向き合う勇気
早朝に自宅を出たというのに、俺達が帰路に着いたのはすっかりと外が暗くなった後であった。
香織の運転する車の助手席に座り、俺は窓の外をぼーっと眺めていた。ただ、外の景色を意識を集中していたわけではない。
今でも思い出すと、涙腺が緩くなる。
『あたし達、恋人同士だったんだもん』
……恨まれていてもおかしくないと思った。
憎まれ、死んだことを喜ばれていても何もおかしくないと思っていた。
香織が俺の生死を知っていた理由は、俺に対して生命を奪った怒りがあるからだと思っていた。
○○製作所を罵る匿名掲示板で、俺は主犯格として名前を晒されていた。きっと当時の香織は、自分の夫と息子が傷つけられたあの事故のことを、調べ上げたことだろう。
そうなった時、彼女が俺の名前を見つけていたことは間違いない。
俺がもし、逆の立場だったとして……。
香織のように、大切な家族を昔の恋人に奪われていたとして。
香織のように俺は、振る舞うことが出来ただろうか。
自殺現場に花を供えて。
俺の死を、慈しんで……。
『……彼のせいじゃない』
そして、恋人の身の潔白を信じることが出来ただろうか。
感謝しても、しきれない。
高速道路に乗った車の中、俺は香織への感謝の念を一層強めた。
それだけじゃない。
二週間近く俺は、まるで廃人にでもなったかのように憔悴していた。
でも、大切な人のおかげで俺は……俺は。
俺は、また向き合う勇気を芽生えさせた。
「……母さん」
「何?」
「さっき、あの事故はあの人のせいじゃないって言っていたけど、確証はあるの?」
向き合わなければならない。
俺が仕出かしたかもしれない悲劇に。
俺が、失わせたかもしれない生命に。
……罪から逃れたいわけではない。
贖罪のつもりでもない。
ただ、いつか……俺が俺の生死を知りたいと渇望したように……。
俺はきっと、それを知らないと先には進めないんだ。
もう、香織は隠さない。
もう、香織は誤魔化さない。
「……大丈夫なの?」
唯一、香織の心配はどうやら、俺の具合だけらしい。
「大丈夫。大丈夫だ」
「……わかった」
香織は、微笑んでいた。
「強くなったんだね、伊織。美玲ちゃんのおかげかな?」
「……そうだね」
香織は満足そうに、大きなため息を吐いた。
「……具体的には……正直に言えば、何もないの」
「そっか」
落胆はしなかった。
具体的には。
つまり、証拠がないだけで疑惑はあるということだ。
「あの事故から一年経って、どれだけの人が逮捕されたと思う?」
逮捕。
罪状を考えると、業務上過失致死か。
ありえるとしたら……俺の当時勤めた会社の重役数名。
「三人くらい?」
「数は当たり。じゃあ、捕まった人は?」
「そりゃあ……○○製作所の重役達」
「それが違うの。捕まった人は、バスの運行会社の重役三名だけ」
「えっ」
運行会社の人間だけが?
……そりゃあ、管理元であるバス運行会社に責任が生じるのは理解出来るが、もし部品不良が原因であれば部品メーカーに責が及ぶのが自然ではないだろうか。
……ああ、そういうことか。
「○○製作所に責任は及ばず、運行会社だけに追求が成されているから、母さんはあの人が無実だと思っているわけか」
「そうね。そもそも、○○製作所に逮捕者が出ていない時点で、警察が何か事情を知っている可能性があるとも思っている」
「でも、まだ調査中ってだけかも」
「それ以外にも疑惑はある」
「それは?」
「実は、△△重工は事故後すぐ、技術センターの移転を行ったの。横浜から品川に。その事自体は別におかしいことでもない。でも、その移転は本来一年以上先に行われる予定だったものを、社屋の完成を強引に急がせてまで強行したと知ったら、何だか意味深に思えてこない?」
「確かに」
香織の言いたいことはわかった。
つまり香織は、△△重工に何かしらの不正があったのでは、とそう指摘しているのだ。
確かに、運行会社が責任追及されていた当時の状況で、販売元である△△重工が間に入って、○○製作所を断罪するかの如く、提訴をする記者会見を発表するムーブは違和感がある。
邪推すれば、いずれ△△重工にも批判の目が向けられることを察した連中が、先んじて手を打ったとも見える。
ただそれだけの情報では正直、端から△△重工に不正があったと疑ってかかっているからそう思えるだけにしか見えない。
「もっと、情報はないの?」
「ごめんね。あたしも遺族の会の代表者という立場上……中々表立ったことは出来ないの」
そうか。
香織はあの事故の遺族の会代表だから、全体を統べるためにも一方向にヘイトを集めるような過激な発言は出来ないのだ。
過剰に過激発言を繰り返せば、それが正しかろうが正しくなかろうが、最終的にヘイトを集めるのは香織自身だ。
そういう意味だと、○○製作所ではなく、△△重工へ提訴するまで漕ぎつけた香織の努力は相当なものなのだろう。
香織から聞き出せる情報は、ここまでか。
俺は俯いた。
「……ねえ伊織?」
「何?」
「あたしからも、質問良い?」
「……何?」
「……あなたの記憶、まだ戻っていないの?」
俺は心臓を鷲掴みにされたような衝撃を覚えた。
慌てて、香織の顔を見た。
……優しく口元だけ微笑み運転に集中する香織の顔からは、彼女の真意は読み取れなかった。
好き勝手書かせてもらってるのに、日間ジャンル別で良いランキングに入れさせてもらえること、本当に有り難いことだって最近しみじみ感じています。
本当にありがとう。これからも何卒よろしく。
ということで、明日から出張なのでペースが下がると思われます…。
次の話までは、なんとか出張前に書ききらんと、とおもってた。