はねたかくなる
どうも、星野紗奈です。
神奈川県の伝統と絡めて書いた作品を投げてみます。
ちょっと思い入れがあるような、そうでもないような。
割と真面目でしんみりした感じの話にはなってしまいますが、最後までお楽しみいただければと思います。
それでは、どうぞ↓↓
体が、弱かった。強い日差しを一時間も浴びれば、たちまち肌が赤くなって、みるみるうちに意識が遠のいてしまう。無論、周りに同じような症状を持つ人はいなかった。原因も不明で、私だけが家族の中で生まれつきの貧弱だった。私が家の外へ出かけるとなれば家族総出の準備が必要になるものだから、気がつけば私は「外に出たい」とは言わなくなっていた。
私が住んでいたのは、静かで穏やかな、言い換えてしまえば、過疎化が進んでいる田舎の小さな村だった。家があったのは車で一時間ほど行かないと店がないような辺鄙な場所で、遊び道具も簡単には手に入らないし、ましてや自分で選びに行くなど、体の弱い私には到底できるはずもなかった。時々、両親が申し訳程度にパズルや塗り絵などを渡してくることもあった。しかし、それらは所詮知育遊びの一環として一方的に与えられたにすぎなくて、遊びの定義を知らない私ですら、それらを本当の遊びとは思っていなかった。
そんな状況で私が本当の遊びを知ることが出来たのは、祖母のおかげだった。祖母は古き良き面影を残す人で、この田舎町での暮らしにいつまでも恨み節を吐き続ける母たちとは正反対の人だった。ある日、縁側の日が避けられている所でぼんやりと遠くを眺めていると、ふと後ろから声をかけられた。何気なく振り返った私に祖母が見せてくれたのは、見たことのない形に加工された木の板と、鮮やかな色の羽がいくつか刺さった球のようなものだった。それが、私と羽根つきとの出会いだった。
「おばあちゃん、それなあに?」
私はそう尋ねたが、祖母は答えてくれなかった。その代わり、木の板の上に羽根をひょいと投げ出して、かん、かん、と打ち始めたのだった。
初めて見る物、初めて見る動き、初めて聞く音。当時の私は、住んでいた世界が一変するような気持ちで祖母の手本を見ていた。羽根は不規則に思うがまま跳ね回っているように見えて、私の隣できちんと座っている祖母の動かす板の上からは絶対に外へ出ない。私はそれが不思議でたまらなかった。
「やってみるかい?」
一向に逃げる気配のない羽根を器用に手で捕まえると、祖母は羽子板とそれを一緒に私に預けた。
初めて触れたその木の板は、幼いうえに病弱な私には少し重かった。それを何とか片手で握り、祖母がやっていたように羽根をひょいと投げ出してみる。しかし、羽根は飛び跳ねず、板の上に寝転がると、そのまま下へ転げ落ちてしまった。今度は、祖母に羽根を渡して、両手で抱えた板の上に落として欲しいと頼んでみる。しかし、やはり私の目の前で羽根が飛び上がることはなかった。それがどうにも悔しくて、もどかしくて、そんな気持ちのやり場を知らない私は、ただ不思議な形の板をぎゅっと握りしめることしかできなかった。その時、私は初めて、案外自分が諦めの悪い人間であるということに気がついた。
あの日から、私は羽根つきに随分夢中になった。祖母に私の触れていたものが「羽根」と「羽子板」という名前であることを教わってから、私はその名前を呼ばなかった日はなかったと記憶している。暇さえあれば、縁側に座って黙々と羽根を打っていた。体調が良い日には、庭の中央で五分だけ自由に羽根を追いかけたりもした。初めは下手くそで、縁側で座りながら打った羽根は、よく庭の茂みの方へ勢いよく飛び込んでいった。そういう時は大抵、一緒に座っている祖母が重い腰をあげて羽根をとって来てくれるので、私はなんだか申し訳なく思うと同時に、早く上手くなりたいと余計に興奮するのだった。
半年ほど経った頃には、以前祖母が見せてくれた手本のように、ぴたりと腰を落ち着かせたまま、数十分絶え間なく打ち続けられるようになっていた。毎日のように練習しているのを見ていた家族、特に母なんかは、「古臭くて嫌」と蔑みの目を隠さなかったが、私はそれも気にならないほど羽根つきが大好きになっていた。
それは、ある冬のしんと晴れ渡った日のことだった。その日はやけに体が軽くて、あの心地よい音にとびきり浸っていられるような気がした。庭先に立ち、手に馴染む重みを確かめて、羽根をひょいと放り出す。かん、かん、と私の動きに合わせて羽根の音が天空を劈く。空高く浮き上がる影を見上げ、私は磨かれた自分の技量を思って満足げに目を細めたり、それから時々、思うままに空を駆けられる羽根に羨望の眼差しを向けてみたりもした。そうやって何度も羽根を打ち上げていると、次第に音の反響が大きくなっていった。すると、いつの間にか打ち損なっていたらしく、気がつけばあの羽根は音もなく地面に落ちていた。しかしそこで、私は音がしなかったのではなく、音が聞こえなかっただけだということに気がついた。その瞬間、全身からさっと力が抜けきり、私は生気のない人形にでも変えられてしまったようだった。私は拾い上げられなかった羽根と同じように地面に崩れ落ちると、そのまま意識を失った。
*
知らない、私がいた。幼稚園の年長組に上がった頃、「羽根つき」という言葉を耳にして、彼女は魂の影からひょっこりと顔を出してきた。私は、彼女の存在を特別変だと思ったりはしなかった。しかし、家族に話したところ怪訝そうな目で頭を撫でられたので、幼いながらに、彼女は本来私の中にいるべき存在ではないのだろうな、という結論を悟ったのだった。
「羽根つき、しないの?」
彼女はどういうわけか、私との最初の会話にそんな文章を選んだ。私は、黙って少し俯いた。
祖父は、町内会の羽根つきチームの監督をやっていた。話の様子を窺うに、選手の人数が足りていないそうで、小学校入学前の私に矛先が向き、今回の話が持ち上がったようだった。それまで私は知らなかったが、母も昔は羽根つきの選手だったらしく、私に誘いの声がかかると、それは名案だと言わんばかりに笑みを浮かべていた。
「羽根つき、楽しいよ?」
彼女は、真っ直ぐに私を見つめて言った。どうしようかなと悩んで、私は恐る恐る彼女のことを見つめ返した。すると、彼女がにっこりと笑顔を浮かべたので、私は首を縦に振ることにしたのだった。
「羽根つき、知ってるの?」
「うん。毎日、遊んでたから」
私の方から初めて質問を投げかけてみたところ、彼女は驚いた顔を浮かべた後、少しもじつきながらそう答えた。
「私、病気だったの。なんの病気かは、分かんなかったけど。それでね、お家で遊べるものが少なくって」
「ゲーム機とかは?」
「ゲーム機?」
私の言葉を不思議そうに繰り返す様子を見るに、彼女は嘘をついているわけではなさそうだった。何か違和感を覚えた私は、幼少期特有の好奇心に後押しされたのもあって、気になることを探らずにはいられなかった。彼女も私と同じくらいの年齢だったからか、お互いを確かめながら歯車を噛ませていくように話が進んでいき、私の動きは着実に実を成したといえた。そうやって一つずつ話を聞き出していくうちに、彼女は私とは違う場所、違う時間で、違う人生を歩んでいたのだということを理解したのだった。
「羽根つきってね、面白いの。いつもいつも違う音が聞こえるんだよ。それにね、たくさん練習するとね、鳥さんと同じくらいの高さまで飛ぶの」
「ほんとに?」
「ほんとだよお」
彼女は、羽根つきというものに随分没頭しているらしかった。私が彼女の知っている羽根つきについて尋ねるたびに、彼女はくすくすと笑いながら頬を赤らめて熱心に話してくるので、私はまだ道のことに溢れている世界の中で羽根つきというものに強く心揺さぶられた。反対に、彼女が私に質問を投げかけてくることも少なくなくて、そういう時、私はよく困りながらも必死に言葉を探してなんとか答えるのだった。
「羽根つきって、戦うの?」
「スポーツなんだって。一対一で、羽根を落としたら負け。他のルールは、まだ覚えられてないけど」
「へえ、そっか。私、ずっと一人でやってたから、知らなかった」
そう言った彼女の表情は、寂しそうでありながらも、どこか懐かしさを覚えるようだった。最初の頃よりかは僅かに大人に近づいた私は、なんとなくそれ以上踏み込む気にはなれなかった。不自然に間をおいてしまってから、私は話を逸らした。
「昔はね、お正月にやる遊びだったんだけどね、それをスポーツにしてるんだって。市の大会と区の大会っていうのがあってね、市の大会の方が大きいんだよって、お母さんが言ってた」
「大会!」
彼女はきらきらと目を輝かせて、私の言葉を復唱した。彼女は本当に表情が豊かで、その朗らかな雰囲気は、先の人とは別人のようだった。
「羽根つきしてる人、いっぱいいるのかな」
「何十チームも来るんだって。きっと、いっぱいだよ」
「……大会、出られるかなあ」
「人足りないっておじいちゃんが言ってたから、出られるかも」
「じゃあ、いっぱい、いっぱい羽根つきできるねえ」
彼女はそう言って、顔をほころばせた。今になって考えてみれば、祖父がコーチで、母も経験者、という好物件の私の中に彼女がいたというのは、ある種必然だったように思える。ともかく、私の中にいることでもう一度存分に羽根つきにのめり込めることを、彼女は非常に喜んでいた。
私と羽根つきとの歩み寄りは、こうして始まった。どういう偶然か、私は最初、羽子板を持つのにとても苦戦した。彼女はそんな私の様子を見て、過去の自分を見ているみたいだ、と穏やかに笑っていた。決して体は弱くなかったはずなのだけれど、やはり年相応に幼かったということだろうか。彼女に笑われたのが恥ずかしかったのと同時に、期待させておいてまだ出来ないという状況が申し訳なかった。すると、私の浮かべていた絶妙な表情から何かを汲み取った祖父が、私専用の羽子板を作ってくれたのだった。殆どの人が使用している羽子板の半分くらいの厚みで、両端が数ミリ広い。使用している木材も、他の人が使っているものより大分白っぽくて、羽根を打つとやや高い音が響いた。そんな祖父特製の軽量羽子板は、驚くほど私にぴったりで、持った瞬間にこれからの相棒となっていくのがわかった。それに加えて、他の人たちと少し違う羽子板を使うというのも、私と彼女が重なり合って羽根つきをしている、というどこか常人から外れた意味が込められているようで、なんだか嬉しかった。
彼女の羽根つきに対する熱量は、私の想像をはるかに超えるとてつもないものだった。それは気づかぬうちに私にも影響を与えていたようで、私は自分でも驚くほど夢中で練習に励んでいた。魂が隣り合って共存していたわけだから、想いが同調してしまうのは無理もない話かもしれない。つまり、彼女の熱意は、私の熱意も同然だった。
とはいえ、私と彼女はあくまで別の存在だった。それを改めて理解したのは、やはり共通の話題である羽根つきを通してだった。
彼女は、前の経験の記憶が残っているからか、ひたすら高く打ち上げ、その跳ね上がる瞬間の痛快な音を聞くのが好きらしかった。彼女は身体の限界を見定めてはしぶしぶ練習を途中で止めていたと話していたが、あれは嘘ではなかったらしい。私が身体の感覚をいつもより少し多く譲ってやると、彼女は慣れたように私の健康体を上手く操って、延々と羽根を打ち続けるのである。いつまでかと言われれば、それは私が縋り付いて必死に止めるまで、と答えるほかない。そうしてようやくはっと理性を取り戻すと、彼女はいつも申し訳なさそうに眉尻を下げて、力なく笑うのであった。
一方、私は落ちてくる羽根を夢中になって追いかけるのが一番好きだった。落ちて消えゆく運命にある星を私の力で跳ね上げ、再び燃えさせるような、そんな気分だった。だから、時には傷を厭わずすべり込み、また時には自身の膝で腹をえぐるほど深くしゃがみ込み、といった感じで、追いかけるのに夢中になるあまり体に傷が絶えなかった。根性論で「ほっとけば治る」と傷のことをあまり気にかけてくれなかった母に代わって、彼女はよく私の体を心配してくれたのを、よく覚えている。
こんなふうに、細々とした好きな点はお互いに違った。それでも、羽根つきを大好きな気持ちは一緒だった。私が彼女に諭されてしまった部分は確かにあるかもしれないが、私が自覚していた気持ちは、決してそれだけで済まされるものではなかった。母や祖父にはよく「よほど好きになったんだね」と言われたが、実のところ、それは二人分の気持ちなのだから、余計に強く見えるのは当然のことだったのである。そんな誰にも言えない秘密の関係がこんなにも長く続くとは、当時の私は思いもしなかった。
羽根つきの練習は、週末に学校の体育館で三、四時間ほど行われることが多かった。羽根つきといえばお正月のイメージが強いし、確かに大会が開かれるのも冬なのだが、練習は季節を問わず一年を通して行われているのが実際である。一般的にいえば、年一度の大会に向けて一年間練習を積むという時点で十分に思えるのかもしれないが、私たちはそう一筋縄ではいかなかった。私と彼女は羽根つきというものへの熱意以外に慾張りという共通点もあったようで、水分補給をそこそこに済ませると、休憩時間中もずっと羽根を打ち続けていた。しかしそれだけでは物足りず、母伝手に交渉して、年上の人たちが集まる平日の夜の練習にも参加させてもらっていた。それから、休日の体育館を借りてのチームの練習がない時には、公園へ飛び出していき羽根を打つこともあった。たとえ冬でも、だ。
「冬ってお空が綺麗なの。羽根がカラフルだから、余計に綺麗に見えるんだよ」
「それはわかったけどさ、外寒すぎない? 体育館でも寒いのに」
「そう? これくらいなら平気」
「すごいね。こんなに手がかじかむのに、できるの?」
「できるよ。前の私だってできたんだもん。あなたの体は、前の私の体よりずっと丈夫でしょ?」
公園には、もちろんコートのセットなんてない。そのうえ、野外は風の影響を受けやすいので、対人戦には適さなかった。けれど、一人で、いや、私たち二人だけで没頭する分には十分な環境だった。
私たちが参加する羽根つきの大会は、いくつかの部にわかれているのが特徴だ。小学生の部、中学生の部、お母さんの部という三つの部があり、それぞれが団体戦と個人戦にわかれている。お母さんの部というのは、町内会に子どもが加入している母親たちが対象となるため、私たちが続けて出られるのは実質中学生の部までだった。
結論から言えば、私は年長から中学三年生まで、ずっと羽根つきをやり続けた。幸いと言っていいのか、私の所属するチームは人が足りていなかったため、毎年試合に出ることができた。つまり、見事十年連続出場を達成したというわけである。
戦績は、悪くはなかったのかもしれないけれど、決して良いとも言い切れなかった。三位入賞は、それなりに多かったと記憶している。一度くらいは優勝したこともあったような気がするけれど、母の現役時代は優勝常連チームだったという話を耳にたこができるほど聞かされていたから、劣等感に埋もれてそんな記憶はとっくに見失ってしまった。
彼女は意外にも芯が強くて、対する私はとても泣き虫だった。怪我が痛くて泣くことは殆どなかったけれど、試合に負けるのだけはいつも悔しくて、どうやっても涙をこらえきれなかった。そうやって試合に負けるたびに泣いていたせいで、祖父や母には何度も叱られ、友人には遠巻きにされ、いつの間にか私を慰めてくれる人はいなくなっていた。ただ彼女だけが、ずっと私の傍にいてくれたのだった。
「羽根つき、しないの?」
私がしゃくりあげながら泣いていると、初めて会った日のように、彼女はいつもそう声をかけてくれた。そうすると、私の心は不思議と落ち着き、ぐいと残りの水滴を拭いあげて力強く頷くのだった。
「全部、終わったね」
「終わっちゃったね」
最後の大会を終えたその日、出会ってからずっと変わらぬ方法で慰められた私は、泣き腫らした目で彼女のことを見上げていた。さっきは今までと同じようにこくんと頷いてみたけれど、よく考えてみれば、もう私たちの羽根つきは終わってしまったも同然なのである。これまでの私であれば、また個人的に楽しめばいいと楽観的に考えていただろうが、この日ばかりはなんだか、そういうわけにもいかないような気がした。
「楽しかったね」
「うん、楽しかった。すごくない、私たち十年もやってたんだよ?」
「本当にすごいよね。自慢できちゃうよね。あ、でもよく考えてみたらさ、私の方がちょっとだけ先輩じゃない?」
「えー、前世含めるのはずるくない?」
そうやって笑い合える和やかな時間は、そんなに長くは続かなかった。暫くして、彼女も私と同じようなものを感じていたからか、寂しそうに小さく息を吐いた。
「私さ、この十年間があっという間で、本当に楽しかった。それでね、一緒に羽根つきをやり切って、なんだか満足しちゃった気がするの」
「成仏、する?」
「なのかなあ」
私が問いかけると、彼女は眉をひそめて笑った。
「私と一緒に羽根つきしてくれて、ありがとうね」
「楽しかったなら、良かったよ」
私がそう言うと、彼女は胸をなでおろしたようだった。確かに、彼女は私という存在がいなければ、もう二度と願いを叶えることが出来なかったかもしれない。けれど私の方だって、傍にいてくれる彼女の存在が必要不可欠なものになっていたということには、随分前から気づいていた。だから私は、彼女にこう伝えたのだと思う。
「いつかさ、私がお母さんになって。それでまた、大会に出るってなったら……見に来てくれる?」
音もなく雪が降り出す中、彼女の微笑みは太陽のように眩しく、そしてひどくあたたかかった。やがて間もなく、白い吐息だけを目の前に残して、彼女は私の世界から忽然と姿を消したのだった。
*
忘れていたわけでは、なかった。大学生活もぼちぼち順調に進んでいた頃のことだ。母に頼まれて家の片付けを手伝っていると、私は突如懐かしい思い出に対面した。
一般的に使われているものより白っぽい木材で、一段と薄い羽子板。まぎれもなく、私専用の羽子板だ。十年を共にしたその羽子板は、もうボロボロだった。羽子板の中央部分は、羽根と何度もぶつかったせいでがりがりとささくれており、板全体を見ても上から中央くらいまで亀裂が入っている。よれたグリップを見て、私は母と一緒にスポーツショップで選び、彼女の声援を受けて苦戦しながらもなんとか自力で張り替えたことを思い出した。
一方、羽根の状態は随分良かった。おそらく、試合用のよく飛ぶ羽根だったのだろう。選手が使う羽子板と同じように、羽根にも個性があった。例えば、とてもよく飛んだり、飛ばなかったり。あるいは鋭く見えたり、静止しているように見えたり。羽根の色の組み合わせも、羽根そのものの状態も、千差万別なのだ。練習の際は特に区別なく使用しているのだが、スポーツという性質上なのか、毎年大会の羽根は同じようなよく飛ぶものが使われていた。本音を言えば、選手の多くはこの羽根が嫌いだったのではないだろうか。
「あら、それ羽子板じゃない。まだ家にあったのね」
母にそう声をかけられて、私は慌てて回想を止め、羽根と羽子板をまとめてぐっと横へ押しのけた。もう全て終わったことなのだ。自分にそう言い聞かせ、何度か呼吸した後、私はまた片付け作業に戻ろうとした。しかし、それを引き留めたのは母だった。
「羽根つきのチーム、いよいよなくなるんですってね」
それを聞いた時、私は別に驚かなかった。むしろ、予想通りだな、と思っていたくらいだった。
最後の大会を終えた後も、高校生の頃までは、何度か練習の様子を見に行っていた。勿論、彼女はもう去ってしまっていたので、正真正銘私一人で行っていた。
何がひどい、とは言えなかった。言葉に出来ないほどショックな光景だった。町内会に所属する子どもたちはただでさえ少ないのもあって、もう団体戦にすら出られないような人数しかいなかった。それだけならまだよかったのかもしれないが、悪いことに、熱心な子どもはもういないといってよかった。
体育館に集まっている子どもたちは、自分から練習をしなかった。親に言われてしぶしぶチームに入り、家にいても追い出されるので仲の良い友達に会いに行こう、くらいの気分に見えた。彼女たちはスポーツとしての競争心はおろか、羽根つきに遊びとしての親近感すら抱いていなかった。悔しかった。私と彼女があんなに熱く虜になっていたものが、こんなにも見向きされなくなっているとは思いもしなかった。私たちはきっと頭がおかしかったんだ、とそう思わざるを得ない心境になるほどには、見ていて辛かった。
一方、悪い意味で変わっていない文化もあった。それは、お菓子などの差し入れだ。暑い夏の日には、練習を終えた後に食べるアイスが最高だった。大会の日には、お菓子の名前で願掛けをして、励まし合っていたこともあった。それが今となっては、差し入れがないと練習すらしない。子どもたちにとって、羽根つきとはもうそれ以下のものに成り下がっていたのである。
そういう状況を目の当たりにして、私は脳天を撃ち抜かれたような気分だった。もしかしたら今回だけかもしれない、という希望を抱いていた時期もあった。しかし、何度見に行こうと子どもたちの瞳の色が変わることはなかった。勿論、私が指導を頼まれることもあったので、その時は最善を尽くしたつもりだった。だが、私の言葉は子どもたちに一切響かなかったようだった。そしてとうとう、私は羽根つきの練習の場へ一切顔を出さなくなった。
だから母伝いにチームの解散を聞いても、何の疑問も抱かなかった。もしかすると、あんなにやる気がないなら集まっても無駄だろうに、とどこか卑下していた気持ちもあったかもしれない。
「前はおじいちゃんが羽根とか羽子板とか回収してたけど……解散するなら、こっちで捨てちゃった方がいいのかしらね?」
母はまだ何か作業をしていたようで、手元に目を向けたまま私にそう問いかけてきた。過去のことを思い出してしまったせいか、私は上手く言葉を発せなかった。
「ちょっと、出てくる」
なんとか無理に喉を絞りそれだけ言うと、私は横に押しのけていた羽子板と羽根に手をのばし、それを抱えて逃げるように外へ出て行った。
冬の公園は、やはり寒かった。今日は晴天であるとはいえ、昨日降り積もった雪はまだ融けきっていないようだった。皆家で暖をとっているのか、人は誰もいない。
私は深く深呼吸をすると、静かに羽根を打ち上げた。すると、こん、とやや鈍い音がした。ぎくりと肩を揺らしたが、気を取り直して、ゆっくりと落ちてくる羽根をもう一度打ち上げる。今度はかん、と真直ぐに音が響いた。
かん、かん、と羽根が鳴るたび、私は叫びたくなる気持ちだった。悔しい。悔しい。悔しい。そう噛みしめながら打つので、羽根はますます高く遠くなる。
羽根つきは、きっとなくならない。しかしそれは、あくまで書面に記録される文化としての話だ。本当の羽根つきは、私たちが出会ってきた羽根つきは、きっとそう遠くないうちに消滅するに違いない。彼女が熱中した数少ない遊びとしての羽根つきも、私が夢中になった競技としての羽根つきも、もうすぐ全部消えてしまう。
今まで抱えてきた思いがぐっと込み上げてきて、打ち上げる力はどんどん強くなる。羽子板を握りしめる手が、少し痛んだ。
羽根つきと距離を置くようになってから、私は、別にあんなものなくたっていいじゃないか、と思うようになっていた。止めてから怪我は随分減ったし、必死なあまり泣きじゃくって咎められることもない。だから、なくなったところで、私には関係ないと思っていた。だって、たかが十年だ。今じゃ人生百年時代と言うくらいで、きっと羽根つきは私の中のほんの十パーセントくらいしか占めていない筈なのだ。
それなのに、悔しい。どんな言い訳をしても、無駄だった。
かつての彼女は、鳥と同じ高さまで羽根を打ち上げることができると言っていたが、今はもうそれすら超えていそうな勢いである。もっと言えば、このままいったきりかえってこないのではないだろうか、とすら思えた。
もう何もかも、かえってはこないのだ。私を熱で染め上げてくれた彼女も、ひたすらに追いかけることを戸惑わなかった私も。彼女の生きた時間も、私の過ごした日々も。
焚きつけられた感情はとどまることを知らず、私の血を片っ端から燃やしていく。だから、私はただ、燃え尽きるまで羽根を打ち続けていた。
線香花火が落ちるように、なんとも呆気ない終わりだった。私が思い切り羽子板を振り上げると、羽根が亀裂に上手く力をかけたようで、羽子板は軽い音を立てて割れた。それに伴って羽根も明後日の方向へ飛び、私から少し離れたところで黙り込んだ。数秒固まった後、私は振り上げていた手をだらりとおろした。
清々しい青空を見上げていると、ふとあのあたたかい声を思い出した。あの時の別れの予感は、何も間違っていなかった。彼女は二度と帰ってこないだろう。とめどなく体の奥から押し上げられてくる涙が、熱くてどうしようもなかった。
どこかで、融けた雪が木からずり落ちる音がした。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!