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視野

 最近左耳だけ聞こえが良くない。水の中にいるように詰まった感じがする。症状はそれだけで、酷くはならないが完治もしない。いつか消えるだろうと放置している。


 しっかり聴こえていた人が突然聴力を失うのはひどく恐ろしいことだろうと思った。嗅覚も視覚もあるのに、音だけがない世界。人は他人のことを声から忘れていくというけれど、いつも側にいてくれる人の声を忘れてしまうのは怖い。声を聞くというのは普通に聴こえている我々にとってはさほど重要と思えなくても、心に及ぼす影響というのは大きいのかもしれない。まるで透明な箱に閉じ込められて出られないような感じがするんだろう、想像でしかないけれどそれが当たり前ではなかった私からすると、ちょっと片耳が聞こえないだけで怖くなってしまうのだ。


 五感が満足でないと、その孤独は計り知れないだろうと思う。五感が満足な人間でさえ、大いなる孤独に閉じ込められていると、ある詩人が言っていた。コミュニケーションをとることはどのようなやり方でもできる。それでもその不自由さ、苛立ち、悲しみ、感覚、伝えることは難しい。「なにかが足りていなくても普通に生きられるだけで自分は楽しいよ、深刻に考えてるのは周りのみんなばっかりで、当事者にとっては当たり前だし、却って同情されるみたいなことの方が不快だよ」とは言われるものの、そんなに心の強い人ばっかりじゃないだろうと、心の弱い私なんかは邪推してしまう。それに、聴力や視力の欠如でコミュニケーションが難しいのは周りの人だって同じだ。伝えきれなくて苛立ったり、見えない、壊せない壁を感じて無力感に苛まれることも想像に難くない。だから社会保障を、バリアフリーを、とは浅学な私には少しハードルが高いので言わない。それに、勝手な思い込みかもしれないけれど、なんだかバリアフリーという言葉自体が障害者と健常者を線引きして考えている気がしてしまう。この現代日本に健常者なんかいるんだろうか。みんなどっかしらおかしい。全員は無理でも、できるだけ生きる技術のハードルを下げようっていう考えにはなってくれないんだろうか。みんな生きるのが上手なのか、社会の基準からすぐにあぶれてしまう。誰がきめた基準なのか、あぶれたクズはどこで処理してくれるのか……。あ、いや、私にはやっぱりこういう頭の良い人々の話題はハードルが高い。


 少しでもコミュニケーションで困らないようにと心のどこかで思ってはいるのか、語学のテレビ講座なんかは流れているとつい見てしまう。この間、手話の講座を見ていた。疑問詞を教えてくれていた。それで、それが私の「手話という独特な言語の文法」との出会いだったのだが、正直なところ、第一印象は最悪だった。疑問詞が文末にくることも疑問詞はどんな動きをするのかは理解した。だけど、普段話している言葉と文法が全然違うから、上手く話せるようになるまでめっちゃ時間かかると思った。それこそ、また話が戻ってしまうが、なぜ真剣に義務教育期間中に教えないんだよ…道徳の授業で思い出したように福祉系の話題にそっと触れてそれで終わりで良いのかよ…。と思ってしまった。なかなか習得するのが難しいし、上手く扱えないと聾者とコミュニケーションがとりにくいのもあるけれど、いい年になってから突然聴力を失ったら、いつでも筆談具で筆談できるわけでなし、困るだろうと思う。


 それでも手話に対してちょっと食い気味の姿勢になったのは、私の耳がちょっと不調になっているからであって、なんともないときは、ただ聞き流していただろうと思うと、とやかく言えたことじゃない。結局そんな感じなのだ、身内に要介護者がいるから介護に興味を持ったり、近くに盲者がいるから点字ブロックに注意を向けたり、子供ができたから赤ちゃんの夜泣きに理解を示せたり、文字を書くようになったから聞き慣れない表現をメモに留めたり、きっかけがないと自分の世界しか見えないのはみんな一緒だ。視野がほんの少し広がると、途端に今までの自分が恥ずかしくなる。独りよがりになんでも知っているような顔をしていたなと思うと、殺してしまいたくなる。


 幸い自分はまだ学生だし、周りに教えてくださる方がいるから、そういう恥は必要最低限で済むし、自分がなにも知らないことをちゃんとわかっている。たぶん、視力や聴力を失ったら怖いだろうなと思うのは、知識がない状態に突き落とされるようなことだと解釈しているからだと思う。自分がどんな場所にいるのか、相手になにが伝わっているのか、相手がなにを自分に伝えようとしているのか、視野が狭い状態では残念ながらわかっているつもりでしか解釈ができていない。相手を完全に理解することはないとわかっていても、わからないことは怖いことだ。見えないというのは、周りの状態がわからないことであって、聴こえないというのも、誰かの声も自分の声もわからないということだ。だから狭い箱に閉じ込められるような息苦しさと恐怖を感じるのだと、私はそう思う。


 そのときそのとき思ったことを深く考えずに喋れるところをと思ってこんなエッセイもどきを書き始めたのに、なぜか難しげなことを喋っている。不思議だ。頭が悪いからこそだから、何言ってんだこいつ、と笑って読み流してほしい。


 仮にこのまま聞こえなくなったら、ずっと小説を書いているかもしれない。それは確かに幸せなことだと思った。


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