第17話 秘匿記録7:雷雲を超えた先に
セナは、息を呑んだまま、視線を床へ落とした——
まずい!罠だ——!
セナが魔法陣から出ようとしたが、見えない壁に阻まれて出られない。
咄嗟に、手に持っていた魔工具を、起動しようとした。
しかし、こちらは、プス……という音だけ残し、何もおきなかった。
どうやらこの魔法陣、閉じ込めた相手の魔力を、ある程度抑える効果があるようだった。
すると、部屋の暗がりから、数人の神官が出てくる。
老いた神官1人と、それに従う様に、壮年の神官数名が出てきた。
「お前がセナか?研究所はいつから、泥棒の真似ごとをするようになったんだ?」
老いた神官の口から、ため息がもれる
セナは、言い返せなかった。
「安心しろ、グレースには何もしていない。少しお前と話をしたくてな。協力してもらったのだ」
ハッとしてセナがグレースに目線を向ける。
グレースは、セナから目を背けた。その顔は申し訳なさそうな表情を滲ませていた……。
「セナさん、ごめんなさい……でも、……ちょっとだけ話を、聞いて欲しいのです……」
……なるほどね。とセナは思ったが、表情には出さなかった。
足元の魔法陣が、ジジジ……と音を出しながら、チラチラと光っていた。
とりまきの神官の一人が、セナが立っている魔法陣の様子を見てつぶやく。
「……レンツ司祭、この者、魔力が不安定ですね……? 普通こんなに魔力は弱まらないと思いますが……」
「……お前……もしかして、……まさか、いや……」
レンツ司祭と呼ばれた、老いた神官の探る様な目が、一瞬だけセナを見据えた。
神官の一人が、何かに気づいた様にあっ!と声をあげ、一歩下がった。そして神官たちの間に、一瞬のざわめきが走る。
セナは、喉の奥に石を詰め込まれたように、息を吸うことも、吐くこともできなくなった。
心拍が跳ね上がり、眩暈がするほどの爆音で脈を打っている。
言い返すべきか?しかし、それだと図星だと思われるのではないか?セナは頭の中でぐるぐると考えた。
ここは我慢して、あえて反応を示さないようにした。うまくいっているのかはわからない。
薄暗い空間だ。細かい表情が読めないことを祈る。
その様子を見たレンツ司祭が、静かに手を挙げ、取り巻きの神官をなだめる。
「……よい。今はそれどこれではない」
レンツ司祭が、ゆっくりと口を開く。取り巻きの神官は、少し怪訝そうに後ろに下がった。
「……儂はレンツという。職位は司祭だ。お前たちが呼ぶ、保守派閥の者だ。」
レンツ司祭が胸に手を当てて軽く挨拶をする。セナはそれを見ても微動だにしなかった。
「……お前に昔話をしてやろう。どうせ、年寄りの戯言だと思うかもしれんがな……」
レンツは、自嘲気味に鼻で笑った。
「過去、魔法が自由に使えた時代があった。人間の歴史は長いが……法律の歴史は浅い。」
「人が気まぐれに、法律がない状態で魔法を行使した結果、どうなったと思う?」
「——秩序の精霊は強すぎた」と言いながら、レンツ司祭は杖で床をコツンと叩いた。
「どんな人間でも容赦無く平等に罰した。すると、どうなる?……咎落ちが大量に発生し、働き手と人口が一気に減り、社会が崩壊しそうになった」
レンツ司祭は、静かに呟いた。
「当時は法整備が曖昧で、何故裁かれたのかすら分からないまま、精霊の顔色を伺って生きるしかなかった」
ルールがわからないゲームに放り込まれて、間違わずにいられる人間など、どこにいようか?
「その時に一番影響力があったセプティム教会は、秩序の精霊の一部を”封印”することになった」
「今、咎落ちとして裁いているのは、封印された秩序の精霊の残りみたいなものだ。本来はこんなものじゃ済まなかった」
確かに、この都市の秩序の精霊は『偏ってる』ような気がする。確信はない。今、咎落ちにされるのは魔術師や上位職種など一部の力ある者ばかりなような。
……でも、それでやっと、社会が成り立っているのかもしれない。
「精霊の“公平”は人の事情を一切見なかった。それが、人間には耐えられなかった」
「……だ、だからって、秩序の精霊を封印するなんて」
セナが、動揺し、しどろもどろに声を出す。
「……お前は、秩序の精霊のことを、何もわかってない」
レンツ司祭の二つの目が、セナの瞳を射抜く。老いていても、その目はしっかりとセナと瞳の焦点を合わせてくる。
「秩序の精霊は『世界のルールの化身』だ」
レンツ司祭が、静かに、ゆっくり、しかしハッキリと呟いた。
まるで、生まれたての子供に、世界の厳しさを説明する様に。
「 感情を持たず、意図も持たず、『世界はこうあるべき』の定義を実行してる。それが存在理由だ。我々、魔術師が道をはずさぬようにな」
わかっている。秩序の精霊は、だから人を裁く。
だから問答無用で人を”咎落ち”させる。特に魔術師を。
——でも、だからこそ、この世界は成り立っている。我々は、間違い続ける存在なのだから。
「今やもう、この世界で最も冷酷で、最も公平で、最も“人間を見ながらも見ていない”存在だ」
秩序の精霊は、世界が“壊れてしまわないための仕組み”である。それに、疑いはない。
しかし、レンツ司祭が言ってることも、本当のことだと思った。
「現在は法整備が進み、人間が自律的に秩序を保てるようになった」
「これで、封印を解いたら、どうなるか……我々は、それを恐れている」
「また、もし封印を解けば、教会の信仰が大きく揺らぐ可能性がある。
だから我々保守派は、封印の事実を隠し通そうとしていた」
「……これで少しは理解していただけたかね? セナ」
ここまで話終わると、レンツ司祭は、そばの椅子に静かに腰を下ろし、足を組んだ。
「そういったわけで、我々は、魔法陣の開発を中止していただきたい。もしくは……秩序の精霊を封印したままにするか」
「まさか、あの秘匿文書を見つけ出すとは思わなかったが……」
レンツ司祭は、ふと、遠くをみるような顔をした。
「あれは、封印を設計した技術者が、個人的に残した魔法文書だ。封印が不安定になると見越して、書き残したものだろうな」
「……精霊の封印を、隠し続けられると思っているのですか?」
セナが、怪訝な顔で質問をした。
それを聞き、レンツ司祭が、憂鬱な瞳でおもむろに口を開く。
「……実を言うと、もうこの封印は限界に近づいている」
「保守派の神官たちも、未来永劫隠し続けられるとは思っていない。いつまで隠し続けるのかという声が上がっているくらいだ」
「……それでも封印を続けると?」
「しかし、今更真実を明かせば、人はパニックになる」
レンツが、杖の頭を親指で撫で、ため息をした。その顔には、深く疲労が刻まれているように感じた。
「最善の方法が見つかっていない。我々も、ずっと探しているのだ……」
そう言ったレンツ司祭は、静かに目を伏せた。
この秘密を知ってから、長い間探しているのかもしれない。
……本当に、方法がないんだろうか?セナの胸に、思考の波紋が広がっていく。
秩序の精霊は、過去の世界でまだ生きている、と思っているのかもしれない。それをなんとかできれば……?
だが、色々、すでに検証された結果かもしれない。
確証はない……しかし……
……ここで選択を誤れば、全員取り返しがつかなくなるかもしれない。
……セナはその選択を言おうとした。しかし、唇が震えて、声がつっかえていた。手のひらが震えている。
セナが震えた手のひらを強く握り、意を決して、沈黙を破った。
「私たちが探す……」
「……今、なんと言った?」
その場の空気が、凍りついた。レンツ司祭の目が、冷たく突き刺さる。冗談を言っているならやめろ。という意志を感じ取った。
それに負けじと、セナが真っ直ぐに目を見つめて、切り出した。
「精霊も、教会も、人々にも……最善となる道を、探してみます」
「お前にそんな事ができるのか?」
その目には、わずかに驚きと、……消えかけていた、光が差していた。
「100%とは言わない。……でも、やってみなければ、わからない」
「……封印は、いつか必ず解けます。今、手を打たなければ、誰も、それを止められない」
それに……とセナが言葉を続ける。
「……それを探すのが、私の仕事なんだ。……今までも、これからも。今さらやめられない」
それは殆ど、自分に言い聞かせているような言い方だった。
それを聞いたレンツ司祭が、急にくっくと声を抑えて笑い始めた。
まるで、昔の出来事を思い出したような、何か、忘れかけていたことにふと気づいたような——。
とりまきの神官たちが、困惑している。
「……やってみろ。その不安定な魔力で、どこまでできるか、試してもらおう」
その老いた瞳には、言葉とは裏腹に、かすかな炎が宿っているように見えた。
「レンツ司祭!?良いのですか!?この者は——!」
取り巻きの神官の一人が、慌てて声をあげる。
しかし、すぐにレンツが手を挙げて、言葉を遮った。
「書庫の閲覧はは、明日の午前中には許可が出るはずだ。
……あくまで“うっかり”手続きが通ったということでな」
秩序の精霊は「世界はこうあるべき」のルールを持っている。過去にそれが分からなかった人間たちに対して、問答無用で人を裁いた。封印を解いた時、神官たちは、その再来を恐れている。
我々は、はたして良い世界にできているのだろうか。精霊に認めてもらえるのかどうかを。
技術と精霊と信仰。その三つを繋ぐ方法を、私は探さなきゃいけない。
魔法陣から出してもらい、教会の外に放り出された。
外は、雨が止んでいた。雫の滴る音があたりから聞こえ、雨の匂いが立ち上っていた。
夏が近くまで来ている。ふと、水たまりを見ると、雲が流れて空が見えていた。
セナは、夜空を 見上げた。
厚い雲が流れ去り、濃紺の天幕に、星々が、砂浜で輝く粒のように瞬いていた。
……星って、こんなに眩しかっただろうか?
まるで、見守っていた精霊が、「どの選択でも、悔いることはない」と、
セナにはそう告げられているような気がした。




