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言霊の宿る紙細工

作者: 橋留健志郎

例によって【ハシルケンシロウ】からの移植でございます。


これは、テーマ小説企画【紙小説】に参加したやつですねぇ。


ハシルケンシロウのアカウントでは粉雪に次いで評価の高い作品でしたが、俺の目指す方向って、コメディー路線なんですよねぇ(泣)


なぜだろう。




なぜ逝ってしまったのだろう。




確かにここに宿り木はあるのに……。




















【言霊の宿る紙細工】




















今俺、剣持和俊は、オフ期間である十一月から一月のうち、自由に使える完全オフ期間である十一月の一ヶ月間を使って、里帰りをしている。

空気が美味しく、緑に囲まれた、のんびりとした雰囲気が心に優しい俺の故郷は、中国地方の山村だ。




【ふん!とんだ片田舎だぜ!】とか、【過疎地だ過疎地!】と言われてしまえばそれまでなのだが、それでも、駅前にはそれなりの娯楽施設が一通りは揃っているし、コンビニエンスストアだってある。

それよりなにより、俺にとっては俺を育ててくれた、大切な故郷だ。

新幹線を降りて、ホームに降り立つと、懐かしい草木や川といった、マイナスイオンを大量に含む、自然の香りが出迎えてくれた。

「ったく、新幹線止まるようになったのに、全然変わってねえな」

そこには、毒づきながらも密かに安心している俺が居た。








×××××××××××








駅を出て、まず最初に行った場所は、実家ではなく、駅前にあるバッティングセンターだ。

そこは、ある程度基礎の固まっていた俺を、完璧な野球人に仕上げてくれた、恩人の住まう場所だ。




「チワーッス!

おっちゃんおるー!?」




地元であるため、心置き無く自分の言葉を出せるのもまた、ここが好きなことの理由の一つだ。


いつもなら、この時点で主人の暖かい笑顔が出迎えてくれるのであるが、今年はまだ、それがない。

八月十四日の初美もそうだったが、今年は何か、いつもとどこかが違っている。

初美の場合は只の段取りミスだったらしいが、おっちゃんの場合は様相がかなり違ってくる。

おっちゃんがおっちゃんだったのは、俺がシュバルツに入団する前、つまり、十五年強昔の話で、今は、厳密に言えば【おっちゃん】ではなく立派な【爺さん】なのである。




場合によっては、充分に【死】も有り得る年齢だ。




受付には、若干の面影を顔に残している、妙に懐いてしまって、うっとうしい程俺に付き纏っていた少年であろうと思われる青年が詰めている。

「よぅ、孝明くん!

ひさしぶりじゃのう!

おっちゃんはどしたんなら!?

はぁ、引退してしもうたんかぁ?」

【孝明くん】。

それは、俺に付き纏っていた少年であり、おっちゃんの息子の名であった。

「あっ、オッサン、久しぶりっす!

親父もう死んじゃいましたよ。

ひどいのう、オッサン葬式にも出てくれやせんのんじゃけえ……」




そうか、おっちゃんまで死んでしまったか。

俺の周りで、大切な人達が次々と死んでいく。




なにも変わっていないように思えたこの街にも、時の流れによる世代交代の波が、着実に押し寄せていた。




「ほぅかあ、悪かったのう、葬式にも出んで……。

試合試合で家にも帰っとりゃあせんかったけえ、案内きとったの見落としてしもうたんじゃの。

ほいじゃあ、帰りに寄って線香の一つもあげさしてもらうわい」

帰りがけ、会いに行くことを約束して、バッティングセンターを後にした。








×××××××××××








実家に帰る前に、もう一つ寄りたい場所がある。

そこへの訪問が、今回の帰省のメインであるといっていい。

その目的地は、初美の家だ。




『拝啓


初美のこと、覚えてやってくれていて、とても嬉しいです。


実はこの度、初美からの遺言により、今まで封印してきた千羽鶴を、カズくんにお見せしようと思いまして、帰省前にお手紙差し上げた次第です。




つきましては、ご帰省される際には、是非文勢神宮へお立ち寄りください。


敬具』




この手紙、初美の母親からもらった手紙に記されている、【文勢神宮】。

そこが、今度の目的地である、初美の家だ。

文勢神宮は、山奥にある、石段を何段も昇らなくてはならないような神社ではなく、平地にあるため、タクシーで簡単に乗り付けることが出来る。




ちなみに、この神社に奉られている御神体は、正式名称【一言主】、通称【言霊】だ。

その神に遣えていた、産まれながらにして死の病を得てしまった巫は、延々と、主である【言霊】に願を掛け続けていた。


その巫の名は、藤堂初美だ。


そして、そのご利益は、確かにあった。

初美が、十九年も生きることができたのは、ほかならぬ【言霊様】のご利益であったのだと俺も、信じることが出来る。




だが……、




十九年も初美を生かしてくれた【言霊様】は、突然に初美を袖にした。

あの時、そうとしか思えないほど、初美の容態が瞬く間に急変してしまったのだ。

なにが、いったいなにが神の逆鱗に触れてしまったのか、あの時以来、ずっと気になっていた。


おっちゃんが死んでしまったように、時の流れによる運命だとか、寿命だとか言われてしまえばそれまでなのだが、そんな単純なものではないような気がする。

或いは、そう思いたくないだけなのかもしれないが。








×××××××××××








物思いに耽りながら歩いているうちに、駅前のロータリーに到達していた。


簡単にタクシーを拾えたため、

「文勢神宮までたのんます」

と行き先を告げる。

「あんた、剣持選手じゃろ?

八月十四日のサヨナラホームラン、世界最大じゃったそうじゃのう」

なんの変装もしていなかったため、当たり前と言えば当たり前なのだが、どうやらバレてしまったらしい。

「いや、まぁ、あの当たりにゃあ、気持ちぃ篭っとりましたけえ。

あの時は、最後の打席じゃったけえ、どうしてもワシゃあ、月に打ち込まんにゃあいけんかったんですよ」

取り敢えず、事情を説明してみる。

そんなことをしても、初美との経緯を知らない筈のこの運転手には、通じる筈もないのだが。

「ほぅかぁ。

まぁ、月までボール飛ばすんは無理じゃろうが、気持ちは充分月におるはっつんまで、届いたじゃろ」

「いや、実はボール……も届いた……らし……」


……、通じた……。


しかも、この運転手は、【はっつん】という、初美のニックネームまで、知っている。

そんな人物は、俺の周りには、一人しか居ない。




「なんで……、おっちゃんが当たり前にタクシー転がしとんならぁ!???

さっき孝明くんから『死んでもたぁ』ゆうて言われとったんでぇ!!??」




そう、おっちゃんしか居ないのだ。




「そりゃあ、あれじゃろ。

ワシの七十祝の案内出したのに、返事も寄越しゃあせんかったワレに、孝明がキレてしもうたんじゃろ」

「『キレてしもうた』じゃあるかい!

ワレ、勝手に息子に殺されてしもうたんど!

なんぞ言うことあるんじゃないんかい!?」

「べつになぁわい」

「無いんかい!」

「ワレにじゃったら腐るほどあるがのう」

「ワシにあるんかい!」




「ほぅじゃ」




さっきまでの顔とは違う、とても真剣な眼差しをバックミラーから確認できた。

どうやら、大真面目な話題を繰り出そうとしているらしい。

心なしか、プレッシャーがかかり始めてきた。

【文勢神宮まで1.5km】の案内標識を通過する。

車窓には、見覚えのある景色が飛ぶ様に流れている。

おっちゃんの言葉が出てこないうちに、この流れが止まって欲しい。

心からそう願う。






絶対に聞いてはいけない、【呪いの言葉】。






俺にとって、それほどの衝撃を持つ言葉が放たれようとしているのではないのだろうかという気がするのだ。

「ワレ、はっつんの千羽鶴、見に行くそうじゃのう。

ワシゃあ、あれを見たことがあるんじゃ。

ワリャあ、絶対見ん方がええ」

かなり一方的に、見るべきではないと断言されてしまった。


だが、引くわけにはいかない。


初美が【言霊様】に見捨てられてしまった元凶が、間違い無くそこにあるのだから。

「悪いのう、おっちゃん。

譲る訳にゃあいけんのんじゃ……」

俺の顔付きも、おそらくはおっちゃんにひけをとらないほど、真剣なものとなっているだろう。


【言霊様】に袖にされた元凶。


それは、初美と交際していた俺には、知る権利があることだし、義務でもある。

その結果によっては、慶輔や、その妹を巻き込んでの全面戦争も、辞さない構えだ。




その程度の覚悟は出来ている。




神だろうがなんだろうが、俺の彼女を死に追いやった罰は、絶対に受けてもらう。

「……、ほぅか、今のワレにゃあ、まだ早い気がすんじゃがのう……。

どうしても『見る』ゆうて言うんなら、はあ止めやせんわい。

そんかわり、覚悟ぉしとけや。

覚悟しとかんにゃあ、ワリャア、オドレの運命に……、






【狂い果てる】ど」






千羽鶴。


それは、【言霊様】を呼び寄せるためのアイテムとして用いられた、キッドの一つだ。

『あのな、カズくん、【言霊様】って、ほんまに居るんよ』

初美が、付き合い出したばかりの時に、笑顔で見せてくれたことを思い出す。

「そりゃあそうじゃいのう。

【言霊】奉りよる神社の巫が、『【言霊】なんぞ居る訳なぁわい』とは言えんもんのう」

当時はそう言って笑い飛ばしていたが、時が経っても、健康体と何一つ変わらない初美の姿を見るごとに、次第に俺も、【言霊様】を信じるようになっていた。

そして、俺も始めたのだ。

【言霊様】降神の儀式を教わって、初美に、出来るだけ長く生きてもらうための試みを。

そのときの、実例テキストとして出てきたのが、その千羽鶴なのである。


初美は、その中の一羽を、外して広げて見せてくれた。

そこには、

〔言霊様、今日、久々に学校行ったらねぇ、ぶちイケメンな男の子があたしらの部活に居ったんよ。

あたしがマメに部活出よった時は、そんとなコ居らんかったけぇ、入院中に転校して来たんじゃろうね♪

ピッチャーの、剣持和俊くん♪

絶対モノにしたるど〜

それまで、長生きせんにゃあね♪

言霊様、たのんます(一礼)〕

そう書かれてあった。

「随分フレンドリーな書き方じゃのう。

ご利益どころか、バチが当たるんじゃないんか?」

神への願掛けとしては、余りにも、文章が砕けすぎている。

幾ら言霊様がフレンドリーな神だとしても、これでは失礼な気がした。

初美はこの時、

「要は気持の問題よ。

神様は、体裁じゃなぁて、気持に反応するんじゃけえ」

と満面の笑みで説明してくれたのだが。


「ほんまに、ええんじゃのう。

もうじき【文勢神宮】につくで。

引き返すんじゃったら、今のうちじゃど?」

おっちゃんが、俺を回想から現実へと引き戻してくる。




【文勢神宮】に何が有ろうが、初美の千羽鶴に何が書かれていようが、俺は逃げるつもりはない。

いや、逃げる訳にはいかなかった。




「ええわい。

やってくれぇや。

何が有ろうが、乗り越えたるわい」

やや挑発的な言葉で、おっちゃんに【引き返すな】と命じる。

「まぁ、お客様は神様じゃけえのう。

神様に帰るなぁゆうて言われちゃ、帰る訳にゃあいけんわいのう」

たかだか1.5キロが、やたら遠く思えてくる。

あと500mの標識を通過。

目的地が、肉眼で捕えられる位置まで迫ってきた。

鬱蒼と茂る文勢の杜が、常軌を逸したスピードで急接近してくる。

おそらくは、百年近くずっとそこに居るのであろう、大木、巨木達がかもし出す、恐るべき程の、翠の威圧感が、俺の心をジワジワと呑み込んでいく。


初美は、神に祈っていた。

神は、それを聞き届けてくれた。

だが、突然見放してしまった。

神に見捨てられた初美は、一溜りもなく病に殺されてしまった。

この一連の運命の流れと、俺が辿って来た運命の流れがどう関係しているというのか。

おっちゃんは言っていた。




『まだ見ん方がええ』


『オドレの運命に狂い果てる』




この二つの言葉が意味するもの。

それは、俺の運命が初美の死に、かなり密接に関わっていること。

体育会系の俺でも、その程度の推測能力はある。




「着いたで。

1500円じゃ。

またの御利用、お待ちしております」

おっちゃんの社交辞令に促され、利用料金を支払ってから、車を降りる。


目の前には、高い塀と、それを突抜ける翠色の杜。

そして、神社の象徴である、朱の門、鳥居がそびえている。

俺が初美と過ごしていた、ほんの僅かな時間。

その三年間が、凝縮されているかの様に、昔と何も変わっていない風景が、そして、むせかえる程の、森の薫りが俺を出迎えてくれた。








×××××××××××








いかにも、古来からそこに有るぞという雰囲気をかもし出している、黒地に紅い屋根の神殿には、確か、巨大な神棚があり、そこには、【一言主】【八心思兼神】といった、【言霊様】達が奉られている筈だ。

チームメイトの霊感野郎、門倉慶輔の話によると、【神】とは、天界に元々存在しているものではなく、成仏霊達の、あの世での働きによって区分される、役職のようなものらしい。

だとすれば、あの時を境に【言霊様】のポストに対する、人事移動があったことも、多分に考えられる。

次の【言霊様】に、うまく初美のことを引き継げなかったか、引き継ぎ忘れた可能性を、否定は出来ないのだ。




いくら神主一家と言えど、神殿で生活しているわけではなく、境内の奥の方に自宅を構えて、そこで暮らしている。

俺は、藤堂家の自宅の玄関前に立ち、おそらくは【言霊様】との仕合の開始を告げるサイレンとなるだろう、インターホンを……、






鳴らした。








×××××××××××








インターホンの音色に導かれてやってきたのは、頭髪も、口髭も、ものの見事にロマンスグレーに染まっている、中々渋い佇まいの高年男性だった。




藤堂一信。




【文勢神宮】の宮司(神主)であり、初美の父親である男性だ。

「お久しぶりです。

初枝さん、居ってですか?

千羽鶴見せてもらえるゆうて、言われて来たんですけど」

「あぁ、和俊くんじゃのう。

話は初枝から聞いとります。

初枝は今、出てますけえ、上がって待っといてください」




千羽鶴が有るのは、自宅の、初美の部屋だった場所だ。

所在がはっきりしているだけに、お預けを喰らうのは辛いところだが、『見て良し』の許可をくれた初枝さんが居ないのであれば、勝手に上がり込むわけにもいかない。

一信さんの言う通り、おとなしく、居間に通されることにした。

「できれば……、お引き取り頂きたいんですが……、どうしても見ますか……?」

湯呑に爽快な水音を発てて茶を注ぎながら、おっちゃんと似た様なことを言って来た。

それ程俺に、隠さなければならない真実とは、いったいどんなものなのだろうか。

「ここに来るのに、偶然おっちゃんのタクシー乗ったんです。

おっちゃんにも、

『行くな、帰れ、見ん方がええ』

ゆうて、言われました。

それを見てしもうたら、ワシはどうなってまうんですか?

名門【沖縄シュバルツ 4番 センター 剣持和俊】でも、潰れてしまうような代物なんですか!?」

どうにも、不安が抑え切れなくなってしまった。

今まで黙ってきた感情を、言葉として発してしまう。

「最悪の場合は……、二度とまともなプレイが出来なくなります」


《!!》


俺は強い。


自分で言える自信がある。

ドラフト会議での一位指名の約束を意中の球団だった【松阪ラダマンティス】に反故にされたり、初美と死別したり、初美が降りて来なかったりといった壁を何度も乗り越えて、精神的にはかなり強くなったつもりだ。

決して、生きた初美と交際していた時のように、ナヨナヨとしたヒヨッコではないのだ。

「大丈夫じゃっちゃ。

ワシもはぁ、昔のワシじゃないんじゃけえ」

そうはいいつつも、若干程度の不安はあるのだが。

「ただいまぁ!

ん?

カズくん来とるの?」

どうやら、初枝さんのお帰りらしい。

いよいよ【言霊様】との戦いの火蓋が切って落とされる訳だ。

玄関を閉める音がして、足音が近付いてくる。

心なしか、俺の鼓動も早くなって来たようだ。




居間のドアが開いた。

久し振りに見る初枝さんは、相変わらず小さくて、元気一杯で、茶髪で、狐目な、仔狐のような人だ。

初美がこの歳まで生きていれば、間違い無くこうなっただろうと思える程、二人はよく似ていた。




「カズくん、こんにちは。

今日はな、ほんまの事を知ってもらおうと思うてねえ。

いずれ越えんにゃあいけん壁じゃけえ、越えられそうなうちに越えてしもうた方がええけえね」

初枝さんは、今の俺なら潰れないと踏んだらしい。




「ほいじゃあ、千羽鶴、見たってください」




初枝さんに促され、二階の初美の部屋へと向かう。

いったい、【言霊様】との間に何があったのか、いよいよ知ることが出来る。

鼓動は、極限まで高まっていた。








×××××××××××








かつて、初美が暮らしていた部屋。

もはや、その面影は留めていなかったが、初美が暮らしていた証拠として、例の千羽鶴がまだそこには存在していた。

千羽貯まった、大きな紙細工の房が五つ飾られている。

その内の、五つ目、つまり、最後の房に手を掛けて、初枝さんが、そのうちの一本の弦に鋏を入れる。

弦は、中央付近から寸断され、そこに通してあった紙細工の鶴達が、音を発てて床に舞い降りていった。

初枝さんは、手に持っている弦の1番上にある鶴を外し、それを紙に戻してから、そこに書かれてある文面を確認したうえで俺に手渡してくれた。




「カズくん、【言霊様】は……、願いを聞き入れてくれる【言霊様】は、ほんまに居るんよ……」




わざわざそう前置きして手渡してくれた折り紙の裏には、衝撃的なことが書かれてあった。

〔言霊様、ちぃと聞いてやぁ。

ほんま酷いんよ!

松阪ラダマンティスっちゅうプロ野球団が有るんじゃけど、そこがオッサンを一位で取るゆうて、言いよったんよ。

それじゃのに、ドラフトで、別な人指名しよったんで!?

他の球団も、オッサンはラダマンティスじゃゆうて思うとったけえ、結局どっからも指名されんで、どこにも行けんようなって、就職浪人じゃ。

お願いです。

百年、いや、八百年ぐらいに一人の逸材である、剣持和俊をプロ野球選手にしたってください。

言霊様、ほんまたのんます(一礼)〕




日付は、1990年、12月1日。


《!!》




忘れもしない




《なんでなら!?》




この日は




《なんで……》




初美が突然




《願掛けの対象が……》




体調を崩し始めた日だった。




《ワシのプロ入りに変わっとんならぁ!!!》








×××××××××××








1990年、12月1日……。




その日を境に、千羽鶴から【普通に生きたい】【もっと生きたい】【長生きしたい】といった言葉は、完全に消えていた。

それに変わって、【オッサンをプロにしろ】【黒いのが似合うけえ、シュバルツかノワールがええ】といったものばかりが増えていた。

それは、願掛の対象が、完全にスイッチしたことを意味している。

……、初美は、俺のために命を張ってくれ、【言霊様】は、それにしっかり答えてくれていたのだ。




思えば、確かにこの日からだった。

自分自身で手応えが掴めるほどに、急激に力を伸ばしていったのは。

そこには、【言霊様】の力が大いに働いていたのだということに対して、疑いを差し挟む余地は……、無い。




「……、なんなら……、どういうことなら……?

ワシゃあただ……、初美や【言霊様】に、シュバルツの4番にしてもろうただけなんかい!!」




悔しさに涙が溢れ、止まらなくなってしまった。




初美が俺に黙ってスイッチしていたことも悔しいが、それ以上に、スイッチしなければ、プロになれないと判断されてしまったことが何よりも悔しかった。

「なんで……、一言もゆうてくれんかったんじゃ……。

お前の言葉だけでも頑張れるのに……、なんでワシなんぞのために死んでしもうたんじゃ……」




俺が死なせた。

俺のふがい無さが、初美に死を与えてしまったこと、それはもはや、動かし難い事実のようだ。




申し訳無さすぎて、詫びの一言も、見付けられない。




どうすることが詫びることに繋がるのか、それに関しては、自分でも理解できている。

だが、どうにも、この心苦しさを、消し去ることが出来ない。




確かに、おっちゃんや一信さんの言った通り、見るべきではなかったのかもしれない。


見ることによって得た物は、ふがい無さ、情無さ、申し訳無さの、三つしか無かったのだから。


だが、初枝さんの言う通り、見るタイミングも今しか無かったような気がする。

調子が良すぎて、三冠王なるものに輝いてしまった今年だからこそ、完全に崩壊せずには済んでいるのかもしれない。




ただ、はっきりと言えそうなことは、一つだけある。

少なくとも来シーズンは、ろくな結果が出せないだろうということだ。

思ったよりも強くなかった自分に対して、心の底から怒りが込み上げて来る。

誰かに救いを求めようにも、手を差し延べてくれる者は居ない。

これは間違い無く、自分で乗り越えなければならない壁であるからだ。




「カズくん、これ、読んだって。

初美の、いっちゃん最期の鶴、1991年、8月14日の鶴じゃ」




鶴型の紙細工に託された初美の想いを最後まで読みきることを諦めてしまった俺に、初枝さんが最期の鶴を手渡してくれた。

そこには、とても読めた物では無いのだが、頑張ればなんとか読める程度の乱れきった筆跡で、こう書かれてあった。




〔言霊様あたしの最期のお願いです

オッサンは運が無いだけでプロになったら絶対世界に羽ばたける人なんです

かれにうんをあたえたってください

なんとかかれをシュバルツにいれたってください

いれるだけでええ

さいごのおねがいです

ことだまさまたのんま〕




余程苦しかったのだろう。

句読点は一切端折られ、途中から全て平仮名。

しかも、最後まで書かれていない。


そして最後は、おそらく、吐血してしまったのだろう、ドス黒い血しぶきで締められていた……。


この短い文章、終わり切っていない文章の中に、俺にとっての希望を見た気がした。

決して、プロになれるだけの力がないと判断された訳では無いのだという、絶望の闇に射す、一筋の光を。

直ぐに萎えそうになってしまう気力を振り絞って、今までの初美の願いをもう一度読み直してみた。


やはりそうだ。


プロ野球選手にしろ、シュバルツかノワールに入れろとは書かれてあるものの、【プロ野球選手になれるだけの力を与えろ】とは、一言も書かれていない。




初美は、俺の【能力】は信じてくれていた。

その事実は、俺の気持を、いくらか軽くしてくれた。

とは言え、まだ楽にはならなかったが。

おそらく、これから死ぬまで初美を死なせてしまったことに対する、自責の念は付いて回るだろう。

俺は、それから逃げようとはしないことを、俺自身と、初美に誓った。








×××××××××××








2007年、10月31日。

入団16年目の俺は、二度目の獲得となったFA権を行使して、去年の帰省の際に立てた誓いを実行に移す。




そう、初美が望んだ、【世界に羽ばたける人】になるために……。






END

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