第6話 静かな暴力
「こちら、騎士団のアルノーだ。例の男を発見した。これから取り調べをする。」
「早ぇな」
ジャンが、通声石の向こう側にいるアルノーに返事をする。
娼館の女、サリュが話していた『怪しい男』の情報は、すぐ騎士団に共有された。
そして──その男を見つけた。
アルノーからの連絡はその報告であった。
「まぁな。こっちも拍子抜けだ。抵抗もなし」
「そりゃ本当か?一体どうなってんだ?」
連絡を受けたジャンは、あっさりと見つかった事に驚きを隠せない。
アルノーが、通声石の向こうで、ため息をつく声が聞こえた。
「とにかく、これから尋問だ。なにか分かったらまた連絡するよ」
「ああ、たのむ」
そう言って、アルノーは通話を切った。
「俺達、出番なかったですね。解決しそうで良かった」
椅子に座ったまま会話を聞いていた、フェリオが笑う。
フェリオは内心、容疑者を捕まえたとの連絡を受けて、胸を撫で下ろしていた。
そして、無意識に右足の義足の接合部をさする。
「──だといいけどな」
その隣で机に座っているマルコも、静かに言った。
マルコはちらりとフェリオの義足を擦る手を見て、視線を手元の書類に戻す。
そのまま、小さくため息をついた。
この事件について、まだ解ってない事が多い。
呪文が読めず、どんな処理をしているのか分からない魔法陣。
争った形跡の無い被害者。
魔工具の破片。
怪しい男。
咎落ち……どうにも、腑に落ちない。
──内心、嫌な予感がしていた。
あんな凶悪な呪詛の犯人が、ここですぐに捕まるものなのか?
そのマルコの違和感は、的中することとなる。
* * *
間接照明で照らされた、薄暗い部屋。大きな窓から景色が見える。
地上の建物の間からオレンジ色のグラデーションが空に昇り、紺色の空へ色を描いていた。
外はこれから、夜の帳が降りるのだと告げている。
コチコチと鳴る時計の針の音が、部屋の中でやけに大きく響いた。
誰にも見られていない時計の秒針が、僅かに遅れて跳ねる。
薄暗い部屋の中で、大きな机のスタンドライトだけが、ぼっかりと明るく光が浮かんでいる。
その机で、クリスは分厚い書籍を指で追い続けていた。
最近は仕事の合間に、新聞や、新しい論文ばかりを読んで過ごす日々だった。
クリスは新聞の文字を追い掛ける。
……だめだ。まだ出ていない。
クリスは新聞を畳み、机の脇へ押しやった。
そして、ため息をゆっくりと吐いた。
最近、よく眠れていない。疲れが溜まっている。
先程入れたハーブティーから、ゆっくりと湯気が立っていた。
これは効果的なブレンドがしてある茶葉で、個人で飲むことが多い。
クリスはハーブティーを少しだけ口に含む。
ゆるく薫る茶葉が、大学勤務の時に、教え子にも時々淹れていた事を思い出させた。
そしてゆっくり背伸びをして、静かに目を瞑る。
その時、細い艷やかな黒髪が一瞬、まぶたの内側を掠めたが、見ないふりをした。
クリスがアッシュブロンドの髪をかきあげる。
ぱらぱらと落ちる髪が、柔らかくスタンドライトに煌めいた。
静かに、脇にやった資料達の山を見つめる。
紙の束の縁や、箔押しの背表紙が光を照り返していた。
まだどこにもないのか……それとも──
クリスの瞳が、夜の泉のように深く、闇に沈んでいた。
パチッ
その時、デスクランプが、一瞬だけ明滅した。
ハッとしたクリスは、深くため息をして、顔の力を抜く。
「ああ……そうだね。わかってる。わかってるよ」
誰にでもなく、ため息と一緒にこぼれた。
クリスのグレーがかった碧眼が、机の上のスタンドライトにきらめく。
そしてまた、文字に目を落とす──
……静寂が部屋を包み込む。
部屋の隅のライトから、パチンッという音が響いた。
オレンジの明かりが、じわりと揺らぐ。空気が、少しだけ冷えたような気がした。
* * *
一方、別な路地。
「遅くなっちゃったな」
セナが図書館を抜けると、秋の風が頬を撫でた。
日が落ちるのも早くなってきたようだった。
鞄の中の資料が重い。斜めがけのバッグのベルトが、肩に深く食い込んだ。
ベルトを握りしめると、冷えた風が当たって、手が冷たくなった。
図書館で、事故現場にあった魔法陣の文字に関して調べたが、進捗としては
『何処の文字かわからないという事が解った』であった。
やはり、暗号の類なのかもしれない。
いずれにせよ、ビョルンやアネッタ、ビビアナとまた進め方を相談した方が良いように感じた。
そういえば、アネッタとビョルンに、娼館でダミアンと人命救助をした話をしたら、とても驚かれた。
それを聞いたビョルンが、戸惑いながらも「よくやったよ」と、肩を叩いて励ましてくれた。
セナ自身、まだショックを引きずっていたので、この励ましは胸の奥を温めてくれた。
同僚の優しさを思い出し、セナは少しだけ胸が軽くなっていた。
夕暮れ時の裏路地、建物の間から見える細長い空は、オレンジと紫色に染まっている。
周りの影は、これからやってくる夜のように沈んでいた。
遠くで、夕方の鐘の音が聞こえている。
セナは心細くなり、早足で裏路地を抜けようとしていた。
(嫌だな、早く路地抜けたい……)
セナは、少しだけ道に迷っていた。
いつもは裏路地をなるべく避けている。
しかし、今日に限って、大通りが土木工事をしており、迂回路の裏路地を通ることになった。
気づくと、セナの背後から、足音が聞こえている。
迷っていたため、周りの気配に気がついていなかった。
(後ろに誰かいる……)
いや、考えすぎかもしれない。そもそも、道の工事で迂回する人はいるはずだ。
同じ道を歩いているだけだろう。
セナは気にしないように、ほんの少しだけ歩く速度を早めた。
そして、道に迷いながらも、前に進む。方向は把握出来てる。大丈夫。
……しかしどうも、様子おかしい。
セナが止まると───後ろの足音も止まる。
(まずい、尾けられてるかも……)
セナの背筋に緊張が走る。
冷たい空気が、喉を冷やした。
(いや、落ち着け。まだ違うかも)
セナは殆ど自分に言い聞かせるように、カバンを肩にかけ直した。
しかし、指先が震えて、ベルトのねじれが上手く直せない。
セナは、段々と歩くスピードを上げる。殆ど走っているため、息が上がってきた。
しかし、背後の足音もスピードを上げてくる。
薄暗闇の中で、靴底が石畳を叩く音が、壁に反響している。
夕方の路地は暗く、足元がよく見えない。明かりは持っていない。
これで走るのは、危険に思えた。
時々、路地に落ちている色々な物に躓きそうになった。
その間にも、後ろから足音が近づいてくる。隠す様子は、もう無いらしい。
セナは息を切らしながら、肩越しに後ろを振り向いた。
石壁の曲がり角から、弱く明かりが見える。フードを被った黒い人影だ。
セナの心臓がドクンと跳ねた。
セナは恐怖と緊張で、足がもつれがちになったが、なんとか走ろうとした。
後ろの足音が、走ってくる音が聞こえる。まずい。すぐ後ろにいる。
叫ぼうとするが、緊張と恐怖で声がつっかえて出ない。
セナは代わりに、後ろを振り向いた。
そして、その暗闇の中から、白い手が伸び──セナの肩に指を食い込ませた。
セナが叫ぼうとしたその時、
バチンッッ!!!!
閃光が走ったその瞬間、世界が急に静かになった。
痛みと痺れで急に力が入らなくなり、セナは膝から崩れ落ちた。
何だ?!何をされた?
腹部が痛い……
息ができない……
痛みが波のように押し寄せ、セナの視界が歪んだ。
身体も、痺れて動かせない。
目の端で、遠くの路地の明かりが揺れる。
セナは、意識を手放さまいと、必死に目の前の人物に集中しようとした。
フードを被った人物の顔が見えた。黒いマスクを被っていた。
マスクの下からゼェーゼェーという荒い呼吸音が、石壁に反響していた。
呼吸を整えようとしてるのか、その音がかえって不気味に聞こえた。
そしてその手には、小型のナイフが握られている。
路地の影の中で、三日月のようにギラリと光が走った。
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