10-2・催眠術と燕真の演技~10月なのに銀世界
-仕切り直し-
小屋に入ってきた紅葉は、粉木の元に行き、両膝を付いて顔を覗き込み、ふぅ~っと息を吹きかける。燕真は小屋で起きている異常に気付いて、ハッと起き上がる。粉木を凍死させた紅葉は、立ち上がって燕真を見つめた。
「ひぃぃぃ・・・お、おっ父!?おっ父!?どうしちまっただ!?」
「この人ゎ燕真のパパなのぉ?」
「お、おっ父!?おっ父!?」
「あれぇ?どぉしたの燕真?急に気合いが入ったぢゃん!
よぉ~し、次ゎ燕真を凍らせちゃぅねぇ!」
父を失った燕真は、目に涙を浮かべながら、紅葉を見上げ、悲しみで声を詰まらせながらも勇気を振り絞って声を上げた。
「お、おまえは、おっ父に何をしただ!?」
「冬の山ゎァタシのモノなんだょぉ!
その山に入ると、み~んなこうなっちゃうんだょぉ!
でも燕真だけゎ、助けてあげるねぇ。」
「・・・・え?」
「でもね、今日のことゎ、みんなにゎヒミツねぇ!
もし言ったら燕真のこと殺しちゃうからねぇ!」
「はぁう・・・うぐぁ・・・あぁう・・・」
「ばぃばぁ~ぃ!」
声になら無い声を上げる燕真。紅葉はしばらく燕真を見つめたあと、ビシッと敬礼をして、ドカドカと歩いて障子戸の向こう側に消えていくのでありました。
冒頭シーンを終えた紅葉は、「とりま、どぅかな?」と言いながら、居間に戻ってきた。・・・が!
「おぉ!こんな吹雪の中を、女性1人で旅してるなんて大変ですね!
男1人の生活で、大してもてなすことはできませんが、入って下さい!」
「ん?・・・・燕真?」
「・・・・どうしたんや?」
「もしかして、思ぃっ切り催眠術にかかっちゃった?」
「・・・そのようやなぁ。コイツ、どんだけ単純なんや?」
燕真は紅葉の催眠術に墜ちてしまい、立ち去った雪女が再び現れる=お雪が巳之吉の家を訪ねてきたシーンと解釈したようだ。紅葉は、しばし呆気に取られていたが、「燕真がその気なら!」と続きのシーンを演じることにしてみた。
「あはははは!待て待て~!」
「ぅふふふふっ!」
笑いながら海岸(実際は縁側)で追い駆けっこをするお雪と巳之吉。
「ァタシを捕まえてぇ~」
「よ~し!」
笑いながら大木(実際には大黒柱)の周りで追い駆けっこをするお雪と巳之吉。
本来の雪女のストーリーには無いんだけど、お雪と巳之吉の信頼関係構築に必要と思われる追加シーンを演じる。2人が結婚したり、子供(役:猫のヒコ)を授かったり、幸せな日々を過ごしたりアホ臭い茶番劇が延々と続き、いよいよラストシーンだ。
ある吹雪の夜(実際には吹雪いてない)、巳之吉は粉木邸の縁側に出て遠い目で夜空を見上げながら、物思いに耽っていた。そして、子供(役:猫のヒコ)を寝かしつけたお雪を呼ぶ。紅葉(お雪)は燕真(巳之吉)の隣にチョコンと腰を下ろした。巳之吉は、そっとお雪の肩を抱き寄せる。
「・・・え!?燕真!?」
こんなシーンは台本には無い。紅葉(お雪)は、燕真(巳之吉)のアドリブに顔を赤らめ、ドキドキと心をときめかせてしまう。紅葉(お雪)が燕真(巳之吉)の肩に頭を預けるまでに、それほどの時間は要らなかった。
「なぁ、お雪。
ずっと口止めをされていたのんだけど、おまえになら言っても良いかな。」
「・・・ぇ?」
「わしな、こんな吹雪の夜になると、
若い頃に経験した不思議な出来事を思い出すんだ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「まだ若かった頃・・・おまえと出会う1年くらい前・・・
わしは、おまえのように美しい女に出会い、とても恐ろしい体験をしたんだ。
その女は父を殺したんだけど、何故かわしの命は取らなかった。」
「・・・燕真。」
紅葉は俯いて立ち上がり、寂しそうな表情で燕真(巳之吉)を見つめている。
「燕真の嘘つき!!
喋っちゃダメって言ったのに、なんで喋っちゃったの!!?バカァッ!!
ぁの時の雪女ゎァタシだょ!服は違うけど、顔とか髪形とか同じぢゃん!!
10年も一緒にいるんだから、いい加減に気付けょ!!
そして気付ぃても空気を読んで言ぅな!
燕真の所為で、山の神様の決まりで、
ァタシゎ燕真を殺して帰らなきゃなんだょ!!
でも、ァタシゎ燕真を愛・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ・・・・ぁいし
・・・は、恥ずかしくて言ぇなぃ。」
「何や、お嬢?此処に来て素に戻ったんかいな?
・・・つ~か、最初から素のままか?」
「ぁぃ・・・・・・・うにゅうにゅうにゅ・・・だから燕真を殺せなぃょぉ!!
もぅバィバィだけど、ヒコちゃん(子供)のことゎちゃんと育ててねぇ!」
そう言い残して、燕真(巳之吉)に背を向け、その場から立ち去ろうとする紅葉(お雪)。しかし、巳之吉は立ち上がって咄嗟にお雪の手を掴み、力任せに引き寄せて、思いっ切り抱きしめる!
「行かせてたまるか!!オマエを離しはしない!!」
「・・・燕真!」
「山の神が何だってんだ!!
もし決まりを破ることで、山の神がオマエに罰が与えるつもりなら、
わしが、山の神を倒す!
だから、お雪、おまえはずっと此処にいてくれ!!」
「・・・ぅん」
しばらくは巳之吉の抱擁を拒んでいたお雪だったが、やがて巳之吉の気持ちを受け入れ、巳之吉の背中に手を回した。
こうして、お雪は何処かに立ち去ることもなく、巳之吉と、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし♪
「・・・何や、このオチは?こないもん、雪女でも何でもあらへんがな」
燕真は巳之吉として、紅葉は紅葉として燕真の強引さに負け、バカップルはスッカリ気持ちが入って、いつまでも抱き合っている。見かねた粉木がバカップルに近付いた。
「はい、カット!!」
叫びながら、思いっ切り燕真の頭を叩く。我に返った燕真が目線を下げると、胸の中には紅葉が顔を埋めている。
「わぁぁ~~~~~!!!ち、違う!!
俺は、巳之吉役として、お雪を抱きしめただけで、
別に紅葉を抱きしめたかったわけでは・・・」
「アホか!雪女に、こないシーンあれへんわい!」
燕真は、慌てて飛び退いた拍子に足を滑らせ、尻餅をつき、その弾みで縁側から庭に転がり落ちた。
「ぃってぇ~~~~~~~~!!」
一方の紅葉は、しばらくは、慣れない状況に心を奪われて惚けていたが、やがて、満足そうにニコリと微笑んで、両手をパチンと叩く。
「コレだょコレ!ラストシーンを今のにしちゃえばぃぃんだぁ!」
「ん?」
「コレってどれや?」
「ぉ雪を満足させてぁげるストーリー!
最後をバィバィにしないで、幸せになったことにすればィィんだょぉ!」
「今のでええんか?雪女として成立してへんで?」
「ィィのィィの!ょ~~し!明日みんなに教ぇたげるねぇ!
きっと、みんなも賛成してくれるよぉ!」
もはや雪女ですらないストーリーがバッチリと採用されたらしい。
その後、燕真は、一定の満足と手応えを得た紅葉を自宅に送り届け、21時頃にはYOUKAIミュージアムに戻ってきた。粉木邸に上がると、居間で寝転がってテレビを見ていた粉木が起き上がって、呆れ半分&笑顔半分で燕真を眺めた。燕真は卓袱台を挟んで粉木の対面に座り、粉木が注いだお茶に口を付けて体を温める。
テレビ画面では明日の天気予報を映し出している。
〈明日は、上空に発達した寒気の影響で、平年より2~3度ほど低く・・・〉
「難儀な性格やのう。」
「・・・ん?」
「もうちっと素直にしといてもええんやないか?」
「・・・なにが?」
「素直に芝居を手伝うんが恥ずかしいからって、
ワザワザ、お嬢のけったいな催眠術に掛かったふりまでしおって!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・な、なんのことだよ?」
「まぁ、ええか。催眠術にかかった事にしといてやろう。
素直に認めるワケがないことくらいは解っとるからな。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
粉木は、障子戸を開けて、月明かりに照らされて影になってそびえる羽里野山を眺め、それまでの穏やかな表情を少しばかり引き締めた。風があるわけではないが、外からゆったりと流れ込んでくる空気が冷たい。
「理想は、お嬢の友達から雪女を追い出すべきなんじゃが、
それができんかったのならしゃ~ないわ。
せやけど、その代わりに、明日からしばらくは、
着きっきりでお嬢の友達の護衛やで。
氷柱女が、いつ仕掛けてくるか解らんよってな。」
「着きっきり?警戒はするつもりだけど、なんで急にそこまで?」
「朝になれば解るはずや。
おそらく、明日になれば、妖怪反応が出ても、
現場に向かうんに時間が掛かってしまうことになるさかいな。」
「・・・・・・・・・・?」
粉木の突然の発言に首を傾げる燕真。しかし、粉木の眼は確信に満ちていた。
-深夜・文架市上空-
厚い雲の中に氷柱女の姿があった。冷気を放出し、広く密集した水蒸気を冷やし続けている。温度を失った水蒸気は、無数の雪の結晶へと形を変え、夜の文架市へと落ちる。
-翌日・6時-
起床時間には少し早いが、燕真は、粉木に起こされ、窓の外を見るように促されて驚いた。
「なんじゃぁぁっっっっっっ!!!こりゃぁぁぁっっっっっっっっっ!!!!?」
昨夜の天気予報で「冷え込む」とは言っていたが、まさか、辺り一面が白銀の世界に変わるとは思っていなかった。ネットニュースを調べると、山間部で30~40㎝程度、市街地で10~15㎝程度、文架市全域が雪に覆われているらしい。
「いやいやいやいや、今は10月だぞ!!
文架市って、何処にあるんだよ!?」
真冬でさえ、夜中に雪が降っても通勤時刻には溶け始めているのだが、その日は朝が来ても気温が上がらず、積もった雪はほとんど解けてくれない。それどころか、降り積もるばかりである。
積雪の予想をしていなかった文架市民はパニックだ。自家用車は動けず、通勤ラッシュの時刻になると、駅やバス停は混み合い、慌てて冬用タイヤに履き替えたバスがだけが、道路にワダチを作りながら徐行をする。
ノーマルタイヤで雪道に挑む世間知らずの猛者が、車を滑らせてガードレールや電柱に接触して動けなくなり、ただでさえ走りにくい道路を、更に走りにくくしてくれる。
駐車場に無造作に駐めてあった燕真の愛車は、スッカリと雪を被って白い小山のようだ。雪道で愛車を走らせることは諦めるしかないだろう。
「現場まで時間が掛かるってのは、こういうことかよ?
じいさん、雪が積もるって予測していたのか?」
「あぁ、予想してた通りやで。
氷柱女なら、寒気が入り込むタイミングを狙ろうて、
寒さの上乗せをしてくると思うたんや。」
「・・・氷柱女?え!?雪が積もったのは妖怪の仕業!?でも、妖気反応は!?」
「妖気センサーは、数に限りがあるさかい、街中にしか仕掛けられんのや。
空の上や、人が滅多に立ち寄らん山の中で、
妖気を発生させられたら感知できへんねん。
氷柱女は、その死角を突いて文架市全体を冷やし、
自分が戦いやすく、退治屋が邪魔をしにくい条件を作り上げよった。
つまり、地の利を得たっちゅうわけや!
こうなると、いつ仕掛けてくるか解らんで!
至急、お嬢の友達んところに向かうんや!!」
「解った。・・・でもさ、じいさん。
まるで氷柱女を知ってるような口ぶりだな。」
「その話はあとや!ともかく、センサーが反応してからでは手遅れになってまう!」
燕真は、粉木が用意をした革ジャン&革手袋&ブーツを履いて、万全の冬仕様を整え、亜美の通学路=鎮守の森公園に向かう。まだ、出勤時刻には少し早い為、燕真が音を立てて踏みしめる足跡が、未開の雪上に新しい道を作っていく。亜美に忠告を入れる為に、目的地に歩きながらスマホを握って、紅葉に連絡をする(亜美の連絡先は知らないので紅葉経由)と、ベランダから真っ白になった文架市を眺めた紅葉が、子供のように興奮した声で応じてきた。
〈外見た、燕真!?凄ぃょ!雪だょ雪!わぁ~~~ぃ!真っ白だょぉ!!〉
「知ってるよ!・・・てか、もう外にいる!」
〈なんでなんで!?どっか行くの!?〉
「鎮守公園に向かってるところだ!・・・なぁ、紅葉!平山さんに伝え・・・」
〈公園行くの!?ズルイ!!待って待って、ァタシも行く!!〉
「・・・はぁ?」
〈公園に行って雪だるま作ったり、かまくら作ったり、雪合戦するんでしょ!?〉
「なのなぁ~!んなワケないだろ!!
いい大人が、朝6時に公園に行って1人で雪だるま作ってたら、頭オカシイだろ!
雪合戦に至っては、1人じゃできねーよ!!」
〈なら、一緒に雪だるま作ろぅ!2人なら、頭ぉかしくなぃょねぇ!?〉
「作らね~よ!!
降雪は妖怪の仕業だ!再び平山さんに攻撃を仕掛けてくる可能性がある!」
それまで騒いでいた紅葉は、直ぐに理解を示した。明確な妖気は察知していないものの、何らかの普通とは違う空気が文架市を覆っていることと、10月に雪が積もる異常性には気付いていたようだ。
〈んっ!ワカッタ!ァミに連絡したら、直ぐに公園に行く!〉
「えっ?結局、来るのか!?・・・オマエは」
燕真は「来るな!」と伝えた時には、既に通話は切れていた。
「・・・あんにゃろう。」
燕真の現在地より、紅葉のマンションの方が鎮守の森公園に近い。朝の支度をしてから出て来るだろうけど、タイミング次第では紅葉の方が先に公園に到着してしまう。燕真はペースを上げて雪道を歩いた。