平和は一瞬、聖女は騒がしい
昨日は平和だった。初めて、何もなかった。
これで借金二兆円がなかったら最高なのに――心の中でため息をつく。
大学のキャンパスを歩きながら、私は今日の授業の準備を思い返す。
校門前の屋台の女王たちは、昨日と同じく元気に働いている。
そう、昨日までは――平和だった。
「あなた、人間のふりをした悪魔じゃない。企みは何よ?」
授業が始まったばかりの教室。
背後から声をかけてきたのは、銀髪の女子大生。
聖なるオーラをまとい、鋭い目で私を射抜く。
「誰……?」
「聖女ミユ。世の悪を浄化する者よ」
「はぁ……あんた転生人でしょ?」
「なぜそれを!」
「変なこと言う人、大抵転生してきてるって最近わかったの」
「ぐぬぬ、この悪魔め。浄化してくれる!」
「やめなさいよ。今授業中なんだから。せめてこの時間くらい平和を堪能させてよ」
「悪魔のくせに平和を堪能? 矛盾してるわね!」
結局、ミユは騒ぎすぎて先生に追い出されていった。
授業後。遅れて登校してきた裕美子に声をかけられる。
「なんか疲れた顔してる」
「聖女ミユって転生人が来てね。追い出されたけど……どこ行ったのやら」
「次から次へと変なのばっかり」
次の教室へ向かう途中、人だかりができていた。
「義元ぉぉ!!」
廊下の中心で信長が泣き叫ぶ。
その腕に抱かれているのは、ぐったりとした義元だった。
「このうつけめ……敵の私をここまで……」
「黙れ! 今はお前が死にそうなんだぞ!」
義元は青ざめた顔で笑い、かすれた声を漏らした。
「短い間じゃったが……楽しかったぞ。また桶狭間で……」
信長の必死の呼びかけにも応えず、義元の意識は途絶えた。
――まさか、ミユ?
授業から追い出されていった聖女。
浄化とやらが、転生者や魔物に効果を及ぼすのだとしたら……。
「どうするの? 次はあなたかも」
裕美子が囁く。
「てか、裕美子も対象よ。星の魔女なんだから」
私は歯を食いしばった。
平和なんて、ほんの一瞬。
でも――守らなきゃいけないものがある。
「聖女であるワタクシを犯人呼ばわりはやめてくれないかしら?」
突然だけど後ろから声をかけられて振り返ると、ムスッとしたミユが仁王立ちしていた。
「あ、犯人」
私は言うと、
「さすが悪魔ね。罪もない清き乙女に罪をきせるなんて汚いわ」
「その自分で聖女とか清き乙女とか恥ずかしくないの?」
「うっさいわね! 今回はこういうキャラで生きるって決めてるんだから邪魔しないでよ」
「あ、キャラ設定なのね。ならただのモブってことでいい?」
「モブってなによ! 超重要キャラになさい!」
「面倒くさい奴だなぁ。で、あんた教室から追い出されて今まで何してたのよ?」
「生徒指導室で怒られてたに決まってるでしょ。全部あなたのせいよって、何悪魔と話をしてるのかしら。汚れてしまうわ!」
「あーハイハイ。で、あんたの能力って何よ?」
「治癒、蘇生、アンデットの浄化、能力向上のバフよ」
「なら、義元を助けてあげて」
私は半ば強引にミユを連れて行くと、
「ヒィッ、死体!」
腰を抜かす聖女。
「あんた聖女として生きて行くなら通らないといけない道よ」
「なんでワタクシが悪魔に導かれてるの。泣きたい」
「いいから蘇生しなさい!」
私が背中を押すと、ミユは涙目で義元に手をかざした。
「……光よ、命よ、戻りなさい――聖命帰還!」
眩い光が廊下を満たす。
次の瞬間。
「うおおおおっ!!」
義元が飛び起き、信長を突き飛ばした。
「桶狭間ァァ! 次は勝つぞぉぉ!」
「ぎゃあああ!? ゾンビ!? 失敗したぁぁ!!」
また腰を抜かすミユ。
「いや、生き返ってるから。普通に蘇生成功だから」
私は冷静に突っ込む。
「義元! 大丈夫なのか!?」
信長が必死に抱きつく。
「む……? なんじゃ信長、泣いておったのか」
義元はけろっとした顔で笑い、信長の頭をぽんぽんと叩いた。
「バカ言うな! ワシは本気で……」
信長は涙を拭いながら顔を背ける。
周囲の学生はぽかんと見守っていたが、やがて拍手と歓声が広がった。
――どうやら、義元は完全復活。
私は胸をなでおろしつつ、横でガタガタ震えている聖女に視線を向ける。
「……で? あんた、人を蘇生させて腰抜かしてどうすんの」
「うるさい! だって死体って無理! 清き乙女の心が削れるのよ!」
「ならキャラ設定からやり直した方がいいんじゃない?」
「ぐぬぬぬぬ……!」
ミユは悔しそうに唇を噛む。
――聖女ミユ。どうやら面倒くさいけど、ただの敵ってわけじゃなさそうだ。
午前の授業が終わり、3人で学食をとることにした。
「なんで聖女であるワタクシが悪魔と魔女と仲良くランチをしなくちゃいけないのよ」
「まぁまぁ。今日は奢るから」
「フンッ。仕方ないから今だけは仲良くランチしてあげるわ」
あぁ、転生にお金使って貧乏なんだ。
なんとなく察しては言わない優しい悪魔姫。
「で、義元を襲った犯人を探さないといけないわ」
私はオムライスを食べながら言うと、
「そうね。義元を倒すなんて実力者よ。もし個々に狙われたら私たちも危ないわね」
「勝手にやればいいじゃない。ワタクシには関係ないわ」
「いいけど犯人捕まえるまで永遠に死体見せられることになるよ?」
「仕方ないわね。ワタクシも手伝うことにするわ!」
冷や汗をいっぱいかきながらミユは水を飲んだ。
「ここにおったか」
信長と義元が姿を見せた。
義元は廊下で見せた弱々しさが嘘のように、きりっとした顔をしていた。
「ワシを蘇生してくれた件、真にかたじけない」
そう言って義元は、聖女ミユに深々と頭を下げる。
「……あんたがやられるなんてね」
私はオムライスを食べながら呟いた。
「闇討ちにあったのじゃ」
「いや、まだ午前中だから」
軽口を叩きつつも、胸の奥がざわつく。
義元は表情を引き締め、静かに言った。
「残念ながら、ワシを狙った刺客の顔は覚えておらん。しかし一つだけわかっておることがある」
「なに?」
「……もう、ワシには戦う力がない」
「どういうこと?」私が尋ねると、横からミユが口を開いた。
「蘇生の代償よ。転生者が持っていたスキルや加護は、すべて消えるの」
義元は苦笑しながらうなずいた。
「そういうことじゃ。剣も魔も失ったが……頭はまだ使える。これからは信長の軍師として、己の知恵を尽くそうと思う」
信長は涙をこらえるように義元の肩をつかんだ。
「義元……お前が隣にいてくれるなら、天下を取れる!」
その声に、廊下のざわめきがさらに広がっていく。
――戦う力を失った義元。
だが、彼の知略は失われてはいない。
桶狭間で散るはずだった敵が、この世界では味方として隣にいる。
次の戦いは、もうすぐそこに迫っている。




