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第5話 ダミアンと解呪師

ある、あたたかい午後の昼下がり。青空が広がり、小鳥が春の音色を運んでくる。


セナは、仕事部屋で、大精霊祭用魔法陣の資料に目を通していた。少し眠気が来ており、目をこすっていた。


春の空気にまどろんでいた矢先、バァンッ! とドアが大きな音を立てて、突然激しく開け放たれた。セナは、驚きで体を硬直させる。

そこに、黒い影が勢いよく飛び込んできた。


「おい。誰がこの書類を書いた?」


男は、手に持った資料を机に叩きつける。

長身の痩せた男は、少し長めの黒髪をハーフアップにまとめており、鋭いグレーの目だった。

本来は精悍な彫りの深い顔なのだろうが、今は不機嫌な皺が刻まれている。


「なんだこの資料は?スペルミスだらけで読みづらい。書き直せ」


無精ひげが目立つ口元が、怒りに任せて嫌味をまくしたてる。


「なんだ? ダミアンか」

「なんだ、じゃない貴様。この書類を書いたのは誰だ?」


ダミアンと呼ばれた男は、ビョルンにくってかかる。不機嫌はまだ収まっていないようだ。よほど腹の虫の居所が悪いのだろう。

……ここは、正直に言った方がいい。


「わ、私……です……」

セナが、恐る恐る手を挙げる。

横でビョルンが「黙ってりゃよかったのに」と言いたげな顔でため息をつく。

ダミアンの吊り目が、さらにキッと釣り上がる。


「また貴様か……一体いつになったらまともに文字が書けるんだ? 俺が直してるんだぞ。人の時間を無駄にして悪いと思ったことはないのか?」

……ああ、まただ。耳を塞ぎたくなるような、でも事実の言葉が突き刺さる。


「ごめん。これ書いたとき、あんまりスペル調べてなかったんだと思う……」

セナは、文書を書くのが得意ではない。正確に言うと『スペリング』が得意ではない。綴りをよく間違えるのだ。


これには理由がある。セナは移民であり、この国の言語が第一言語ではないからだ。

なるべく誰かに確認してもらうか、辞書を引くようにしている。だが、忙しい時は億劫になりがちで、確認を忘れた事にしてしまう。

通常、資料は記録用なので、後からしっかり読まれる事は頻繁にはないが、今回のように発覚する事もある。


「す、すまない……すぐ直してまた送るよ」


セナは、親に悪戯がばれてしまったように、ダミアンの機嫌を伺い、いたたまれなくなっていた。自分のせいではあるが、過去の自分を呪いたくなった。一番運が悪かったのは、それを見つけたのがダミアンだったと言う事だ。


「貴様、前も同じ事をしていたな?何度同じ事をすれば気がすむ?」

「おい、もう良いだろ。言い過ぎだ。俺も今後確認するから」

ビョルンが割って入った。


「そんなことは知らん。できて当たり前だろう。俺はこんなことをしている暇はない」

「俺のチームメンバーの問題だ。今後レビューするって言ってるんだから、それで良いだろうが」

ビョルンの押しに負け、ダミアンが大きく舌打ちをした。そして、セナを睨みつけて去っていった。


「はー……全く、嵐のような奴だよ。あれで治療と解呪が専門ってんだから、ほんと、わかんねぇよな」


ダミアンは誰に対してもあんな態度だが(特にセナには厳しいが)、専門は解呪と治癒――通称『解呪師』。呪われた遺物や、魔法による事件が起きたときに出動する。

呪詛を安全に解く判断と、犯人を特定する調査も彼らの仕事だ。失敗すれば死ぬこともある緊張感の高い任務で、殉職も珍しくない。


年齢や家庭の事情で早々に辞める者も多く、常に人手が足りない。ダミアンは、そんな現場を何年も続けてる。

よほどの覚悟がなきゃ、長く続けられない。


「この間も、『咎落ち』の魔術師を騎士団と一緒に捕まえたって話だぜ。優秀ではあるがなぁ……」


『咎落ち』――精霊から罰を受けた者のことだ。

この世界では、魔法で他人を攻撃すること自体が禁忌。違反すれば、体に黒い荊のような刻印が現れる。

加護が弱まり、魔力も不安定になっていく。特に殺人や拷問のような重罪では、刻印はすぐ現れ、やがて精神も壊れていく。


魔術師でなくても咎落ちはするが、影響は軽い。ただ、刻印は目に見えるため、社会では差別の対象になる。


普通の人なら、その印が出た時点で行動を改める。でも――そうじゃない者も、いる。

罪を重ね続け、刻印が体に広がると、やがて正気を失い、最終的には解呪師や騎士団に捕まるか……精霊に“人をやめさせられる”という話もある。噂でしか聞いたことはないが。

ダミアンが相手してるのは、そんな連中だ。あんな態度になるのも、少しは仕方ないのかもしれない。


……今回は、怒られても仕方ない。でも、あんな言い方されると、さすがに落ち込む。


「セナ、なんでお前はダミアンに目の敵にされてるんだ?」

「……入所して二年くらいは、ボヤみたいな事故を起こして、ダミアンに何度か治療師として尻拭いをさせてしまった……」

「おお……結構派手にやったな」


私は「人はミスをするもの」だと思っている。でも、ダミアンは「仕事でのミスは許されない」と考えている。

考え方が、そもそも違うのだ。

命がけで現場に立ってきた人からすれば、私の軽率な行動は許せなかったのだろう。

今なら、よくわかる。


それから、私も振る舞いを改善した。トラブルは起こさなくなり、仲間からの信頼も取り戻せた。

……だが、ダミアンからの信用はいまだに薄い。時間がかかるのだろう。


そう思いながら、セナは差し戻された書類を、手元に引き寄せた。

「……確かにこれはひどいな……」


 * * *


次の日の午後、アネッタと仕事の進め方を打ち合わせをしていると、アネッタの口からダミアンの名前が出た。


「セナ、またダミアンに怒られてたの?」

「……ちょっと、それどこで聞いたの?」

「私は仕事でたまに話すのよ。物質の解析を手伝うから。」


ああ、なるほど。と思いながら、セナがお茶を口に運ぶ。


「ダミアン…怖いんだよね…すごく」

「つっけんどんではあるわね。」

アネッタが、優しく言いなおした。


「もう少し優しく言ってくれればいいのに」

「セナにも落ち度はあるでしょ」

セナが図星を突かれて、ウッという顔をする。


「でも仕事であんな言い方する必要ないでしょ」

「それはそうなんだけど、彼はああいういい方しか出来ない人間なのよ」

アネッタが困った様な顔をして続ける。

「それ以上に正義感が強いってこと、ちゃんと行動で示してる人なのよ」


確かに、行動で明確に正義を示しているという点では、セナは同意した。


「ところで、そのダミアンからセナにお願いがあるそうよ。これを手伝ってくれたら、先日のことは水に流すって」

水に流すも何も、私の自業自得なので、あまり関係ないと思うが。

とセナは思ったが、解呪師の仕事は都市の安全にも関わるので、市民は積極的に協力しなければならない。


ダミアンは、セナの事は嫌いだが、セナの『分析能力』は評価している。

そのため時折、セナの知識が必要そうな場合は、資料を見せて、解呪や犯人の予想について意見を聞くのだ。


アネッタは、セナに数枚の写真を見せた。

「これで何か気づく事はあるか?って聞けって言われたわ」

「おおざっぱだなぁ……どれどれ」


写真には大量の呪符の写真が収められていた。返り血の様なものがついている。あまり現場を想像したくはない……。

呪符は長方形の紙に、呪文と漢字が使われた文字が描かれている。セナの出身国の言葉の様だが……


「……パッと見た感じ、呪符の品質が悪いって印象がある。あと、筆の跡が出てるからわかるけど、漢字の書き順がおかしい。所々、漢字も間違えてるね」

セナが眉をひそめる。

「書き順?」

「そう。ルールがあるんだよ。これ見ると、漢字が読めない文化圏の人が、劣化コピーを大量に作ってるのかな?って思う」

「なるほど…」

「和紙もなんだか……バサバサだね。インクのシミがムラがありすぎる。糊が違うのかも。物質調査してみたら?大量の糊をどこからか買ってると思うから、それも調べられるし。そんな所かな?」


どんな人間が容疑者として上がっているのかわからないが、これくらいのヒントがあれば、少しは絞れるだろう。


「伝えておくわ。ありがとうセナ」

『ありがとう』。ダミアンからは聞いた事がないセリフだ。

「…それをダミアン本人から聞いてみたかったよ」

そうセナが呟くと、アネッタがくすくすと笑った。鳥が窓の外でさえずっている。


今後、あんな事が起きようとは、この時はセナもアネッタも、この研究所の誰も思ってはいなかった。

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