第7話 咎をなぞる手
※この話には襲撃シーンが含まれます。苦手な方はご注意ください。
セナの視界は霞んでいた。必死に意識を手放さまいと顔を歪ませる。
倒れているせいか、湿った裏路地の土の匂いが、セナの顔にまとわりついた。
黒いマスクの人物はセナの近くにかがむ。
セナは麻痺した頭を、無理やり動かそうとした。
その人物はセナを押さえつけるでもなく、確かめるように、手が一瞬だけ身体に触れた。
セナは異様さを感じ、逃げようと身体をよじるが、殆ど力が入らなかった。
そしてナイフの刃先が、セナの『左脇腹』の服を切り裂き始めた。
「やだッ……やめ……!」
セナが恐怖でビクリと跳ねる。その人物がセナの口を手のひらで押さえつけた。
声が出せない。口から手が退けられない。
手を退けようとするが、身体の痺れもあり、力に差があった。
セナは右手で、自身の腰に隠していた、筒状の魔工具に触る。
それをサッと取り出し、勢いよく犯人の顔に向けた。
そして───
マスクの目の前で、光り輝く閃光とパンッ!という大きな音が放たれた。
「うっっ!!!」
呻くような声が、マスクの下から漏れた。
眩しさと音で、思わず両手で顔を隠している。
セナは渾身の力で起き上がり、必死で逃げた。
まだ痺れがあり左右によろけながら、壁に手を伝い、急いで走る。
『だ、だれか……だれか……!』
セナは必死で声を出そうとしたが、痺れと恐怖で声が出せない。
そして、セナ自身は気づいていなかったが、セナは母語の東方言語で助けを呼んでいた。
その言葉は、誰も理解する事は無かった。
そして、よろけながら曲がり角を曲がる。少し向こうに、路地の出口、飲み屋の繁華街が見えた。
助かる!セナが安堵して一歩を踏み出したとき、服の裾を力強く、ぐいと後ろに引かれた。
肩に指が食い込む。
肩越しに振り向くと、マスクの人物が、必死にセナを捕まえようとしていた。
そして、背後から伸びた手は服の『左脇腹』部分に掴み掛かり、執拗にその部分の服を裂こうとしている。
力で引っ張られ、ビリッと服が裂ける音が聞こえる。
『わああああ!』
セナは思わず、恐怖で言葉にならない声を上げた。
その声が意外と大きかったのか、または、すでに路地の出口が見えているのもあったのだろう。
黒いマスクの人物は、パッとセナから手を離した。
そして、セナは、今だとばかりに急いで路地の出口へ走った。
大通りに逃げ込もうと、勢いよく地面を蹴る。
もう少し、もう少し!はやく!!
セナは、出口付近の、光り輝くネオンの看板に向かって、もつれる足で突進した。
しかし、足元を全く見ていなかったせいで、セナは出口手前の段数の少ない階段で、勢いよく踏み外した。
着地の際、足首がぐにゃりと曲がった。
同時に、ゴキャ、さらにボキっという骨の鈍い音が足首から体内、そして喉を通り、鼓膜に直接響いた。
セナは地面に勢いよくのめり込み、あわてて立ちあがろうとするが、力が入らない。
痛みはまだないが、これから痛むであろうことは容易にわかった。
まずい。これは、まずい。
両足首が動かなくなり、立ち上がることが不可能になった。
しかし、体の上半身は既に大通りに出ていた。ある程度の人通りがある。
セナは、這いつくばって路地から抜け出した。
身体が泥だらけだが、気にしてられない。
黒いマスクの人物は、先程手を離した場所に立っていたが、そのまま路地を引きかえし、暗闇に消えていった。
危機が去りホッとしたとき、急に両足首が痛みだした。
痛みで全く動かない。体重がかけられない。
心の中の焦りが大きくなる。歩けない。どうしよう
またアイツが来たらどうしよう。逃げなきゃ
目の前の冷たい土が、セナの手の温度を吸いとってゆく。
──夜風が冷たい。
寒い……痛い……怖い……
……誰か……
そう思っても……誰も来ない。
冷たい風だけが、静かに暗闇を通り過ぎる。
──その時。
「貴様、ここで何をしている」
その声は、思いもよらぬ方向から響いた。
セナは地面にへばりつきながら、声がする方に目をやる。
長い足がそこにあった。細身の身体に黒い解呪師のコート、薄い無精髭に鋭い目つき、少し長い黒髪をハーフアップにまとめた男が立っていた。
「……ダミ…アン……?」
セナが、それがダミアンだと分かるまでに、しばらく時間がかかった。
目を丸くし、半ば放心状態になっている。
その呆けた顔を見て、ダミアンが声をかけた。
「酔っ払っているのか?」
「……そんなんじゃ……無い…」
セナは、急に安心して、目頭が熱くなった。
こいつの前では泣くまいと、強く意識をしたが、目に熱がこもってきた。
視界が潤んで歪んできたが、ダミアンに悟られまいと必死で眉間に皺を寄せる。
唇も、強く噛んでいた。
「!」
ダミアンが、セナの服に乱れと破れがあることに気付いた。
その途端、ダミアンの表情がサッと変わる。
すぐにセナの近くに膝をつき、破れた服を確認する。
セナがビクリと動いた。ダミアンの目線が一瞬セナの顔に向いたが、すぐに破れた部分に戻した。
それ以上、服に触らないように、出血が無いことを確認する。
そして、すぐにセナに聞く。
「貴様、怪我はあるか?痛みは?」
そう言いながら、ダミアンが着ていた上着を脱ぎ、
セナの破れた服を隠すように被せた。
「……まず両足首をみて。捻った」
セナは、痛みのあまりだんだん余裕が無くなってきた。
ダミアンがそれを察し、両足首を診た。熱を持って腫れてきている。
「……力は入るか?」
「入らない。ボキって嫌な音した」
セナが、喋るのがつらそうに、息を深く吸い込む。
「……治癒院まで運ぶ。おい、そこの馬車。けが人だ」
「ごめん……こんな夜に……」
「……」
ダミアンが無言でセナを抱きかかえる。
抱き上げたセナは、体が冷たく、小刻みに震えていた。
その体の震えと体温が、自分の腕の中に伝わる。
抱き上げた瞬間の身体の震えが、しばらく胸元に残っていた。
……そして、セナに残った、鈍い呪詛の残滓も。
腕の中から、かすかに息の震えが聞こえた。
ダミアンは、聞かなかった事にした。
無意識に腕の力がほんのわずかに強まっていた。
そしてダミアンはセナを馬車に乗せ、治癒院まで連れていくことになった。
ダミアンの上着の下で、セナは左脇腹に鈍い熱を感じていた。
* * *
緊急患者として運ばれたセナは、一日だけ一人部屋に移された。
簡素な部屋に、治癒師が一人、セナが寝ているベッドの横に立っていた。
「両足首の骨折。右はヒビだけど、左は綺麗に折れてる。治療で希望はある?」
治癒師がツラツラと病状をつたえる。
「新型治癒魔法だと、どのくらいで治りますか?」
セナはベッドの上で唸りながら聞く。
「いまうちで出来るものだと、一週間と少しで治るよ」
治癒師が答える。今はとにかく、時間が惜しい。
そして、動けないことが、恐ろしい。
「新型治癒魔法がいいです。」
「わかった。明日の午前に処置をします。」
治癒師はカルテに何かを書き込み、いそいそと出ていった。
* * *
「入るぞ」
ダミアンが、治癒師と入れ替わりで入ってきた。
「あれ?ダミアン、検査待っててくれたの?……あの、ありがとう」
「礼はいい。貴様に聞きたい事がある」
「……」
セナの背中に、緊張が走った。
「誰に襲われた?」
「……わからない。男性だと思うけど、マスクを付けてたし……」
ダミアンが短く息を吐く。
「……心当たりはあるか?」
ダミアンの声に、ほんの一瞬迷いがあった気がした。
セナは、心当たりについて、言おうか言うまいか、少し考えた。
勇気が出ない……喉の奥が乾き、震える。
(嘘をつける相手じゃない。でも、真実を話したら───もう前と同じには戻れない)
しかし、今日襲われて、確信した。あいつはまた別な人間でやる。
「……ある」
声が、震えた。
抑えきれずに、深く息を吸った。
「あいつは──あの咎落ちを狙った、連続襲撃犯だと思う」
セナは意を決したように呟いた。
「……医療記録を見た。」
ダミアンの目線が、一瞬だけセナの左脇腹へとずれた。
その声には、咎める色も、詮索する気配もなかった。ただ、静かに事実を受け止めようとしていた。
「……やっぱり見られたんだ」
セナは、心に酷く冷たい、重い石が乗ったような気持ちになった。
「 犯人は咎の刻印を見ようと、執拗に狙ってたからね」
セナが、観念したように呟く。
「そうだよ。理由は話したくない」
ダミアンが、それを聞いて、静かに答える。
「話す必要はない。貴様の咎の印は、もう殆ど薄い」
「──贖罪の旅は、終わりかけている」
セナは胸の奥で、何かが、静かにほどけるのを感じた。
窓から月明かりが差し込み、ダミアンの影を床に落としていた。
少しの間、ダミアンとセナは黙ったままだった。
「……そこまで咎の刻印が薄くなった状態を見たのは、初めてかもしれない」
ダミアンは、何かを込めて言ったのかもしれないが、セナはそれが何かわからなかった。
けれど、そこに宿った温度だけは、たしかに感じた。
いつも読んでいただきありがとうございます。
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