残されたチャンス
一方その頃──イルベスタ・カーヴァーンと火野源一。
ともに戦いの最中に逃げ出した能力者解放戦線メンバー二人は、リトアニアは港湾都市クライペダへと辿り着いていた。
そこから一路ノルウェーへと向かい、船に乗り込んでいたのだ。
「あぁ、あぁ……モリガナ、堪んねえぜモリガナァ」
「……いい加減にしろ。うるさいぞ、ただうるさいぞ盛りのついた変態が」
客室に潜み、彼らにとってもつかの間の平穏を味わう船旅。そのなかにあっても宿敵たるエリスへの、言葉にならない想いを吐露し続ける火野へ、イルベスタはとうとう声を荒げることなく叱責した。
他ならぬエリスから受けた刺し傷、切り傷を抉るようになぞり……包帯の上からでも滲む血を愛しげに指で掬って舐めしゃぶる男の姿に、例えようもないおぞましさを覚えながらも彼は頭を抱えていた。
正直な話、火野がここまでおかしなことになってしまうとは想定外だった。今はこんなでもつい半年前までは、快楽殺人者らしい人を食った態度であるものの、仕事に関しては真摯な男だったのだ。
他ならぬイルベスタこそが彼をスカウトしていたのだから、そこは間違いなかった。
「不敵、不屈、不遜。人間性の話などするにも及ばずクズ以下の貴様だったが、しかして自らやると決めたことには誠実に勤めるはずと見込んでいたものを。まさか、こうまで容易く女で身を持ち崩すとは……貴様、よもや初心とでも吐かすつもりか?」
「知らねぇよ、知らねえんだよ俺だってよう……! あの田舎娘のことを考えない時間がねえんだ! アイツの顔、声、姿と殺意を思い返すだに俺は、胸が高鳴って昂って仕方ねえんだ! モリガナの苦悶と苦痛を見たい、聞きたい知りたいッ!! この感情がなんなのか、俺は知りてぇんだよ!」
「溺れたか、己が自覚なき心に……オーヴァ・ビヨンドよ、これも我らの宿命ですか……!?」
殺意を漲らせてエリスを語る火野の表情は、内面の破綻を露わにしたように喜びと苦しみで織り交ぜられている。見るに堪えない、地獄の表情だ。
ここに来て目算を誤ったと、イルベスタは素直に認めた。火野は狂気の殺人鬼、ゆえに御せるものとみなしていたがこれはそんな上等なものではない。
幼稚で、それゆえに残虐で残酷で、だからこそ純粋で無垢ですらある。つまるところ、子供でしかないのだ。
だから己の本心にも気付けない。エリスを求めて叫び続けるその心の正体、真実にも気付けないのだ。そうして気づく時にはすべてが手遅れになっているのだろう。
この男はそんな……精神的に未発達の幼児同然の輩だ。
イルベスタはようやく気づいたのだ。そして信仰するオーヴァへと嘆き祈った。
「オーヴァよ。どうか私に力を、使命を成し遂げきるだけの力を。もはや遺された時は幾ばくもなく、決戦時は近ければ」
「……このままノールノルゲで連中を迎え撃つのか? 間違いなく連中は、モリガナはこっちまで追いかけてくるだろうがよ」
「否。おそらくやつらはスウェーデンを経由するはずだ」
やるべきことをやり切る、その覚悟を再度決めながらも火野へと答える。たしかにこの船はノルウェーに向かっているが、さりとてそこからノールノルゲへ直行するわけでもない。
すでに情報は掴んでいた。というより簡単に推測できた。チェーホワ率いる対解放戦線パーティはおそらく自分達同様にクライペダへ向かい、そこから船で自分達を追ってくるだろう。
ただしそのままノルウェーへは来ない。その前に隣国スウェーデンへ向かうはずだ。
なぜならそこには数ヶ月前からずいぶんと暴れ倒している、ある探査者がいるからだ。イルベスタは淡々と語った。
「シェン・ラウエン。スウェーデンで我々の邪魔をしている探査者とやつらは合流することが予想される。あの男の来歴から、それは間違いない」
「あー……なんかあれだろ、チェーホワの三弟子の血縁かなんかなんだろ。同じ拳法使うってんで噂には聞いてるぜ」
「うむ。中国の探査者シェン・カーン……12年前の能力者大戦に際してレベッカ・ウェインや妹尾万三郎ともどもチェーホワと肩を並べた伝説の三弟子の一人。その血縁にして弟子筋というならば、戦力を充足させたいチェーホワが拾わぬわけもない」
突如として北欧に殴り込んできた、東アジアのシェン・ラウエン。当初は泡を食っていた能力者解放戦線だが、気を取り直してひとまずそれが何者なのかを調べていたところ、思わぬ大物の縁者であることを掴むことができた。
すなわちソフィア・チェーホワの三人の弟子、シェン・カーンの一族の一員であるという真実をである。
12年前の英雄にして、能力者大戦後は故郷に帰っていたはずのシェンの血族がまさかの参戦。
これは間違いなくチェーホワの手によるものだろうと見たイルベスタは、それゆえに彼女らパーティがラウエン確保に動きスウェーデンを目指すものと見抜いたのだ。
「んーで、そのラウエンだかいうのもそいつを期待してるわけだな。あるいは最初からどっかで合流するつもりで、別行動してたりしてな」
「あり得よう。どうあれやつらは、ラウエンを無視できないためスウェーデンを通過するしかない。決戦を前に仕掛けるなら、そこが最後だろうな」
「そうかい! へへへ、まだもうちょいモリガナと遊べるってか、くへへへっ! ありがてえ話だ、ああモリガナ、モリガナッ!!」
最終決戦は近い。そしてそれは行われるならばノルウェー北部ノールノルゲにて。それはイルベスタも火野も共通して持つ見解だ。
だがその前にもう一度だけ、やつらの鼻を明かすチャンスはある。それこそがスウェーデン、ラウエンもろともチェーホワパーティに痛打を与え得る機会だろう。
そう説明すれば、火野はまたしてもエリスを想い身悶えし始めた。見るに堪えない姿。
そこからはそっと視線を逸らして、イルベスタは船旅の窓から覗く空を見上げた。広がる青が、どうかオーヴァ・ビヨンドの元にも続いていることを信じて。




