされて実験台にされたり。
「マッサージチェアの開発がうまく行かないって聞いたから、人気の女性エステティシャンを連れてきたよ。みんなで彼女のゴッドハンドを体感して、再現を目指していこう! あ、もちろんルカイヤも受けてね」
椅子型魔道具、ハンパなく難易度が高かったせいで、繰り返しプロの施術を受けることになったり……
――試行錯誤を繰り返し、また半年が飛ぶように過ぎていった。
いつの間にか平凡の中の平凡だったはずの私の髪は、こっくりした濃い飴色の艶を持つ絹糸みたいになっていた。
お肌はもちもちぷりぷり。
なんかスタイルまで変わっちゃった気がする……!!
「魔道具の効果は抜群だね。ねえルカイヤ、今度の新作魔道具のお披露目会にルカイヤも出てくれるよね? 僕の奥さん、広告塔にぴったりだもの。ドレスや宝石を注文しておこう」
旦那様はニッコニコで私をもっと飾り立てようとし始めた。
「あの、私は今まで贅沢に縁がなかったので程々にしてくださいね?」
貴族女性のドレスには、爵位や家格に応じたグレードがあるのよね。
マクラン伯爵家は中堅ながら名門のうちに入るけど、私は男爵家出身である。あんまり華やかすぎると社交界から顰蹙を買う。
それに私は髪や目の色が淡く、顔立ちもあっさりしているので派手な色やデザインが似合わない。服に負けてしまうのだ。
かと言って淡い色のドレスだと、全体的にぼんやりして幽霊みたいになるのよね。かなしい。
結婚前も紺色や茶色の服が多くて、若いのに地味だとかおばさんくさいだとか言われてたけれど、そっちの方がまだマシなのよ。
そういう事情で釘を刺したのだが……
「デザイナーと相談して、ルカイヤの美しさに負けない装いを考えるよ! 任せて!」
私の美しさ? そんな無いもの探ししてたら日が暮れるわよ?
本当に大丈夫かしら。
とっても不安だったものの、旦那様は意外と(と言っては失礼だが)、できるところを見せてきた。
「こちらのヘルメ氏は気鋭のデザイナーだ。今は無名に近いけど、素晴らしいドレスを作ってくれるよ」
「ヘルメと申します。伯爵様の目に留めていただき光栄です。奥様の魅力を引き出すドレスを仕立ててみせましょう」
まず、呼んできたデザイナーがすごかった。色んな意味で。
ヘルメという男性なのだけど、見上げるばかりの巨漢でびっくりしたわ。丸太に筋肉を着せたようでめちゃくちゃ強そう。服飾デザイナーじゃなくて軍人かと思ったくらいよ。
でも、ごつい手や指から生み出される服は繊細なデザイン。品質も確かだった。
何て言えば良いの?
着付けた時、すごくしっくりくるのよね。
仕上がったドレスはどれも落ち着いた雰囲気で、しかし地味ではなく上品と呼びたくなるものであった。
色はお馴染みの紺色や茶色……他に深緑色、藤色、ワイン色なんかもある。
でも、違和感なく着られそう。
す、すごい。
才能がある人ってすごいわね。
「……私は昔からドレスを作る仕事をしたかったのですが、身分もありませんし、この見た目ではレディに怖がられてしまうので半ば諦めておりました。マクラン伯爵様はそんな私に大きな仕事を任せてくださった。まさに恩人です」
「いやいや。ヘルメほどの才能の持ち主、世間が放っておかないよ。そのうち王侯貴族のドレスだって手がけるようになるはずさ。今のうちに出会えて、運が良かったのは僕の方だ」
旦那様が言う通りね。
ヘルメは大きな身体を縮めて謙遜してるけど、彼はいずれ王都でも有名なデザイナーになりそうだわ。
そうなったら伯爵家程度じゃ相手にしてもらえなかったかもしれない。
でも……
「……それにしても数が多くない? 何着作ったんですか、旦那様!」
「あははは、細かいことは気にしない。これくらいじゃマクラン伯爵家の財政は傾かないよ、安心して」
「私の身体は一つしかないんですが……」
「これから社交の機会も増えると思うんだ。僕は今後、ルカイヤ以外の女性を同伴するつもりはない! ドレスも宝石も、この倍はあっても良いくらいだよ」
星の数ほども大勢の美人とお付き合いしてたでしょうに……
ちょっと毛色の変わった女で遊ぶのもいい加減にしてほしい。
✳︎✳︎✳︎
一悶着あったんだけれど、結局、私はヘルメが手がけた中から濃い青色を基調としつつ、要所に光沢のある水色も入っているドレスを纏って魔道具のお披露目会に出席した。
『……さすがヘルメ!って言いたくなる綺麗なドレスだとは思うけど、私には少し派手すぎるわ。服に着られてる地味女になっちゃう!』
遠慮したかったのに、侍女達が引いてくれなかったのよ。
『そんなことはございません、奥様はお化粧が映える御顔でいらっしゃいます。やや濃い目に、くっきりしたメイクにいたしましょう。お似合いになりますとも!』
それ、取り立てて特徴がない平凡顔だってことよね?
顔にいっぱい塗りたくるのは苦手だわ……
『お披露目会はマクラン伯爵家の勝負どころです、ある程度は着飾らないと舐められます! 社交界は戦場と同じでございますよ!』
寄ってたかって説得された。
もと男爵令嬢とは言え、今は伯爵夫人。魔道具の開発責任者でもある。
相応しい装いをしなければいけないってことね。
旦那様に恥をかかせる訳にも行かない、か。
『はあ……分かったわ。あなた達が一番良いと思うようにしてちょうだい……』
もうどうにでもな〜れ、という気持ちでお任せしたのよね。
そんなこんなで飾り立てられ道化になった気分だけれど、幸い、参加者はみんな私なんかより魔道具に夢中だ。
お披露目会はうまく行っているわ。
貴族でも魔法使いを雇用しにくい伯爵以下の家や、爵位はなくともお金はある富裕層が集まって、我先にと魔道具を購入していく。
どうやらオーリス王国との国境に近い地域では、既にあちらの国の魔道具が出回り始めていたようね。
でも数が少なくて、買いたいのに買えない人も多かった。
そこに旦那様がオーリス製より機能の優れた魔道具で殴り込みをかけた訳で、売れないはずがないわよね。
「――――ルカイヤ!」
商談に勤しむ旦那様と別行動になって飲み物を頂いていると、実家の両親と兄がやってきた。
残念ながらペリス男爵家は魔道具が買えるほど裕福じゃない。でも試作した魔道具のテストをしてもらっていた縁で、旦那様が招待してくれたのだ。
「やあ、何とも盛況だなあ。貧乏男爵家なんかが出席して不相応な気がするくらいさ」
兄がのんびりした口調で言う。
その後ろにいる父と母はあんまり心臓が強くないので、絢爛な会場に萎縮しちゃってる雰囲気だわね。
「そんなことないわ、来てくれてありがとう。メリーヌ義姉様は元気?」
「お腹の子ともども順調だよ。来られなくて残念がってた」
「なら良かったわ」
兄は結婚二年目だ。私の義姉になるメリーヌは臨月のため欠席しているけど、ドライヤーや美顔器をテストしてもらった時、色々とためになる意見をくれたのよね。
知り合いの夫人にも口コミで広めてくれたりしていて、影の功労者なのである。
「いいよいいよ、メリーヌも髪や肌が綺麗になって喜んでたよ。俺はあのマッサージ椅子がなかなか良いものだと思ったが、まだ販売してないんだな」
「あれは完成が間に合わなくて。丁度いい揉みほぐし加減にするのが難しいのよ」
「はは、そうか。またテストの予定があれば、いくらでも協力するよ。奥さんの機嫌も取れる。一石二鳥さ」
兄はウインクをしてみせた。
メリーヌとはお見合い結婚だったけど、気が合うみたいね。
夫婦円満で何よりだわ。
「……ルカイヤも伯爵様とうまく行っているようで安心した。最初はどうなることかと思ったが」
ぼそりと父が言った。
一応、罪悪感はあったようだ。今はともかく、以前の旦那様はそりゃあ評判が悪かったものね。
「ルカイヤ……あなた、魔道具よりも夫人のつとめはできているの? 妻の役目は一番に、子供をもうけることなのよ」
母は相変わらずだ。
私を心配してくれてるのは分かってる。
でも正直、あまり触れてほしくない。
私と旦那様はよきビジネスパートナーにはなった。
ただ夫婦としてはと言うと……
「聞いているの、ルカイヤ?」
「ああ、うん……大丈夫よ。そこはいずれ……」
「まあ! いずれだなんて悠長に構えていては駄目よ。嫁いで一年経ってしまったでしょう、一日でも早くしないと」
曖昧に笑って誤魔化そうとしたが、母は騙されてくれなかった。
これは、なが〜いお説教が来そうである。母が考える女の幸せについての。
ところが、身構えた私の肩を力強い腕が抱き寄せた。
「……ルカイヤは文句なしに最高の妻ですよ。不満なぞありはしません」
旦那様だ。
いつの間に近くに来ていたのか、ぜんぜん気付かなかったわ。
「魔道具作りはルカイヤの我儘ではなく、僕が頼んだ仕事でしてね。期待以上に活躍してくれたんです。他の魔法使い達だって同じ魔力持ちのルカイヤがいたから、信用して付き合ってくれたようなものです」
「そっ、そうなのですか……ええ、娘がお役に立てて幸いでございますわ……」
「僕を真っ当な人間に戻してくれたのもルカイヤです。お義母様はじめ、良いご家族に囲まれて育ったからでしょう、人柄も素晴らしい」
「ま……まあ、お上手ですのね。おほほほ……」
今日は旦那様も正装していて、美男子ぶりに磨きがかかっている。
お披露目会に出席した女性の半分くらいは魔道具の効果もさることながら、旦那様とお近づきになりたくてあれこれ買ってたんじゃないかしら?
その女誑しっぷりは、貞淑を誇りにしている母にまで効果があった。
旦那様に微笑みかけられた母が、珍しくあたふたしているわ。
それは良いんだけど、褒め殺しにされてる私もいたたまれない。
「旦那様……そのくらいになさってください」
「そう? 君の魅力についてなら、いくらでも語れるが」
「お世辞は結構です」
「ぜんぶ本音なのに」
「旦那様が女性を口説く時によく回る舌をお持ちなのは存じておりますけど。私は妻ですから必要ないですよね?」
「ルカイヤは手厳しいなあ……」
旦那様は決まり悪そうに頭をかく。
にやっと兄が笑って、私と旦那様を交互に眺めた。
「まあまあ、うちの妹が愛されているのは一目で分かりますよ。別人みたいに綺麗になって……ルカイヤだって満更ではないんだろ?」
「……え?」
間抜けにも、私は兄の視線で初めて気付いた。
このドレスの光沢ある水色、旦那様の瞳の蒼氷色に合わせてあるってこと。
侍女達に勧められるまま身に着けたアクセサリーも、よく見ればブルーダイヤモンドやアクアマリンがあしらわれている。こっちもそうじゃないの。
なんて恥ずかしい真似を……
大声で否定したい。違うのよ。
でも周囲にはそれなりに人がいるものだから言えない。
私は頬を赤くして俯くしかなく、旦那様はそんな私の肩を抱いて必殺の微笑みを振りまいたのだった。
✳︎✳︎✳︎
「――お疲れ様、ルカイヤ。今日は付き合ってくれてありがとう。とても助かったよ」
お披露目会が成功のうちに終わって、その夜。
私と旦那様は夫婦の寝室で、向かい合って座っていた。
そう、寝る前にこの部屋で話をするのが習慣になっていたの。
別に変な意味はないわよ。
風呂の後にヘアドライヤーや美顔器を使って、感想や意見を言い合ったのがきっかけだ。
定位置は椅子とテーブル。話す内容はほぼ魔道具関連。寝る時はそれぞれの部屋に戻る。
「夫婦の寝室」を本来の目的で使ったことは一度もなかったりする。
「乾杯しない? 一杯だけ」
旦那様はお酒のボトルとグラスを持ってきていた。
そうね、私あんまりお酒に強くないし、お披露目会でも少し飲んじゃったけど、一杯だけなら。
「良いですよ。では……今日の成功を祝して」
「君に感謝を。乾杯」
軽くグラスを合わせてから頂く。
しゅわしゅわと舌の上で弾ける軽いお酒だ。
グラスがすぐ空になった。
「……旦那様。結婚して一年経ちましたね」
母の発言を思い出して、言ってみた。
あっと言う間の一年だったわね。
楽しかった。想像とは全く違ってたけど、満足してる。
「そうだね。一年前はまさか、こうなるとは思っていなかった」
旦那様も思いは同じだという。
私よりも激動の一年だったものね。
女好きの駄目男から、魔道具開発に辣腕を振るう伯爵様に大変身。
でも本人は気まずそうに、飲み終えたグラスを手の中で転がしている。
「……一年前、あの時は本当に馬鹿なことを言った。愛することはない、だなんて。自分で自分を殴り飛ばしても足りない」
「実行しないでくださいね? 無意味ですから」
「分かってる……」
旦那様は長い溜息をついた。
窓から差し込む月光に照らし出される、憂いを帯びたハンサムの完成である。
しょんぼりしてても絵になるって得だわね。
私にも人並みの美的感覚があるので、目の保養だとは思う。
まあ、中身は別だ。
変わった行動が多いし、残念なところがいっぱいあるのも知ってる。
頭を抱えて「黒歴史だ――!」と呻いたり、壁におでこをくっつけて黄昏てみたり、ドゲザとか言うとんでもない謝罪?を披露しようとして周囲に止められたり、よくもまあ人間が後悔する挙動のバリエーションがあるなぁって感心するくらいなのよね。
一年も経てば奇行にも慣れたけど。
「ねえ、旦那様。どうして、貴方は突然変わったんですか? 別人みたいに」
ずっと気になっていたのよね。
でも、ずっと聞けなかった。
お酒の力で口が軽くなって、ようやく尋ねることができた。
「それは…………」
しばらく沈黙があった。
そうなのよね。
旦那様、理由を言ったことがないの。
心を入れ替えて真面目になり、それは歓迎すべき良い変化だったから、誰も突っ込んで質問しなかったのだ。
でも私は……知りたい。
急かさずに待った。
やがて旦那様は、そっとグラスをテーブルへ置いてから言った。
「……僕はルカイヤに嘘をつきたくない。荒唐無稽な話になるが、聞いてくれる?」
「ええ、もちろん。旦那様のお話が斜め上なのって、いつものことですもの」
「ルカイヤらしいなあ。うん、ぜんぶ話すよ……」
そうして小さな声で語り始めた。
✳︎✳︎✳︎
――僕にはレイフェル・マクランとして生を受ける前、全く別の世界で別の人間として生きていた記憶があるんだ。
ここではない、行くこともできない遠い遠い別世界。
僕は日本と呼ばれる国で生まれて、大人になり、家電量販店の店員……まああれだ、職人が作った魔道具みたいなものを売り捌く仕事をしていた。
色んな道具が発達している国で、商品も数え切れないほどあった……中でも僕が一番長く担当していたのは美容家電と言って、ヘアドライヤーや美顔器や、そういう種類のものだった。
僕はその仕事が好きでね、結婚もせず三十歳過ぎまでひたすら商売に励んでいたんだが、運悪く難しい病気になってしまった。
身体の内側に腫れ物ができる病。若いと進行が早いらしい。体調がおかしいのに気付いて、医者にかかった時には手遅れで。
三年くらい闘病したけど、力尽きて天に召された。
普通なら、人生はそこで終わり――――だよね。
ところが僕は死んだ後、一面が真っ白い不思議な場所に連れて行かれて「神」を名乗る存在と対面したんだ。
びっくりしたよ、それまでの僕はぜんぜん信心深くなかったから。「神」と言っても、こっちで信仰されている創世の大神と同じなのかも分からないが。
とにかく「神」は言った。
『若くして命を終えた者に、此処とは遠く離れた異世界へ生まれ変わる機会を与えよう』
『ついては一つだけ特別な能力を授ける』
くじ引きみたいなことをして能力をもらった。
候補は色々あった。
誰にも負けない剣や魔法が使えるようになる能力とか。
素晴らしい鍛治師や細工師になれる能力とか。
動物や植物と話せる能力というのもあったかな。
たくさんの恩寵がひしめき合う中から僕が引き当てたのは……
〈一度だけ時間を遡って、人生をやり直せる能力〉だった。
『珍しい上に強力な能力を手に入れたな』
『だが、それ故に制約も多い』
『心して使うようにせよ――――――』
確か、そんな注意を受けたように思う。
そのまま僕は意識を失い、異世界に転生したんだ。
そう、この能力には制約があった。
軽はずみな気持ちで貴重な能力を無駄にしないための安全装置だ。
恐らくはその一環で、僕は生まれ変わりや特別な能力のことを思い出せないまま成長した。
伯爵家の一人息子、レイフェル・マクランとして。
君も知っている通りの、女好きの屑に育ってしまったんだ。
これでも前世では堅物な性格だったんだよ。嘘じゃない。
あまりに真面目すぎて女性に縁がないまま死んでしまったからなあ……無意識に未練というか反動が出たのか……
いや、言い訳はよそう。
金持ちの貴族に生まれ、見た目も悪くないからチヤホヤされて良い気になってしまっただけだ。
そしてルカイヤ、君と結婚した。
形だけの政略結婚のつもりだった。
うん、そうだ、「一度目のレイフェル」は階段で足を踏み外すことはなかったが、真っ当な人生からは転がり落ちてしまった。
君を蔑ろにしたまま女遊びを続けて、ロクに家にも帰らず、伯爵の仕事も執事や君に投げっぱなしにした。
今、思うととても恥ずかしい。地面に深い穴を掘って埋まりたくなる。
…………ここは二階で近くに地面はありませんよ、だって?
分かってる、実際にはしないよ、君を困らせたい訳じゃないんだ。
庭師の仕事を増やすのはやめるから。
――君は最初、僕と話し合おうとしていた。
だが……そのうちに僕を見限ったんだろうな、ほとんど顔を合わせず、たまに会ってもほとんど口をきかなくなって……
三年が経ち、君は白い結婚で子供ができないことを理由に離婚を申し出て、去っていった。
ショックだった。
当時の僕は傲慢なことに、女性はみんな僕に好意を持つものだと思い込んでいたんだよね。
君も構ってやらないから拗ねているだけで、本当は僕に惚れていて、見捨てたりしないと考えていた。
今はそんなのあり得ないと断言できるが、一度目の僕は君に捨てられる理由が本気で分からなくて、ますます荒れていった。
何をやっても虚しかった。
そこで身を慎んでおけば良かったのに、僕は馬鹿をやめられなかった。
さらに見境なく女性に手を出した。
――その中に、お忍びで来ていた隣国オーリスの末の王女がいた。
最初は王女だなんて知らなかった。
ちょっといかがわしい類いの仮面舞踏会で出会って一夜を共にしたが、いつもの遊び。その場限りで終わるつもりだった。
ところが王女は僕を気に入って、結婚してほしいと言い出した。
この時、僕は初めて彼女の身分を知らされ、さすがにマズイと気付いた。
それで……君との離婚はまだ完全成立していなかったから(貴族の離婚は何しろ手間と時間がかかるんだ)、妻がいて応えられないと言って逃げ出したんだけども…………
とんでもない大問題になった。
なぜなら王女が、僕に弄ばれて手篭めにされたと訴え出たんだ。腹には子供もいると。
もちろん僕が知る事実とは違う。
仮面舞踏会はお互い合意の上で、仮初の恋を愉しむ場所だ。王女は若さに似合わず明らかに手慣れていて、まあ、その、清い身体でもなかった……
関係はその一回きり。そこで子を宿したとしても日数が合わない。
要するに嵌められたんだ、僕は。
どうも、王女は本国では身分が邪魔をして大っぴらに男漁りができないから、非公式にカルデナを訪問しては火遊びをしていたらしい。
うっかりデキてしまったので、脇が甘い男を捕まえて父親に仕立て上げたって訳だ。
しかしオーリス王は、末娘を目に入れても痛くないほど可愛がっていてね。彼女の言い分を鵜呑みにして我が国に圧力をかけてきた。
『我が娘は、以前からその男と関係があったと言っている。責任を取らせろ』と言うんだ。
――ちょうどオーリス王国から入ってくる魔道具が爆発的に流行していた。
ついでにドレスも。
デザイナーのヘルメ……一度目の人生において、彼はカルデナではなくオーリスへ渡り、頭角を現していた。言ってみれば逆輸入されたヘルメのドレスが、その頃の社交界を席巻していた。
そういう事情が重なって、カルデナ王国の方が弱い立場にあった。魔道具やドレスを輸出しないぞと言われたら困ってしまうから、言いがかりに近いオーリス側の要求を無下にできなかった。
王女も僕に劣らぬ屑で尻軽だったが、僕よりも演技が上手かった。
容姿だけは、清楚かつ可憐そのものの美少女。
はらはらと涙を流してみせれば、哀れな犠牲者に見えてしまう。
対する僕は女遊びが激しく、生活は荒んでいて妻にも逃げられかけている屑男。
どちらが有利か、比べるまでもないだろう。
僕の言い訳なんて誰も信じてくれない。自業自得だけどね、何せ僕は女性に関して信用がない。
瞬く間に追い詰められたが、最後の抵抗と言うか、悪あがきを続けた。
妻のルカイヤとは、ちょっと行き違いがあるだけ。
離婚するつもりはない。
だから王女とは結婚できない。
そう言い張ったんだ。
貴族の結婚は神と王の名で認められて成立する、何重にも守られた契約だからね。逃げる口実としてこれほど便利なものはない。
君には迷惑だったと思う。
屑な夫と離婚しようとしていたのに、全力で縋られて……
それが最悪の結果を招いた。
膠着状態が続いていたある日、ルカイヤの兄君がやってきて僕に言ったんだ。
――妹は、ルカイヤは亡くなりました。マクラン伯爵、貴方のせいだ。結婚なんかさせなければ良かった、と。
✳︎✳︎✳︎
「――え? 私、死んだんですか?」
聞いていた私は思わず口を挟んでしまった。
とりあえず最後まで黙っている予定だったんだけど、つい。
旦那様は酷く悲しそうな顔で、こくりとうなずいた。
冗談……じゃ、ないようね。
「でも旦那様のせいって、どういうことです? 私、健康が取り柄なんですよ。旦那様の前世とやらみたいに、急病にかかったとか?」
「いや、違う。君は僕の醜聞に巻き込まれて王都に居づらくなり、ツテを辿って田舎でしばらく過ごすことになっていた。でも向かう途中で強盗に遭って、亡くなったんだよ」
「それも何だか不自然なのでは……?」
納得がいかないわ。
だって私、魔法使いなのよ?
強盗の隙をついて逃げるくらいできたはず。
なのに死んだですって?
「……証拠はないけど、たぶん、ただの強盗じゃない。王女が関わっていた可能性が高い。僕と結婚するのに、君が邪魔だと考えたんだろう……」
「確かに、訓練を受けた相手だと不利ではありますけど」
私は女で、荒事には不慣れ。魔法を撃つ前に制圧されたら、ひっくり返すのは厳しいわね。
うーん……でもねえ……
自分が既に――いえ、未来で?死んでいるなんて、すごく変な気分だわ。
恐怖や怒り以前に、現実味がない。
「若干疑問はありますが、まあ分かりました。話を中断させてごめんなさい……続けてください。その後、何があったんですか?」
今までの話を総合すると、旦那様は既に特別な能力を使って時間を戻した後よね?
今の人生は二度目――ニホンの記憶も含めれば三度目で、もうやり直しはできないことになる。
「ああ。……と言っても、あとは大した話じゃないよ。兄君から、君が生前に書いたという手紙を渡された。読んでみると、こう書いてあった……」
――貴方はかつて、私を愛することはないとおっしゃいましたね。
私も、貴方を愛したことはありません。
そもそも私は、叶うなら魔法使いとして生きていきたかった。
ですが、格上の伯爵家からの縁談を断れませんでした。これも貴族の娘に生まれた宿命だと諦めたのです。
そうして始まった貴方との結婚生活は、苦痛でしかなかった。
私のような貧相な女が妻になって、貴方は不本意だったのでしょうけれど、私だって同じだったのです。
縁あって夫婦になったのだから……愛することはなくても、穏やかにやっていきたいと思っていましたが……
私などには過ぎた願いだったのでしょうね。
もう、うんざりです。
もし時を遡って人生をやり直すことができたとしても、貴方とは二度と結婚したくありません。
離婚してください。
貴方と関わらず静かに暮らすのが、今の私の望みです――――――
「もし時を遡っても……ですか」
「うん。皮肉にも君の手紙がきっかけで、僕は自分の前世や能力について思い出した……」
その時になって初めて、旦那様は本心から後悔したのだと言う。
堅物だったという前世の人格が復活したのもあるかしら。
偶然って怖いわね。
「そこから……時間を戻したんですね?」
「そういうことだね。神にもらった能力を――使った。今度こそ失敗のない人生にしようと決意して……」
――――本当はもっと前、まっさらな子供時代からやり直すつもりだった、と旦那様はつぶやいた。
だけど、私が手紙に「二度と結婚したくない」と書いていたことが仇になった。
心を入れ替えて真面目に生き直しても、私とは結婚できない……してはいけないと思ったそうだ。
「ルカイヤを想うなら離れなければいけない……でも僕はもう一度、君に会いたいと思ってしまって……」
「旦那様…………」
私は旦那様の想いに感動――――しなかった。
だって、それは。
「それ、一番やったらいけない悪手ですよ……」
神から授かった特別な能力でしょ。
『心して使うようにせよ』って言われてたんでしょ?
私でも分かるわよ、魔法だって何より明確なイメージが大切なんだから。
時間を操るような激レアで超絶強力な能力なのに、そんなあやふやな、迷走しまくった気持ちで使ったら……駄目に決まってるじゃないの。
案の定、無茶をした旦那様は計画通りに時間を巻き戻せなくなって――――
『レイフェル様っ! お考え直しを!!』
『黙れ! 僕は出かけるんだ、どけっ!!』
愛することはない、を言い放った翌日の朝。
浮気相手の元へ行こうと階段を降りる途中――――
「――あの瞬間に戻ってきちゃったんですね、旦那様。……馬鹿じゃないですか」
「……だよね。自分でもそう思う」
「せめて初夜の前まで頑張って戻してほしかったです」
「返す言葉もない」
旦那様はしゅーんと肩を落としていた。
そうでしょうね。
あと数時間、巻き戻していればこんな阿呆らしい顛末にならなかったんだから。
本人が一番後悔しているとは思う。
「全くもう。今更、どうしようもないですけど……で、あのタイミングで足を踏み外したんですね?」
「うん……いきなり頭が割れそうに痛くなってさ……ぐらっとなって宙に放り出されて、落っこちてる間に走馬灯みたいに記憶が流れ込んできて。床に叩きつけられて、血反吐を吐きながら全部思い出したんだ……」
「私が居なかったら、回帰した直後に即死で終了じゃありませんか! やり直しは一回きりなのに、何やってるんですか」
「深く反省してます。でも……」
項垂れていた旦那様は顔を上げて、私を見つめて微笑んだ。
「後悔はしてない……かな。『旦那様!』っていう君の声が聞こえたんだよ。目蓋を持ち上げたら、階段を駆け降りてくる君が見えた」
「偶然居合わせただけですけど」
「魔法の光に囲まれてる君は綺麗だった。天から舞い降りた御使みたいで。あ、これで終わってもいいかなって思ったよ。戻ってきた目的を果たした感じ」
「私はぜんぜん良くありませんが? そこは反省と後悔を両方とも極限までやってください。それなりに大変だったんですよ、たくさん魔法を使って」
「ご、ごめん。それは医者にも言われた。後遺症もなく回復したのは奥様のお陰ですよ、って。見捨てられてもおかしくないのに、君は助けてくれた」
「ええまあ……最低な旦那様でも見殺しにするのはどうかと思ったんです。人として」
「君は優しいよね、本当に。最低な僕にここまで付き合ってくれて、感謝しかない……その上で聞くが、ルカイヤはこれからどうしたい?」
「え……これから?」
ちょっと何を言っているのか分からない。
まだ出来上がってない魔道具がたくさんある。
おまけに旦那様のスケッチブックには、さらに色んな魔道具……前世のカデンセイヒンについての覚え書きがたくさんあるわよね?
今更、仲間外れにされたくないんだけど。
「その……以前の僕の過ちを知って、嫌になってない? 二度と結婚したくないと言ってたのに、また僕と結婚しちゃってるし……」
旦那様、落ち着かないご様子ね。
悪戯がバレた犬みたいになってる。
ひょっとして、私が以前の記憶を取り戻したら貴方を嫌いになるものと思っていたの?
「旦那様。前の人生の記憶を持って戻ってきたのは、貴方一人だけなんですよね? 他の人は誰も覚えていない」
「え? うん。そうだね……今まで覚えてる人に会ったことはない」
「私も思い出せないみたい。貴方の話が嘘だとは思わないけど」
「そうか……」
旦那様はふっと息をつき、片手を上げて目許を覆った。
「……最低な人間で、ごめん。今すごく、ほっとしてる。散々やらかしておいて今更だが、君に嫌われるのが怖くて……ずっと言えなかった。すまない……」
私より年上で背が高い男性なのに、この時は小さい子供みたいに見えた。
声が少し震えてる。
そうね、旦那様は今回の人生でも結構やらかしてる。
そこに前の人生の分も乗っかるって……さすがに可哀想だと思ってしまうのはおかしいかしらね?
でも私だって、そんな褒められたものじゃないのよね。
「……私もそうよ、旦那様。ずっと聞けなかった」
「え……?」
「貴方が突然変わってしまった理由が分からなくて不安だった……でも聞けなかったの。だって貴方が元に戻ってしまって、また嫌われてしまったら……きっと、すごく傷付くから。怖かったの」
私は椅子から腰を上げ、旦那様の隣に座り直した。
膝の上で拳骨になっている手を、そっと握ってみる。
「ルカイヤ……?」
旦那様は……驚いたようだけど、振り解くことはなかった。
拒まれていないなら、言っても良いわよね。
「本気で好きになっちゃいけないと思ってた。心の中の天秤がいつ傾いてしまったのか、自分でもはっきりしない。でも……貴方を信じたい。貴方を愛してる」
「愛、してる……?」
蒼氷色の目が揺れている。
大した特徴もない私の顔を見て、繋がれている手を見て、何が起きてるか分からないって表情をしてる。
「愚かだった僕を……嫌いに、ならない?」
「ちっとも。むしろ好きになってる。叶うなら貴方の最後の人生を、一緒に歩いていきたいの」
「……ルカイヤ……ルカイヤが? 本当に?」
旦那様が茫然としている。
しばらく黙り込み、何か言いかけては口を閉じ、かと思えば自分で自分の頬をつねるという奇行を始めた。
「う、痛い……これは現実か……」
「そんなに信用ならない? 私は誰かさんと違って、舌の根も乾かぬうちに意見を変えたりしないわよ。愛すると言ったら愛するつもり満々ですけど」
繋いだ手を一度解いて、今度は旦那様の肩に両腕を回して抱きしめた。
破廉恥だと言われたっていいわ。
元から私に淑女らしさなんて無いんだもの。
「い、いや信じるよ。君を信じてる……けど、夢みたいだから……そうか、都合の良い夢じゃないのか……」
不意に、旦那様が抱きしめ返してきた。
ちょっと苦しいくらいに。
やっぱり年上の男の人で、大きくて力が強いわよね、私はすっぽり腕の中に入ってしまった。
完全包囲だ。
絶対に逃げられないやつ。
でも、少しも嫌じゃなかったわ。
「僕はどんな君でも全て愛してる……」
甘い声で囁かれるのも、唇を求められるのも。
全部、嫌じゃなかった。
✳︎✳︎✳︎
その夜――というより明け方に近かったけれど、私は夢を見た。
一度目のルカイヤの夢だ。
旦那様と結婚したものの全く相手にしてもらえず、悩み、傷つき、ついに諦めてしまった……そんな人生の記憶。
でも、それらは「かつての私」を主人公にした劇を観客席から見ているようなもので、「今の私」に影響を及ぼすものじゃなかった。
だってそうでしょ?
私が旦那様を好きになったのは、彼が反省して行いを改めてくれたからだもの。
女好きな屑のまま三年も放っておかれたら無理よ。私、そこまでお人好しじゃないわ。
すると場面は、旦那様の醜聞へ移り変わっていった。
隣国の王女様を妊娠させたと聞かされて、一度目のルカイヤもさすがに愛想が尽き果てる。
田舎の子爵家へ嫁いだ友人に誘われ、しばらく王都を離れることにした。
馬車に乗って子爵領へ向かう。
その途中で刺客に襲われるんだけど――――
あっさり魔法で撃退してるわね?
うん。
実はちょっと疑ってたのよね。
王女様にしてみたら、私なんて取るに足らない雑魚だもの。魔力を過小申告してるし、非力な女一人って思うのが普通なのだ。
襲ってきたのは本職の暗殺者じゃなくて、金で雇われたならず者に過ぎなかった。
簡単にお掃除できたものの、ルカイヤはすっかり嫌気が差してブチ切れる。
『――もうこうなったら、私は本当に死んだことにしてやるわ。あの人は再婚でも何でも、好きにすればいいのよ!』
ルカイヤは両親と兄にだけこっそり連絡して、一芝居打ってもらった。
友人の夫である子爵様が平民の身分証を作ってくれて、マクラン伯爵夫人でもペリス男爵令嬢でもない、ただのルカイヤになって……カルデナもオーリスも関係ない、遠い国へ行こうと決意するのだ。
旦那様のことは忘れる。
綺麗さっぱり記憶から追い出して、あとの人生は魔法や魔道具の研究をして面白おかしく生きていく……
――うんうん、それでこそ私よね。転んでもただじゃ起きない。
計算違いだったのは、旦那様がただの屑ではなく。
前世の記憶と、時間逆行のとんでも能力があって。
意外と愛が重かったことだわ……
過去の情景はそこでおしまいだった。
どこからともなく眩い光が差し込んできて、音もなく世界が溶け崩れていった――――――
✳︎✳︎✳︎
目を開けるとカーテンの隙間から、金色の朝陽が入ってきていた。
これのせいで眩しかったのかしら。ずいぶん変な夢を見たわね。
寝返りを打つと、驚くほど近くで旦那様が眠っていた。
すーすー寝息を立てていて、軽くつついても起きる気配がなさそう。
……見れば見るほど端正な顔よね、ほんと。
この美しさがなければ、旦那様はもう少し平凡な人生を送ることができ、無謀なやり直しをする必要だってなかったかもしれない。
そう考えると皮肉なものだ。
一度目の私、見てる?
本当に色々あって、旦那様は今、私の横で寝ているわ。
でも構わないわよね?
旦那様を忘れていたからこそ、もう一度向き合うことができたんだもの。
私、幸せよ。
思う存分、魔法や魔道具の研究をして面白おかしく生きているわ。
最高に面白いパートナーと一緒にね。
「ん……ルカイヤ……?」
旦那様が薄く目を開けてこっちを見ている。
半分以上まだ夢の中、って感じの潤んだ蒼氷色。
「朝みたいですよ、旦那様。起きられます?」
「まだ眠い……」
欠伸混じりにつぶやき、また目蓋を下ろしてしまった。
旦那様って寝起きが悪かったのね、知らなかった。
「もうちょっとルカイヤと一緒がいい。ようやく気持ちが通じたんだよ……堪能させて」
何その殺し文句。素で言わないでほしい。
女誑しは健在のようね。
私はあくまで貴方の妻であって抱き枕じゃないんですけど?
腕を巻きつけて寝たフリをしないでよ!
「――あと少し…………」
あーあ、駄目だわコレ。
私は深い溜息をした。
……それにしても、どうして私なのかしらね。
時間を巻き戻す能力まで使っちゃって。
おまけに、絶妙にビミョーなところで止めちゃって。
折り合いの悪かった形式上の妻なんて忘れて、子供時代からやり直していれば。
難ありの男爵令嬢じゃなくて、もっと家柄も容姿も性格も良い女性と結婚できたでしょうに。
やっぱりこの人、めちゃくちゃな奇行ばっかりの馬鹿だと思う。
大好き。
しばらく脱出できそうにないから、私も旦那様に包まれて目を閉じた。
せっかく夢を見るのなら、もっと幸せな未来がいいわ。
素敵な旦那様がいて。
可愛い子供もいたりして。
光を集めたように笑ってる……
きっと、その日はそう遠くない。
〈終〉




