第3話 不穏な被害者
「魔法陣についてなにか解ったか?」
「いえ、特には……あの赤いモノは蝋で、布は普通の白い布だということしか……」
アネッタが解析情報が載ったファイルを、パラリとめくる。
ダミアンがそれを聞き、無表情のまま、少しだけ視線を落とした。
研究所内の解呪師の詰め所に、人が集まっていた。
ダミアン、マルコ、ジャンは元より、アネッタ、セナ、ビョルンが情報が書き込まれたボードの前に座っていた。
ビビアナはまだ解析作業を行っており、後から来る予定だ。
「……ずっと気になってたんだけど、あの魔法陣、本当に“呪詛”なの?」
重い空気の中、セナが、前々から思っていた事を口にした。
「……なぜそう思う?」
ダミアが、片眉を上げる。
「魔法陣の文字が読めないから解らないけど、大型の“呪詛”の割には、人への害が限定的に見えると思って……」
セナの言葉に、ダミアンが少し考え込み、静かに呟いた。
「……まだ言えない」
「言ってくれないと、私達もヒントもなにもない」
セナが少しムッとして、ダミアンの目を見つめる。
ダミアンは、その頑固さに観念したように、ため息を漏らした。
「……確証は無いが」
と、ダミアンが前置きする
「普段、俺達が扱うような、高い攻撃性の魔法ではない……“壊す”というより、“変えようとしている”ような……そういった気配だ」
「ただ、まだ確証がない。これを鵜呑みにするな」
その一言の後、誰も口を開かなかった。
まるで、誰も呼吸をしていないかのような静けさが、部屋を包んだ。
「――殺そうとしていないのに、あんな残酷なことをしてるってこと?」
「……世の中にはな、生きながら苦しめようっていう奴もいるんだ。セナ」
ジャンがそう言い、一瞬だけ目を伏せた。
何か思い当たる節があるように、その瞳に、かすかな影が差した。
「ダミアンは、何か解ったことは無い?」
アネッタがダミアンに問いかける。
ダミアンはアネッタの報告を聞いて、手元のファイルを開き、書類の文字を指で追う。
そして、口を静かに開いた。
「気になったのは……暴れた形跡が無いことだな」
「被害者の肉体を調べたところ、そういった薬品や魔法は検出されなかった」
「えっ……て事は……つまり……」
セナが、緊張した面持ちで問いかける。
「……被害者が、自分から、あの魔法陣に入っている可能性がある。確証は無いがな」
そう言い終わると同時に、ダミアンは、開いていたファイルをパタンと閉じた。
そして、また、部屋が沈黙に包まれる。
「……そ、そんな……」
その沈黙に、セナの震え声が響き渡った。
ビョルンの表情にも、影が差している。
「被害者の方は目覚めてないの?」
アネッタがマルコに問いかけた。
それを聞いて、マルコが言いにくそうに口を開いた。
「……残念ですが……。あそこまで頭部の肉体が変質させられていると……目覚めるのは、早くても十ヶ月後くらいだと思います」
「……そもそも、目覚めたら幸運だと思うぜ。俺たちの経験上は」
ジャンは、なんの抑揚もなく言い放った。
セナは、それを聞いてぞっとした。
解呪師の現場では、きっとこういった事は日常なのだろう。
あんなに普段は陽気なジャンやマルコの声が、当たり前のように冷たく響く。
胸の奥が、ゆっくりと冷えていくのを感じた。
* * *
突然、ドアがノックされる。
「お、お疲れ様です!本部から追加の資料を持ってきました!」
部屋内にいた全員が、その明るい声に目を向ける。
そこにはフェリオが立っていた。手には沢山の資料が入ったバッグを持っている。
「よく来たな。助かるぜフェリオ」
ジャンが立ち上がり、フェリオから書類を受け取る。
「いえ!これぐらい、お安い御用です!」
フェリオが少し緊張した面持ちで、ジャンに敬礼をした。
そして、以前、騎士団が貸していたと思われる資料を回収し、バッグに収めた。
ビョルンが、フェリオの右足の義足に目を落とす。
「――その義足、騎士団で支給されてるやつか?魔工で特殊加工されてるようだけど……」
ビョルンが、フェリオの義足を見ながら、技術的な質問を投げかける。
「はい!自分用に調整されてる、新型の試作品です」
フェリオが、自慢気に義足を紹介した。嬉しそうに右足を上げる。
彼は笑うと、年相応の若い青年だ。やはり可愛い印象がある男性だと、その笑顔を見てセナは感じた。
「なるほどな、通りで始めて見る型だと思った。」
「メンテナンスも自分でしてるの?」
セナが、フェリオの義足を見る。使い込まれているように見える。
「はい、基本は!ただ、派手な動きをした後は、義肢専門の魔工師にチェックしてもらってます!」
自分で調整もするなんて、本当に、義足は『彼の足』なんだ。とセナは尊敬の念を抱いた。
おそらく、毎日自分でメンテナンスや確認をしているのだろう。
「聞いたのだけど、義足で壁走りするなんてどうやるの?」
アネッタがフェリオに問いかけると、フェリオが種明かしをするように話し始めた。
「義足と靴の裏に魔工具を仕込んで、魔力で一瞬だけ吸着させるんです。俺は魔力が少ないので、何度もはできないんですけど……」
その説明に、アネッタ、ビョルン、セナの魔法技術者が、思わず納得の表情を浮かべた。
……とはいえ、それを操って建物間を飛ぶには、血の滲むような練習が必要だろう。
「なるほど、それで“ツバメのフェリオ”なんだね。犯人捕まえてカッコよかったもんね」
セナが笑うと、フェリオが恥ずかしそうに頭を掻いた。
「いえっ!あれは……ジャンさんが手柄を譲ってくれただけでっ!」
そしてフェリオは急にしゅんと落ち込み、小さく言葉を漏らした。
「……俺、小さいし……力負けして、犯人も一人で捕まえられないんですよ……」
「『鉄皮のジャン』さんみたいに、俺も体格が良ければ……」
「……俺?」
「……え?」
フェリオが、腕組をしたジャンの方を向いて、ジロジロと外見を舐め回すように見る。
そして、わなわなと唇を震わせながら、言葉を漏らし始めた。
「その体格……グレイッシュブラックのたてがみのような髪……右腕のタトゥー……も、もしかして、元騎士団の『鉄皮のジャン』さんですか!?騎士の称号持ちの!?」
「昔の話だ。今は解呪師」
ジャンは、何でも無いことのように、フェリオの興奮をさらっと受け流した。
セナ達が、きょとんとしている。
フェリオがそれを見て、興奮気味に説明を始めた
「『騎士の称号』は、沢山の功績を残した者じゃないと与えられないんですよ!近年でも五人くらいしかいないはずです!うわー、俺、ジャンさんに憧れて騎士団入ったんですよ!」
「わかった、わかったから落ち着けって」
「ジャンさん、強いなって思ってたけど、そこまで強かったんすか……?」
マルコが、目を見開いてジャンの方を見る。
「マルコ、お前はもうちょい俺を敬え」
ジャンがニヤリと笑いながら、マルコの方を見た。
そこに、男性の咳払いが入り込む。ダミアンだった。
「……書類はこちらで預かる。……貴様らは仕事をしろ」
雑談が過ぎたのか、言いにくかったのか解らない。
その一言で、室内の空気に一気に緊張が戻った。
フェリオが、しまった。という顔で敬礼し、出口へ向かおうとした――そのとき、ドアがノックされた。
「失礼します。解析終わった資料を持ってきました」
ドアから出てきたのは、遅れてやってきたビビアナだった。
「ッ!?!???」
ビビアナと鉢合わせしたフェリオが顔を真赤にする。
首筋から耳まで一気に赤く変化した。
フェリオが固まっていると、手から書類の入ったバッグが落ちる。
そこから、床にバサバサと紙がひろがった
ビビアナがそれを見て、
「あの……資料、全部落としましたよ」
「……えっ!?あ、わっ……す、すみません!」
フェリオが上ずった声で、慌てて床に落ちた資料を集める。
ビビアナもしゃがみ込み、手を伸ばす、フェリオの手が、また固まっていた。
「……へぇ」
ビョルンがその光景を見て、顔をニヤニヤさせる。
「……なんか……すっごい青春してるね」
セナが続けて小さな声でビョルンとアネッタに話しかけた。
「あら。やっぱりかわいいわね」
アネッタが腕を組みながら、フェリオのたどたどしい動きを見て、目を細める。
「あんな、わかりやすい行動する人いるんすね……」
「まぁまぁ、いいじゃねぇか。若いし」
マルコが呆れたように言うと、ジャンがニヤリと笑い、マルコの肩を軽く叩いた。
マルコは一瞬むっとして、ジャンの事を横目で睨み返した。
「……」
ダミアンは完全に気が抜けた空気に、頭を悩ませていた。
そこに――
「……静かにしろ、騎士団から連絡だ」
そう言うとダミアンが、胸元から通声石――ではなく、それが埋め込まれた解呪師の識別タグを取り出し、手に持った。
部屋の中に、一気に緊張が戻る。
ジャンとマルコ、フェリオの顔から、緩さが消え、真剣さが戻っていた。
「……どうした?……場所は?」
ダミアンの返答は短く、しかし、不穏な気配を帯びていた。
セナはそのやりとりを見て、とても嫌な予感がしていた。
ダミアンが通話を切った後、全員の方を向き、静かに告げる。
「また、犠牲者が出た。同じような魔法陣だ」
セナはそれを聞いた瞬間、背中に悪寒が走り、目元が恐怖でかすかに痙攣した。
この時、この事件は、連続襲撃事件となった。




