イルベスタとオーヴァ
一方その頃────
能力者解放戦線メンバー、イルベスタ・ カーヴァーンは一人、エストニア西部から密やかに海路を用い、組織の本拠地があるスウェーデンへと向かっていた。
密航である。慣れた動きで貨物船に忍び込み、荷物のなかに隠れていたのだ。
「…………それでは閣下。火野とニルギルドは無事、ラトビアにまで到着したのですね」
誰もいない、明かりすらない暗闇のなかで一人、誰かに話しかけるように虚空へとつぶやくイルベスタ。
彼はスキルを行使していた──《念動力》。エリスと同じ効果だが、まったく異なる使い方をしているのだ。遠く離れた者と通信ができる念話。彼ならではの独自のスキルの使い方であった。
話を向ける先は彼の信奉する"閣下"。能力者解放戦線の主であり現在、北ヨーロッパ各地でスタンピードを引き起こさせている張本人だ。
オーヴァ・ビヨンド。元々は占い師であるその女の、涼やかな声が彼の脳裏に響いていた。
『その通りですイルベスタ・カーヴァーン。我が側近よ、あなたには苦労をかけました。交戦したのでしょう? ソフィア・チェーホワと』
「は。いえ、チェーホワは現地におりませんでした。私が主に相手したのは、レベッカ・ウェインになります」
『そうなの? 北欧最強の能力者……まあ、それはそれで大変だったでしょう。やはりご苦労をかけましたね』
「もったいないお言葉」
厳かだが、しかし親しみのある語り口。まるで心に染み入るような、温かみさえ感じる声色がイルベスタを癒やしていく。
声の主はまさしく彼の主、オーヴァだ。フィンランドにて負傷し逃亡中の火野とそれを補佐しているニルギルドから、追っ手であるWSO統括理事ソフィア・チェーホワ達を引き離すために遣わされたのが今のイルベスタだ。
ソフィア達の近くでスタンピードを引き起こし、そちらへの対処を余儀なくさせる。多少なりとも足止めしておけば、その間に火野もニルギルドもさらに遠くへ逃げられるというシンプルな策だ。
ついで程度にでもソフィアの力を確認できたのであれば僥倖──そう言われてなるべく、彼女と交戦する気でいたイルベスタだったが結果はまったく異なる形に終わった。
待ち望んでいた人物は現地に現れず、代わりに来たのがレベッカ・ウェインともう一人、エリス・モリガナ。
しかしいずれも只者ではなかったと、顛末に意外そうな声色を見せつつ労う念話の相手に説明する。
「レベッカ・ウェインはさすがの実力者でした。閣下からお預かりした力をもってなんとか一度は不意を突きましたが、避けられてしまいその時点で退散を選びました」
『……慧眼ですね。"ビューティフルワールド"を用いた上での奇襲が失敗したなら、そこから芋づる式に私達の力の秘密がバレてしまう可能性があります。この力は、極力悟られてはいけませんからね』
「はい。しかしもう一人、エリス・モリガナのほうも只者ではありませんでした」
『エリス……モリガナ? たしか火野に傷を負わせた輩の名前ですが』
うなずくイルベスタ。やはり虚空に向け、独り言をしながらの所作であり第三者から見れば相当に異質で異様だ。
誰もいない空間だからこそ誰にも見咎められない。そんな暗闇において彼はもう一人の敵、エリスについても言及した。
そもそもエリスについては能力者解放戦線においても謎多き人物だ。突然フィンランドで火野に大怪我を負わせた実力者ながら、これまで一切名の売れていない若手探査者。
それがどうしたことかソフィアと手を組み、火野を追って自分達の元へと至ろうとしている。
何か特別なものがあるのか? ……火野を撃破した時点でそこが気がかりだったイルベスタが、オーヴァへと告げた。
「私と同じ《念動力》の使い手ですが、アレは……信じがたいエネルギーを秘めていました。なるほどスタンピードを食い止め、あまつさえあの火野を半死半生にまで追い込んだだけのことはあります。私ではできないことです、ナイフにエネルギーの刀身を形成するなど」
『同じスキルですか。しかしあなたとは別の使い方をするとは、なかなか興味深いですね。同じ名称、同じ効果でも人によって使い方が変わる……それがスキルの妙ですね』
「いずれまた、相対することは避けられないでしょう。交戦しなかったソフィア・チェーホワも含めウェインやモリガナは今後も火野達を追うと思われますので」
『そのためにも火野には逃げ延びてもらって、傷を癒やし万全の体制で挑んでもらわなければなりませんわね。まあ、そのためにあなたが彼らを手助けしたのだし、いけるでしょう。場合によっては私も出向きます』
「そうですね、閣下……オーヴァ・ビヨンド。偉大なる夢見の方、我らが主。必ずや火野を活かしきり、チェーホワどもを打倒してみせましょう。そのためならば御身とともに、リトアニアにてやつらを迎え撃つことも厭いません」
謎の敵、エリスの存在をオーヴァも多少警戒しつつ、しかし今はとにかく火野の逃走とソフィア達の迎撃体制を整えなければならないと語る。同意見のイルベスタもまた、それに呼応してうなずいた。
いつか、このモンスターハザードの果てに必ずや自分達とソフィア達とは真正面から衝突することになるだろう。その時のため、今はなんとしてでも火野を生かし助け、癒さねばならない。
そのためにイルベスタは本拠地への帰還を急ぐのだ。
すべてはオーヴァ・ビヨンドのために──闇のなか、占い師あがりの革命家に向け信奉の言葉を投げる声ばかりが、静かに響いていた。




