疑問
自分だけの意見だと、主観的でしか物事は判断出来ない。
ただ、橘さんから同意を得られるとそれも少し事情が変わる。資料を読み、彼女と同意見を導くことが出来て俺はホッとした。
「……色々見て、気になったことはいくつもある。一年以上前倒しで行われた研究所移転が証拠隠滅のカモフラージュなのか、とか、一年以上経つのに未だ○○製作所の人間が逮捕されていない、とか。でもそれらから○○製作所は無関係。△△重工が悪い、と結論を付けるのは陰謀論染みている」
「でも、陰謀論じゃない話もあった」
橘さんの言葉に、俺はゆっくりと頷いた。
「△△重工は、俺が昔勤めた企業が寸法NG品を納品し、それが原因で今回の事故が起きたと記者会見で説明している。でも、そもそもここがおかしい。この資料を見て確信した」
「そうね」
「車軸の寸法は確かに外れていたが、下限側に僅か数マイクロだけだった」
『△△重工、勇み足の提訴』と書かれた資料の内容が頭から離れなかった。
下限側に僅か数マイクロのNG。果たしてそれだけの規格から外れただけで、事故が起こるものだろうか。
バスだなんて数十トンの重量を支える車軸ならば、数年単位で使用する内にそれだけの摩耗が起きるのではないだろうか。
まあ、それでも俺が勤めた会社がNG品を納品した事実は変わらない。
「でも、その寸法NGってのもおかしな話だ」
顧客との営業から測定、果ては納品まで。一人でこなしてきた俺が把握していること。
それは、俺が勤めた会社は一つの部品に対して二種類の図面を用意しているということだ。
一つは、顧客に提出する用。
そしてもう一つは、社内用。
「社内用の図面は、顧客に提出する図面に比べて公差が厳しく設定してある。それは、今回のように顧客に収めた部品が寸法NGだったって話を無くすため。社内用の図面は、顧客で部品がNGにならないように、顧客用の図面の寸法公差から、マージンを取った厳しい寸法公差が設定してある」
「ただ、今回△△重工が提訴するに当たり、提出した図面は、社内用の図面だった」
「勿論、社内用の図面でも外れないよう、精一杯の調整はするが……大量生産をするに当たり、何個かNGが出てもおかしくない」
俺は、ため息を吐いた。
「一体、誰があの図面を外に流出させたんだ」
それがなければ、あの部品が外れていただなんて難癖はつかなかっただろうし、○○製作所が矢面に立たされることはなかっただろう。
「……憶測だけど」
橘さんは、言いづらそうに伏し目がちに続けた。
「あなたの名前を検索したら、匿名掲示板が出てきた。あなたのことを誹謗中傷する内容を添えて。もしかしたらその図面の流出犯と、その書き込みをした人は同じなんじゃないかな」
「……あの会社にそんな悪意を持った人が一人でいてほしい、という意味では、その方が嬉しいね」
「……もしかしたら会社に勤めていた人じゃないのかも。だって、もしまだその会社に勤めている内に、自分の会社の悪評を広めたら、転職活動をするのも一苦労になる」
「つまり、犯人は事故が起きる直前に会社を辞めた人か」
「そして、あなたに恨みがあった人」
「……あの会社で俺は、数段飛びで出世したから、たくさんの人に恨まれていた」
ただ、俺を恨んでいた人。そして、会社を直前に辞めた人となれば、片手くらいには人数を絞り込める。
名誉毀損で匿名掲示板のコメントに対して開示請求をするか?
ただ、誹謗中傷された本人でなくなった今、それも簡単には出来まい。そもそも、開示請求に使用する費用なんてありはしない。
……やめよう。
俺の身が死んだ以上、犯人探しなんてしても虚しくなるだけだ。
「……橘さん、聞いてほしい話がある」
そして、そんな虚しい犯人探しをするより、俺は知りたいことがあった。
「何?」
「ここに俺が来る前に、実は俺、香織と地元に行っていた。俺の自殺現場で、手を合わせてきたんだ」
橘さんは驚きのあまり、目を丸くしていた。
「……憔悴する俺に香織は、あの事故が俺のせいで起きたんじゃないって言ってくれた。その帰り道、俺は香織に聞いたんだ。あの事故が俺のせいじゃない確証はあるのって」
「なんて、答えたの?」
「具体的には、何もない。僅かに教えてくれたことは、△△重工の移転の話と、○○製作所から逮捕者が出ていないってことだけだった」
それだけだったから、俺は疑問を抱いた。
「……ここまで色々情報がある中で、香織が教えてくれたことはそれだけだった。更には、確証もないと言っていた。でも今考えるとおかしい。だって……勝ちの芽がない中で普通、△△重工相手に訴訟なんて起こすか?」
負け戦上等で△△重工への提訴を行うほど、遺族の会が香織の言葉で動くこともないだろう。△△重工と言えば、世界的にも名の知れた日本の自動車メーカー。そんな大手ブランドであるかの企業が、あのバス事故は○○製作所が納品した部品がNGだったために起きたと暗に言っている。
どんな理屈があって発言に至ったか。
人は、それも自分の中の意思決定に対する一つの要因とするが……一番重要なことは、その発言を誰がしたか、だ。
大企業という大手ブランドが発言したことだから。それだけで妄信的に、バス事故に対する責任は○○製作所にあると考える人は少なくなかっただろう。
加えて、一年以上も尾を引いた遺族の会が、一枚岩であるはずもない。
ただ、それでもなお△△重工を香織が提訴したのであれば、相応の勝ち目を見出していたに違いない。
「……そう聞くけどさ」
橘さんは、少し呆れた顔をしているように見えた。
「あんた、本当は思い当たる節があるんじゃないの?」
俺は、黙った。
「……香織さんのことは、あたしよりあんたの方が詳しいじゃない」
橘さんの指摘に、俺は俯いた。
「うん。そうだね……」
実は、俺には一つ、香織が俺に真実を告げなかった理由に心当たりがある。
でも、それが合っている自信がなくて、俺は橘さんに縋ったのだ。
橘さんは今……聞くまでもなく、俺が思ったことであれば、それが香織の真意であると言ってくれた。
それが、少し自信になった。
俺は、顔を上げた。
果たして俺はリアリティある話を書けているのか!?