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感傷

 リコーダーが鼻の下にあたって鼻の下を切ったことがある。小五の卒業式の前日だった。友達とふざけあっていて、リコーダーで野球ごっこをしていたときにバットがバッターの手から滑り、鼻の下にクリティカルヒットした。一瞬なにが起こったのかわからず、鼻血を出したと笑っていたら、バッターに腕を掴まれ保健室に連行された。彼もろともしこたま怒られた。わたしは悪くなかったので意味がわからなかったのだが。蛍の光はわたしにとって忘れがたい因縁の曲となった。


 九月も半ばになると、小学生の頃をよく思い出してしまう。あれほど怪我が絶えず、軽率な発言をし、くだらないことが素敵だった時代は二度とは来ない。


 蛍の光の件を思い出したあと、記憶は飛躍し、四年生の三学期に戻る。近所の八幡宮の御神楽を先生に引率されて見に行った。なぜだかはよく知らないが、急に学年全員で見に行くことになったのだった。その頃からスピリチュアルとかオカルティックとか言われる、精神世界に興味のあったわたしは浮き足だった。勿論、投げられるお菓子を先生の目の前で堂々と手にできて口に入れられる、しかも普通ならば授業の時間に、ということが嬉しかったのもあった。何をどのくらい見たのかはよく覚えていない。なんだか綺麗で荘厳だということしか、当時のわたしにはわからなかったのかもしれない。それ以来御神楽は見る機会があったのによく見られていない。迦陵頻伽なんかを動画で見たりするがなんだか物足りない。夢であったのかもしれないという気すらしてきた。


 また記憶は飛躍する。六年生の運動会、念願の神楽の類の舞をやることになった。一年生のとき、当時の六年生が舞うのを漠然と見つめていた、あの七頭舞だった。道具は角材を加工しそれっぽく見せた、各々手作りの太刀しか使わない。装束も、体操服に足袋を履き、兵児帯だと思うのだが、をたすき掛けにするだけの至ってシンプルなものだ。楽隊は夏休みから猛特訓を続けた先生たちだった。足袋で跳ねまわるのだから不慣れな子は足の親指と人差し指の間が切れたり、なんだかんだ怪我が絶えなかったが、わたしは地元の祭りで地下足袋全力疾走マンだったのでなんともなかった。初めてトランス状態的な、なんだかハイな気分を味わった。暑かったし長時間膝をついたりする場面があるのだからキツくて当然だったが、楽しかった。いくらでも太刀を振るっていられると思った。


 手作りし、たくさんの練習に付き合わせ、多少チャンバラなんかをやって傷ができたり、なにかと愛着のあった魔除けの太刀だったが、運動会の直後、魔の塊みたいな奴に簡単に踏み折られてしまった。嘲笑うように、目の前で壊されたのだった。


 そうしてまた記憶は飛躍する。わたしは廊下に貼られた絆創膏を凝視している。三年生の夏だ。床も怪我をするのだろうかと、数日前に木の棒が刺さったふくらはぎを撫でながら見つめている。周りには誰もいないが、理科室前の標本棚からピラニアの標本が見ている。夏休みのプールに来たのだろうか、よく覚えていない。帰ろうとは思っていない。絆創膏を剥がしてその下の床がどうなっているのか暴こうとして迷っている。わたしも馬鹿な怪我が絶えず足は生傷だらけだ。たくさんの上靴に踏まれて痛いのかもしれない。夏休みのうちに治そうとしているのだろうか。


 足音が近付いてふと見上げると、脛から盛大に血を流している自分が立っている。牛乳瓶の入ったケースを運ぼうとして冷蔵庫を開ける直前にすっ転んで冷蔵庫の角が脛に刺さったときのわたしだ。馬鹿だな、と一瞥して踵を返すと、男子に腕を掴まれ保健室に連行されるところのわたしが見える。鼻と口を押さえ血を指の間に滲ませている。いつの間にか校長室の前にいて、ドアの隙間から青い目の人形を見ている。七不思議を思い出し口の中で七つ全部呟く。足音を殺して階段を駆け上り、鰐の剥製に怯える。


 こうしていつまでも小学校を彷徨い歩いているのは何故だろう。それは多分ここを卒業できなかったからだろう。ちょうどこのあたりの時期、卒業を待たずに慌ただしく転校した。友人に別れも告げられず、電話番号も知らず、連絡することも許されず、修学旅行も行っていない。


 ほんとうはもっと面白い話があるのだが、何故かこの時期はこの記憶をループする。絆創膏で繋がっているわたしの記憶。もうあまり鮮明でない少年期のわたし。曇った鏡を覗くような、秋特有の郷愁感。


 もう同級はわたしのことを覚えていないだろう。転校先の同級もわたしを忘れただろう。仮に会えたとして、いまのわたしは合わせる顔がない。もうほとんど大人だというのにこんな感傷に浸っている自分を酷く恥じている。それでも思い出さずにはいられないこともある。


 記憶の中のわたしはまだ魔除けの太刀を振り回して足袋で跳ねまわっている。今度は踏み折られてはいけない。その木製の刀が鋼に変わるまで振り回さなければいけない。理不尽なことは大抵少年期に洗礼を食らわされた。まだ小学校のトイレで花子さんを召喚しようと頑張っているわたしがいるうちは、現実のわたしも頑張らなければいけないと、さっき紙で切った指先の痛みに耐えながら、必死に言い聞かせている。




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