使命
橘さんの協力により、何とか再び地元への帰省費を手に入れた俺達は、今新幹線に揺られていた。
「……クラスの皆、あんたが復学したこと、あんまり触れなかったね」
車内にて、橘さんに言われた。
「そのくらいが丁度良いよ。心配されるのは、君だけいれば十分だ」
「……あっそ」
窓側の席に腰を落とし車窓の景色を見る俺は、橘さんが今どんな顔をしているのかはわからない。
でも、きっと嫌な顔をしていないだろうということは、気配から察せられた。
四月の地元は、先日訪れた時に比べてば幾分か寒さも抑えられていた。ただ、まだまだ寒い。
「今日は大丈夫だった?」
降り立った駅のホームで、俺は橘さんに尋ねた。
この前来た時は、寒さのあまり橘さんは幼児化していた。
「大丈夫だっつーの」
橘さんは、少し恥ずかしそうに唇を尖らせた。どうやら先日地元に来た時のこと、彼女も思うところがあったらしい。
「……今日は、香織に何も話すことなく家を出てきた」
「そう。じゃあ……日帰りしないとね」
香織を心配させるような真似をしない。
いつの間にかそれは、俺達の共通認識になっていた。
改札を出て、駅構内を後にした。
バスに乗り込み、向かった先は……。
「……社長の家は、更地になっていた社屋から二十分くらいの場所にある」
○○製作所で、かつて俺がお世話になった会社の社長の自宅。
結局、事前のアポ取りなしに俺達はここまで来ていた。社長の携帯番号は覚えている。でも、突然知らない番号から電話がかかってきたとして、恐らくあのバス事故で一番世間からバッシングされた社長が電話に出ることはないと思った。
実際、あの地に社長の家が残っているかは……更地になった社屋を思い出しても微妙なところ。
週末も近かったタイミングもあり、俺達はだったら出たとこ勝負で行ってみようと話し合った。
今回のアポ無し訪問。
正直これは突拍子もなく決まったことで、準備時間もロクになかった。それで、満足な話を出来るのか。向こうから聞きたいことを引き出せるのか。
そんな不安がつきまとう。
でも、時期をずらすことは橘さんに強く反対された。
あなたのためだよ。
橘さんは、そう言って社長宅の訪問を直近の週末から頑なにずらすことを拒んだ。
今になって思うとあの言葉は、社長から今日どんな話が聞けようと。社長がもうそこにいなかろうと。俺に待ち受ける現実は辛いものだから……早く受け入れるべき。そういうことだったんだと思う。
いつか乗ったものと同じバスに揺られながら、俺は一人悶々とした気持ちでいた。
これからどんな結果が俺に待ち受けているのか。
知るのは怖い。
でも、今窓から見るかつて見慣れた景色をこうしてもう一度見ることになるとは……正直、思っていなかった。
あの日、俺の身が死んだことを知った翌日、自分のお墓の前で俺は……俺の死を受け入れた。向き合った。
そうして俺は、伊織としての人生を歩む決意を固めた。
でも……。
自殺直前のことを思い出し、一人悲しみに暮れたことも。
橘さんとこうして過去のことを調べるためバスに揺られることも。
……香織に、俺の身の潔白を告げられることも。
俺がしていることは結局……俺としての人生の延長線上に過ぎない。
今、俺の見ている世界は伊織の世界。
でも、俺はどこまで行ってもやはり俺。
……矛盾を孕んだ世界。
故に思う。
何度も何度も思ったことを、こうして地元に戻り俺は……再び直面した。
神は、一体どうして俺を伊織に乗り移らせたのか。
答えは見つからない。
でも、時間は勝手に進んでいく。
この帰省に満足な準備期間を得られなかったように。
社長に何を話すかまとまらない内に。
時間は残酷に身勝手に……戻ることもなく、勝手に進んでいく。
「降りるよ」
橘さんに言った。
そうしてバスを降りて、しばらく歩いて……。
見慣れた家屋が、目の前に飛び込んだ。
「……あった」
懐かしい家屋に、俺は呟いた。