第9話 耳は正直
「ビビアナさん。本当にありがとう。作業が早くて驚いてる」
セナは、ビビアナに声をかけた。アネッタと二人で、爆発後の魔法陣を作り直してくれた魔術師だ。
彼女は仕事がとても早く、セナの精神的な負担が減った。アネッタは、今日は別の検証作業に行っている。
ビビアナと呼ばれた女性は、そのミルクティー色の髪から生えた、大きな耳がピコンっと反応する。
「いえ、これが仕事なので!」
そう言って、ツンッとした態度で、仕事に戻る。しかし、耳が左右にぴこぴこ動いていた。
(……なんか距離とられてる気がするけど、耳は正直なんだ……かわいい)
ビビアナは獣人だ。本名はビビアナ・ツー・モレッティ。名前に貴族の敬称が入っている。
この地方では、獣人の中には身体能力を活かして貴族に成り上がった者も多く、その名に敬称“ツー(zu)”を持つことがある。
もっとも、いまの時代に貴族といっても、特別な地位があるわけではない。実家が少し裕福な家もある、くらいのものだ。
ビビアナ自身も、耳が良いのだと誰かから聞いた。
彼女は、非常に優秀であり学校を飛び級し、若くして研究所に入ってきた。
さらに容姿端麗、琥珀の瞳、ミルクティー色のボブヘア、大きなふわふわの耳。いわゆる「目を引く顔立ち」だった。
ビビアナ自身もそれを理解しているようで、自信に溢れている。
その上で、能力も高いのだから、羨ましい事である。
最初、クラウスからビビアナをチームに入れると聞いた時、正直不安だった。ビビアナは若く、自分の言う事など聞かないのではないか?と思ったが、ビビアナ自身が優秀なため、私と距離をとったとしても、ビョルンとアネッタの事は信用しているようだし、なにより、仕事が正確で早い。意見や質問もちゃんとしてくれる。
言うことを聞くどころか、私がいらないのではないか?と思ったぐらいだ。これなら、魔法陣の制作も、期日に間に合うだろう。
* * *
「ビョルン先輩、私が淹れたんですけど、コーヒーと紅茶どっちが好きですか……!」
ビビアナが、盆にお茶とコーヒーを持ってビョルンに近づいていく。ビョルンは目を魔工具から離さないまま、ビビアナに答える。
「おっ助かる。……セナ、お前どっち飲む?」
「うーん、今は紅茶で。ビビアナさんありがとう」
「ありがとなビビアナ。ちょうど喉かわいててさ」
「そ、そうですか。じゃあ……どっちもどうぞ」
(くっそ~~ビョルン先輩がどっちが好きか聞こうと思って準備したのに~~!)
「ビビアナさん、すごく気が利く人なんだね。私が新人の時、そんな事できなかったよ」
「俺もできなかった。でもそんなに気を使わなくても大丈夫だからな?」
セナとビョルンが、ビビアナに感心し、褒めちぎった。
「えっ……いえ、とんでもないです!喜んでくれて嬉しいです!」
ビビアナは、素早くUターンをして席に戻る。
ビョルンは、ビビアナの耳が左右にピコピコ動いているのを横目で捉えた。
……あえて反応はしなかった。手元の魔工具に視線を戻す。
今は、仕事中だ。それに——この手の距離は、崩すべきじゃない。
* * *
ビビアナは、手元の資料に目を落とした。
顔に出さないようにしていたが、内心落ち込んでいた。
ビョルン先輩と同じチームになれると聞いたとき、正直楽しみだったのに……
でも実際には、ビョルン先輩が全然自分に興味がない。
正直、ビビアナは異性に好かれる。学校でも、研究所でも、それなりに。
だが、ここまで反応が無いのは、おそらく初めてだった。
(まあ、告白されたことくらい、あるけど。……だから何って話だけど)
美しさは、全てではないが、武器の一つである。
私は若い。……たぶん、この研究所でもかなり。
努力だってしてきた。頭も、悪くない。仕事も早いし、正確な方だ。
――なのに、全然、見てもらえない。
ビョルン先輩って、たしか女の人に人気あるけど……。
仕事中は、そういう目で誰のことも見てないんだ。
……ちゃんと線、引いてる。キチンとしてる人なんだな。
──やっぱり、ビョルン先輩と“そういう関係”になるのは、難しいのかも。
無理……なのかな。
いや、そんなの、やってみなきゃ分かんない。
その考えの途中で、セナの声が割り込んできた。
「うん。おいしい。紅茶の香りがいいね」
「そ、そうですか!よかった……です」
セナがビビアナに微笑んだ。
その顔を、ビビアナは素直に受け止めきれなかった。
ビョルン先輩は、セナさんに対して、態度が少し柔らかい。
……セナさんには申し訳ないけれど、正直、移民で言語の壁があるセナさんより、今の私の方が仕事は早いと思う。
もちろん、セナさんはちゃんと改善しようとしてるし、それは誰にでもできることじゃない。
(“能力だけじゃない”って言うけど、ちょっと甘えにも聞こえる)
……どうして、ビョルン先輩はセナさんに少し優しいんだろうか。
ビビアナがそう感じた時、胸の奥にもやもやしたものが滲み出てきた。
そしてツンとした表情のまま、セナを一瞥し、わざとらしく手元の資料に視線を逸らした。
「……?」
セナはビビアナをちらりと見ると、彼女の耳が、いつもより、ほんのすこしだけ下がっていた気がした。
* * *
「ねえビョルン、私、もしかしてビビアナさんに……嫌われてるのかなって」
仕事の休憩中、セナは不安げにビョルンに話しかけた。
「どうした?なんかあったのか?」
ビョルンは飲んでいたコーヒーを置き、セナに向き合った。
「いや、わからないんだけど、なんか壁がある気がするんだよね」
「……元々ああいう性格なんじゃないか?若いし」
「そうなのかな?リーダーが私で嫌とか……移民が……嫌いとか……」
「あー、それはない。絶対ない。安心しろ」
ビョルンが、断固として否定する。この職場で同僚に対して『生まれに対する人種差別』は、絶対に許されない。すぐにクビになるような重大な事件だ。
「そっか、よかった……。じゃあ気のせいなのかも。たしかに、若いっていうのはあるかもね」
セナは、明るい表情で顔を上げた。
「そうそう。気にすんなって。確かに、純粋な職務能力はビビアナの方が上かもしれないが、お前が認められてるのはそこじゃなくて、コミュニケーションとかだからさ」
そう言われて、セナは安心して仕事に戻って行った。
* * *
日が傾き始めた午後。ドアがコンコン、とノックされた。ガチャリとドアが開く。
「入るぞ」
薄いブラウンの髪を短く刈り上げた人物、上司のクラウスが入ってきた。
「クラウスどうしました?」
クラウスが、背筋を伸ばし、ツカツカとセナの机の近くにきた。
元々白髪混じりの整ったブラウンの髪だったが、トニの件でさらに白髪が増えたように感じた。
「届け物だ」
そういうと。小さなノートを、優しくセナの机に置いた。
「さっき、ダミアンと会ってな、ついでにこれを返すと言われた。爆発現場に落ちていたようだ」
「これは……」
あの時たくさんメモを取っていた、トニのノートだ。
「解呪師のひとたち、現場で拾ってくれたんだ……」
セナが中身を見ると、たくさん、業務のメモが書いてあった。
このノートだけで、トニが努力していたと言う事がよくわかった。
爆風で少し煤けており、それがまた、セナの心を重くした。
「……トニに直接返したかったんだが、まだ面会ができなくてな……」
「……一旦、こちらで保管しておきます」
「頼んだ」
「トニ、頑張ってたんだなぁ……」
セナは、ノートをパラパラとめくり、ポツリとつぶやいた。
綺麗な字で、整理された業務メモ。
だが、一つだけ、何かのメモに見慣れない筆跡の走り書きが混ざっていた。
(……“No.5-27-B”……?……これ、誰の字だろう?)
「……あいつ、仕事熱心すぎて、たまに空回りしてたからな」
ビョルンも、トニのノートを覗き込む。随分昔の事のように話す。
しかし、その表情には、影がさしていた。
クラウスは、セナの表情を見て、静かにため息をついた。
「……それと。教会から、調査の件で通達が来るかもしれない。
魔法陣の事故で、研究所の信用に疑念を持たれている」
ノートの重みが、さらに胸の奥を重くした。
閑話休題と番外編を経て、本編に戻ってきました。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。




