勘違いしないで
伊織達が巻き込まれたバス事故のこと。
俺が、香織の夫の生命を奪い、伊織の生命さえ奪いかけたバス事故のこと。
俺が、今一番向き合わないといけないトラウマ。
二週間、精神を病むほど、知ることが怖いトラウマ。
俺はそれを知らなければならないと思っている。
でも、一人でそれを知るには……俺からしてそれは悪夢にも似た、思わず足が竦んでしまうようなことだった。
一人で向き合える自信はない。
いいや、向き合うことが出来ると思う。
でも、現実に直面した時……もし、最悪の結末が待っていると知った時、俺は俺がどうなるのか、微塵も想像がつかないんだ。
だから俺は、また橘さんを頼った。
……橘さんは。
「今更、遅いよ」
怒っていた。
「ごめん」
そうだろう。
彼女を傷つけて、その後も二週間もの間逃げ続けて、今更彼女を頼りたいだなんて、虫が良すぎる。
橘さんは踵を返した。
「粗方調べたから、上がって」
「……へ?」
今のこの流れは、もう遅いから自分一人で事故のことを調べろ、という意味だと思ったのに、橘さんの返事は予想だにしないものだった。
「萌奈美姉にも協力してもらって、日経新聞から技術系の情報誌まで、色々取り寄せてもらった。あたしはもう一通り目を通した。あんたも読みなよ」
「あ、うん……」
思ったよりも深堀調査している橘さんに、俺は変な返事しか出来なかった。
「いや、そうじゃなくて」
ただ、まもなく気付いた。
……そう言えば以前、高山さんは橘さんが俺がいない日に古書店に買い物をしに来ていたことを教えてくれた。
その後、発熱をした橘さんの見舞いに行った時、彼女は随分と長い間部屋の掃除をしていた。今思えばあれは、当時心変わりをした彼女が、俺にバス事故と俺が繋がる手掛かりとなる雑誌の隠し場所に四苦八苦していたからなのだろう。
まあそんなことはともかく、まさかあれ以降も個人で淡々と、調べ物を継続しているとは思わなかった。
橘さんは、俺の身の潔白を証明したいと言っていた。
多分、あの言葉に偽りはなかったのだろう。あの言葉が事実だからこそ、橘さんは俺に協力を申し入れられる前から、調査を継続していた。
そこまで橘さんに思われていた事実が、彼女の気持ちを理解するごとに、胸に染みた。
「ありがとう」
俺は、優しく微笑みながらお礼を言った。
「勘違いしないで」
橘さんは、頬を染めてそっぽを向いた。
思えば、彼女のこの姿を見るのも随分と久しい気がした。
「……ううん。勘違いじゃないね」
橘さんは、恥ずかしそうなまま微笑んだ。
「あんたの役に立てたのなら、嬉しい」
「……ありがとう」
俺はもう一度お礼を言って、今度こそ彼女の家に上がり込んだ。