第12話 小さな灯火
アネッタとフェリオは、引き続き共同水場を修理したり、その合間に難民キャンプ内での補修の手伝いをしたりしていた。
セナはあれから、難民キャンプのラハルのお婆ちゃんの元へ、毎日通うようになった。
おばあちゃんは、体調によって、会話ができたり、出来ない日がある。
会話が難しそうな日は、アネッタとフェリオを手伝った。
今日も、セナはお婆ちゃんのテントに顔を出していた。ここが彼女のお気に入りの場所らしい。
「これ、わかりますか?お婆ちゃん?」
「(”⧉──⋮)ほら、共通語でなんだったかねぇ……」
お婆ちゃんは――何の話をしていたか忘れやすかった。
高齢なのだから仕方ない。
「思い出せそうですか?」
「えぇと……はぁ……疲れてきちゃって……」
セナは辛抱強く待った。
お婆ちゃんが思い出せなくても、できるだけ顔に疲れを顔に出さないようにした。
「お婆ちゃん!これは前『未知』って言ってたよ!」
「未知……ああ!そうだった。未知、とか、知らない事って意味だよ」
お婆ちゃんの元へ通うようになってから、エシャニが手伝ってくれるようになった、
エシャニが居ることで、昔の記憶が刺激されるらしく、そこから思い出される事が多かった。
「こっちはなんでしょう?」
「”⟁・∵”これは、えぇと……心とか、考えとか……」
「あと、タマシイって前言ってた!」
「ああ、そうそう、そう言う事もあるね」
エシャニの翻訳は不完全で部分的だが、単語の意味を把握しているようだった。
また、この文字の文法上のルールなども簡単に教えてもらい、情報をまとめた。
それを、言語学者のアレックスに渡せば、なんとかなるかもしれない。
そう思いながら、セナは難民キャンプのお婆ちゃんの所に足げく通っていた。
「すまないねぇ」
「いいんです。疲れたのでしたら、また明日でも大丈夫です」
「おばあちゃん、ばいばい!」
「ありがとうございました。また来ます。」
セナは毎日通っているので、お婆ちゃんが萎縮しないように努めていた。
どうしても文字を思い出せない時は、諦めて引き下がるようにするが、こちらは人の命がかかっている。
翻訳が進まない。そのプレッシャーが、セナを押し潰そうとしていた。
知らない間に溜まった疲れや苛立ちは、伝わってしまうらしい。
その空気に当てられて、お婆ちゃんが苛立って「今日は帰ってくれ」と言われた日もあった。
幸い、お婆ちゃんが忘れっぽいので、遺恨が残らないのは救いだった。
そんな中で、エシャニが間に入ってくれるのは非常に助かっていた。
エシャニが間に入ると、おばあちゃんの緊張が解けるのがよくわかる。
たとえ記憶が揺らいでも、「子供」は可愛いと遺伝子に刻まれているようだ。
* * *
「エシャニ、今は何を勉強してるの?」
セナがそう言いながら、エシャニの鞄に目をやる。
おばあちゃんのテントから出て、エシャニとセナが広場の方へ歩いている。
「算数とか。つまんない」
「つまんないかぁ……」
「うん。だって、勉強すぐ終わっちゃうんだもん。」
「どういうこと?」
「先生が忙しいから、早く授業終わったり、休んだりする。他の学校いかなきゃいけないからって」
話を聞いている印象だが、ここの難民キャンプは、公的な学校があるわけではないらしい。
先生も、他の学校と掛け持ちで授業をしているのだろう。
「本とか、お話とかもっと読みたい」
「その授業はしないの?」
「時間がないから、国語はしないんだって。本は好きな時に読めるし、算数とか、理科の方が大事だからって」
「そっか……図書館は行かないの?」
「ここから遠いし、お母さんも仕事で忙しいから行けない」
先生は本を読めば良いとは言うが……それだけではない。
と心のなかでセナは意義を唱えたが、エシャニには言えなかった。
母国語がわからないということは――
深く考えるための言葉が、少しずつ削られていく。
エシャニはまだ子供だし、よく喋る。
それでも、『感情の語彙が少ない』ように見える。
会話はできるが、不機嫌になって暴言を吐く事が多い。
ここのコミュニティではそれで良いかもしれないが、一歩外に出るとそういうわけには行かない。
とはいえ、ここで、セナが何か出来るとは思えず、静かにエシャニの愚痴を聞くしかなかった。
* * *
とある日。
お婆ちゃんのテントでは、雨音が響いていた。
テントの中は相変わらず暖かく、エスニックな香りのお茶から、湯気が漂っていた。
時折、濡れた土の匂いが、テントの入口からひやりと流れ込む。
この日、お婆ちゃんはあまり調子が良くなかった。
ぼーっと空中を見たり、思い出せる単語も少ない。
(今日も進まなかったか……)
セナが、今日はこれ以上は無理だと感じ、立ち去ろうと動き出す。
その時、外で子どもたちが笑いながら、バシャバシャと泥の中を掛けてゆく音が聞こえた。
お婆ちゃんが、その音に気づき、テントの向こう側に耳を澄ます。
セナはそのお婆ちゃんの様子を見て、今日のお礼を言った。
そして、テントの出入り口の幕を押したとき……
「エシャニを……」
と、背後から声が聞こえた。
セナがなんだろうと思いながら、振り向くと――
――お婆ちゃんの、しっかりとした眼差しとぶつかった。
「エシャニを……学校へ……いかせてやってくれ」
さっきとは違う。ゆっくり、しかし、はっきりとした声だった。
彼女はロッキングチェアに座っていたが、背筋もピンと伸び、まるで、30歳は若返ったように座っていた。
そして、縦にシワが入り、すぼまった唇が、ゆっくりと開く。
「このままだと、あの子はずっと貧困のままだ。勉強が何のためか、わからないまま、終わる……」
セナの喉が、ゴクリと鳴る。
「エシャニはそれができる――あの子は……賢い」
「し、しかし、エシャニはこのキャンプで勉強をしています」
「ここじゃだめだ。あの子はここでは、芽が出ない」
そして、一瞬、お婆さんの目の焦点がズレた。
そしてまた、顔から力が抜けてゆく。
「たのんだよ…エシャニに、良い勉強を教えて……」
そしてまた、お婆ちゃんは目の焦点が合わなくなった。
背筋も力が抜け、曲がった背中を、ロッキングチェアにゆっくりと体を落ち着かせた。
「ええと……何の話をしていたかね?」
お婆ちゃんが、力の無い声で、そう言った。
その声を聞き、セナの目頭が熱を帯びる。
「……大丈夫です。私が覚えてますから」
その時、セナの心に、小さな灯火が宿った。
* * *
あれから、何度かお婆ちゃんのところに通い、魔法陣に利用されていた単語の翻訳が完成した。
他にも未知の単語はあるようだが、言語学者のアレックスにあとは任せるしかない。
エシャニは――アレックスの研究室に通っている。
「石像みたいに動かないな!掃除が出来ないからどいて!」
エシャニは相変わらず、気に入らない事があると、罵詈を言ってしまう事がある。
アレックスはその都度
「石像か…侮辱としては弱いね。語彙を増やしたほうがいい。この辞書で勉強するといいよ」
と各国の罵倒語だけを集めた辞書を貸したり、
「その罵倒は間違ってる。ゲルマン系言語では、役立たずや無駄に時間を使っている人物、特に男性に対して使う場合『Ei schaukeln』という言葉がある。
おっと。僕以外の人間に使うなよ?意味?意味は自分で調べてみよう。辞書はここだよ。」
など、都度意見と修正を伝えて、事あるごとに辞書や書籍を読ませている。
「ムカつく!それ貸して!」
エシャニは、 罵倒してるのに、アレックスに都度訂正をされているのが、たいそう気に入らないらしい。
見返すために沢山の本を読む様になった。
お陰で、エシャニの鞄は、分厚い本のせいで、いつもパンパンに膨れていた。
しかし、エシャニはメキメキと母国語や外国語の習得が伸びている。
――罵倒の種類も。
実際、本人も「知る」事が面白いらしく、暇があると辞書で意味を調べている。
「そうだ、前貸した絵本は読んだ?」
アレックスが、不貞腐れて辞書を読んでいるエシャニに話しかける。
「……読んだ。……悔しいとか、不安とか、恥ずかしいとか、色々書いてあった」
「うん。君がよく言う『ムカつく』にも、種類があるんだ。」
「……そうなんだ……」
そう言い、絵本を鞄から取り出し、もう一度読み直し始めた。
――エシャニは以前に比べて、落ち着いている時間が増えた。
エシャニは、学校へ編入する道が開けた。
そうなれば、彼女は自分で未来を選べやすくなる。
「よかったね。セナ」
アレックスが、絵本を読んでるエシャニを見ながら、にこやかに笑う。
「救われたのは、僕らのほうだよ。良い未来をつくりだすのは、いつも子どもだから。」
セナは、この言葉が、静かに胸に染み込んだ。
「救われたのは、私だった。か……」
セナは、静かに呟いた。
そう思う日が、いつか来るのかもしれない。
セナは、あの時、心に灯った小さな灯火を、もう一度胸に感じていた。
そして静かに、近くにあった本を手に持ち、パラリとページをめくった。
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