第1話 閥がついた国家 後編
「私から殿下を諫めろと?」
「是非、宰相閣下から諫言いただけませぬか?」
巌のような体躯と均整の取れた顔、いずれも弟ファビオとは真逆の風貌をもつエミリオに向けて、大公女クラウディアはそう告げた。
クラウディアはファビオを諫めるため、あえて自室に宰相エミリオを招いていたのである。
「しかし、大公殿下を諫めろと言われましても」
「人望も実績も兼ね備えた閣下だからこそ、ぜひ殿下をお諫めいただきたいのです」
「騎士団の話などは耳に入っておりますが……」
「それだけではございません」
どこか煮え切らないエミリオに苛立ちながら、クラウディアは主君であり弟でもあるファビオの問題を指摘し始める。
「最近、殿下は遊興が激しくなっているのです」
「殿下は元々そうではありませんか?」
「ですが、先代が亡くなられて即位されてからすでに二年が経っています。殿下は今や大公として国を統治するお立場。どうか、お諫めいただけませんでしょうか」
予想外の懇願に、若き宰相は複雑な気持ちになった。
元来エミリオの公爵家と、ファビオやクラウディアの大公家には大きな遺恨があったからである。
「それを私がするのは不適当ではありませんか?」
「宰相であるエミリオ様こそが相応しいと、私は考えております」
金髪の大公女の真剣な面差しに、エミリオは複雑な心境となる。公爵家の人間が大公家に諫言するのは、一歩間違えば政争に発展しかねない。
「軍事など公務に関しては進言できますが、大公殿下の私事にまで口出しするのはさすがに……」
「宰相閣下にできなければ、誰にそれができますか?」
真剣な表情のままクラウディアは訴えるが、エミリオとしてはファビオが女性関係に溺れようが怠惰であろうが、やるべきことを果たしている限り問題はないと考えていた。
「殿下の執務に粗相があったなら、私はいくらでも諫言します。しかし大公に対し、公爵家当主が諫言するというのはよろしいのですか?」
暗にエミリオは、自分が公爵家当主であることを示した。クラウディアもその意図を察したのか「今のは忘れてください」と口にする。
「私としたことが軽率でした。申し訳ございません」
素直に頭を下げるクラウディアに、エミリオは微笑を浮かべる。彼女は真面目で融通が利かない面はあるが、根は素直なのだ。
「いいえ、わかっていただけたなら問題ありません。むしろ大公女殿下も気苦労が絶えませぬな」
確かにクラウディアの懸念はやや大げさかもしれないが、大公ファビオの評判は芳しくない。
「私が公爵家の人間でなければ、素直に協力できるのですがね」
「いいえ、むしろ宰相閣下にご迷惑をおかけしましたわ」
「いやいや、私こそ自分の無力さをかみしめております。まったく、ややこしいことをしてくれたものです」
本来、アヴァール公爵家はアヴァール大公家の分家筋にあたる。しかしエミリオの祖父は嫡子であり、自他ともに認める優れた人物だった。
ところが先々代の大公は、晩年に生まれた子。すなわちクラウディアとファビオの父に後を継がせたのである。
通常なら禍根を残す決定だが、エミリオの祖父は国家の安定を最優先し即位を断念、弟に大公位を譲った。その過程で自身の血筋をアヴァール公爵家として独立させ、大公家に次ぐ名門として認めさせた。
さらに自らの嫡男、エミリオの父を宰相とすること、万一大公家の嫡子が途絶えた場合は公爵家が大公家を継ぐことまで取り決めていた。
「我らのおじい様には常々困らされます。おかげで尻ぬぐいをする羽目になっているのですから」
茶を一口含んだ後、エミリオはそう愚痴をこぼす。
先々代の大公、クラウディアにとっては祖父、エミリオにとっては曽祖父の決断は、アヴァールに一つのねじれを生んでいた。
「ファビオ……いえ、大公殿下に宰相閣下のような国を思う気持ちが、せめて半分でもあれば良いのですが」
「私の半分では困りますな。私より国を思う人物は山ほどおります。内務大臣ダリオ侯や財務大臣カタロニア侯など、鑑となる人物は他にもおります」
本来、大公家と公爵家は成り立ちからして良好な関係とは言いがたい。だがエミリオは決して偉ぶらず、冗談を交えて周囲を和ませていた。
偉丈夫でありながら威圧感よりも親しみやすさが勝り、広い見識と確かな実力を備える彼を、クラウディアは信頼していた。
「それでも私は、宰相閣下こそ忠臣にして国家の重鎮、鑑となりうる方だと思っています」
「はは、私は父や祖父の名を汚さぬようにするだけで精いっぱいです」
「三十代の若さで元帥となり、宰相の地位にあるのは実力あってこそ。どうか何卒、大公家にお力をお貸しください」
母を異にするとはいえ弟を大切に思うクラウディアは、改めてエミリオに頭を下げた。
本来なら大公女が一臣下に過ぎぬ者に頭を下げる必要はない。
だが彼女はアヴァール大公国の大公女として、自らの立場より国家の利益を優先したのである。
「そこまで言われては、断るわけにはいきませぬな」
「何卒、お力をお貸しください」
「わかりました。微力ながら、私にできる限りのことをさせていただきましょう」
「ありがとうございます」
宰相エミリオを味方につけることができ、クラウディアは安堵した。
ファビオとは対照的なエミリオなら、きっと助力してくれると考えていたからだ。
「ところで殿下、ライナルト公のご子息との婚約が決まったそうですね」
唐突な問いに、クラウディアはぎこちなく「そうですね」と答えた。
「ライナルト公も本国派を名乗るのであれば、もう少し国家全体の視点で物事を見てほしいものですが」
クラウディアは近衛長官ライナルト公の嫡男ヴィルヘルムと婚約している。
本国派の筆頭たるライナルト公爵家と大公家が結びつくことは、政治的な意味を持つ。
「これも国家のためですので」
そっけない、いつものクラウディアらしい冷ややかな言い方。だが暗に、ヴィルヘルムを愛してはいないと示していることを、エミリオは察した。
「国家のためにそこまでされる殿下には、ぜひ幸せになっていただきたいものです」
エミリオが素直にそう告げると、クラウディアは変わらぬ冷静さでうなずいた。
しかし彼女の胸中には迷いが芽生えていた。
本来なら婚約すべきは本国派筆頭のライナルト公爵家ではなく、アヴァール公爵家ではないか。
何よりも、目の前にいる赤毛の偉丈夫こそが大公家、いやアヴァール大公国にとって欠かせぬ存在。
その人物との絆を深めることこそ、国家のためになるのではないかと彼女は心の奥で思い始めていた。




